2017年4月14日金曜日

Enjoy Honda 2017 その他

Enjoy HondaのイベントはCivic TypeR プロトタイプを見る目的で行ってきたのですが、他の部分も楽しめたので記録しておきます。


(2017.4.1 パドック裏は展示場 by α6000 SEL24F18Z  F 11 ISO100 1/125)



(2017.4.1 しゃべる車 by α6000 SEL24F18Z  F 10 ISO100 1/100)



(2017.4.1 ホンダの燃料電池車クラリティ by α6000 SEL24F18Z  F 6.3 ISO100 1/200)


 


(2017.4.1 車を発電ユニットにする給電装置 by α6000 SEL24F18Z  F 9.0 ISO100 1/100)


 

(2017.4.1 コンパクトな水素ステーション by α6000 SEL24F18Z  F 5.6 ISO100 1/200)



(2017.4.1 CBR250RR ABS by α6000 SEL24F18Z  F 7.1 ISO100 1/100)

倒立サスだー。
昔CBR250RRといえば、(2ストのNSRと共に)レプリカの代表みたいなところがありました。
しばらくカタログ落ちしてましたが復活するようです。ただエンジンはマルチじゃなくパラレルツインらしい。
価格も高いっす。ウワサによれば70万越えとか。高すぎっしょ。ABSとか余計なものいらないからせめて50万台にしてよ~~
おそらく(RRとしては)30年近くぶりの復活ですが、今どき、バイクはなかなか売れないからねえ。
デザインはかなりかっこいいし、その走りも期待大で魅力的ですが、おそらく(日本以外の)アジア市場を見込んでいるはずなので、人気とか注目したいです。



(2017.4.1 Rebel250? by α6000 SEL24F18Z  F 5.0 ISO100 1/80)

海外ではRebel300で発売されているモデル。日本は250になるようです。



(2017.4.1 Rebel500 by α6000 SEL24F18Z  F 4.5 ISO100 1/60)



(2017.4.1 RC213V-s by α6000 SEL24F18Z  F 5.6 ISO100 1/80)

公道モデルです。今年7月から受付開始。価格は2190万円ナリ!!!
NSX(2370万円)とほぼ同じ価格。




(2017.4.1 NSX同乗体験(拡大) by α6000 SEL24F18Z  F 11 ISO100 1/160)



(2017.4.1 NSX VR by α6000 SEL24F18Z  F 8.0 ISO100 1/125)



(2017.4.1 NSXコックピット体験(拡大) by α6000 SEL24F18Z  F 8.0 ISO100 1/125)



(2017.4.1 HSRサーキットの同乗試乗体験イベント by α6000 SEL24F18Z  F 11 ISO100 1/160)

人数限定、NSXは抽選とかだったので、自分は参加しませんでした。
自分の車でこのコースを走ってみたい。



(2017.4.1 NSX by α6000 SEL24F18Z  F 8.0 ISO100 1/320)

上から見ると、寸詰まり感がハンパない。
さすがにNSXは試乗ではなく、専門のドライバーの運転に同乗することになります。
女性の参加者も結構いました。ハイブリッドだから、走り始めは静かです。
威勢のいい排気音とかまったくなかった。



(2017.4.1 NSX(拡大) by α6000 SEL24F18Z  F 13 ISO100 1/60)

走っている姿は、かっこいいっす。















2017年4月12日水曜日

大連

ばたばたしている間に4月になってしまいましたが、3月の下旬に中国出張がありました。
場所は大連。
あの遼東半島の先っぽにある大都市です。

あの、と名づけたのは、近代歴史において日本と大連は深い関わりを持っているからです。
「海は死にますか、山は死にますか、」の歌は、僕らの世代ではあまりにも有名です。
「おしえて~ください~この世に生きとし生けるものの~すべての生命に、限りがあるのならば~海は死にますか、山は死にますか、風はどうですか、空もそうですか、おしえて~ください~」
 (さだまさし「防人の詩」)
数年前にはNHKのドラマにもなっていました。

この近世における日本の大きな節目となった歴史についてはいずれ別の機会に書くとして、実は私が大連空港に降り立ったのは2度目です。
初めての大連空港は、プライベートで北京に旅行に行った際の経由地として。

あれからもう

今回の出張はかなり短期間だったので、大連の街を見る機会はほとんどありませんでした。
ホテルから歩いて5分くらいのところに小高い丘があって、清朝時代の砲台があるというので見てきたくらいです。

2017年4月11日火曜日

近世宇土城

宇土古城の隣にある宇土城址。
基礎部分は小西行長の手によるものですが、その後関が原の戦いで小西行長は敗戦し、領地は加藤清正の手に渡ります。
清正の手によって多少改修されたようですが、清正の死後、破却され廃城となったようです。
加藤家が改易となり代わりに細川家が肥後の国主となり、宇土には細川家の分家(細川忠興四男立孝の長男行孝)が入って宇土藩が成立するのですが宇土の城が復活することもなく現代に至っています。
小西行長は、元は薬問屋の倅ですが、初め備前の謀将宇喜多直家に見出され武士となり、その後豊臣秀吉に気に入られ出世し、城持ち大名となります。
キリシタン大名としても有名です。
隣の宇土古城との比較で、近世宇土城とか単に宇土城というと、こちらの城跡を指します。
古城目的で来たのですが、こちらの城もぐるっと回ってきました。
本丸には小西行長の像がありました。


(2017.3.5 本丸の小西行長像 by α6000 SEL24F18Z  F 8.0 ISO100 1/125)


なにかの本に書いてあったのですが、この像が出来上がった時に地域の中で小西行長に反発する人々がいて、すぐにお披露目できず除幕式から2年間、トタン板で覆われていたそうです。
悲しすぎる。
今では宇土市のゆるキャラにもなっているので、歴史の見直し作業が進んでいるのかもしれません。



この城跡の見所は、その縄張りと石垣でしょう。
縄張りも石垣も、残念ながら大半は埋まっており、見えている部分は一部でしかありません。
ここは想像をたくましくする外ありますまい。(見所なのに。)
石垣はかなり立派な積み方です。


(2017.3.5 清正による石垣 by α6000 SEL24F18Z  F 5.6 ISO100 1/60)

案内板(上)によると、加藤清正が築いた熊本城の石垣と同じ積み方だそうです。
しかも見えているのは半分で、地上の高さと同じ高さの石垣が地下に眠って、、、いや埋まっているそうです。
案内板(下)の想像図にあるように、緑川から堀をひき大規模な外堀として町を入れ込んだ惣構えの城となっています。


(2017.3.5 本丸の案内板 by α6000 SEL24F18Z  F 6.3 ISO100 1/200)


堀はそのまま水運の河筋として使われることを想定しており、元々商人だった行長らしい発想です。
関が原の合戦の折、行長不在の間は行長の弟、小西隼人正行景が守っていました。
加藤清正は事情があり肥後に謹慎中で関が原の戦いに参戦できませんでしたが、家康とは頻繁に書状を交わし東軍であることを鮮明にアピールしています。
関が原とほぼ同じタイミングで豊後国では、以前書いた「石垣原の戦い」が始まり、清正は一旦豊後を目指しますが石垣原の戦いは黒田如水によって短期間で終結。
清正はこれを知ると、肥後に戻り小西行長領の肥後南半国の攻撃にかかります。
最初の目標が宇土城でした。


(2017.3.5 本丸の石垣 by α6000 SEL24F18Z  F 5.6 ISO100 1/60)


城下を焼き払いながら城を包囲しますが、行長の縄張りのによる城と、城将小西隼人、内藤如安の巧みな守りは簡単には落とせず、さすがの清正も持久戦を余儀なくされます。
しかし、その内、関が原本戦の結果や行長捕縛の知らせが宇土城にも到着し、万事休す。
小西隼人は自身の切腹と、城兵の助命を引き換えを条件に降伏開城。
鬼将軍清正を相手に一ヶ月も持ちこたえたのでした。


(2017.3.5 内堀跡 右側は後世の盛り土かな by α6000 SEL24F18Z  F 5.6 ISO100 1/60)


宇土城は清正の手に渡り、彼の隠居所として整備されます。現在見える石垣はその名残。
清正は豊臣秀頼と徳川家康の二条城での会見を取り持ち、その後帰国の途上で死去。
宇土城はそのまま手付かずになり、肥後の国主も加藤家から細川家へと移り代わります。
後世、細川家による宇土支藩が成立しますが、宇土城が使われること無く、島原の乱の影響もあって破壊が進みます。
宇土の城跡として満足な整備はされていないと思いますが、廃城されてずいぶん経っているので致し方ないでしょう。


(2017.3.5 内堀の石垣 by α6000 SEL24F18Z  F 2.5 ISO100 1/160)


本丸下の駐車場へ行く道はかなり細いです。
右側にある墓地は恐らく二の丸跡ではないでしょうかね。(道は掘割か)
肥後の代表的な近世城跡の一つではあるので、古城ともども、時間をかけても少しづつ整備してほしいですね。


2017年4月10日月曜日

春花

今日、日中はかなり激しい暴風雨でした。
せっかく満開になった桜もこれでは、週末までもたないかもしれませんねえ。

昨日、菊池神社に行って参道の桜をめでてきました。
満開でした。。。


(2017.4.9 菊池神社参道の桜 by α6000 SEL24F18Z  F 8.0 ISO100 1/80)



(2017.4.9 菊池神社参道の桜 by α6000 SEL24F18Z  F 8.0 ISO100 1/125)

撮影しているときは、雨が上がっていましたが、花は濡れそぼって、うなだれている感じ。
上の写真の一部を拡大。


(2017.4.9 菊池神社参道の桜(一部拡大) by α6000 SEL24F18Z  F 8.0 ISO100 1/125)



(2017.4.9 菊池神社参道の桜 by α6000 SEL24F18Z  F 9.0 ISO100 1/320)

今日から新学期、と言うところが多いんじゃないでしょうか。
新学期に桜が満開になるというのは、記憶にないです。
自分が子供のころは、たいがい終業式に満開になってました。
今年の開花はそれだけ遅いということ。
今冬は、とりわけ寒さが厳しかった印象はありません。むしろ暖冬ではないかと思ってたくらいです。
ですが、3月の寒の戻りが長引いてたように思います。

春の、ちょうどよいなあ、と思う時期はなかなか短いのですが、今年は長く続いてくれるとうれしいのですがねえ。
昨年の地震から一年。
冬のような一年を耐えてきましたが、春の花々のように花を咲かせ、実を結べるような年にしたいです。
熊本の全ての人々がそうであるように願い、祈りたい気持ちです。

















2017年4月9日日曜日

Civic TypeR プロトタイプ 見てきた!


(2017.4.1 Enjoy Honda by α6000 SEL24F18Z  F 11 ISO100 1/200)

熊本にはホンダの工場があります。
先日、その工場でホンダのイベントが開催されていたのですが、Civiv TypeRのプロトタイプが展示される、とあったので見に行ってきました。
家族向けのイベント色が強く子供向けのアトラクションが多かったです。その為、お客さんは家族連れが多かったです。
とはいえ中には、NSX試乗(助手席)イベントとか、NSX VRイベント、バイクやレースカーの展示もあったので、なかなか面白かったです。

 次世代Civicは外展示でしたがTypeRのプロトタイプはブースの中に鎮座していました。
あいにく晴れていたため、反射がきつく見難い、、、
モーターショーでも近寄れない位置の展示だったようなので(多分)、それよりは近くで見れたかもしれません。


(2017.4.1 Civic TypeRブース by α6000 SEL24F18Z  F 6.3 ISO100 1/100)


 
(2017.4.1 Civic TypeR by α6000 SEL24F18Z  F 4.0 ISO100 1/80)
 

 

(2017.4.1 Civic TypeR Front by α6000 SEL24F18Z  F 4.0 ISO200 1/160)



(2017.4.1 Civic TypeR Front一部拡大 by α6000 SEL24F18Z  F 4.0 ISO250 1/160)



(2017.4.1 Civic TypeR Rear by α6000 SEL24F18Z  F 4.0 ISO250 1/160)


 外装パネルは樹脂を削って造形しているように見えました。クレイモデルのような手作りの作りこみ。
タイヤ・ホイールは225/30/20。ブレーキはブレンボ。
ややカクカク・ゴテゴテしすぎてて、一時期のランエボ、インプレッサのような雰囲気を感じました。
ゴテゴテし過ぎているのは嫌いです。この印象はガラス越しに見ているからかもしれません。路上で見ればまた違った風に見えるかも。
なぜなら、外に展示されていた通常の新型Civic Hatchbackのスタイルはとても良い印象でした。
 従来のワンモーションフォルムから脱却して、ワイドアンドローに回帰したのは、ここ最近の欧州系スポーツからきた流行にのったものという見方も出来ます。
ですが、WRXやWRCといったレースを見ていて、必ずしも空力的に計算されたワンモーションフォルムが有利ではないのは明らかです。
ワイドアンドローというコンサバな形が、速そうに見えて実際速かったりするので、レースでは空力よりも重心とかモーメントが重要なのかもしれません。言い古されていますが、基本的にはバランスが重要。
FFなのであんまり興味はないのですが、Civic TypeRは日本でも数量限定ではない通常販売になるそうで、どっかで試乗できるならしてみたいですねえ。


(2017.4.1 新型Civicブース by α6000 SEL24F18Z  F 11 ISO100 1/125)



(2017.4.1 新型Civic Sedan by α6000 SEL24F18Z  F 6.3 ISO100 1/250)
セダンと言うよりは、クーペのような形状。


 
(2017.4.1 新型Civic Hatchback Front by α6000 SEL24F18Z  F 5.6 ISO100 1/80)
Frontフェンダーのプレスラインが強調されすぎているのが難点ですが、全体的には好印象。



(2017.4.1 新型Civic Hatchback Rear by α6000 SEL24F18Z  F 8.0 ISO100 1/100)
新型Civicのリアはよくまとまっていると感じました。



(2017.4.1 新型Civic試乗会  by α6000 SEL24F18Z  F 11 ISO100 1/200)
この車列の前にNSXの同乗体験(抽選)。
そして新型Civicほかの試乗体験(抽選)がHSRサーキットで行われていました



(2017.4.1 新型Civic Hatchback 走行風景  by α6000 SEL24F18Z  F 16 ISO100 1/60 露出補正 +0.7)

新型Civic Hatchbackの走行風景。ショートワゴンかよってくらいにキャビンが長くみえますねえ。3ドアがあればなあ。













2017年4月8日土曜日

宇土古城 その4

相良為続の領土拡張策の失敗とその死で、相良氏はしばらくの間、逼塞・停滞します。
しかし、次代当主長毎が優秀だったせいか、相良氏の歴史ではよくある継嗣にまつわる内紛は最低限に抑えられています。
宇土為光は馬門原の戦いの勝利以降、菊池家側の相続における混乱や、相良氏の退潮と為続の死に至る期間、ほとんど目立った活動をしていません。
菊池家相続の混乱は表面上は抑えられていましたが、水面下では当主武運に反発する勢力が宇土為光とのつながりを太くしていたと考えられます。

 
(2017.3.5 珍しい未完成の堀 by α6000 SEL24F18Z  24mm F 4.0 ISO100 1/160)

相良為続の死の翌年(1501)、菊池本家では当主武運が玉名巡視の留守中にクーデターが発生。
文献では隈部忠直によるクーデターとしているものがありますが、忠直の死はこの4年前(1497)であることがほぼ確実っぽいので、隈部氏のほかの誰かではないかと思われます。
忠直には四子あり、庶長子親興は宇野家養子、次男嫡子が元成が本家を継ぎ三男は重元、四男紀伊介朝夏は菊池武運と相良氏姫との婚儀をまとめかけた人物。
忠直の名乗りは常若丸、兵部大輔、義雲慈孝、上総介で、この本家継いだ元成(民部少輔, 但馬守)の子の親朝は、式部大輔, 素覚, 上総介です。
隈部一族で兵部大輔の名乗りをしている人はいない様で、上総介は孫の親朝、親朝の曾孫の親家、親氏しか見当たりません。
この頃の時代では、為光とか忠直というような名前(イミナ)で呼んだり記録することは少なく、通称や官名である場合が多いですから、もともとの記録は「隈部上総介が宇土弾正大弼(為光のこと)を迎えた」のような文言で、目にした人が「隈部上総介と言えば有名な忠直ではないか」と、別の文書に記録し残ったんじゃないか、と妄想しました。
と言うわけで、上総介で共通する忠直の孫の親朝が、クーデターの首謀者かもしれません。
実は、隈部家は一枚岩ではなく武運派、反武運派に分かれているようです。
本家筋の上総介親朝が反武運派である場合、隈部家の主流派は反武運派であったかもしれませんが、隈部家のなかでも居心地の悪い人は居たに違いなく、単に忠義心から主君に誠意を尽くす人も居たでしょう。
反武運派は隈部家だけでなく他の家臣にも存在したかと思われますが、菊池家きっての重臣である隈部家当主筋が反武運派に傾いたことでこのクーデターは成功します。
彼らは、武運に代わる菊池家当主に宇土為光を担ぎ出しだしました。


為光老人は宇土古城を出て隈府城に入り、念願の菊池肥後守為光となります。
さて、留守中に空き巣に入られた格好の菊池武運は玉名で兵を募り、肥後北部だけでなく菊池家につながりの深い筑後の国人衆からも兵が集まります。
そして、隈府城を取り返すべく進軍し隈府城の手前、袈裟尾原で菊池為光および反武運派の菊池家家臣の軍勢と戦になります。
この戦いでは、武運側の主だった武将が討ち取られており、伏兵もしくは予想外の方向からの奇襲、あるいは裏切りといったことがあったと予想されます。
相良為続を逼塞させた折の豊福から八代への快進撃を思えば、武運という人はかなりの戦上手と思われるのですが、いくら戦上手でも内部の混乱があると思うように戦えないものです。
伏兵や奇襲くらいでは戦上手の武運には通じないと思われるので、恐らくとんでもない予想外の裏切りがあったとしか思えません。
武運は命からがら玉名へ落ち延び、さらに海を渡って島原日の江の有馬氏のもとに身を寄せます。
それから2年後、有馬氏から兵を借り、さらに菊池家の武運派の諸将らの出迎えのもと、武運改め能運が玉名に上陸。
武運派の家臣の動静に目を光らせていた為光は、能運の玉名上陸に合わせて隈府城を出て迎え撃ちます。
戦いは菊池川河口の高瀬で行われ、この戦いでは為光が敗れます。(高瀬の戦い)
為光は一度隈府に戻ったのか、それとも故地の宇土にむかって一目散に退いたのか、わかりませんが、結果的には宇土に落ち延び、これを追った能運に抵抗しますが宇土古城も攻め落とされてしまいます。
宇土為光は落城のときに自害したとも、落城後筑後に逃れたものの捕まって殺害されたとも言われています。


(2017.3.5 千畳敷(本丸)から三城の眺め by α6000 SEL24F18Z  24mm F 4.0 ISO100 1/160)

宇土古城にはその後、城番として山鹿の城為冬が入りますが、当主能運がその後まさかの急死。
混乱の中、城為冬は山鹿の自領に戻り、宇土古城には名和氏(顕忠)が入ります。
ちなみに、この名和顕忠は、宇土為光の娘婿になっていました。
名和家(その後は為光の血も引く子孫)が宇土古城を支配し、その周辺を巡る戦乱が続きますが、時代が下って天正年間の肥後国人一揆の後に入国し肥後半国の大名となった小西行長が宇土古城最後の城主となります。小西行長は宇土古城のすぐ隣に新しい城を築いて移り住み、西岡台の宇土古城は廃城となったようです。


(2017.3.5 城の東側、腰曲輪付近の梅 by α6000 SEL24F18Z  24mm F 6.3 ISO100 1/80)

(おわり)

2017年4月7日金曜日

AMDの新デバイスで盛り上った3月

3月初旬にAMDが新しいCPUを発売しました。
それが、Ryzenシリーズ。
IntelとAMDのCPUを巡る戦いはむかしからありましたが、IntelがCoreシリーズを出して一気にIntelのシェアが圧倒的になった気がします。
性能面でAMDがIntelを越えることは無く、もっぱら安価なCPUを展開していたように思います。

この状況が一気に変わりそうな「Ryzen」の登場。性能面はIntel Coreと同等以上で、価格は半分と言われています。
Ryzenのダイサイズは、同等性能のCoreに比べるとすこし小さいらしく、ダイサイズが小さいことは、1枚のWaferから得られるチップの数が増え、コストダウンにつながります。

AMDのチップを作っているのはGlobal Foundries(以下GF)で、Ryzenは14nm FinFETの14LPPプロセスで作られているようです。GFは韓国のSamsungと提携していて、CPU技術もSamsungの技術がかなり使われていると聞きます。
半導体製造技術では、Intelの技術はやや飛びぬけているイメージがありますが、個人的にはかなり保守的に見えます。もちろん、新しい技術にチャレンジしていますが、派手さよりも安定的な生産技術を優先するという意味で保守的に感じるのです。
その点、Samsungは若いイメージがあり、安定的な生産技術は圧倒的な物量でねじ伏せる、と言う感じ。

まだ、AMDの新CPUはハイエンドバージョン(Ryzen7)が登場したばかりで、これでCore i7に対抗するのでしょう。
今年中に、Core i5に対抗する Ryzen5、Core i3に対抗する Ryzen3が出てくる見込みです。
IntelはこのRyzenに対抗し製品価格を下げた。というニュースもありました。
Ryzenシリーズが出揃ったとき、性能比較が進んで実力が見えてくると思うので、そのときにまたRyzenについて調べて書きたいと思います。

2017年4月6日木曜日

釣堀あっと天草 2017春

先日、チョー久しぶりに海釣りに行ってきました。会社の同僚と。自分を入れて全部で6人。
といっても釣堀です。

(2017.3.11 天草釣り掘 by α6000 SEL24F18Z  24mm F 11 ISO100 1/160)


天気もよく風も穏やかで、絶好の釣り日和。

(2017.3.11 天草釣り掘 by α6000 SEL24F18Z  24mm F 10 ISO100 1/100)

この2人、釣る前からなんかオーラが。。。



さて釣堀に居たのは9時過ぎから12時過ぎまでの3時間。
あっという間でした。
「自分が」、大漁の期待マンマンでしたが、、、、


(2017.3.11 天草釣り掘 プロの釣果 by α6000 SEL24F18Z  24mm F 5.6 ISO100 1/80)

確かにそこそこ大漁でした。
が、釣れてたのは、ほとんど上の2人。さすが!
タイが13~5尾、アジが2尾、メジナとガラカブとよくわかんないのが1尾づつ、くらいだったかな。



(2017.3.11 絞めの作業 by α6000 SEL24F18Z  24mm F 5.6 ISO100 1/80)

釣った魚は、引き上げ間際に船上で絞めてもらいました。


・・・自分が釣ったのはアジ一尾だけ(↓赤矢印)。  ・・・グハッ orz



(2017.3.11 釣果の一部 by α6000 SEL24F18Z  24mm F 5.6 ISO100 1/80)

え、わかりにくい?



(2017.3.11 一つ上の写真拡大 by α6000 SEL24F18Z  24mm F 5.6 ISO100 1/80)

これ、このアジ 一尾です。 とほほ。

帰りに飯食って解散でした。
久々で、ぜんぜんボウズちっくでしたが、楽しかったです。


2017年4月2日日曜日

花の季節

4月になりました。TOP画像を変えています。
3月の半ばに撮影した菜の花ですが、今もまだ見ごろです。

熊本の桜は、早咲きの山桜系がピークか、すこし越えた感じ。
ソメイヨシノは昨日開花宣言が出ました。
例年と比べると9日ほど遅いらしいです。
ここ数日すこし寒いからねえ。
今週末以降に満開になりそうです。

いよいよ花の季節ですねえ。