今日熊本は朝から雨でした。
5時くらいに目が覚め、窓の外をのぞくと、暗く、少し紫がかった、薄暮の厚い雲の空ですが、雨が降っています。
昨日は晴れていましたが寒かった。車の外気温計は一桁。9℃でした。
しかし、雨のせいか、今朝は15~6℃くらい。
雨のせいか、気温は高いのですが肌寒く感じました。
会社に到着する6時前くらいに雨が上がりました。
昼までは時に青空が広く見渡せるほどに雲の量は減って来ていましたが、午後になると雲が次第に増えてきて、夕方近く退社の時間近くになると雨げざあざあ降っていました。
日付が変わるくらいから晴れ始め、明日と明後日は晴天のようです。明日は洗濯物を干して出社しなくては。
週間予報を見ると、金曜雨で土日は晴れ間が出てきそう。
今回は、坂口安吾の夜長姫と耳男を読んだ際に合わせて読んだ短編三つの感想です。
この本に収録されているのは、
風博士
白痴
道鏡
風と光と二十の私と
桜の森の満開の下
青鬼の褌を洗う女
夜長姫と耳男
最初の三つを今回書きます。
残りは
風と光と二十の私と
桜の森の満開の下
青鬼の褌を洗う女
の三つですが、スマホのアプリ、青空文庫にも収録されています。
白痴
語り部の友人、伊沢が借りている家の母屋は環境が、なかなか奇想天外。
天井裏に母娘画住んでいて、娘は誰の子かわからない子供を身ごもっている。
母屋の一階には仕立て屋の主人夫婦が住んでいる。
付近は安アパートが林立していて、何割かに妾か淫売が住んでいる。
最大の人物は隣人で、30前後で気違いであるが、語り部に言わせれば、常人と気違いに差はあるのか、ということになるらしい。
気違いにはかれが四国遍路の際、気が合ってそのまま連れ戻って女房にした二十五六の白痴の女房がいる。
気違いもおとなしくしていれば、。風采堂々とした好男子、女房の方もおとなしく、見た目は品の良い美人ということになっているが、気違いの母親が非常な強度のヒステリィで、近隣を騒がしている。
この白痴の女房が、ある日、伊沢の家の押し入れに住み着いてしまい 時は戦時中で、空襲があり、語り部と白痴の女は這う這うの体で逃げ出して生き延びる。
伊沢と白痴の女はさすらいながら、伊沢は白痴の女をはげましつつ、その言葉への女のはんのうやらにいちいち感動しながら、あてどなくあるきまわる。
ただ、ある夜明け、横で白痴の女は眠りこけている、伊沢は寒さで震えながらこのまま白痴の女を置き去りにしようと思うがそれすらもめんどくさくなり。
結局何も決められないまま、夜が明ければ(戦争が終われば?)自分と、白地の女の背中に陽の光が注ぐだろうか、と考えている。
という顛末です。
戦争、戦時中の一般の市民の苦しみ、を描いているのでしょうか。
いきなり始めの展開から飛ばしていて、父親が分からない子を宿した娘や、パトロンを探す五十五の煙草屋の婆さんなど、激しい人間模様の隣人たちに囲まれた伊沢の最大の人物は隣人で、その隣人の白痴の女房が自分の家に入り込み、空襲の中を一緒に逃げまどいます。
そして夜明けに寒さに震えながら、明日に淡い期待を抱きながら幕を閉じます。
問題提起も何もなく、結論もない。ところどころ、安吾自身と市民目線の戦争観が出ていると思います。
「戦争という奴が不思議に健全な健忘症なのであった。
まったく戦争の驚くべき破壊力や、空間の変転性という奴は、一日が何百年の変化を起こし、一週間前の出来事が数年前の出来事に思われ。一年前の出来事などは記憶の最もどん底の下積の底へ隔てられていた。
町の様相を一変する大きな変化が二度目にそれを眺める時にはただ当然な風景でしかなくなっていた。
その健康な健忘症の雑多なカケラの一つの中に白地の女がやっぱり霞んでいる。
」
道鏡
題名は道鏡です、そう、あの弓削の道鏡。
ただ、序盤は天皇制度の変遷をえがきつつ、女帝とは何かを書いていき、。橘の三千代という女傑が登場します。
後記にも、道鏡という題名は不本意だった旨を書いています。
中盤から終わりまでが道鏡の活躍と、その結末までが描かれています。
ただ。予想外に、道鏡はそれほど人に憎まれていません。
道鏡は女帝孝謙天皇の寵愛を一身に浴び、一世を風靡し、栄耀栄華は思うまま、という時代があり、これによって多くの人に憎まれたのだと思っていました。
坂口安吾はそうとらえていなかったようです。
ちなみに、熊本市に弓削神社があります。主祭神は孝謙天皇であるそうな。
孝謙天皇は、聖武天皇と光明皇后の娘。
光明皇后が藤原氏の娘、藤原不比等と橘三千代の娘。
物語の書き始めが、
「日本史に女性時代ともいうべき一時期があった。この物語は。その特別な時代の性格から説きだすことが必要である。」
と始まります。
「後記より」
この小説の主人公はむしろ孝謙天皇だ。
三人の女主人に維持された天皇家という家族政府の独自な性格、家をまもるに鬼の如くに執念深い女主人の意思によって育てられ、その意志の精霊の如くに結実した
聖武天皇とその皇后とそして更にそこから生まれた孝謙天皇。
私にとってこの小説を書かしめる魅力となった最大なものは、この女帝だ。
ここで言う三人の女主人とは、橘三千代、その娘、光明皇后、その娘、孝謙天皇。
さて、全く話は変わりますが、
半導体ではその電気回路を作る際に、写真の技術を応用して、文字通り石の円盤に回路を写して、その回路のパターンに沿って、ガスやイオンで彫り物(エッチング)をして作っていきます。
回路の線幅が小さくなるにつれて、写真の技術の応用で、使われる光源が変わっていきます。
最近、アップルのiPhonenoの心臓部というか、頭脳に当たる電子デバイスは、台湾のTSMCが製造した7nmという細さのサイズのパターンです。中国のHuaweiが先日発表し出した新型アンドロイドスマホ「Mate20」も、7nmサイズのデバイスを使ったものになっています。
ここまでは昨年までの技術の応用でした。
ただ、細くなるにつれて、応用も無理を文字通り重ねていくので7nmの先、4あるいは5nmサイズになると、光源をEUVという異なった光源を使う必要があります。
tsmcは7nmの2世代目はEUVを使う、今年後半から量産する、と明言しています。
このEUVを使ったデバイスを製造できるのは世界で現時点で、まだありませんが、台湾のTSMCと韓国のSamsungが開発にしのぎを削っています。
Intelは、しばらく先にすると言っています。恐らく、Intelにも無理なんじゃないか、と私は勝手に想像しています。
この3社と、もう一つ、アメリカのファウンドリー、GFがIBMと共同してEUV技術を開発していました。が、今年の夏の終わりに、急遽、「やーめた」と言ってこの開発競争レースからリタイアしました。
GFはその出自からAMDとつながりが深く、AMDは昨年来、新しいコンセプトのRyzen(ライゼン)というシリーズのCPUを出して非常に業績が上がっています。IntelのCoreにようやく対抗できる製品ができたのでした。
当然、このRyzenは今まではGFの工場、確かNYのマルタのFab8で製造しています。最新の第2世代Ryzenですら12nmサイズです。
インテルの最新Core(第8世代CoreのCannon Lake)の製造は公称10nmです。
ただし、Intelの10nmは実質ほかのファウンダリの非EUV版7nmプロセス相当のサイズと言われています。
また、Intelは、やや独自路線をあゆみつつあり、一世代前の14nmのデバイスのほうがデバイス設計的に効率がいいのか、10nmよりも性能が上、としています。
デバイス自身の発熱によって引き起こす性能低下を考えると、これはあり得る話です。
というわけで、GFもIntelと同じような路線で行くのかと思っていましたが、脱落してしまいました。
そして今、GFでそう言ったデバイス開発を担っていた人材がリストラされ、この人材争奪戦が激しいことになっているそうです。
特に中国の企業は、のどから手が出るほど欲しいでしょうね。
さて、GFと言えば、今話題で、ドンドン株が下がっているサウジ?。
SB株も、まさかの影響を受けているそうな。
ジャマル・カショギ氏が亡くなったのは、ニュースの一報が出たのは10月中旬17日ころですが、そこを境にSB株が値を下げています。
株をやっている人(市場関係者とも呼ぶ)は足が速いなあ。
GFもサウジがオーナーだったか?と調べたらUAE(アラブ首長国連邦)でした。
関係ないじゃん。ただ、アメリカのとちくるった政策のせいで、リスク資産から手を引く勢いも強いので、サウジの件で、サウジ自身が持つ投資影響力の低下で世界の株式市場を冷やすことも大いにあり得るでしょう。
日本のSBも良い例です。今回の件でサウジの経済が即刻悪化するわけではなく、すなわち、SBそのものに影響はないのでしょうけど、心理的影響といいますか。
本来、GFの件で、アメリカの技術力低下を懸念するなら、アメリカ政府が開発の資金援助を少し考えるとか、すればいいのに。今のボンクラ大統領は、後ろ向きの事しか言わず、新しい技術トレンドを産みだして、新しい産業を興すタイプではなく、競争相手を潰すことしか考えていません。
これでは、アメリカらしい、社会的な、産業の新陳代謝は起こりにくいです。先細りになる一方。
今が良くても、20年後はアメリカ経済は落ち目になるのでは?
アメリカのFANGといった、IT企業はかなり将来の発展や利益を先取りした株高起きています。
むしろ、これこそバブルでしょう。
しかも、利益を平和な外国関係から収奪して得ているくせに、ボンクラ大統領は考えが及ばないようです。
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