2006年12月22日金曜日
Dr.コトー 11話目
以降に、ストーリーの展開など重要部分が記述されています。
前回はコトーの苦しみと課長や昌代さんの優しさといたわりに涙ぼーぼーでした。
今回が最終回。
おいらのTVドラマ・ブログネタとしても最終回?(^^ゞ
彩佳の手術の日が近づきます。
鳴海先生は手術の前に会ってもらいたい人がいる、とコトー先生を自宅に招きます。そこには寝たきりになって機械につながれた、言葉はおろか意思表示すら出来ない鳴海
先生の奥さんがいました。その昔、病気で倒れた奥さんを自ら手術してうまくいかず、結果こうして寝たきりの状態にしてしまったことをずっと自分のせいにして、心のとげとして悔やんでいる鳴海先生がいるのでし
た。コトー先生に、私の妻は生きていると言えるのか、という質問を投げかけます。そして言うのです。患者に対して特別な感情をはさんではいけない、人間がやる以上手術に絶対はないのだから、と。
いよいよ手術。
彩佳には剛洋が付き添います。
島ではみんな-和田さん、ミナさん、三上君、重さん、マリさん、剛利、ゆかりさんたちが心配しています。
手術は無事終了します。
し
かし、コトーは放心状態です。
術中、アクシデントのためコトーは自分を見失い、鳴海に「目の前にいるのは星野彩佳ではなく、1人のがん患者と思え」と叱咤されます。
その後空白はあるもののコト
ーは自分を取り戻し手術を再開しますが、やはり、彼にとって冷静で居られない状況だったのです。
ベンチに座って放心しているコトーに鳴海先生は、医者と患者の関係についてコトーの姿勢を批判します。
「ふざけるな」と、いつもは冷静な鳴海先生が自身の失敗と後悔を背景に、生ぬるい感情論に翻弄されるコトー先生に対し医者の風上にも置けないという気持ちを強烈にぶつけています。
鳴海先生の言
い分も理解できるし、彼の悲しみが伝わってきてここで泣けてきました。
ずーっとこれまでは嫌味ったらしいシーンしかなく、アンチ鳴海な人がいたと思いますが、この場面で熱い一面を見せたことで彼のキャラクターの深さを印象付け名誉挽回したんじゃないでしょうか。
いよいよコトーが病院を出るときに鳴海に対して質問の答えを返します。
人として答えるならば、鳴海が生きていると思っている限り生きている。
医師として答えるならば、鳴海が治療を続ける限
り奥さんは生きています、と。
そして、いつか奇跡は起こるかもしれない。そこに「も」絶対はないのだと。
(これは奇跡など絶対にない、というかつてゆかりさんの回復状況を話したときの鳴海の言
葉に対する返しでもあります。)
手術に絶対はない(=手術中には感情を排す)、と言った鳴海の忠告に感謝し、一方で信じ続ける(=患者との関係に感情の介入を許す)ことの大切さを鳴海に伝えたかったん
じゃないかと思います。
今回コトーと鳴海という、同じ医者でもまったく価値観が違ってしまって対極にあるかのような二人の描かれ方をされていますが、その目的はどちらも同じです。
人の命を救う。ただそれだけ。
だ
けどその方法については誰も正解を知らない。
医師としてその目的にどう関わっていくことが正解なのか、は誰にもわからないことですし、もしくはどこにも唯一の正解なんてない、と思います。
コトーは自分の選んだ離島医療の道をくじけず突き進む決意を固めたかのようです。
島に戻り三上先生と二人きりで診療所の屋上での会話で、何で僕たちは医者なんでしょう?、と問う三上先生に、
/>医者って何なんでしょう、でも医師であることの意味を問い続けることを放棄してはいけないと思っています、と答えるコトー先生。
感謝する三上先生に片手を差し出しお互いしっかり握手したのは、これ
からも離島医療を頑張っていこう、という気持ちの現れですね。
(唯一の)正解というものがない道を進まなければならない、というのは「医者」という、多様な人の人生に関わる仕事の宿命なんだと思います。
最後にコトーから剛洋に宛てた手紙の中で、病気を診て
いるはずの自分がみんなの笑顔で励まされている、医者として人として生きる勇気をもらっている、というくだりがあります。
これがコトーの見つけた医者とは何か、という問いかけに対する(いくつもある)
答えのひとつなんだろうと思います。
そして島の医者を目指す剛洋にそれを伝えるところで終わります。いつかはバトンタッチする日がくるのでしょうね。
はぁ・・・ついに終わってしまって、さびしいです。もう泣けないのか-って。
それも、かなり。
あれ?泣くことに飢えてんのか、俺?(オイオイ
よくよく考えてみると、「ER」にしろ、「Dr.コトー」にしろ好きなドラマに医療系が多いのは偶然だろうか。
2006年12月21日木曜日
Dr.コトー 10話目
以降に、ストーリーの展開など重要部分が記述されています。
前回はミナちゃんが自分の居場所を見失いそうになったとき、島のみんなが温かく見守っていたことに涙しました。
あ、そこは書いてなかった。ま、いっか。
いよいよ彩佳の問題がクローズアップされます。
彩佳の手術が決まり、コトー先生もついに彩佳父の課長にすべてを明かします。
課長はショックを受け内緒にしていたコトーにあからさまに失意を見せます。そんな課長は彩佳のもとに駆けつけ担当医の
鳴海先生から「生存確率」なんて難しい言葉を投げかけられ、輪をかけてショックを受けます。父親と娘は病気の重圧とお互いの気遣いがすぎて言い争いになり剛洋に目撃されます。
一方、剛洋からその様子を
聞いた剛利はコトー先生に彩佳のそばにいたほうがいいのではないかと聞きますが、コトーは課長に内緒にしていたこと、さらにいえば単なる医者と看護師、という関係以上に意識している彩佳を島に引き止めるべき
だったのではないかということに苦しんでいた、と告白します。
和田さんやミナちゃんもコトーが彩佳のもとにいくことを後押しします。
ある晩、昌代さんと課長が診療所に尋ねてきて、ずっと一人で
秘密を抱えて耐えてきたコトー先生をいたわり謝ります。そして二人とも頭を下げて娘のそばにいてほしいと頼みます。コトー先生も秘密にしていたことを二人に謝ります。
彩佳と課長のぶつかり合いあたりか
らちょろちょろ流れていた小川も、もうここで大洪水です。もうダメ。
その後、コトーの代わりに三上くんが来てたり、彩佳と病院であったコトー先生が「あやかさーん、来ちゃったっ」となんかひっくり返りそうなくらい似合わない明るい声で言っているのが涙流しながらウケまし
た。
コトー先生と鳴海先生との相克がいよいよ次回クライマックスを迎えます。
とても冷徹で、医者と患者の間に線を引くことが感情に左右されず確実に患者を救う医療につながると信じる鳴海と、
離
島医療に関わり、医者と島民との距離が近づくことを目指し、島民の生活を含めた大きな意味での医療活動こそが真の医療と信じるコトーと、
自分はどちらも否定する気になれません。
この物語はどう
いう結末を私に投げかけるでしょうか?
あぁ、もういよいよ今週最終回です。
彩佳はどうなるのか?コトーは?
・・・日付かわってるから、今日夜10:00より!!
2006年12月14日木曜日
Dr.コトー 9話目
以降に、ストーリーの展開など重要部分が記述されています。
前回はさっちん・・・ではなくゆかりさんのガン克服とコトーの苦悩に涙しました。
今回の主役はミナちゃんです。
改めていうとミナちゃんは、内緒で病気治療のために本土に渡った彩佳の代わりに島に来た看護師さんです。
はじめのころはおっちょこちょいでそそっかしくて手術
に立ち会うと血を見てたじろいで、みんなをハラハラさせていたミナちゃんでしたが、今ではすっかり島の看護師らしくなってきています。
そんなミナちゃんの旦那さん(と名乗る人)登場。
弱々しそ
うな外見からは想像できない秘密を持っていました。
ミナちゃんはそこから逃げ出して島に来たんですね。
すったもんだがあって、ミナちゃんは自分にとって落ち着く場所のある島に残りたい、という
意思を貫きます。
島の人もそんなミナちゃんをやさしく包み込むように見守ります。
ところで「愛を乞う者」というのが9話目の題でした。
さだまさしの歌の歌詞にこんな一節があります。
「相手に求め続けてゆくものが恋 奪うのが恋 与え続けてゆくものが愛 変わらぬ愛」 (恋愛症候群)
ミナちゃんと弱イケメンの旦那がうまくいかなかったのは、「愛」の本当の意味を知らなかったということになるんでしょうか。
2006年11月30日木曜日
Dr.コトー 8話目
以降に、ストーリーの展開など重要部分が記述されています。
まだ、ぐじゅぐじゅっとしてます。
ストーリー的には前回の続きでした。
ゆかりさんは一日でも長く家族と過ごしたい、同じ時間を生きていたい、と強く願い、きつくてつらい抗がん剤治療に入ります。
コトー先生は入院ではなく在
宅治療という形をとりました。それはゆかりさんの気持ちを第一に考えてのことでしょう。
ゆかりさんは一日一日を、かけがえのない日々の積み重ねであるように大事に、そして強く生きたいと願いながらすご
していました。
ちかちゃんの食器をいとおしそうに少し悲しげに見つめる姿がとても切なかった。
(基本的にこのあたりから終わるまでずーと涙が止まらない状態)
治療の効果を見るため検査を
すると病気が劇的に改善されています。コトー先生はいかにも信じられないといった様子。
このあたりから自分は技術者としてコトー先生に思い入れをしながら見ていました。
和田さんが「先生が常識
を覆せばええじゃないか」とコトー先生を励ましていますが、技術者はもともと常識(自分ならば物理学の法則とか)を元に目の前に起こった事象を分析し次の仕事の組み立てをします。
技術者の延長である医
者は特に人の命を預かる、という立場からその傾向は強いと思います。
奇跡なんてあやふやなことを信じて運任せでいるような医者(技術者)の仕事を誰が信じるでしょう。
たった一つしかない命に対
して、簡単に何かの実験をあれこれ試すといったこともできません。
これまでの医学の蓄積の中で得られている統計的に確率の高い判断を下すことが最善、と信じているのが医者でしょう。
コトー先生
の激しい葛藤がとても苦しい。
そしてコトー先生にとっては余命宣告、ある意味で「死の宣告」をせざるを得なかったゆかりさんが奇跡的に回復します。
先生は恐らく、医者は人の命の期限を決められ
るほど偉大な存在なのか、自分(先生)は何かとんでもない思い違いをしていなかったか、と自分に問い苦しみます。
今回は見ていてほんとにとてもつらかった。
ゆかりさんが回復して、ハッピーです。
ゆかりさん自身や原さん(剛利)が言うように何の慰めでもなく先生のお蔭で回復できたんだと思います。
一方で、死の宣告のために病気そのものではなく
絶望感から死期を早めていたらどうするんだ、と苦しむコトー先生のつらさも感じます。
おそらく今回の話は、似たような病気で苦しむ彩佳の件に絡んでくるでしょうし、そのことで先生を苦しめるのかもしれません。
2006年11月28日火曜日
Dr.コトー 7話目
以降に、ストーリーの展開など重要部分が記述されています。
前回、邦ちゃんのツッパリと剛利のツッパリ、そしてそれを包み込む島の人のやさしさに涙したポン吉でした。
さて、今回はサッチン・・・じゃなかったゆかりさんです。きれいなお母さんですね。
おなかに違和感があって、ゆかりさんもおめでたなのー♪なんて春江さんにからかわれてます。
検査で胃カメ
ラ飲んでます。おいらには春先の人間ドックの悪夢が脳裏を掠めます。おぇー ・・・以下自粛。(苦笑)
でもじつは大変な病気で、いったん手術するんですが(コトー先生でも)どうにもならない状態になっ
てます。
ある晩、本土で出産する予定だった春江さんが急に産気づいて診療所で出産します。
春江さんの赤ん坊を抱いて「命の重さ」を再認識するゆかりさん。
「これが、命の重さなのね」
自分が赤ん坊抱いて感じたことは、なんてかよわい存在だろう、ということでした。
それを「命の重さ」と言うのかどうか今でもちょっとわかりませんが、でも・・・
「何物にも変えられない、こ
の世でたった一つしかないもの」
と、とっても大事でそしてちょっとだけ怖い思いが混じりながら感じたことを思い出していました。
もうわずかの命(かもしれない)と知らされたゆかりさんがそのと
き感じた重み、は他にもいろんな意味があったのかもしれません。
・・・ん?そういや、おいらは姪を抱いたことがあったかナ?
そしてゆかりさんは小さい子供のチカちゃんを旦那さんの姿を見ながらコトー先生に病気と闘う決意を言います。
どんな時も生きることを考えてください、と語るコトー先生。
どぉー(涙の音)
簡単に命をあきらめる子供たちに見せたい、そして命の重さというものを改めて考えてほしいと思いました
2006年11月18日土曜日
Dr.コトー 6話目
今回は前半邦ちゃんのストーリーでした。邦ちゃんもおっきくなりました。
先週、剛洋が島に帰ってきたとき、邦ちゃん生意気にタバコ吸い始めてて剛洋に勧めたりしてました。
まぁ中学生にもな
ると、周りからもう子供ではない、と自覚を促される一方で、どこか子供扱いされる中途半端な時期です。
背伸びしたい気持ちは分かります。
自分も中学生のとき、どうしても大分市で行われる天文関係のイベントに出席したくて、担任の先生に告げて一人で汽車に乗って町を出ようとしました。
当時の佐伯の中学校は今では考えられないほど規
則の厳しい、古臭い体質の学校だったので、中学生の一人旅などもってのほか、と止められました。
天文関係のイベントなので時間帯が夜だったのもいけなかったんでしょうか。
まじめな(?)ポン吉少年は先生とひざ突き合わせて話し合いをしましたが議論は平行線のまま。
結局、
「そんな規則なんぼのもんじゃい!」
と一人で汽車に乗って1時間半くらいだったか
かけて大分に行って、大きな望遠鏡で生の大迫力の木星や土星を見たり、星好きの人が世の中いっぱいいるんだ、と初めて知る機会にもなってすごくいい経験をしました(と思っています)。
お酒が良くないとかタバコが良くない、とかと話は違うかもしれません。
でも大人の決め事に反発している、と言う意味で当時の自分はおんなじことをしていたつもりです。
そう、自覚して反発し
てました。
大人の決め事ってなんて無意味なものが多いんだろう、って今でも思います。
安易な子供の味方をするつもりは一切無いんですが、かといって大人の言う事が全て正しい、と思っているわけでもありませ
ん。
先生と話した、と書きましたが、とってもいい先生で今でも尊敬しています。
この件に関しての話し合いにはどうしても納得いかなかったのでした。
話は平行線でしたけど、多分止めても彼
は行くんだろうな、と先生は思っていたんじゃないかなぁ。
そんな反発をTVの中の邦ちゃんもしています。
彼も家の仕事である農作業より、海の仕事に憧れがあるのでした。
その事を誰も(親も含めて)ちゃんと聞こうとしてくれない、という寂しさもあ
ったんじゃないかと思います。
ドラマは後半剛利さんと剛洋の話に移ります。
邦ちゃんと剛利さんの話の二つの山場でポン吉は大泣きしてました。
多分大人に反発して突っ張っている邦ちゃんと、仕事のために島を出てしまって
昔の仲間の迷惑になりたくない、と突っ張っていた剛利さんに、自分を重ねていたのかもしれません。
(島の)人の優しさ、思いやる気持ちっていいものですね。
2006年11月11日土曜日
Dr.コトー 5話目
・・・ってな事はさておいて。
前回は昌世さんの約束の卵焼きにむせび泣いたのでした。
今回は剛洋が夏休みで東京から志木那島に帰ってきます。全財産をなくした父剛利もその事は秘密にしたまま帰ってきます。
剛利が事故したり仕事もなくしてしまったことをふとしたことで重さん達が知
り、心配して課長に相談しますが剛利が「余計な事はするな」と重さんと喧嘩しているところを、コトー先生と剛洋に見られてしまいます。
この辺のやりとりで少しうるうるしたんですが、今回の5話では泣き
ませんでした。
今年の「Drコトー」では初っ端から重さん大活躍、って感じがします。
コトーや課長に心の内をさらけ出している場面が多い気がします。
前はなんか突っ張ってるところが多くて、苦虫噛んだよ
うな顔してやり場のない感情に耐えてるところが多かったような感じがしてたんだけど、今年の重さんはよくしゃべってる。おまけによく魚をぶら下げてる(笑
回数を追うたびに島を出てガンの治療を続けている彩佳の状態が芳しくなくなっているのが気になります。
ん~剛利・剛洋父子のことやミナちゃんも含めて、今回は縦糸とか伏線がちょっと多いかな。
/>もう少しコトー先生と島のことを描いて欲しいなぁ。
2006年11月3日金曜日
Dr.コトー 4話目
ひなちゃんの手術でみなちゃんが活躍して泣いちゃった話はブログで書いたとおりです。
今回は昌世さんの今後の回復について、コトー先生が課長と重さんに説明してます。課長を毒づきながらも心配する重さん。2年前の豊漁祭の日、脳溢血かなんかで倒れ麻痺が残った昌世さんですがリハビリです
こしづつ回復し、コトーに約束の卵焼きを作りました。ここでど~っと泣いてしまいました。
剛利が昔の友人?から勧められ未公開株に手を出し、実はそれが詐欺だったことがわかります。
このあたりは株やっている自分からすると、「あ~絶対手を出しちゃだめぇー」と思うのですが剛利父ちゃ
んも追い詰められてたしねぇ。
心の隙間、ってどうしても出来ちゃうんだよね。
それにつけ込んだ奴が圧倒的に悪、なんだけど。
学校の成績が悪くて自身を失っている剛洋とともに今後の展開が
気になります。
重さんが、まりさんに
「櫛の歯が抜けるようにみんないなくなっちまう。」
と淋しげにつぶやいた言葉が心に残りました。
離島は一部をのぞいて過疎の危機を抱えています。
前にも書いた「瑠璃の島」はまさしくこの問題をついていました。
過疎が進んでも、残る人に医療が必要。人が少なくなっても施される医療に多
い少ないは関係ないのです。
少しづつでもみんなが考えて、改善していかなくてはいけない問題なんだと思います。
2006年10月27日金曜日
Dr.コトー 3話目
さちおじの一件で泣いちゃった話は前のブログのとおりです。
さて今回はひなちゃんち(小沢先生ち)の話です。剛洋とおなじでひなちゃんも中学生。かわいく大きくなりましたねぇ。
ひなちゃんのお母さんは島の生活になじめず、ややノイローゼ気味で旦那さんの
小沢先生と喧嘩が多くなっています。ひなちゃんが病気で血がとまらなくなって、直りかけたところにちょっとした事故で内出血してコトー先生の開腹手術を受けますが、血が止まらないのでお母さんの輸血が必要に
なって新人看護婦のみなちゃんが採血するんだけど疑心暗鬼のお母さんに「絶対助かります!お父さんとお母さんの結婚記念日のために貝を集めてプレゼントしようとするひなちゃんのようないい子が助からないはず
ありません!(表現は正確で無いかも)」と言い切ります。手術は無事に終わり、ひなちゃんのお父さんとお母さんもお互いに歩み寄って仲直りします。(いつも雑なまとめですいません)
新人でそそっかし
いところがあって採血するのも下手でみんなに敬遠されているみなちゃんが、頭を深く下げてひなちゃんのお母さんに採血をお願いするところあたりから涙腺が緩んでいました。
みなちゃんが「絶対助かります
��」って言ったあたりでダムは決壊、大洪水(^_^;)
物語の最後のほうで無理している剛利・剛洋親子がちらりと見えて、その行方がすんごい気になる終わり方でした。
2006年10月21日土曜日
「Dr.コトー診療所2006」
「Dr.コトー診療所2006」
最初にドラマ化されたとき(2003年)は知らなくて翌年の正月のスペシャル見て、泣いてました。
ん~涙腺がゆるい。
いつのまにか復活してたんですねぇ
あれから2年経ったんだなぁ。
剛洋も中学生で随分大人っぽくなっててびっくりしました。
今年のは欠かさず見ようと思いました。原作の漫画もすごく良いです。
昨日は石橋蓮司扮する頑固じい(さちおじ)が奥さんなくしてやけっぱちになってて、家が火事で大やけどして、生きる望みをなくして自殺しようとして、柴崎コウ扮する看護婦(今は看護士師か)の彩佳にはた
かれて止められていました。(雑なまとめ方ですんません)
「尊い命をそまつにしないで、死ぬなんて簡単に言わないで」
といった彩佳の言葉は心にぐっと来るものがありました。(自分はここで号泣
しました)
最近自殺のニュースが多いです。
死んだ人に鞭打つようですが、自分は自殺者に強い憤りを感じます。
死んだ人がかわいそうだ、と言う世の風潮に反対するつもりはありません。
ですが、尊
い命を粗末にする行為に対して、真剣に同情する気持ちにはなれません。
いろんな状況があるにせよ、生きて耐えていかなくちゃ。
特にここ最近の、小学生がいじめを苦に自殺、のニュースはとても残念です。
いじめする側が圧倒的に悪いと思いますが、いじめられた側が逃げ場をなくして(もしくは逃げ場を探した挙句)自殺を選ぶ
のは非常に不幸なことです。
いじめは昔からありますが、本人だけの問題ではないでしょう。
本人が努力してなんとかなるなら自殺はしなかったかもしれません。
周囲の、当事者が子供であれば大人たちの、気遣いが欲しかっ
た、と言う結果論もある程度理解できます。
自殺して明かされる事柄、といってニュースに出てますが、事後になってようやく親が気づく、と言うことが多いようです。
学校が事実を隠していた、とど
ちらかといえば学校側の責任を問うような報道はちょっとピントがずれている気がします。
そう思うと学校のせいにする親にも同情できません。
小さい心を痛めて、その挙句に一人さびしく死を選んだ子供達を思うと、そして残された周囲の人の悲しみを思うと、切なくて切なくてたまりません。
でも。
「いじめ」は時代や場所を選ばずどこにでもあり、生まれながらにその肌の色や地域によって「差別」と言う名の社会的いじめを受ける人々もいます。
それに負けないで生き抜いたひとが大勢います。
/>自分自身を省みて、いじめの原因をなくそうとする努力で乗り越えた人も大勢います。
死にたい、と思うほどつらいことは世の中いっぱいあります。
こう書いている自分ですらそう思った事がないわけではありません。
多くの人がそう思っても、負けないように精一杯生きているんで
す。
生きたい、と思っていてもどうにもならずに病気や突然の事故で命を落とす人もいます。
安易に「死」を選ばないで欲しい。
命の尊さをしっかり考えて、決して粗末にしないで。
いつも心に蒼空を。
2006年8月30日水曜日
「また会うための、別れだ」 ER11 緊急救命室
やっぱりな、って言う最後です。
TVの中だけでなく自分の心の中でもグリーン先生、ベントン、キャロルの温かい声が蘇りま
した。
この11年思い出して、思わず泣けてきた。
カーターはカウンティに11年いたんですね。
そんな自分も社会人になって今年で11年目。
カーターほど頑張り屋で有能ではないけれど、彼は医者で自分は半導体関連のエンジニアで世界も違う
けれど、社会の中で仕事の厳しさや人間関係の難しさに心が折れた時に、同じように悩み、苦しんだ仲間という気持ちでカーターを、ERを見てきました。
ドラマ自体は人によってテンポが速すぎたり、医学用
語が難解でついていけなかったり、と万人受けするものでは無いかも知れませんが、自分にとっては最高のドラマといっていいでしょう。
カーターが抜けたらもうERじゃないぢゃん、と思ってたけど、ERのドラマはまだまだ続きそうです。
ルカとサムが失踪した子供(アレックス)を追いかけてる途中だし。
プラットの父親らしき人物
も出てきましたが(ダイハードのダニー・グローバーだった)一回だけでおしまいかな。
泣き虫ニーラはどうなるんだろう。ガラントは帰って来て欲しいな。
最終話で大活躍したレイも気になる。いい
医者になる素質は十分あるのに。
苦労症のアビーはいい加減幸せにならんかい。
薄味になってしまったのは否めないですがそれでも十分中身の濃い内容のドラマです。
自分はあまりドラマを見ませんが、『ER 緊急救命室』は是非お勧めです。
見たことない人はレンタルビデオでシーズン1からご覧ください。
「また会うための、別れだ」 さよならパーティーでルカがカーターに贈った言葉
2006年8月27日日曜日
ER緊急救命室
NHK-BS2で放送中のER 緊急救命室。
現在シーズン11まで進んでいる。
シーズン1、新人(インターンだから医学生)のカーター君(ジョン・カーター)の実習一日目が第1話だった。
ちょうど自分が社会人で新人だった頃と時期が同じでカーター君の苦悩と自分の悩みなんかを重ねたりしたものだ。
そして、現在、カーター君はERを背負うスタッフドクターになるまでに成長してい
る。
そのカーター君、いま愛に生きるためにERを去ろうとしているんじゃないか、というような展開。
ロスやキャロルが去り、ベントンが去り、グリーン先生が死んで、ロマノも亡くなり、コーデイ先生も去った。
ERの柱的な人間が次々いなくなって(新しい人物も登場しているが)カーターがいなくな
ったらERつまらないじゃないか。
出戻りルイス先生だけになるのか、ついに終わるのか。
2006年8月25日金曜日
9番目の惑星
恒星である太陽の周りには9つの惑星が回っていて、その並びと名前を覚えるために
水金地火木土天冥海(もしくは海冥)
と語呂をつけて小学生のころ覚えた。
太陽系最外周の惑星の名前は
冥王星。
太陽を回る軌道が真円には程遠い楕円形のため、海王星の内側に来ることもある。
自分が小学生のころの順番は冥王星が海王星の内側だった。今は冥王星が最外周にある。
プルート、ギリシャ神話ではハデス。
神話上の冥界の主の名前が与えられたこの星が発見されたのはつい最近のことだ。
最新の研究観測の結果によると、質量は地球の1/5。
カロンという
名の月を持っているが冥王星とどっちが月か、と言うくらい二つの星の大きさは近い。
2重惑星と言ってもいい。
最近、惑星の数が増える、と言う話題があり関心を集めたが、一転冥王星を惑星から削る方向で検討され始めた。
天文学者の中にも勢力争いみたいなものがあるのだろうか。
ギリシャ神話ではゼウ
スの兄ハデス。
くじ引きで冥府の主になってしまった不運な人、と言うイメージだが、まさか星の名前になっても不運は付きまとうのか。
「惑星」という名前で呼ばれなくなっても星がなくなるわけでは無い。
そういう議論がされるくらい天文学上の太陽系の研究が進んだ、とも言える。(謎も多いけど)
アニメ「宇宙戦艦ヤマト」では敵の前進基地があったり、「銀河鉄道999」では機械になった人間たちの生身の身体が氷の下に保存(?)されていた。(メーテルが氷の下の自分の姿を見て嗚咽するシーンがあ
った)。
こう言うことがないと多くの人の星への興味が喚起されないのも淋しいことだなぁ
2006年8月14日月曜日
ペルセウス座流星群
皆さんは流れ星が文字通りシャワーのように流れる姿を見た事がありますか?。
ポン吉は何度かそういった光景を目にしています。
ふつうの日でも一時間に2~3個は見える流れ星ですが、まさに
雨のように夜空を星が流れていきます。
これまでの人生ですごかったのは2001年11月に降った獅子座流星群でした。
さてペルセ流星群。
そろそろ極大日(最も多く流れる日)だよな~、と思って調べてみたら昨日だった。
チョーうかつ~(-_-;)
アストロアーツのサイトに携帯電話による一般参加型リアルタイム集計やってます。
http://www.astroarts.co.jp/mobile/meteor/index-j.html
これを見るとやっぱ昨日が多かったのかな。
九日が満月なので今年はあまり条件がよろしくないです。月明かりで微妙な明るさの流星が見れないからです。
それでも夜の10~12時くらいは普段
より多く見れそうです。
ちょうどシーズンの花火大会が終わったあとにでも、空が晴れていたらちょっと星空に目を向けてみませんか。
2006年7月14日金曜日
カリビアン
そして、この夏、続編「パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズチェスト」が公開される。
ぜひ、映画館に見に行きたいねぇ。
一匹狼の海賊、ジャック・スパロウの人を食ったような態度が心をくすぐる。
この映画、ディズニーランドの「カリブの海賊」がモデルらしい。(ディズニー映画である。)
でもそんなことはどうでもいい。海賊が好きとか嫌いとか関係ない。(どっちかって言うと多分好きだが)
何はさておき、ジョニー・デップの演技がたまらんのである。
「は~ん、お分かりぃ?」
2006年5月9日火曜日
人間ドック(3)
食事後、診察結果についての説明を受ける。
先生>ん~GPT(肝臓の機能を示す数値、採血でわかる)とかの数値は高いですが肝炎とかの兆候は無いですね。
ポン吉>(・・・ほっ!)
/>先生>ですが・・・
ポン吉>(む!)
先生>コレステロール値が高いのとやや太りすぎですし、超音波の
写真見るとわかりますが、脂肪肝ですなぁ・・・
ポン吉>(死亡感?・・・ナンチ
��)脂肪肝ですかー
先生>メタボリック症候群の予備軍ですねぇ
ポン吉>・・・
他の診断はAとかBだったんだけど、肝機能と脂質代謝がCだった。
つまるところ食事に気をつけて運動して、体重減らしなさい、というこ
とに。
冬眠明けの狸にゃ、至極まっとうな御言葉。
人間ドック(2)
(朝の7時半頃から午前中にかけて、ひととおりの検査終える)
ふぅ~、敵は大した事無かったぜぃ(汗)
お、昼食が出るのか~、朝飯抜きで腹減った~
・・・・
・・・こりゃ精進料理ですかい?(+_+)
(だって豆腐ハンバーグとかみそ味のしないぬたとか、漬物に至っては全く塩気ない
んやもん)
(とかいいながら塩味のしない鰆の塩焼きでご飯おかわりしたヨ)
2006年4月24日月曜日
人間ドック
今年、ついに人間ドックを受ける事になった。
もうそんな歳かよ。
・・・。
うちの会社はありがたいことにその費用全額会社負担である。
そこんとこはえらいね。
ただ社員をこき使っているだけじゃないんだ、とドックイヤーになってはじめて知る恩恵だ。
ん?恩恵
とは違うか。
ともかく、ネットを通じて受診予約を申し込み、病院からヤマトのメール便で事前検査など書類が入った封筒が届いた。
受診日は5月9日。これは第一希望日。
そこの病院(?)はとっても人気が
あって希望通り予約取れないかも、と言われていたので連休明け直後にしたのだ。
それに連休中は実験装置が止まっていて、休み明けて装置立ち上げてすぐ仕事してもあまりいいこと無い、っていうの理由のひ
とつ。
連休ボケのリハビリ、って感覚もあったりする。
でもリハビリで胃カメラするってどうよ?
昨年受けてた人は、ゲーゲー言いながら胃カメラしてたっていうし・・・
怖いなぁ。
ちなみに病院(?)の括弧内のはてなは、一般の病院じゃないから。
その辺の詳しい話はドック受けてから報告する・・・カモ。
2006年4月3日月曜日
映画『グリーンマイル』
ちょっと前にNHK-BSで放送された映画『グリーンマイル』の録画を見た。
この映画は何度もテレビで見ているのだが、放送時間的にカットされてないみたいなので改めて見ようと思ったのだ。
何度見てもいい映画だな、と思う。
コーフィーが抱え込む悲しさ、牢獄(グリーンマイル)の中の心優しい人々、どうにも許し難い人々、人の心の内側をちゃんと掘り返していると思う。
また、い
つもはカットされていて今回はじめてみたシーンに、看守のポールが官選弁護士を訪ねる場面があった。
そこでわかる事は結構重要なので何でカットされるんだろう、と不思議に思う。
時代は大恐慌時
代のアメリカ、ということ。
彼は人種差別主義者でもある。
それ以上に愛犬に息子を襲われて酷い傷を負わされる、という悲しい過去も背負っている。
普段は優しい顔をしていてもいつか裏切ら
れる、そんな彼の個人的な思いとアメリカに根強く残る人種差別、大恐慌という時代が人の心に落とした暗い影が重なり、ジョン・コーフィーはろくな弁護も受けられず、死刑宣告されてしまったんだろう。
大
恐慌。
アメリカ国民の1/3が失業して路頭に迷っていると言っていた。失業率にすれば30%超。
ちょっと前まで日本も不景気だった。
自殺する人も大勢いた。(これは今でも多いが)
人の心は不景気になるとすさむ。
少しの優しさよりも競争に勝たなければ生き残れない、という窮屈な
論理が正義とされる時代。
コーフィーはどれだけ多くの悲鳴や悲しみを聞いてきただろう。
最後のシーン、コーフィーはもう疲れた、と言う。
これ以上人間の醜い部分を見聞きするのは辛すぎる
、という。
アメリカが最も暗かった時代。
コーフィーは処刑されることでほんとに救われたのだろうか、
という疑問は常に残っている。
それから、劇中で使われる映画のこと。
「♪ ~Heaven~I'm in heaven. ~♪」
とミュージカル風な映画。
なんだろうなーってすごく気になっていたらようやく最近分かった。
/>『トップハット』という1935年の作品らしい。いつか見てみたい気もするが、ツタヤにあるだろうか?