スウォンファソン編で2013年春・韓国出張編の最後になります。
かなりボリュームが増えたので3回に分けました。今回は2回目。
(さらに、この2回目が長くなったので前編、後編に分けています)
デジカメ画像がほとんどです。
4月の半ばからひと月ちょいほど、韓国に出張していました。
休日にホテルの近所にある世界遺産「スウォン ファソン」に行って来ました。
●第二回、水原華城。 ファソン巡り(後編 華虹門から南水門まで)
長安門の先には、華城を南北に流れる水原川の水門があります。
北の水門なので北水門ですが、別名華虹門というそうです。
なんとなくこのあたりには風情がありました。
水原川の川岸には散歩道があります。昔の景観や風情を残すようにしているのでしょうね。
門の上には櫓があります。ここからの眺めはなにやら落ち着きます。
朝の10時ごろに八達門をスタートし、ここに着いたのが午後1時ごろです。
おなかがすいたので、ここで持ってきたパンを食べてお昼にしました。
(2013.4.27 華虹門 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F22.0 ISO100 1/10)
水原川は華城を北から南へと流れていきます。この華虹門は入り口に当たります。
華城の市民にとっては命の水と言っていいでしょう。
おそらく市内や宮殿には井戸もあると思いますが、この川の水も重要です。
敵が攻めてきた場合、この水の手が攻撃されることは十分予測できることです。
このため、この付近は城壁がいったん南下して町のほうに入り込んで華虹門につながり、その先の城壁はまた北上し、川の流れに沿う形で建設されています。
川の警備も兼ねた配置にしたように思われます。
(2013.4.27 水原川上流(城外) byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F8.0 ISO100 1/160)
(2013.4.27 水原川下流(城内) byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F8.0 ISO100 1/200)
華虹門の隣には東北角楼があり、この角楼は別名「訪花随柳亭」というみやびた名前です。
「訪花随柳亭」をその東隣にある、東北舗楼から見た写真がありますが、確かにこの風景は詩的です。
東北角楼、「訪花随柳亭」には靴を脱いで上がることが出来ます。自分が行ったときも多くの人が上がってくつろいでいました。
またこの建物の形も複雑で、他にはない独特な造りをしています。
さすがにここで詩を詠む人はいませんでした(苦笑
(2013.4.27 東北角楼「訪花随柳亭」 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F8.0 ISO100 1/100)
(2013.4.27 東北舗楼から眺めた訪花随柳亭 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F13.0 ISO100 1/80)
(2013.4.27 東北舗楼 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F8.0 ISO100 1/400)
華虹門を過ぎて歩いてゆくと、東の大門、蒼龍門が見えてきます。
門の手前にも大きな屋根があります。何かと思えば、東将台。
しかしこちらは、自分が行ったときはまだ改修工事中。
とはいえ中には入れるんですね。いいのかなー
(2013.4.27 練武台方向 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F3.5 ISO800 1/4000)
(2013.4.27 東将台「練武台」 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F11.0 ISO800 1/500)
東将台は別名「練武台」といい、華城に駐屯する親衛隊や兵士が武芸を修練していた場所だそうです。
将台、というのは兵士を指揮する場所のこと。
西将台は八達山の山頂にあるので、状況を把握しやすそうだけど東将台は山の上じゃないから状況がわかりにくそうですね。
案内板には、開けた丘陵の上にあるので格好の場所、とありました、けどどうだかなー
練武台(東将台)の近くには、昔の朝鮮時代の弓を射ることが出来る場所があります。
自分が行ったときには子供たちがワーキャーいいながらやってました。1回10発で2000ウォンだそうです。
さらにこのあたりには練武台観光案内所があり、華城列車という、先頭車両が竜の頭の観光用の車(客車を3台ほど連結)の乗り場があります。
かなり人気みたいで、列が出来ていました。
(2013.4.27 国弓体験 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F11.0 ISO100 1/100)
練武台を過ぎると丘の上に東北空心墩(土偏に敦)があります。
この建物は基部は石積みですがその上はレンガで出来ています。
形状が大変ユニークなのです。
空心墩と名のつくものは西北の華西門の隣にありますが、こちらの形状とは少し違います。
西北空心墩は四隅のうちひとつの角部のみが曲線になっています。
東北空心墩写真を見てわかるように建物の四隅すべてが曲線なんですね。建物自体が円筒形ではなく、基部の石積み部分も四角なんですがその上のレンガ部分が丸みを帯びた形状に変えてあるんです。
ガイドには、中国の平墩を参考にした、とありました。このオリジナルの資料がないのでどうなっているのか興味があります。
(2013.4.27 西北空心墩 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F11.0 ISO800 1/800)
(2013.4.27 西北空心墩内部 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F11.0 ISO3200 1/15)
(2013.4.27 西北空心墩の曲線美 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F11.0 ISO100 1/80)
内部はらせん状にまわりながら上部にいたる通路があります。
らせん状といっても直線とカーブの連続です。
なかなか面白いですね。
上まで上がれば非常に眺めがよく東将台が見下ろせます。空心墩とは見張り用の楼台なんですね。
この建物は、華城のなかでも必見の建物のひとつだと思います。
(2013.4.27 東北弩台入り口 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F11.0 ISO100 1/125)
(2013.4.27 東北弩台上部 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F11.0 ISO100 1/125)
(2013.4.27 東北弩台の弓狭間から西北空心墩を望む byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F11.0 ISO100 1/80)
東北空心墩を過ぎ、東北弩台をすぎると東の大門、蒼龍門があります。
こちらも華西門のような馬出状の構造物(甕城)がついています。
(2013.4.27 蒼龍門 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F11.0 ISO200 1/60)
(2013.4.27 蒼龍門馬出(甕城) byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F11.0 ISO100 1/200)
(2013.4.27 蒼龍門裏側 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F11.0 ISO100 1/200)
(2013.4.27 蒼龍門の龍 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F11.0 ISO800 1/60)
(2013.4.27 蒼龍門馬出入り口側 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F11.0 ISO100 1/60)
(2013.4.27 蒼龍門正面 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F11.0 ISO125 1/60)
この蒼龍門を過ぎれば再び南部守備の守備範囲となるのでしょうか。
旗の色が赤くなっています。
気づいた方がいらっしゃるかどうか。
(2013.4.27 赤令旗 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F9.0 ISO100 1/320)
各写真にはところどころ旗が写っています。
「令」とか「巡視」という文字が書いてあります。
ここからは予想。
「令」は王の命令を伝える兵が持つ旗印。
「巡視」は守備兵や警備兵を示す旗印でしょう。
そして旗の色は方角を示し、従事する兵の部署がわかるようになっている。
なんてねー
(2013.4.27 この日スタート地点近くの旗の色 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F8.0 ISO100 1/250)
旗の色は方角を示していますね。
東は青、西は白、南は赤、北は黒。
中国の四神
東=蒼龍=青
西=白虎=白
南=朱雀=赤
北=玄武=黒
がその元になっているといいます。
この考え方は日本にも伝わっていますね。
というわけで、華城でも赤い旗を見かければ「南に入りましたよー」というサインでもあるのです。
スタート地点付近に見た赤い旗を再び見るようになった、ということはゴールが近づいてきた証拠ですね
さて蒼竜門を過ぎて、次の見ものである烽墩までは結構長いです。
退屈な感じ。
城の外には、場違いな感じもする大きな聖堂が見えます。
実は韓国にはかなりのキリスト教信者がいらっしゃるので、場違いな、ってことはないのですが、華城の成り立ちを考えるとちょっと微妙な気がします。
長安門のところで、正祖の側近であり、華城の設計者でもあった丁若鏞(チョンヤギョン、ギョンは金偏に庸)を取り上げましたが、かれは当時まだ認められていなかった天主教信者(カトリック信者)ではないかという疑いで、正祖在命中でも流刑にあったりしています。
正祖が当時の既得権者勢力だった両班との戦いをしていた王で、その側近は当然のことながらこの反対勢力の両班との戦いの矢面に立つことになります。
彼自身が本当に天主教信者だったかどうかは現在わかっていないそうです。
正祖がなくなった後の反動で丁若鏞は権力争いに破れ、当時激しくなっていた天主教への弾圧に伴い長い流刑生活を送ることになります。
その城のそばであんな大きな聖堂が立っているなってねえ、歴史の皮肉というかなんと言うか。
そんなことをつらつら思いながら歩いていくうちに、ついに烽墩に到着。
電信技術などなかった時代、最先端の長距離通信技術は烽(のろし)でした。
この城にこういった専用の、大掛かりな建物を作っているのは面白いですね。
烽をあげる筒(煙突)が5本あります。もしかして、烽火をあげる数で複雑な通信文を伝達できるとか?
当時の都漢陽(今のソウル)に近い北側ではなく、正反対の南側にこの施設が位置しているのも興味深いですね。
(2013.4.27 烽墩 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F9.0 ISO100 1/200)
(2013.4.27 烽墩内部 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F9.0 ISO100 1/160)
(2013.4.27 烽墩内部 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F11.0 ISO100 1/80)
(2013.4.27 烽墩 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F9.0 ISO100 1/320)
さて、烽墩を過ぎると東南角楼が見えてきます。
この角楼までやや高台に城壁がありますが、ここから今回のスタート地点までは平地部分になります。
華城は北に開けた台形の形である、と前に書きました。
南側はくびれていて、八達門付近は狭い平地部分です。
南側から攻めてくる敵勢力に対しては、少ない兵力でこの狭い部分を守備することが可能なようです。
その狭い平地部には水原川も流れています。
防衛上そういう地形を選んだ、ということでしょう。
(2013.4.27 東南角楼 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F9.0 ISO100 1/125)
東南角楼から降りると水原川の南側の門。南水門があります。
こちら側は北水門とちがっていまひとつ風情に欠けますねえ。
南水門とその付近は比較的最近修復された建物です。
(2013.4.27 東南角楼からの降り口 中心の灰色構造物が南水門の上部 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F9.0 ISO100 1/160)
(2013.4.27 南水門下流側(城外) byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F13.0 ISO100 1/160)
(2013.4.27 南水門上流側(城内) byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F9.0 ISO100 1/60)
これでようやく華城めぐりが終わりました。
もうくたくたです(苦笑
朝の10時頃に八達門を出発して、南水門に到着したのが午後3時。
5.8km、5時間の遠足でした。
でもすっごく楽しかったです。
正祖の生きた時代は世界史的にも激動の時代でした。
彼の改革に対する信念が形となったこの華城。
彼と丁若鏞たちの改革の夢、野望といったところに思いをはせながら見て回るのもいいと思います。
彼の寿命がもう少し長く、そして改革が軌道に乗っていれば朝鮮半島の歴史もずいぶん変わったのではないか、と思うのですが。
ガイドに2時間とあるのは、かなりショートカットしてるんじゃないかなあ、と思います。
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