朝早く、時間の問題だと思っていた、稀勢の里が引退発表しました。
開き直っても良かったと思うんですけど、相撲って、なんだか、外野が、格式ガー、日本人ガー、国技ガーっていちちうるさい。やっている中の人にとって、とってもめんどくさい、居心地の悪いところになっていると思います。可哀そうに。
相撲って、もっと楽しめばいいんじゃないの?
評論家とか、もうわかったから、いちいちどうでもいいよ。好きなら自分で出版して、そこで能書きを垂れていればいいんじゃ?新聞とかワイドショーとかね。んッとにクダラナイ。
一方、イギリスでは、重要な議会の決議がありました。EU離脱に関する協定案に関する議決で、メイ首相が議会に提案した協定案は多くの反対にあい否決。大敗したそうな。いわゆる合意なき離脱へ向かうのかもしれませんが、意外に、相場は反応しませんでした。もう、織り込み済み?
これはイギリス国内の残留派、離脱派、双方歓迎するという皮肉な様相を見せています。
イギリス、って、けっこう歴史的に無責任なところがあります。大きくは、イスラエルの建国。
イギリス国民の多くが恐らく、このような近視眼的な見地の持ち主です。過去の大英帝国、を引きずって、空虚なプライドばかり高くなって、日本人の多くも、なんだか過大評価する向きが多いように思われます。イギリスは過去の歴史を振り返ってみても、こういった無責任国民の集団なので、こんかいの結果はある程度予想通り。でも、このツケはきっとイギリス自身にもどってくると思います。アメリカは今、政府の予算が決まらず政府機関で働く人の無給期間が20日を超えています。
今は無給でも、先々予算が降りれば、その際に、今の無給分は支払われる仕組みになっているそうです。なので、決して、完全にボランティア状態ではありません。
でもま、いっそボランティアで運営したほうがよくね?
2018年12月になってすぐに借りた剣客商売全集の別巻の事を載せるのも、延び延びになっていました。ついに年を越してしまいました。
といっても、もうすでに過半。佳境にさしかかっています。週末までに終わりそうかな?
例によって、礼の如く、感想と言うより筋を追いつつ、コメントをさしはさむ形式です。なので、完全にネタバレです。ご注意ください。
ー浮寝鳥ー
深川の屋敷の主は、次の計画について岡本弥助と語る。殺害の対象の森について、森を働かせた、一方、京の一件に使われなかっただけでも良しとせねば、と言っているので、森も主が飼っている暗殺者集団のうちの一人と推測できます。森を主に引き合わせたのは弥助らしい。
小兵衛は市蔵が波切道場から持ってきた八郎の父親の形見の(もちろん、小兵衛は知る由もないのですが)手作りの有明行灯が、ある日別なものにかわっている事に気が付く。さらに、市蔵の態度の変化もあって、合わせて何かあったと感じとる。市蔵がもとの波切道場から持ってきた大事な行灯を持ち主の八郎に渡したのではないかと推測します。
小兵衛の観察眼の鋭さと、洞察力の深さに驚かされます。ちょっとした事実の違いを結び付けて、その背後にあることを見通す能力は剣客としてだけではない、小兵衛の人間としての深みを感じさせます。
偶然を装って、岡本弥助は八郎に会います。そこで、弥助は例の件(森殺害)を持ち出そうとしますが、
ここで、
八郎の脳裏に、ある情景が浮かびます。
それは父と、父の許に訪れたある客人の給仕を八郎がしていた時のこと、その客人のことば、客は嶋元宋泉という、幕府の元御番医師、八郎の父が親しい剣客のことに触れて、「それが宗泉先生、急に別人のごとく人柄が変ってしまいまして」
宗泉は「それはその折の、ひとびとそれぞれに違う星の累及によるもの、」つまり、中国の干支、九星学などによれば、「天地のみちとひとそれぞれの生年月日による星との関係は年ごとに変わるのだそうです。」
その影響を受ける人もあり、それが表に現れぬように見える人もあるが、だれしもが影響を受けている。八郎はこの3年間の自分を顧みて、水野新吾を成敗した自分はまるで自分が自分でないような思いがしたことを想起していました。
このくだりは、最終的には、こんかいのこの本の題名の「黒白」にかかわる、重大な一節になるように思えます。
八郎は岡本弥助が来て自分をXXの道に引き戻そうとしていることを察しこれを断り、かわします。弥助は堀大和守の名前を出します。弥助の思い詰めた態度から今度の相手がただものではないと感じ、剣客の血が騒ぎますが、八郎にとっての新生の道を見失うことになると、弥助の願いを振り払います。この時点で、八郎は、お信や市蔵に誠実に向き合い、これまでの、人に語れない人殺しの道から足を洗うつもりでいたように思えます。まさに、自分が自分でない時期からの脱皮を図っていたのでしょう。
八郎はお信に、弥助が口走った堀大和守について聞いて見ます。お信は以前、橘屋に堀大和守自身が訪れたことがあったことを思い出します。堀大和守が八代吉宗が紀州から連れてきた家来であることを忠兵衛から聞いていました。
八代将軍、吉宗と関係の深い、じきじきの家臣であったということです。八郎はある道すがら、町人が武士にいじめられていたぶられているところに出くわします。これをとがめて町人を救おうとします。
恐らく、これが八郎の本質なのですが、ただ、この人はやはり星の巡りが悪い。町人を救うはずが、この武士を斬ってしまいます。人殺しの生活を振り払って新生の道に向けて歩きだそうとした矢先だったのですが。
人を斬ったあとの感触、高揚感が、再び、小兵衛との真剣での立会いに未練が沸いてくる八郎でした。そこへ弥助の手下の伊之吉が笠屋に八郎を訪ねてきます。非常にタイミングが悪いです。まるで、伊之吉が八郎が町人を救ったのを見ていたかのよう。
伊之吉曰く、弥助を助けて欲しい、弥助が危ないと言います。弥助が、森平七郎を死を覚悟して斬りに行くと言います。
岡本弥助は郊外の料亭で、森殺しを深川の主、堀大和守から頼まれたほかの二人の剣客、早川太平と古沢伝蔵と襲撃の打ち合わせをしています。一方お信は伯父、久保田宗七に堀大和守のことを聞いて八代将軍吉宗がいくつも隠密集団を抱えていて、その一手の頭が堀大和守だったらしいことを知ります。あるとき、大和守が橘屋忠兵衛のもとにおしのびで訪れたとき、ちょうどそのころは真田藩は前述の騒動の最中で、大和守が家老原八郎五郎の始末を忠兵衛に持ちかけたこともあったと聞いてお信は驚きます。お信の元夫は原八郎五郎を殺害しようとして返り討ちに会って死去しています。
「浮寝鳥」という章名の由来は最後まで分かりませんでした。以前の剣客商売にも、「浮寝鳥」の題名は使われたことがあったと思います。
「浮寝鳥」とは水面に浮かんだまま首を後方に曲げ、折りたたんだ翼の間にくちばしを 埋めて眠っている水鳥のことです。
章題の「浮寝鳥」はこの章の場面の季節冬を表す季語なので、場面の季節のみを表しているだけかもしれません。
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