2015年4月23日木曜日

陝西的歴史 (漢)

考えてみたら、来週からGWなんですねえ。なんにも考えていなかった。
ここ数日天気が良く、日中は暖かさを通り越して暑くなっています。でも朝晩はまだ寒いです。会社の躑躅も結構な数が咲いて、きれいになってきました。



さて閑話休題。



秦の時代は長くは続かず、強権的で急進的な始皇帝と李斯による改革は、反発を受けます。始皇帝が生きている間は表に出てきても大事になりませんでしたが、始皇帝の死後、各地で大規模な農民反乱が発生。先にも書いたように、地方役人だった劉邦が犯罪者を護送中、驪山で犯罪者と供にヤッテランネーヨとばかりに逃亡します。流浪した劉邦ですが、彼の類まれなる包容力は人気を集めます。戦には負け続け、項羽に追われて西安の南方、山の向こうにある漢中に左遷されたりして(これが漢という国名の起源)散々ですが、最後の戦い「垓下の戦い」で勝って、秦に変わる統一国家、漢を建てます。



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(2015.4.11 象牙算木(西漢=前漢 紀元前206年~紀元8年) byNEX5N E 18-55mm 20mm F 4.0 ISO3200 1/60)



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(2015.4.11 金餅(西漢=前漢 紀元前206年~紀元8年) byNEX5N E 18-55mm 20mm F 4.0 ISO1250 1/60)



219枚の金餅。1枚が227.6~254.4gあって、総重量54kgほどあります。1枚1枚に文字や符号など刻印されています。通貨としての流通はなく、恩賞や贈呈品献上品として用いられた、と解説にかいてあります。





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(2015.4.11 金怪獣(漢 紀元前206年~紀元220年) byNEX5N E 18-55mm 46mm F 5.0 ISO2000 1/80)
匈奴は漢の北方にいた騎馬民族でした。時折、漢の領地を攻めて略奪行為に及んだため、漢の7代目皇帝、武帝が大規模な外征を行い、衛青とその甥の霍去病を登用して匈奴との戦いを勝ち進めます。漢は武帝の時代に西域を手に入れ、最大版図を築くのです。
上の金怪獣は匈奴の墓から出土したものです。
武帝に攻められ衰退する前の匈奴の貴族の墓だったのでしょうか?
(ネットで調べてみると匈奴の武将の帽子の上についていた飾りだったようです)
たてがみが豪勢な感じにデザインされた馬、のように見えます。





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(2015.4.11 文字瓦当(漢 紀元前206年~紀元220年) byNEX5N E 18-55mm 18mm F 3.5 ISO3200 1/50)



戦国時代に現れた瓦当ははじめ半円形だったようです。これが秦、漢の時代に円形の瓦当に変わっていきました。デザインも、半円形のころは動物や樹木の文様が主でしたが、円形の時代になると、4分割して吉祥を表す文字をデザインしたものが多くなったそうです。



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(2015.4.11 三国鼎立形勢図(三国) byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO1600 1/60)



漢のコーナーの最後は三国時代。いわゆる三国志の世界ですが、ほんのわずかしか展示がありません。



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(2015.4.11 銅馬刺(三国蜀 221~263年) byNEX5N E 18-55mm 18mm F 3.5 ISO3200 1/20)



上は漢中に程近い、定軍山で見つかったいわゆるマキビシ、です。馬刺と書いてあるから熊本産。。。おれは「馬刺し」かっ!



定軍山といえば、



「遺体は漢中の定軍山に埋めよ」



諸葛孔明が遺言で定めた自らの死に場所。
身は滅び、魂魄になってもこの地で魏軍を食い止めますぞ、という死してもなお故主劉備に向けた忠心に、子供心に身もだえするほど感動した覚えがあります。

















2015年4月22日水曜日

陝西的歴史 (秦)

陝西省の省都、西安。
その昔は長安という呼び名でしたが、長安が出来る前にその近郊には別の都市がありました。
最初は西周の都としての豊邑。
その後、周が商を滅ぼして後に、都に定めた対岸の街、鎬京。
鎬京はその後、周の内乱により破壊され周王は都をそれまでの副都だった洛邑に移します。(今の洛陽)
秦の時代、鎬京だった場所の西に咸陽が作られ秦の都として栄えました。
秦が滅ぼされると、漢の高祖劉邦は咸陽の東に長安を建設し、都としたのです。



さてその秦。



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(2015.4.11 秦の版図 byNEX5N E 18-55mm 20mm F 4.0 ISO1600 1/60)



周は諸侯の力が強く、周王の統制力は長く続きませんでした。本来ならば王を名乗ってよいのは周の君主だけでしたが、周代の後半になると諸侯は自ら王を名乗り始めます。この時代を戦国時代と呼びます。



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(2015.4.11 鳥蓋瓠壷 (戦国) byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO1250 1/60)



戦国時代の壷です。デザインが凝っていますね。





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(2015.4.11 青銅竜 (戦国 秦 紀元前475年~221年) byNEX5N E 18-55mm 20mm F 4.0 ISO1600 1/60)



この青銅製の竜も、どこかで見たぞ。。。そうだm大宰府で見た気がします。
ようやく思い出しました。2年前に国博で展示していた、「中国 王朝の至宝」展で見たんです。
キーワードは「三星堆」

またこんなところで会えるなんてねえ(嬉♪



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(2015.4.11 半両銭 (秦代 紀元前221年~207年) byNEX5N E 18-55mm 20mm F 4.0 ISO2000 1/60)



戦国時代に終止符を打ち、長い分裂の時代に統一の風を吹き込んだのは西の後進国、秦でした。後進国ではありましたが、であるがゆえに新しい考え方に柔軟で、合理的で、国内外にとらわれない有為の人材の登用に積極的でした。やがて、法家思想による合理的な国づくりを行い瞬く間に強大な国へと成長します。
秦では始皇帝が有名ですが、彼の曽祖父の「昭襄王」、昭襄王の祖父の「孝公」が秦という国を作り上げていったキーパーソンです。
始皇帝は統一後、法家の家臣李斯と共に、さまざまな改革を進めます。
上の写真は貨幣の統一をめざし作られた半両銭です。それまで戦国時代の各国はおのおのが独自の通貨を持っていたのです。





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(2015.4.11 文字の統一 (秦代 紀元前221年~207年) byNEX5N E 18-55mm 20mm F 3.5 ISO3200 1/30)



統一したのは貨幣だけではなく、度量衡(長さ・重さ・容積)、馬車の車幅(ワダチ幅)など多岐にわたります。そして上の写真は文字フォントの統一。いわゆる「篆書体」に統一させたのです。
馬と言う文字は、秦が統一しなかったら、全く違う文字になっていたかもしれません。



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(2015.4.11 杜虎符 (秦代 紀元前337年~325年) byNEX5N E 18-55mm 20mm F 4.0 ISO800 1/60)



上の写真は「虎符」という兵権の印です。杜という県で使われていたので「杜虎符」
始皇帝は中央集権をすすめ、全国に郡に分け、さらに郡の下に県を置き、地方支配の細分化を図りました。地方における兵の分担は県単位で行われ、上のような青銅製の割符によって兵権を制御しました。
これを使用するときは左右に分けて、片方を王が持ち、片方を将軍が持つようにして、一定の人数以上の兵を動かすときは、王の持つ割符と将軍が持つ割符を合わせる必要があったのです。



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(2015.4.11 杜虎符 (戦国 秦 紀元前337年~325年) byNEX5N E 18-55mm 20mm F 4.0 ISO800 1/60 (拡大))



彫られた文字はこうです。
「兵甲之符、右在君、左在杜、凡興士被甲、用兵五十人以上、必会君符、乃敢行之、幡墜之事、難母会符、行殿也」



(この虎符(兵符)は右半分を君(王)が、左半分を県が各々保持する。およそ発兵する際、兵士数が五十人以上に及ぶ場合は必ず君(王)符と符合させ、然る後に発兵させなければならない。但し、敵の来攻があるような緊急事態の場合は、君(王)符と符合させないでも発兵してよい、という内容)

























2015年4月21日火曜日

スマホの買い替え候補

シーアン記事が続いていますが、ちょっと別ネタ。


ちょっと前に、4年目を迎えるauスマホの買い替え検討中、と書きました。
今週月曜日に、台湾ASUS(エイスース)が新型Simロックフリースマホ「Zenfone2」の日本バージョンを発表しました。


我らがAmazonでもすでに掲載されてます。




台湾(もしくは世界)で販売されているタイプは多岐にわたるようですが、日本では3タイプの発売となりました。


•ZE551ML-xx32:メモリ2GB, Z3560 1.83GHz, ストレージ32GBモデル(3万5800円)
•ZE551ML-xx32S4:メモリ4GB, Z3580 2.33GHz ストレージ32GBモデル(4万5800円)
•ZE551ML-xx64S4:メモリ4GB, Z3580 2.33GHz ストレージ64GBモデル(5万800円)


xxのところはカラー名が入る。赤ならRD、黒ならBKのように。色は4色。赤、黒、灰、金。


ASUSスマホは、前機種にあたる「Zenfone5」(今でも発売中)が非常にコスパの高い機種として人気があったようで、今回の新機種にもかなり期待が高まっていたようです。
ただ、事前の予想に比べると絶対的な価格は高めの設定になっています。


発表されただけで、上記のうち上から2機種の販売開始日は5月16日です。
Amazonでは注文はできますが、商品到着までは一ヶ月ほど待たなくてはいけません。
他のサイト(ASUSの直営サイトなど)でも予約注文受付中となっています。
3番目の最上位機種、メモリ64GBバージョンは発売日未定です。


今使っているIS12SHはRAMが512MB(しかも、アプリが使える領域は300MBくらいしかなく、常時空き容量は40~70MB程度で掃除しないと、動作が重くなる)なので、RAMは2GBもあれば御の字です。
持っているAndroidタブレットのNEXUS7もRAMは2GBありますが、常時1GB程度の空きがあるので重くなることは全くありません。
RAMが4GBもあったらどんな風になるんでしょう。


買うとしたら、2GB版で良いかなー
あとは、MVNO各社とのタイアップキャンペーンの可能性があるのでその状況次第です。

2015年4月20日月曜日

陝西的歴史 (新石器時代~周)

(文中、1元=20円で計算しています)



シャンシー デ リーシー、と言うのかな。
ピンマーヨウから西安駅に戻ってきて、次の目的地の陝西歴史博物館に向かいました。
駅前でタクシーを拾おうとしたのですが、運ちゃんが全く取り合ってくれず。乗車拒否かよ~(苦笑)
仕方ないので、バスで向かいました。(2元=40円)
バスの中では老人とか子供が乗ってくると若い人は積極的に席を譲ってました。中国では北京でも、上海でもこういう風景はよく見かけます。こういう事が普通にできるってすばらしいです。でも地下鉄では降りてくる人を優先にしようよ(苦笑



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(2015.4.11 陝西歴史博物館 byNEX5N E 18-55mm 18mm F 10 ISO100 1/100)



バスの窓から高い塔が見えました。これは大雁塔(ダーエンタオ)という唐の高僧、玄奘三蔵ゆかりの塔なのでした。観光名所になっています。写真撮り忘れました。
自分はこの大雁塔というバス停で降車。そこから歩いてすぐ博物館に到着。でも、何か長蛇の列が、、、15:時過ぎでこの列はないやろー、、、(閉館は17:30)
実はこの歴史博物館、中国の人は「無料」なんです。中国でもすっごい有名な博物館(日本で言えば有名国立博物館クラス、たとえば京都国立博物館くらい。)ですが、それがタダって、なんて中国政府は太っ腹なんだろう。
話を元に戻して、長蛇の列は中国人の方々でした。無料なのですが、整理券のようなものを配っているカウンターがあり、そこに並んでいるのでした。まぁ、確かにただだからむやみやたらと入館させると大変なことになっちゃうんでしょうね。



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(2015.4.11 陝西歴史博物館チケット byNEX5N E 18-55mm 22mm F 13 ISO100 1/160)



無料整理券を配っているカウンターの隣で、20元(400円)払ってチケットをゲット。全く誰も並んでいないのですぐ入手できました。



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(2015.4.11 入り口の挨拶文 byNEX5N E 18-55mm 21mm F 7.1 ISO100 1/80)





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(2015.4.11 案内板 byNEX5N E 18-55mm 19mm F 6.3 ISO100 1/80)



建物は2階建てで、まっすぐ進むと展示の部屋になります。左から入っていくのですが、上の写真の緑色部分がAで先史時代から周代までを扱っています。
次が秦代で青色部分のBの部屋。



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(2015.4.11 案内板 byNEX5N E 18-55mm 19mm F 5.0 ISO100 1/60)



そこから2階に上がって薄緑色のCが漢代、水色のDが隋唐代、Eが唐代以降となっています。



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(2015.4.11 音声ガイド受付 byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO640 1/60)



建物に入って右手には音声ガイドの受付カウンターがあります。日本語の音声ガイドもあり、私は借りました。1台30元(600円)ですが、デポジット100元必要です。このお金は音声ガイド返却時に返金されます。



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正面には獅子像がにらみを効かせています。武則天の母、楊氏の陵墓から出土したものらしいです。



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(2015.4.11 入口 byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO2000 1/60)



さぁ、歴史の扉を開かん!



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(2015.4.11 新石器時代の陶器と符号 byNEX5N E 18-55mm 18mm F 3.5 ISO3200 1/50)



黄河流域にあった新石器時代の文化を仰韶文化と呼びますが、西安の近くにその時代に繁栄した環濠集落の遺跡が見つかりました。これを半坡遺跡といいます。この遺跡から上の写真のような陶器と陶器につけられた符号が発見されています。



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(2015.4.11 何かの符号(新石器時代) byNEX5N E 18-55mm 18mm F 3.5 ISO3200 1/60)



この符号はまだ甲骨文字が成立するはるか以前のもので、単なる紋様、という説や文字の起源、と言う説があり論争中だそうです。
甲骨文字といえば、商王朝の高宗武丁。宮城谷昌光の 『沈黙の王』です。



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(2015.4.11 卜骨(先周) byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO1250 1/60)



先周と書いてますが、周の起源は西安よりもさらに西方です。
中原では夏の後に商王朝(殷、と言ったほうがなじみがあるかも)が成立します。
先の商の高宗武丁の曾孫の代に武乙という無道な王が立ちます。恐らくこの頃に周の古公亶父が周の街を周原と呼ばれる岐山のふもとに移します。このときから周王朝が成立するまでを先周、と呼びます。



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(2015.4.11 甲骨文にある周の文字 byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO2500 1/60)



甲骨文字は占いで使用されているものが多く発見されています。
商は中原の強国ですが、はるか西方の周原に移動してきた周とも親交がありました。
周、という国(文字)の名前の由来は土地に起因しているようです。中国語読めねー(泣



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(2015.4.11 陶袋足鬲(先周) byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO3200 1/60)



面白い足の土器。



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(2015.4.11 它盉(タヘ)/水器(西周) byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO2500 1/60)



水器とは、呼んで字のごとく水の入れ物です。青銅製で細工が精巧になってきています。
時代は西周です。



先述の古公亶父の息子の季歴は非常に徳のある人物で商王に仕えていましたが、商王武乙の子の文武丁に監禁されて餓死するという一大事件が起こります。季歴の息子西伯昌は、父を殺された後も商王に仕え、周の街を周原から中原に近い豊邑(西安の近く)に移して国を豊かにします。
商の文武丁の孫が帝辛で、またの名を紂王と言います。彼は初めのころは名君だったらしいのですが、晩年には暴君になります。西伯昌は息子を讒言によって紂王によって煮殺され、その肉を食べさせられた、と史書にあります。
それでもなお、西伯昌は商王に仕えつづけ、国許においては仁政を行います。晩年には太公望を軍師に迎え、領土を広げます。
西伯昌は商の臣下のまま亡くなりますが、その子の武王が牧野の戦いで商軍70万に対し40万の兵で決戦に及び、これを破って商を滅ぼします。
こうして西周(日本でも西周と呼ぶ)が成立します。(都は鎬京、先の豊邑の対岸)



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(2015.4.11 牛尊/盛酒器(西周中期) byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO1600 1/60)



この、ベーしている牛尊、たしか大宰府で見たことがあるような気がします。
牛の上にはねずみが乗っていますね。お約束です。






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(2015.4.11 梁其壷(西周晩期) byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO2500 1/60)









周はここまで。周といってもその後東方の洛陽に都を移して以降、東周と呼ばれますが周王の力は衰えで諸侯の力が強くなります。いわゆる春秋・戦国時代です。
西安付近では、秦が力を蓄えていました。







2015年4月19日日曜日

ピンマーヨウ

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赤矢印:西安駅からのバスの乗降場所。
黄色矢印:チケット売り場
緑矢印:兵馬俑の入り口



(文中、1元=20円で計算しています。)



西安駅からバスで揺られて進むこと約1時間でピンマーヨウ(兵馬俑)に到着。出発するとき、バスはほぼ満席でしたが、途中のホワチンチー(華清池)で乗客の8割くらいが降りていきました。ちなみに、ホワチンチーは唐の玄宗時代にヤングイフェイ(楊貴妃)が湯浴みした場所、です。当時は温泉が湧き出ていて、玄宗が楊貴妃のために離宮を造営したらしいです。



楊貴妃にはあまり関心が無い自分は素通り。



兵馬俑と言う言葉そのものは、死者を埋葬する際に一緒に埋めた兵士や馬の土人形のこと。秦の始皇帝の陵には膨大な数の兵馬俑が埋められていて、歴史書にも載っていたものの、存在は疑問視されていたらしいです。しかし、41年前の1974年。住民が井戸を掘っていて発見した陶器のかけらがきっかけとなり、8000体の陶製兵馬俑発見につながったそうです。



バスが到着した道路から公園のようなところに入ってまっすぐ進むと、怪しい兄ちゃんに100%声をかけられます。(とおもいます。) こういった手合いは中国に限らず多いのですが、しつこくされても軽く笑顔でスルー、が基本です。



まっすぐ進み、駐車場やみやげ物売り場の先にチケット売り場があります。



チケット(150元=3000円!高い。)を買いゲートを抜けると、



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(2015.4.11 案内板 byNEX5N E 18-55mm 18mm F 13 ISO100 1/200)



上のような案内板がありましたが、そこは公園でした。案内板の左下の入り口付近。そこからさらに、てくてくと歩きます



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(2015.4.11 兵馬俑までの公園 byNEX5N E 18-55mm 21mm F 9.0 ISO100 1/100)



公園内は静かな感じ。春ですね。



 



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(2015.4.11 兵馬俑ゲート byNEX5N E 18-55mm 22mm F 13 ISO100 1/160)



公園の先に本当のゲートがあります(笑



 



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(2015.4.11 1号坑前 byNEX5N E 18-55mm 24mm F 11 ISO100 1/100)



ゲートを抜けると正面には1号坑。ぱっと見どこかの体育館風。



 



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(2015.4.11 1号坑入り口 byNEX5N E 18-55mm 24mm F 11 ISO100 1/100)



1号坑の入り口です。ここから中に入ると。



バーン!



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(2015.4.11 1号坑01 byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO200 1/60)



でっかい体育館(苦笑 に精巧な埴輪(違う)の軍団が朝礼中(もっと違う)。





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(2015.4.11 1号坑02 byNEX5N E 18-55mm 55mm F 5.6 ISO500 1/100)



今まで博物館でのレプリカとか、写真でしか見たことがありませんでした。



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(2015.4.11 1号坑03 byNEX5N E 18-55mm 55mm F 5.6 ISO640 1/100)



実物を見ると、ちょっと鳥肌が立ってきます。



 



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(2015.4.11 1号坑04 byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO1250 1/60)



自分以外の観客は、ほとんど中国人の方々。



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(2015.4.11 1号坑05 byNEX5N E 18-55mm 24mm F 4.0 ISO800 1/60)



来た時期が良かったのか、恐らく観客は少ないほうかとおもいます。
土曜日ですが長期休みの時期ではないので。



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(2015.4.11 1号坑06 byNEX5N E 18-55mm 55mm F 5.6 ISO800 1/100)



体育館の奥のほうはまだ修復が終わっていない、掘られたままの姿です。



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(2015.4.11 1号坑07 byNEX5N E 18-55mm 55mm F 5.6 ISO1250 1/100)



体育館 一号坑の奥のほうでは修復中のものがおいてありました。





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(2015.4.11 1号坑08 byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.5 ISO100 1/60)



1号坑の発掘作業はまだ完全に終わっておらず作業継続中、と書いてあります。



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(2015.4.11 1号坑09 byNEX5N E 18-55mm 55mm F 5.6 ISO100 1/100)



上の写真の右側が入り口です。方角は東になります。兵馬俑の兵士たちはみな東向きに並べられているわけです。これは秦と言う国が中国の西方から興った国、という経緯が関係しています。



ちなみにここには写っていませんが、写真の手前右には下のような看板があります。



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(2015.4.11 1号坑10 byNEX5N E 18-55mm 55mm F 5.6 ISO2000 1/100)



写真撮った後に気づいたので、看板の全体が取れませんでしたが、この場所が地元の農夫が井戸を掘った地点、つまりこの兵馬俑発見のきっかけの場所ということになります。



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(2015.4.11 2号坑前 byNEX5N E 18-55mm 18mm F 13 ISO100 1/250)



一号坑の向かって右隣に2号坑があります。一号坑より少し小さいかな。でも建物は体育館ではなく立派な感じ。



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(2015.4.11 2号坑の壁 byNEX5N E 18-55mm 19mm F 13 ISO100 1/200)



良く見ると壁の上には兵馬俑の顔が並んでます。気持ち悪い(苦笑



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(2015.4.11 2号坑入り口 byNEX5N E 18-55mm 19mm F 11 ISO100 1/100)



1号坑は体育館風でいかにもな感じですが、2号坑はちょっと垢抜けた、観光目当てっぽい感じ。自分は体育館のほうが好きです(グハッ



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(2015.4.11 2号坑01 byNEX5N E 18-55mm 21mm F 4 ISO2000 1/60)



建物がしっかりしているせいで、外光がほとんど入ってきません。薄暗いのでカメラも感度が上がり気味です。もちろんフラッシュ禁止です。保存にはこちらのほうが良いんでしょうねえ。



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(2015.4.11 2号坑02 byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO3200 1/60)



まだ、「掘られたまま」感が強く残る2号坑。



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(2015.4.11 2号坑03 byNEX5N E 18-55mm 55mm F 5.6 ISO3200 1/50)





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(2015.4.11 2号坑04 byNEX5N E 18-55mm 55mm F 5.6 ISO3200 1/25)





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(2015.4.11 2号坑05 byNEX5N E 18-55mm 18mm F 3.5 ISO3200 1/50)



実は兵馬俑には彩色が施されていたようです。今まで知りませんでした。今回兵馬俑に来て2番目の驚きでした。



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(2015.4.11 2号坑06 byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO320 1/60)



窓には銅馬車をかたどったデザインがされています。ヘンハオ!ベリーグーです。



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(2015.4.11 3号坑前 byNEX5N E 18-55mm 18mm F 11 ISO100 1/100)



3号坑は2号坑の裏にあります。広さは最も小さく2号坑の1/4もないです。



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(2015.4.11 3号坑入り口 byNEX5N E 18-55mm 18mm F 9.0 ISO100 1/100)





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(2015.4.11 3号坑01 byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO2500 1/60)



広くはありませんが、発掘は進んでいるようです。



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(2015.4.11 3号坑02 byNEX5N E 18-55mm 19mm F 4.0 ISO2500 1/60)



とはいえ、まだ未完。



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(2015.4.11 3号坑03 byNEX5N E 18-55mm 55mm F 5.6 ISO3200 1/40)



右手には槍を持っていたんじゃないでしょうかね。歩兵部隊、とおもいます。



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(2015.4.11 3号坑04 byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO2500 1/60)



馬の後ろにいるのは御者です。ちなみに、昔の中国、春秋戦国時代は戦車といえばこの馬車でした。戦車万乗の国は天子(その時代で言えば周)、千乗の国は諸侯というようないわれ方をしました。



論語に曰く、「子曰、道千乗之国、敬事而信、節用而愛人、使民以時。」



(子曰く、千乗の国を導むるには、事を敬んで(つつしんで)信あり(まことあり)、用を節して人を愛し、民を使うに時を以ってす。)



安倍クンは絶対わからないだろうな。



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(2015.4.11 隊列庁 byNEX5N E 18-55mm 18mm F 13 ISO100 1/160)



ここまでは遺跡でしたが、この建物は博物館的な建物です。が、時間がなかったのでスルーしました。実はこの中に銅馬車があったのでしたー。見逃した~。



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(2015.4.11 兵馬俑ゆるキャラ? byNEX5N E 18-55mm 18mm F 6.3 ISO100 1/80)



兵馬俑のお土産やさんにあったゆるキャラ風ポップ。愛称をなんというのか知りませんが、このゆるキャラデザインのキーホルダーとか結構売ってました。自分は買いませんでしたが、中国人の若い人は買ってましたねえ。日本のゆるキャラ文化が中国にも伝播したんかなあ。
世界的に「かわいいに理(利)あり」なのかもしれません(w



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(2015.4.11 驪山 byNEX5N E 18-55mm 18mm F 13 ISO100 1/200)



南のほうにある山を写しました。驪山の山塊です。
史記にこんな記述があります。



「高祖以亭長、為県送徒驪山。徒多道亡。自度、比至皆亡之。」



(高祖は亭長だったので、県の命令で労役に服している囚人たちを驪山に送ることになった。囚人たちは多くが途中で脱走した。)
このあと、いずれ驪山に着くまでにすべて逃げてしまうだろうと考えた高祖はすべての囚人を解き放って、俺も逃げるよ、といいます。漢の高祖はここから流浪の生活に入るのでした。



高祖とは秦を滅ぼし、項羽との戦いを制して、漢を起こした劉邦のことです。





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(2015.4.11 土産店街 byNEX5N E 18-55mm 18mm F 10 ISO100 1/100)



出口からでて、また公園の中を歩くのですが、公園から出ると長いお土産やさんロードが続きます。なんちゅう観光地デザインなんじゃ。



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(2015.4.11 土産店 byNEX5N E 18-55mm 18mm F 9.0 ISO100 1/100)



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(2015.4.11 Dicos byNEX5N E 18-55mm 18mm F 9.0 ISO100 1/100)



飲食店もあります。これは中国ではよく見かけるハンバーガーショップのDicosです。
あと、マックとKFCもありました。



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(2015.4.11 西安駅 byNEX5N E 18-55mm 18mm F 11 ISO100 1/100)



ようやく戻りました。帰りは7元でした。。。(140円、安い!)



朝の9時過ぎにバスに乗り、10時過ぎに兵馬俑に到着。11時頃から1号坑をスタート。13時頃に兵馬俑を出て、13時半頃西安に戻る馬車じゃない、バスに乗りました。西安駅に着いたのは14時半ごろです。2時間ではあまりにも時間が足りませんね。けっこう駆け足で見たのですが、隊列庁はほとんど見れなかったです。もっと早く出発してれば良かった。



このあと次の目的地である陝西歴史博物館(シャンシー リーシー ボーウークァン)に向かいます。