上海の歴史を語る上では外灘(ワイタン、もしくはバンド)を外すことは出来ないでしょう。
外灘は、上海の旧市街の北にあたり、英国租界として始まりその後に英、米の共同租界となります。
そして20世紀前半にかけて、東アジアにおける金融の中心地に成長するとともに建築ラッシュが始まります。この時に建てられた西洋風の建物は英、仏、米、独、日、蘭、白の銀行、英、露の領事館、新聞社、上海クラブやフリーメーソンのクラブなどとして使われました。
現在では、これらの建物が上海観光の大きな見所になっています。
恐らく、現在に至るまでに社会主義と植民地時代の遺物の間には相当な相克があったはずです。
中国には「文革」という忌まわしい悲劇の時代がありましたが、よくも取り壊されず残せたものだと思います。
南京東路を外灘に向かう方向に撮影。
左が和平飯店北楼(旧サッスーンハウス)、中央が黄浦江の向こうにある東方明珠電視塔、右が和平飯店南楼(旧パレスホテル)
浦東の陸家嘴地区。
手前の河が、黄浦江。右から左に流れ、この先にある長江に合流し東シナ海につながっています。
ふりかえると、時計台があります。旧江海関の建物。現在、上海海関(税関)の事務所があります。
15分毎に鐘が鳴ってました。
南京路を戻り、歩行者天国になっている通りをぶらつきました。
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