朝からいい天気でした。
【たそがれ清兵衛を観ました】
午前中、TV、録画していた、映画「たそがれ清兵衛」を観ました。真田広之が目で芝居しているのを痛感して、驚きました。真田広之というと、私の年代では千葉真一流のアクション俳優という印象がぬぐえませんが、竹中直人の大河ドラマで、秀吉演じる、竹中直人に仕える、石田三成を竹中直人に負けないほどの、存在感を示しつつ、演じていましたが、「たそがれ清兵衛」でも、その演技、非常に良かったです。
舞台は幕末の出羽、庄内藩です。庄内藩というと、司馬遼太郎さんの、西郷にかかわる幕末ものを読んでいると必ずでてくるので、メジャーな藩です。さらに、坂本竜馬でいえば、新撰組、新徴組の清河八郎は庄内藩の出身です。
その庄内藩(劇中では海坂藩)の50石どりの貧乏侍、井口清兵衛はお蔵役を勤め、夕暮れ時になると、そそくさと同僚の宴の誘いも断り帰宅し、貧乏ゆえに、身なりもひどく、風呂も満足に入っていないせいで上役から妙な臭いがするといやみをいわれるほど。
家では、痴呆の始まった老母と、娘二人を抱えて苦しい生活をしている。妻は労咳の病で亡くしている。
友人の飯沼倫之丞の妹で幼馴染朋江は、甲田家に嫁いだが、甲田が酒乱で、倫之丞は殿様に訴えて、妹を離縁させた、と清兵衛は、倫之丞から聞く。あるひ、家に朋江が着ており、娘二人も仲良くなつき、朋江の居る間の井口家は明るく染まる。
倫之丞から、朋江を妻にもらってくれないかと頼まれるが、身分や、貧乏をたてに、清兵衛は心ならずも、これを断る。そして、時の主君が江戸で病死、体制の変化で権力争いで保守派、改革派の争いの中、権力を握った側が前政権派の粛清をするが、一人、余呉善右衛門は旧主への恩義への義理が深く、討っ手を切り家に篭っている、これを討ち果たすため、清兵衛の名が上がり、藩命として命じられる。
清兵衛は、身支度をする際に、朋江を呼び、支度を手伝ってもらうそして藩命で討ち合いをすることになったこと、もし、生き延びて戻ってきたら、妻になってほしい、と頼みますが、朋江いわく、前日、会津の家中から来た縁談を受けたことを涙ながらに答える。
このときの清兵衛、真田広之のやるせなさを感じさせる、目の動きがぐっと来ました。
宮沢りえの演じる朋江の悲嘆、
そして、余呉の屋敷に赴く、清兵衛。余呉善右衛門は田中 泯さんが、鬼気迫る演技で演じています。が、余呉は、気さくに、自分を討ちにきた清兵衛にさぁ、かけてくれといって自分の身の上を話し始めます。娘と妻を抱えて、以前の主土岐家がなくなって、7年間貧乏な流浪生活のすえ、妻と娘を亡くしたこと、そのとき海坂藩の家老の長谷川氏に拾ってもらって、妻の葬儀を十分にできたことを話し始める。
余呉は清兵衛に見逃してくれと言う、裏山を越えれば藩外で、すぐに時代も変わる、と言う。
清兵衛も自分に似た境遇を持った余呉に共感を抱き、自分の身の上を話し、妻の葬儀にお金がなかったので、父の形見の剣を売って葬儀をしたと告げ、自分の剣は竹光であることを明かす。余呉を討ち果たすのは小太刀でするつもりだったと言う。そこで余呉は「我が身を竹光で討つつもりか」と憤激し、見くびるな、と怒る。
清兵衛も、余呉を見逃すつもりにもなっていたが、行きがかり上、激戦の末、清兵衛自身も激しく傷つきながら、余呉善右衛門を討つ。
命からがら、自宅に戻ると、二人の娘と朋江が待っていた。
エンドロールで、監督が山田洋次さんと知りました。
時代劇も撮るんですね、、、。さすが、人間の心の機微をみごとに描いた、心を打つ時代劇でした。原作は藤沢周平さんです。
藤沢さんは剣術時代劇だけかと思っていたら、、、。
大変良かったです。ただ、映画と原作は違うんでしょうね。山田洋次監督の劇のほうが、
私は大いに、心に刺さりました。
誰にでもお勧めできるものではないけど、清兵衛の娘が現れる、海坂藩の風景=庄内の風景にはなんともいえない、ノスタルジーを感じさせるものがあったし、貧乏暮らしも懐かしさを大いに感じさせるものがありました。
さすがに私の子供の頃、餓死者が川を流れてくる、と言う記憶はありませんが。
【春の空気】
午前中、30分ほど散歩に行き、春の空気のなか、ゆったりと散歩
午後、お昼ご飯を食べた後、布団と毛布を干しました。
今晩は、春のお日様の香りの中でぐっすりと寝たいですなあ。
その後、また30分ほど散歩。午後は薄雲が出てきてました。
おとといまで書いていた体温ですが、
昨日は
朝36.3度、晩36.6度
今日は
朝36.5度、晩36.7度
あー明日からまた仕事だー。
土曜日に充電して、日月、と二日間、車に全く乗らず。。
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