2019年1月15日火曜日
今朝も冬とは思えぬ暖かさ。日中は曇ってました。稀勢の里、引退カウントダウンか、頑張るか。剣客商売全集 別巻 黒白の感想とか。(8)
さて、今朝も暖かい朝でした。5~6℃だったと思います。車の外気温計が5.5℃でした。
朝は曇っていました。
日中も雲が多く、一日中曇りのお天気でした。昼間の散歩も風邪が少し吹くと冷たいくらいで凍えるほどの寒さではありませんでした。でも同じ気温でも日が差すのとそうでないのではずいぶん感じ方が変わってきます。
今日の夕方、大相撲では稀勢の里が負けて初日から3連敗。こうなると今日明日、いつ、引退した、とニュース速報が出てもおかしくありません。こうなったら開き直って頑張って欲しいですけど。
2018年12月になってすぐに借りた剣客商売全集の別巻の事を載せるのも、延び延びになっていました。ついに年を越してしまいました。
といっても、もうすでに過半。佳境にさしかかっています。
今回の章は一気にこれまで伏線だらけだったところに光が当たって、ネタばれします。
例によって、礼の如く、感想と言うより筋を追いつつ、コメントをさしはさむ形式です。なので、完全にネタバレです。ご注意ください。
ー秘密ー
この章ではお信の身の上や橘屋忠兵衛などの秘密が一気に明かされます。
お信は鞘師久保田宗七と伯父、姪の関係ですが、お信の父は松代十万石の真田家に仕えていた平野彦右衛門、母みよの兄が久保田宗七です。宗七も若いころは真田家に仕えていたという。真田家の内情の説明があります。
この時代、どこの大名家も幕府からの普請要請など、飢饉なども重なって、台所は火の車になっているところが多く真田家も同様で、真田家の当主、信弘、その養父幸道のころから真田家は借金がかさみ、殿様から涙ぐましい倹約に励んでいます。
幕府は八代吉宗の享保の時代、信弘が67で亡くなった時、彼には正夫人との間に4男1女がおり、3男は病死しており、3男の信安が後を継いだ。倹約に励む殿様だったので誰も側妾がいるとは思っていなかったが信弘には正夫人との間に生まれた子供以外の子が二人もいた。1人は江戸で商家の主になっているという。もう一人も江戸で商人をしているという。それが雑司ヶ谷の橘屋であることを告げる。つまり、忠兵衛の養子、豊太郎だった。忠兵衛も養子で、若い頃真田家に仕えていた武士だった。橘屋は紀州本陣御用宿という格式をもち、真田、九鬼の大名家と昵懇だと、八郎も聞いていた。そこで、八郎は、紀州家と橘屋、徳川吉宗、幕府とのつながりと、岡本について京都の公卿の殺害に思い当り、あの時、岡本は天下のためと言った。八郎がお信に高木勘蔵の事について聞くと、高木勘蔵は真田家の秘密について知りすぎた、という。真田家の家中は信弘の後を継いだ信安の出来が悪いせいで内紛が相次いでいた。真田家の内紛は江戸屋敷で奉公していたお信は見てきていた。お信は中山伝四郎という藩士のもとに嫁ぐが、やがて、中山も父や父の弟は真田家の騒動に巻き込まれて亡くなる。お信の父は藩の勘定役の下っ端だったが、ある夜自害する。お信の父は百何十両もの大金が使途不明になってきえた責任を取らされ苦に病み自殺したらしい。平野家は断絶となりお信の弟は中山家に引き取られるが、半年後に病死してしまう。お信の不幸は続き、夫の中山伝四郎が殺害される。高木勘蔵は藩内で汚職を重ねている家老原八郎五郎を警護していた、中山はその原を襲うなかで高木に殺された。そのうち原一派の秘密をしって、原から大金を強請りとるようになったらしい。真田家にとっても重大事となり、橘屋に説き伏せられお信は決心を固めて、八郎に近づいた。
お信が八郎に秘密を打ち明けて1年がたち、八郎は傘屋ではなく、久保田宗七の家の2階でお信と合うようになっていた。しかし、まだ完全にお信へのわだかまりが消えたわけではなかった。笠屋で岡本弥助の手下伊之吉は八郎を見つける。このことを伊之吉は弥助に知らせ、弥助は深川の屋敷の主に伝える。主は、「波切なら打ってつけといえよう」とつぶやく。
主は弥助に困ったことが起きたという、「森平七郎にあの世に行ってもらわねばならぬ」
森が主の秘密を知り五百両強請ってきたらしい。
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