全集5巻後半は長編1篇のみです。題名は「春の嵐」 関東への小旅行があるので、まだ途中までしか読んでいません。
天明元年(1781年)の年の暮れ、何者かが、秋山大治郎を名乗り頭巾をかぶり、殺害事件を繰り返します。最初の事件は辻斬りのような状況。
殺害されたのは800石取りの旗本井上主計助。大治郎にも全く関係性なく。
なぜかその家来も殺され、小物の中間の男のみ生き残ります。
その中間の男も、金王八幡の付近で、殺害者に似た男を見つけ、おそらく後をつけて、その後死体になってみつかります。
この中間が死ぬ間際、「こん、こん」と言いかけて絶命。状況を四谷の弥七に聞いた、小兵衛は、それは渋谷の金王八幡のことではないか、と気づく。
これを聞いた、傘屋の徳次郎は何か金王八幡で張り込みを開始。正月三が日も関係なく、張り込みは続きます。
この間同時並行で、杉本又太郎が自殺志願の男を救います。(この男、芳次郎といって、菓子店の不二屋太兵衛の息子)
2件目は、大晦日、秋山親子の後援者であり、秋山大治郎の妻三冬の父、いわば舅の田沼意次の屋敷の門前で事件が起こります。
殺されたのは門番の男三井吾助。
と前回ここまで書きました
またしても、秋山大治郎と名乗る頭巾の曲者。
当の秋山大治郎は取り知らべを受けるものの、身元ははっきりしており、時にアリバイもしっかりしていたため、町奉行所では実行犯は秋山大治郎本人ではないと観ています。
しかし、3件目は松平定信の家来伊藤助之進と浜田浜四郎が秋山大治郎を名乗る頭巾の男に松平家の門前の越中橋で襲われ伊藤が死ぬ。
このあたりから、やや政治臭が匂ってくるのですが、多少歴史を知っている人は知っていますが、松平定信は田沼嫌いがはなはだしい。
定信は一時期は田安家の後継者、そしていずれは第10代将軍・徳川家治の後継と目されていました。
しかし定信は田安家の3男で、白河松平家に乞われて入った養子。
さて、この時、田安家に並ぶ御三卿のひとつ、一ツ橋家の当主治済(はるさだ)が登場し、の暗躍が激しくなっていることを解説する部分があります。
一ツ橋治済は息子の一人を将軍
ストーリーに絡んでくるのでしょうか。
田安家の嫡男は病弱で、定信が白河松平家に養子に行った後、病没します。
本来なら跡取りがいなくなった田安家は断絶する運命にありますが、一ツ橋治済が養子を入れます。
無論、定信含む田安家は後継が不在となったおり、に養子の解消を願い出ますが許されなかったようです。
田安家は十数年にわたり当主不在となりました。後、一ツ橋家の養子が跡を継ぎます。話には出てきませんが、治済の5男、徳川斉匡。
こういう経緯があり一時期は将軍世子とまで言われた定信、また、病没した嫡男の母法蓮院と定信は意次を激しく憎んだようです。
秋山小兵衛の時代が田沼の時代で、かつ、小兵衛のパトロンが意次である剣客商売の時代背景から、いずれ定信とか出てくるだろうとおもってましたが、
ここにきてようやく登場してきました。ただ定信よりも、田沼意次のほうが人が一枚上手であるように見えます。
いわゆる、従来の賄賂政治と揶揄された田沼意次に対して。池波さんはそういった表面上の評価は置いといて、一定の好意的な評価をしているようです。
今回の事件では定信側が激しく、秋山大治郎の取り調べに強く運動しますが、田沼意次のほうは一歩引いて、この件にあまり介入する姿勢を見せません。
本来ならば、娘の婿と言えば義理の息子にかけられた冤罪に強く抗議するという態度を取ってもよかろうと思われるのですが、まるでこの件の黒膜、あるいは事件の実像が誰か知っているかのような。
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