昔のことではあるけれど、
トルコへの旅行を考えてた時期があってこんな記事を作っていました。
トルコの歴史(おぼえがき)前編
http://pon-blue.way-nifty.com/sora/2007/07/post_036f.html
結局この時はトルコには行かず、翌年にペルーへ行きました。
全くの反対方向ですなあ。
さて、上の記事にヒッタイトの事を書いています。
トルコ(アナトリア半島)で大いに勢力を持った最古の集団は、「ヒッタイト人」ということになっています。
それ以前にはハッティと呼ばれる人々がアナトリアに住んでいました。
紀元前18世紀の王、ピトハナが最古のヒッタイト人の王であり、断絶はあるもののそこからヒッタイト王国へとつながる足がかりを築いた人です。
さてこのヒッタイト人。
文字を持ち(メソポタミアのシュメール起源)、何よりもこの民族を特徴づける「鉄」を持っていたことが大きな特徴。
ヒッタイトといえば鉄です。
鉄はそれまでの武具で主流だった青銅よりも硬く強かったので、これを持つヒッタイトは周辺を武力で制圧し勢力範囲を広げていきました。
最盛期にはエジプト王国と境を接し争っています。
しかし盛者必衰の理あり。
シリアの地を巡るエジプトとの争いや、メソポタミア北方の強国アッシリアの台頭により勢いを失い、紀元前1200年のカタストロフと呼ばれる混乱の中でヒッタイト王国は歴史から姿を消します。
さて、このアナトリアと東のメソポタミアの間には交易関係があり、とくにアッシリア商人が幅を利かせていました。
文明の進み方や深まり方で言えば、アナトリア地方は辺境・地方に過ぎず、この付近のいかした文明を持っている先端の地域はメソポタミア付近かエジプト付近であったろうと思います。
そう見ると、ヒッタイトの人々は野蛮で粗野なイメージに見えてきます。
しかし、です。
この滅んだヒッタイト王国の後には、地域や都市といった狭い領域に勢力を持つ小王国が分立する状態になるのですが、その中にアナトリア半島西部に起こったリディア王国があります。
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