今朝は、朝霧。道路や、触るものみな、雨が降った後のようにびっしょり。
車の外気温計が13度。
大して冷え込まなかったのに、朝霧や夜露が激しいのはよほど大気中の水分が多かったのでしょう。
昨日の日中、遠くの方が薄くぼんやりしていたのは、黄砂のせいかな?と思って見ていました。
空気中の水分、湿度が高かったせいなのかも。でも。そんなに蒸した感じではありませんでした。
この一週間、大した降雨もありませんでした。
と、午前中まではそんな風に考えていたのですが、実は昨夜遅く、午前2時くらいに大雨が降っていたようです。
熊本市で、1時間に17mmを超える雨量を計測しています。10mmを超える雨は数分も傘なしで外に行けません。
数㎜程度なら走って行ってみるか、くらいの雨ですが、10mmはザーザー強く降る雨。
そんな雨が深夜にあったなんて。。。
どおりで桜の華も多く散って青さが目立ち始めているわけだ。
昼間は晴れていつもの散歩も暖かな、すっきりした空気のなかでてくてく歩けました。
昨日の地方選挙の結果を朝のニュースで見ました。大阪は都構想の人々が市長と都知事を、勝ち取ったようです。
都構想は国の考え方(国、というか政権と政権与党の考え方と相いれません)だからこそ、独自に党派を立ち上げて活動中。
この大阪での選挙には敗北した対抗の政権、与党側のコメントはしおらしいものでした。真摯に受け止めるとか。
沖縄の住民投票や知事選挙を受けても、与党自民党は一向に、地域住民に寄り添うことはなく、既定路線で物事を進めようとしています。
何も努力をしようとしない。
この姿は、今回の地方選挙がどうあろうと、代わることはないでしょう。
やはり、民主党政権が自民党を負かして、一時国政を担ったのはそれまでの歪んだ自民党政権に、ノーを突き付けた結果だったのに、
民主党政権になってしばらくすると、それを忘れてしまった人が多かった。
政権を自民党に握らせては国が崩壊します。民主主義、というお題目も、有名無実なものになります。
国全体の多数派をコントロールせず、地域の少数の意見に目をつぶるということは、本当の意味で、民主主義とは言えません。
その延長で、国が崩壊する、と言うのは、日本人としての心が崩壊する、と言う意味です。
地域住民の気持ちを察し、より良い暮らしを考えるのが、。政権党のありかたです。その地域外のその他大勢をおもねるのでは国の成り立ちがおかしくなります。
民主党政権は、その運営技術に稚拙な部分はあったかもしれないが、少なくとも日本人を考えた軸があったと思うのです。
自民にはそれがない。このままでは崩壊しますね。きっと。
かつて、民主政権に変わる前状態が崩壊直前でしたけど。あのような状態になる。
一時政権を離れて、自民党も反省したことだろうと、考えていましたが、安部とかみてると、全く反省してなくて、以前を凌駕する勢いの劣化をしています。
安部は過去に、自分の側近を自殺に追い込んでいますが(熊本選出の農水大臣、ミドリ十字の件で自殺)、再び戻って来ても、同じようなことをやらかして(モリカケでの、財務省近畿財形局の役人自殺)、自分の手下を負いこんで殺しています。
本人は、それが当たり前と考えているかのように、平然としているのが人として、信じられません。
人は自らの身に降りかからないと、気づかないのかもしれません。
今週、人間ドックがあります。現在体重が61k台。BMIも24.3くらい。目標が60k、BMIは25未満なので、体重は60を切りたいと考えていますが、なかなか61k以下は長続きしません。
最大瞬間風速的に60台はありますが。。。
昨晩パブロン飲んで、ぐっすり寝ることで、朝はのどの痛みはなく、全身のだるい感じもなくなっていました。
さすが、パブロンゴールドA。
昨日のブログで表だけ載せましたが、週末のUSマーケットはイケイケでした。
雇用統計の結果も予想を上回り、
現在、アメリカの失業率は3.8%です。
原油価格も上がって62ドル。VIXは12.8.
為替は111円ラインを守り続けています。
米中通商協議の進展期待も続いています。この協議には現時点では「陰り」が見えないのが良いです。
ブルーバーでも、
トランプ米大統領の経済顧問トップであるクドロー国家経済会議(NEC)委員長は7日、米中は通商合意に「一段と近づいて」おり、高官級協議は今週も「多くの電話会議」を通じて行われると述べた。
宇治拾遺物語をゲラゲラしながら読んでいます。下世話なはなしばっかりです。こんなんだったっけ?と改めて目が覚めるくらいの新鮮な感覚です。
「滝口道則が術を習った話」のお話の筋を書いて見ます。
滝口道則が天皇の命令で陸奥の国に行く途中。信濃国の郡の長官の屋敷によって厚いもてなしをうけます。
滝口道則が寝ていると、途中で起きて寝られなくなります。
奥の部屋をのぞいてみると、20代後半のそれはもう、そそる女(宇治拾遺にはこの、そそる女が良く出てきます)が横になっています。
滝口道則は、寝込みを襲ってやっちゃおう、いやいや、もてなしを受けた群代官の女かもしれない。そんな無礼をしてはいけない。と思いとどまりそうになって、結局、女の布団の中に入ってしまうのです。(この、いい女を見ると、ついむらむらきちゃう系の助兵衛なだらしない男も、宇治拾遺物語にはよく出てきます)
布団に忍び込んだまでは良かった、滝口道則、さあ、ことを致そう、と考えたとき、じぶんの体に大変なことが起きていることに気が付きます。
なんと、滝口道則の大事なものがなくなっているのです。
男は驚いて布団から抜け出して部屋を後にします。。そして同僚に、奥の部屋にいい女が寝ているぜ、とそそのかします。
当然、読者としてはそんな場合かよと、ツッコミ。
さて、この男は家来8人に、この話をしてそそのかし、家来8人は全員がど助兵衛で、女の布団に潜り込んで、8にんとも大事なものをなくしてしますところまで、最初の男と同じ展開。
さて、翌朝もうこんなところに長居はできない、と慌てるように陸奥の国に旅立つのですが、群代官の家来が、追いかけてきて、こんな大事なものを置いていくのはおかしいですよ、長官もそういってお渡しするようにと命じれました、とおとこたちにぐにゃぐにゃしたものが入った包みを渡します。
そう、この包みのなかこそ、9本(?)の男の大事なものが入っているのです。
ようやく大事な物とご対面できたものの、見ているまえで、堤の中のその大事なものが、瞬間にきえてしまいます。「あ、ない、なくなったっ」
と、そのとき、男たちは自分の股間に大事なものが戻っていることに安堵し、大事なものを握りしめ、陸奥の国に向かい陸奥国での仕事を終え、都に戻る途中。
再び、信濃国の郡長官の屋敷に立ち寄って、男は、陸奥の国での仕事で得た、高貴なもの(金とか、鷹の羽とか)を大量に群代官に捧げます。
え、何?これ? 当然、男の下心に気が付く長官。
男は、行きがけに立ち寄った際に起きたチン事件について長官に聞きます。長官曰く、「あぁ、やっぱそれ、?そのこと?」
「あれはね、術なんですよねー」
そういって、彼が、男の大事な部分を盗む術を得た経緯を説明し、
あの事件は長官が仕組んだこと(いわば幻術のようなもの)、というのがわかり、長官はこうして、大事なものを失くした男たちの混乱を見て楽しがっているのでした。最初は自分が欠けられて困惑し、混乱した。その驚きを他の人に味合わせたい、と思い、術を習った。
こんな面白い遊びはない、と。なんとまあ人騒がせな。
滝口道則は、その術を会得したい。と長官にせがんで、貢物をもらった長官も断れず、術を得るための修行、体を洗って潔斎し、「チンポ取る取る、チンポ取る取る」と唱えて河辺で待て、川に流れてきたものが何であれ、抱き着け、と言う。
男は言われた通り、待っていると頭だけで2mありそうな大蛇が流れてきて、さすがにこれに抱き着いたら死んでしまう。とビビッて、一度は断念しますが。再度挑戦します。今度は8尺(2.5mくらい)もあろうかという大猪が突進してきて、男は固唾をのんで見守って。大猪が岩にぶつかって死ぬのでは?と大猪は見事岩にばちーんとぶつかり、岩を砕きます。男はその瞬間自分のからだもばちーんとなり。
長官に経過の話をします。これで術を体得できたでしょうか、と。「いやいや、まだまだ、2級ていど」1級にならないと、術は使えない。と代官。
この長官が、相当怪しい、くわせものじゃないかね。
さて、長官、が言うには、さすがに1級ほどじゃないけど、2級なりに術は使えるでしょう、という。
男は、都に戻って2級なりの術を使って、お盆の上のみすぼらしい草鞋を鯉にかえたりして、人が驚くさまを見てげらげらしながら楽しく暮らしたらしい。
ただ、この話を聞いた、お天ちゃん(陽成天皇)も。男に術を教わり。
男同様にちょっと人を惑わせる系の術(幻術、催眠術かな)を使って楽しくくらしたらしい。
と言う話が載っていました。
紙に包んだもの、原文では「松茸」となっています。(「くくく」)
だいたい、他の話もこんなかんじです。いちいち載せないけど。
説話なので、それぞれの話には寓意が含まれています、人の欲に対し戒める系が多いです。
ただ、思うのは、昔の人はこれほどまで、自分の欲望に素直だったのか、と言う呆れ。
よっぽど、この物語が成立した時代の人々が呑気で気楽な、自分の欲望に正直に生きていた、時代であった、ということだろうと思うのです。
現代もよほど、そういった部分があります。
多少、平安の時代に比べて、込み入った複雑な部分はあるでしょうけど、人間の欲望なんて、時代を超えて普遍的なのでしょう。
複雑な、というところに闇の深さを感じることはありますが、根本は同じシンプルなものです。
だからこそ、1000年以上の時を経ても、話に引き込まれるような、共感を覚えるのでしょうね。
読むと、「そうそう、そういうのは人間だから。あるよねー」的な。
真面目なやつもいて、そういうのをお茶化して面白がる、なんて、どんなばしょでも、あるあるでしょう。
人によってはそれを「いじめ」、という風に深刻なことに転嫁してしまうけど、
上の「真面目なやつもいて、そういうのをお茶化して面白がる」の話の結末は、だいたい茶化したほうにその報いが下る、と言う結末になっています。
人の世っていうのは、そんな物語のようにうまくいかない、と思いがちですが。1000年も前にそんな因果応報的な話がなりたって、今に至るまで廃れないのは、やはり、真実を突いているせいだと思うんです。
例えば、「卒塔婆に血が付いたら」の話は
大分出身者なら耳にしたことがある、「瓜生島伝説」そっくりです。
原型はこの宇治拾遺物語の「卒塔婆に血が付いたら」のおはなしなのでしょう。
「卒塔婆に血が付いたら」の話は唐の国のお婆さんが、ずいぶん高い山の上にある「卒塔婆」=お墓を毎日、ひーひー大変な思いをしつつ、お参りすることを日課にしていて。
ある人が、なぜ、そんな思いをして。卒塔婆を参っているのかと聞くと。
おばあさんは自分は70年間休まずこの習慣を続けている、自分の父親は120まで生きた、祖父は130まで生きた、その父は200まで生きた。父親はそうした先祖から言い伝えられていることを自分に言い残していった。
「卒塔婆に血がついていると、」山は崩れて沈んで海になり、自分たちは山のふもとに住んでいるので、山が崩れたら下敷きになって死んでしまう。だから、毎日、卒塔婆に血がついていないか確認して、ついていたらすぐ逃げるつもりだという。
甘りに荒唐無稽な話に人は笑い転げて。悪だくみを考える。そう、御婆さんの知らないうちに、地蔵の顔に血をかけてやろう、と。
そして、おばあsンの藩士の内容をj含めてふもとの人々に知らせよう。
さて、そのあと、おばあさんがいつものように、はあはあいいながら山を登って卒塔婆の顔をみると、なんと、血がべっとりついて真っ赤になっているではありませんか。
驚いて、恐れおののいた婆さんは、山を下りて、村中と家族に逃げるように言い、この御婆さん一家が避難した後、地面が揺れ始め、大地が裂け、山がくずれしずんで、大水が出て、その辺一帯は水が溜まって、山は水の底にしずんでしまい、笑っていた村人もみな死んでしまう。
まさに、瓜生島の伝説、そのもの。
お婆さんのことが唐の国に、とあるので、舞台は中国です。実は原型は中国の古書にあるのかもしれません。
さらに、ノアの箱舟の話もこれに近い。
ノアの箱舟は宗教話にしちゃっていますが、日本では宗教が飼っていない。(こういう部分に、私は勝手に「日本人は素敵だな」と思う部分です。つまり、人間の持っている素の部分(欲望)にかかわる話は、いちいち宗教なぞを絡めず、世の真理を語る説話の一つ、としている部分に。
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