(2015.4.11 各族建立政権示意図(十六国) byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO800 1/60)
三国時代の後は司馬氏が晋を建て分裂の時代を終わらせます。
晋の統一は長続きせず、北の騎馬民族、匈奴に華北を奪われて南に逃れます。
この匈奴族が建てた前趙の建国年304年から北魏が華北を統一する439年まで、十六国(日本では五胡十六国)時代と呼び、十六国以上の国が興亡を繰り返しています。
長安付近は、前趙、前秦、後秦、大夏がかわるがわる都にした、と解説がかいてあります。
正直どこがどうなっているのか、複雑すぎてよくわかりません。
(2015.4.11 五銖銭(西魏 535~556年) byNEX5N E 18-55mm 18mm F 3.5 ISO3200 1/40)
五銖、というのは漢の時代から鋳造されている貨幣です。
西魏というのは十六国時代が北魏(曹操の建てた魏とは異なる。漢族ではなく鮮卑族の拓跋氏によって建てられた)によって終焉した後に、北魏が東西に分裂してできた長安を都とする西側の国です。
(2015.4.11 騎馬俑(西魏 535~556年) byNEX5N E 18-55mm 18mm F 3.5 ISO3200 1/25)
副葬品。
北魏から分かれた西魏、その後の北周は、元は騎馬民族だった鮮卑族の国です。
馬との係わり合いが密接だったんでしょう。
(2015.4.11 騎馬武士俑(左 北魏 386~534年 右 北周 557~581年) byNEX5N E 18-55mm 18mm F 3.5 ISO3200 1/50)
こちらも恐らく副葬品。
(2015.4.11 銅鐎斗 炊具(南北朝 386~589年) byNEX5N E 18-55mm 18mm F 3.5 ISO3200 1/30)
北魏が華北を統一した以降を南北朝時代と呼んでいます。南方は東晋から宋斉梁陳の4国が興亡します。南朝文化、とか三国時代の呉や東晋を含めた六朝文化、と呼ばれるほどかつてないほどに江南方面は豊かで華やかな貴族文化が栄えます。
銅鐎斗というのは銅製の料理用鍋のこと。
(2015.4.11 獬豸(陶製一角獣 北魏 386~589年) byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO1000 1/60)
獬豸(日本語ではカイチ)とは一角獣のこと。中国では瑞獣とされて、法律・裁判との関連性が強いです。耳も長いですな。
(2015.4.11 鎏金佛菩薩三尊銅像(東魏 534~550年) byNEX5N E 18-55mm 18mm F 3.5 ISO3200 1/50)
東魏は陝西と関連がなさそうなのですが、なぜか置いてあります。
前代の北魏時代は中国史上、唐代とならぶほど仏教文化が栄えた時代です。
南北朝~唐代の仏像が多く残されています。
雲崗石窟は有名ですね。これも北魏時代に作られています。
(2015.4.11 独狐信多面体煤精組印(西魏 535~556年) byNEX5N E 18-55mm 42mm F 4.5 ISO2500 1/80)
独狐信は人の名前です。西魏の軍人だったようです。煤精は硬い石炭のことで、黒玉ともいいます。正方形の印面が18箇所、3角形の印面が8箇所あり、14箇所の正方形印面には文字が彫られています。「大司馬印」とか、「大都督印」とか、「刺史之印」など。
解説には、北朝の印璽制度研究においては貴重な資料である、と書いてありました。
(2015.4.11 独狐信多面体煤精組印(西魏 535~556年) byNEX5N E 18-55mm 42mm F 4.5 ISO400 1/80)
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