2007年7月23日月曜日

トルコの歴史(おぼえがき)前編

アナトリアの地に鉄器で有名なヒッタイト王国が紀元前18世紀に建国。
首都はハットゥシャ(現在のボアズキョイ遺跡
アナトリアの西、エーゲ海沿

岸部はギリシア人によってミケーネ文明が伝播、都市国家が栄える。
ビザンティウム、トロイ、イズミル、エフェソスなど)
ヒッタイトはメソポタミア(

ミタンニ)を征服。
バビロン王朝を滅ぼす
シリアをめぐってエジプトと争う(ラムセス2世・エジプト新王国第19王朝、カルナック神殿、アブシンベル神殿

ヒッタイトは海の民に滅ぼされる。


紀元前9世紀ウラルトゥ王国(トルコ東部) 首都はトゥシパ(現在のヴァン)
ウラルトゥはアッシリア(メソポタミア)と争う。


紀元前7世紀リディア王国(トルコ西部)
メソポタミアでアッシリアが滅亡しその後を継いだメディア王国と争う。
紀元前6世紀メディアを滅ぼしたアケメネス朝ペルシアに支配される。


紀元前4世紀マケドニア王国のアレクサンダー大王に征服される。
その後はセレウコス朝シリア(内陸部)やペルガモン王国(南東沿岸部)の支配を受ける。
ペルガモン王国首都はペルガモン(現

ベルガマ
(エウメネス2世、ヒエラポリス
紀元前2世紀(133年)アッタロス3世の遺言で王国をローマ

帝国に寄贈し属州となる。


330年 ビザンティウムは東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルとなる。


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