2018年4月17日火曜日

遡ると、今年2018年1月の中旬。(2018病(1))

遡ること3ヶ月、今年の1月の中旬のこと。
丁度、北東アジアに強烈な寒波が近づいていた時。よりにもよってか、毎度のように、まるで図ったかのように、私の中国への出張機会がありました。予定は、北京に2日、上海に2日、の一週間ほどの短期間の予定でした。
北京でお客さんへのトレーニング(テクニカルのレクチャー)を行った後、北京の同僚が中国語で、ミンテン、シャンハイ、ダーシユエ(だーは大、シュエは雪。)つまり明日、上海は大雪だよ、と軽ーく言われて。「え?」
北京のオフィスに戻って、翌日上海へ移動予定の飛行機の予約をキャンセル。
中国の飛行機は時間通り飛ばないのが普通ですが、飛ばないこともあります。二日後に上海のお客さんに北京で行ったものと同じようなトレーニング予定があったので、急遽、北京~上海間を鉄路、新幹線を利用することになりました。どうしても移動するなら、鉄路のほうが確実、と言う判断がりました。中国で新幹線に乗る際、中国の人ならばスマホで予約して、駅でチケットを受け取る、日本でもよくあるスタイルで利用可能なのですが、外国人の場合、やや面倒臭いんですが、北京のような大都市ならば街のあちこちに鉄道会社の代理店(エージェント)があるのでそこでチケット購入します。現地の同僚と一緒に買いに行き、チケットは無事入手しましたが、ただ、不安なのは、これまdねい中国の新幹線には一度も乗ったことがなく、システムがよく分からない。















(2018年1月24日、中国新幹線のチケット byスマホP10Plus)

その晩は現地の同僚達と美味しい水餃子をつつきながら、楽しく宴会して、迂闊にもかどこをどうしてホテルに帰ったのかさっぱり記憶がない_| ̄|○
翌朝、ホテルからタクシーで北京南駅に行き、新幹線に乗るまでは比較的順調でした。が

(2018年1月25日、北京南駅 byスマホP10Plus)

 (2018年1月25日、北京南駅 byスマホP10Plus)



 (2018年1月25日、北京南駅 byスマホP10Plus)

    (2018年1月25日、北京南駅 byスマホP10Plus)

(2018年1月25日、北京南駅 byスマホP10Plus)
 
(2018年1月25日、北京南駅ホーム中国の新幹線 byスマホP10Plus)


新幹線車内で切符を無くし、しかしこの切符は後で奇跡的に戻って来ました。
目的地の上海虹橋に近づくと車外が尋常ではない大雪になってて上海虹橋空港らしい風景が見えそろそろかなと降りた駅が間違って蘇州(スージョウ)駅に降りてしまいました。

(2018年1月25日、上海虹橋駅付近 byスマホP10Plus)


(2018年1月25日、上海蘇州付近 byスマホP10Plus)
 

(2018年1月25日、上海蘇州付近 byスマホP10Plus)


上海虹橋で降りるはずが間違って、蘇州駅で降りました。とにかく寒くて寒くて北京の日本人の同僚と電話で話している内に、上海は大雪でタクシーで蘇州から上海市内に行くのは無理。警察を呼んで近くのホテルまで行き、一晩泊って翌朝新幹線に乗り直して上海虹橋に行った方が、良い、ということになり、警察の車、バトカーに乗ってついた所がホテルと思いきや、ロビーで待つてても無人。ロビーの長椅子で横になりうとうとしていたら朝になり、上海の同僚が迎えにきた車に乗ったものの自分の様子がおかしい、ということになりそのまま病院に直行。この時点で意識はやや朦朧としてました。(あとでわかったことですが、パトカーによって運ばれた咲はホテルではなく、警察署だったことがわかり。警察署のロビーの長いすで一晩過ごしていました。

病院で簡易的に視野の範囲の確認などをされて急遽CTなどの検査するべき、と言う判断になったらしく気がついたら見知らぬ天井、
点滴や心電図に繋がれててgいわゆるICU集中治療室で寝てました。本来そこにいるはずのない日本の上司(とその上司)がいて、超絶ビビったことは憶えていますがその辺りまでかなり記憶が飛んでいます。おまけに数日の後、関東に住んでいる妹が来ていて、あーなんか大変なことになっとるなー。ということがおぼろげにわかり。
一週間程ICUにいて、通常病室に移りました。
そこの病院は医師だけではなく、看護師も日本語が通じて、一部看護師のスマホの通訳機能を使いながら医師の疎通に困ることはありませんでした。(中国の同僚の判断でその病院になりました。)
医師の説明や、上肢や下肢のちからの入り具合を何度となく、確認され、自分が脳梗塞になったことを理解しましたが、「脳梗塞、」と言う言葉が重くて、自覚症状がなく、妹も日本を出る時(成田空港で)に次帰国する時、自分の棺抱えて帰国するだろうと考えていたらしいです。(入院後一週間(ICU)が山場だったので、親族(妹)が呼ばれた。)
ただ、病院に運ばれた対応が早かったことも幸運だったようです。
いつ発症したのか?と言う辺りが重要なのですが、正直、北京から上海までの移動ではとにかく寒かった、という思いしかなく。
頭が重いとか、視野が狭いとか、半身が痺れているとか自覚症状が無く、脳梗塞(頭の半分(右側の大部分は死んでいる、)というのは、かなり後で自分の眼でCT画像を見るまで知らなかったです。(お医者さんの説明でなんとなくそうなっているらしいことは伝えられていましたが。)


後で脳のCTを自分でも確認しましたが、右側1/3強くらいが白くなって脳細胞が死んでました。MRIで脳の血管が塞がれているところも見ました。CTの写真はあるんですが、ここで掲載はなまなましくさすがにためらわれるので。絵にしました。こんな感じ。


中国人の先生から、脳梗塞発生後起こる脳浮腫などであと少し中心部まで影響が拡がっていたら半身不随、右ではなく左側なら言語障害も起きていた。幸運でしたねーラッキーでしたねーと、さんざん言われました。そんな、何回も言われ、運も使い果たしたよ、と思いました。
中国の残念なところは、スマホがあっても、ググって調べることができないこと。
病院や病室は無料のWiFi環境があったので、Yahooya
NHKアプリでニュースは見れましたが。以前もこのブログ出書きましたが、ググれなくても可能だった昨年夏頃からYahooの検索も不可能になっていて、脳梗塞というものが何ぞや、これからオイラどうなるんだ?ということがさっぱり分からない。もちろん先生に聞くことは可能ですが。
一週間くらい絶望と訳が分からないことで悶々としました。日本に帰国して、調べて次のことが分かり、絶望感に浸りましたが。脳細胞は再生しない。脳梗塞になって死んだ部分は修復されない。ってこと。











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