8月18日 、曇り、7時半起床、気温24℃。
昨日に引き続き、涼しい朝。朝晩は涼しくなって秋の足音を感じます。
熊本は、まだ日中はすこぶる暑いのですが、昨日来、朝晩の涼しさを感じます。熱帯夜ではない夜が二晩もつづくと、そうなるのです。
颱風が秋をつれてきたのでしょうか、
しかし、昨日、群馬の妹からのラインで車の外気温計が42℃を表示している写真を送ってきました。
42℃!!。
人間の脳は40℃を超えるとたんぱく質が変性してしまうと聞いたことがあります。
まさに、生命の危機です。
今日はたいていの世間でいう夏休み最後の日曜日です。
明日からまた普通のお仕事の日が再開します。
熊本は残念ながら天気は良くありません。
涼しい、8時から30分ほど散歩し、
10時前また充電するためにとりに向かう直前、通り雨が降りました。
あまり雨の心配をしていませんでしたが、洗濯をして干して出かけました。
このブログも、コメダで大枠を書いています。
今日は、じっと家のなかでのんびりしようと考えていました。
充電し、EV航続可能距離 35km→69kmまで復活
パン屋に寄ったりして、帰宅後
EV航続可能距離65km
関東は颱風クローサの影響でフェーン現象が起きたようです。
フェーンとは、山超えの風がすこぶる温められて、乾燥することで、その風下は乾燥した高温の空気の影響で気温が上昇します。
乾燥した空気のせいで、雨雲も発生しにくくなり、夕立も起こりにくくなります。
【歴史は放っておくと風化する】
昨日、菊池一族の歴史展という名の、菊池川流域の歴史群像の展示を見て来ました。
おおよそ、私が良く通う、隈府城跡にある菊池神社の宝物館=歴史館の資料、と山鹿の歴史博物館、玉名の歴史博物館の資料が集まった感じでした。
夏休みなのに、子供の姿は少なく、意外と混んでなかったです。
ま、マイナーだからな。
また、3年前地震の際に崩れた建物の下敷きになって、なんとか救い出した、資料もありました。
地震や、大雨の洪水、という天災によって失われる歴史的な記憶は多いものです。
先の戦争は、たかだか74年前のことですが、生き残りはいても、多くの日本人が、日本がアジアでは戦争の加害者だったことを忘れています。
だから、韓国と揉めるのでしょう。
喧嘩でも、先に手を出したほうはすぐ忘れるものです。手を出された側には深い恨みが起こります。
恨みはかりに晴らしても気持ちが長い間残ります。晴らすといっても、受けた傷は容易にきえないからです。
これは、お互いに時間しか解決策はないでしょう。
天災で失われ、風化する歴史のように、人の心も放っておくと風化します。
恨みも消えるでしょう。
およそ、800年前、蒙古襲来時に蒙古の手先にならざるを得なかった朝鮮の兵に攫われ暴虐の限りをされた日本人の恨みが、今存在しないのと一緒です。
隣りの半島の人々とわだかまりなく、付き合える人が多数派を占めるまで、1000年くらい時間がかかるのでは。放射能の半減期よりも、恨みの感情は厄介です。
夜のニュースで昭和のお天ちゃんの記録の話が出ていました。
元民間の銀行員だった人(田島道治氏)が初代の宮内庁長官になり、昭和のお天ちゃんの言葉を記録したものです。
戦後、自身の思いを反省と悔恨という言葉や、戦争の責任を取って退位したいことを国民に伝えたいと望むけれど、時の首相の吉田茂がこれを止めます。
復興に向かっている日本で、いまさら敗戦した戦争のことを蒸し返したくないということだそうです。
数百万という途方もない人命を奪い、悲しみにの底に落とし、その原因の軍のトップが、責任も取らず生き延びている、という姿がイビツです。
歪んでいます。
お天ちゃん自身も退位したほうが気持ちが楽、という安易な考えもあったようです。気持ち的にはわかります。
ただ、自分のことでも。自分で決められない、象徴天皇という立場が、立ちはだかります。史上初めての「象徴天皇」の立場、
この会話を記録した宮内庁長官の田島道治氏にとっても、多くの苦悩と葛藤があったことは容易に想像できます。
昭和のお天ちゃん、戦前の戦争に向かう日本をとめることができなかった自らを振り返っています、軍部によるこの動きを「下克上」と表現していますが
このようなことを書けばまたぞろ不敬とか、くだらんことで叱られるかもしれませんが、
おおよそ、お天ちゃんの言い分や当時の姿勢は、その立場で考えれば、相当ぼんくらか、ポンコツだったことがわかります。
このぼんくら、ぽんこつのせいで数百万の命が失われたと考えると、死んだ人は、うかうか成仏できないでしょう。なんとも救われない話です。
いつの時代でも戦争はよくないこと、という認識があったこともわかります。
ぼんくらのお天ちゃんでさえも、戦争に突き進む軍の動きを危惧していました。
そういう意味で、お天ちゃんは平凡な感覚の持ち主であったのでしょう。
張作霖の爆殺事件のときに、この事実関係を明らかにし、責任をとらせるという処理をしっかりしておけば、後の戦争に突き進むことはなかった、と悔やんでいます。
この事件、関東軍の板垣征四郎と石原莞爾の謀略でした。
先日も書きましたが、軍部の暴走は誰にも止められなかった。
本来、軍の最高責任者=元帥(天皇)という立場でも下々の部下である軍の現場管理職は
統率する、上司である天皇にはいちいち細かい指示をしてほしくない、細かい命令をを拒む傾向はどこの社会、組織でもありうることです。
セブンペイの会見をみると、あんな感じはどこでもあるんでしょう。
彼は、そうとうポンコツですが。
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