2015年の年明けは、国博をもって初め、としました。
元旦明け二日、雪降る中、大宰府の国博で開催中の特別展
『古代日本と百済の交流 - 大宰府・飛鳥そして公州・扶餘 -』
の感想を書きます。
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今更ですが、百済。
くだら、と呼びます。
朝鮮半島の南西部にあった古代国家です。
Wikipediaより
この刀(その1で紹介の七支刀)が倭国に送られた時代(4世紀)、朝鮮半島には高句麗、新羅、百済の3国が鼎立して、いわゆる朝鮮半島の三国時代と呼ばれています。
この時代の少し前2世紀から3世紀末、隣の大陸側では劉備や曹操、諸葛亮孔明が活躍する三国時代でした。
半島では北の高句麗が強大で拡大中であり、百済と国境争いを続けている最中です。
高句麗に比べればいささか国力に劣る百済の王は周辺国と友好関係を深めてこの争いを有利にしたい気持ちがあったでしょう。
すぐ東隣には新羅がありこれと友好関係を結び、大陸(南朝、東晋)に使者を送りその従属国となり、日本には七支刀をはじめとした宝物を送って友好関係を結んでいます。
この頃倭国は、といえば、応神・仁徳帝の時代。
ま、古墳時代前期と言い換えてもいい。次の飛鳥時代が6世紀末~なので、文化的はまだまだ弥生時代(石器、土器、青銅器、鉄器)の空気が濃厚に残っていたと思われます。
一方、地続きで近くに華やかな中国文化がある百済の文化水準は倭国(当時の日本)と比べたらずっと高かったはず。
なのになぜ、海を隔てた後進国によしみを結ぶ必要があったのか。
軍事同盟に関しては、相手の文化の程度は関係ないのでしょう。
古代中国においても、漢が対匈奴戦略として西方の遊牧民族国家と外交を結んで挟撃を図り、張騫を西域に向かわせています。
倭国は後進国とはいえ、国土は百済よりも広く国力(兵力や経済力)があったので、敵にするより味方にしておいた方が国益にかなったのでしょう。
本当かうそかわかりませんが、この時代よりも前に神功皇后による半島侵略(三韓征伐)が行われています。
古代日本は当時の中華圏からすればまさに東夷、蛮夷の国だったんでしょうね
七支刀を送った近肖古王はなかなかのやり手で、近隣外交を成功させ高句麗との争いを有利に進め、なんと敵の高句麗王を戦死させています。
残念ながら、展示にはこの近肖古王のことはあまり触れられていませんが、12代後の武寧王を紹介しています。
武寧王は別名、嶋君とも呼ばれ、なんと生まれが日本近海の島。佐賀の呼子から船で20分ほどしたところにある「加唐島」らしいのです。
その紹介はパネルで紹介されています。国博研究員が実際にその島に行って調べている様子も記載。現地の言い伝えを拾っています。実地調査、フィールドワークというのは大事ですねえ。なかなか興味深いです。
武寧王生誕地にまつわる資料
近肖古王の頃は敵国の王を討ち取るなど、百済もがんばっていたのですが、その後高句麗の好太王、(好太王碑=広開土王碑で有名)その子の長寿王の時代に押されて首都の漢城(今のソウル付近)を失い、熊津(今の韓国公州市付近)に遷都を余儀なくされ凋落の一途でした。
この武寧王は混乱していた百済に外交手腕で安定時代を築いて中興させた王として記録されています。
武寧王の墓誌石(韓国の国宝)
武寧王の棺は日本でしか取れないコウヤマキ(高野槙)を使っていたそうです。(by Wiki)
生まれも、そしてその死に際しても、この王様は倭国(日本)とのつながりを愛してやまなかったのかもしれません。
百済、新羅、そして唐といえば。
そう、白村江の戦いですね(そうなのか?)
近肖古王、武寧王と、百済と倭国(日本)との結びつきは非常に強く、たとえ落ち目であっても頼られた倭国は百済を支援し続けました。
大和朝廷は義理堅かったんですねえ。
もしかしたら、半島における利権が絡んでいたのかもしれません。
しかし、ついに660年、百済は滅亡します。
この頃の半島情勢は、半島南東部の新羅(首都は金城、今の慶州(キョンジュ))が急激に勢いをつけてました。
北の高句麗は相次ぐ外寇(隋の煬帝による高句麗遠征)により疲弊してました。一方の隋は無理な外征などが祟って滅亡。代わって唐が建国。
高句麗では新羅勃興の危機感と、大陸側では唐が隋を倒して国を統一したことへの危機感があり、百済と同盟。
新羅は唐の傘下に入って対抗。
660年、唐と新羅連合軍は百済を滅亡させます。
その3年後、百済の遺臣と倭国の連合軍が百済復興を目指して進軍、白村江で唐・新羅連合軍とぶつかります。
そのときの水軍の配置図が漫画絵で示されていますが、典型的な包囲殲滅戦。
また日本書紀によると倭国・百済連合軍がとった作戦は「我等先を争はば、敵自づから退くべし」というもの。をいをい。
つい60年位前の日本の軍人さんが「神風がー」とか「神国が負けるはずねー」とか叫んでいたのと変わらない。
昔から進歩のなかった日本の軍人さんでした。
白村江の戦いで、「負けるべくして」大敗を喫した倭国は大いに狼狽、慌てふためきます。
そして、急ピッチで西国に防衛拠点を築かせるのです。
それが、水城であり、大野城であり、鞠智城なんですね。
大野城のコーナー
大宰府政庁が製造を管理した鬼瓦。政庁跡、大野城跡、水城跡で発見されたものが展示されている。全部同じ様なデザイン。
水城のジオラマ
当時の兵士イメージ
この頃の倭国には金(経済力)があったのか、中央集権の強さが際立っていたのか。
どれをとっても大変な大事業ですが、短期間のうちにこれらを準備しました。
その効果は不明ですが、有り余るパワーがあったことだけは確かのようです。
百済が、後進国とはいえ倭国とよしみを結んだほうがいい、と判断したのもうなずけます。
敵国唐の最終目標が高句麗であったことや、それに従った新羅も海を渡って倭国に侵攻するという戦略は微塵もなかったことについて、これらの情報を当時の倭国が収集したかどうか。そんな風に見えませぬ。
わかっていれば無駄な事業をする必要なかったのにねえ。ポーズは必要だったのかもしれませんが。
まぁ、おかげで後世の人にはそれらを掘り返す楽しみが増えるのでいいのですけどね。
2014年は水城が、2015年は大野城、基肄城が出来て1350年だそうです。ってことは出来たのはそれぞれ664年と665年。
白村江敗戦後1~2年でこれらの巨大構築物を作ったのかよ!どれだけあわててたか、想像に余りある。
残念ながら、兵站基地として築かれた我らが鞠智城は築城年が未だ不明です。
4世紀の近肖古王が七支刀、七子鏡を倭国に送ってから続いた百済との交流(イベント)がパネルにまとめられています。
百済と古代日本の文化的なつながりは濃いものでした。
二つの国に共通するのは仏教を厚く保護していたこと。
展示には百済と倭国の仏舎利容器があります。細工の違いはありますが形式は同じです。
百済のものは韓国宝物で、倭国のものは法隆寺五重塔の地下から見つかったものの再現文化財です。
韓国の国宝、仏舎利容器。初の国外展示です。シンプルな美しさがあります。
法隆寺五重塔の地下からみつかった仏舎利容器の再現品。細かな細工が美しいです。
倭国の技術もここまで来たか、というくらいの進歩を感じます。これも百済との交流があったらばこそ、なのです。
また、日本最古の寺院といわれる飛鳥寺(法興寺)は近年見つかった百済の時代に建てられた王興寺という寺のデザイン(配置)が似ているそうです。
百済から技術者を呼んで建てられた、という記録もあるので同じ技術者、もしくは弟子、が飛鳥寺をデザインしたのは想像に難くないですね。
展示では石炭石に金を巻いたネックレスが印象的でした。
石炭も時代にっては宝石と同じ価値があったのでしょうか。構造が違いますがダイヤモンドと元素は一緒。
でも、この時代の人がそれを知っていたとは思えませぬ。
もしくは、魔力とか謎の力が宿っていると信じられていたのでしょうか。
仏教は仏像とともに伝播したともいわれます。
特に朝鮮半島では菩薩半跏像が流行になっていたようです。日本にもその影響があります。
この菩薩半跏像は美しいですねえ。
三国時代(7世紀)百済のもの、と言う表示がありました。国立博物館所蔵になってます。調べてみると、小倉コレクション、なるものあり。
・・・いずれは韓国、朝鮮半島に返還すべきものなんでしょうねえ。
昔50円切手にあった仏像が、菩薩半跏像でした。(奈良、中宮寺のもの)
百済関連の展示はここまでです。
いやー、数は少なかったけど見ごたえ十分。古代の日本を考える上でとても貴重な資料、文物でした。
鞠智城はうちの近所でよく通って憩いにしている場所ですし、大宰府にしても然り、です。
また、百済という国にはなぜか不思議と昔っから思い入れがあります。
故国の、古代日本に寄せる想いに同情しているのか、その盛衰にもののあわれを誘うのか、我ながら良くわかりません。
今回の展示は自分にとっては、どストライクな内容でした。
良い年の始まりを迎えることができました。
七支刀が展示されたら、そのとき日本に居れば、もう一回見に行こうかな。
実は特別展はここでおしまいではありません。
同時開催で、
『発掘された日本列島展20周年記念 日本発掘展 - 発掘された日本列島2014 - 』
と言うものがあります。展示の会場は百済展の隣。すぐ続きの間でやっています。
これに関して、非常に心に刺さった展示があったので、項を変えてご紹介します。
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写真は
「九州国立博物館」
ご覧のスポンサーからの提供でお送りいたしております。
(*転載とかしないでね。)
特別展『古代日本と百済の交流 - 大宰府・飛鳥そして公州・扶餘 -』
九州国立博物館で2015年3月1日まで絶賛開催中!
ぜひ、お見逃しなく。
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