10月になりました。恒例のTOP画像更新しています。
本文でも取り上げましたが、番所の風景です。
棚田は日本の原風景とよく言われますが、アジアでは良く見られる風景です。
決して日本だけのものではありません。
また、今では広大な平野が有名な穀倉地帯になっていますが、灌漑設備が整っているからこその穀倉地帯です。
近代以前の昔、江戸時代やそれよりも前は広大な平野部はただの平原や荒野としてしか存在できず、お米を作れるのはこういった山間部やそれにはさまれる平野部、水の手が取れる丘陵地でした。
江戸時代以降用水路が整備されてようやく平野部にも水が行き渡るようになったのです。
用水路の無い時代、棚田は最も効率の良い耕作地開発の手法だったのです。
こうして米の産地は山から平野へと広がって行きました。
戦国時代の風景を想像し展開を考える上で、今の風景を元にしているとしっくり来ないことがあります。
食料供給源は平野部よりも山間部のウェイトが高い、と気がついたのはごく最近のことです。
0 件のコメント :
コメントを投稿