日曜の今朝も実質遅く起きて、外を見ると、雲が多く薄日の差す曇り空。今日一日、曇りの天気予報です。熊本地震の最初の震度6の発生が3年前の今日でした。テレビでも、あの日を振り返る番組が流れています。
10時過ぎまで、家でテレビを見つつ、ブログを書いていました。
昨日、読了した滝口康彦氏の「立花宗茂と立花道雪」の感想です。
肝心の立花道雪の活躍はじょばん1/3しかありません。
後の立花の名跡を継ぐ、統虎(のちに宗茂)がどのように、鑑連に見込まれ、立花家の養子になったか、で道雪の項目は費やされています。
統虎の立花家への養子の一件、深く絡んでいたのは薦野三河(増時)の活躍があったことを丁寧に描いています。
私も、この、立花家の老臣、薦野増時に非常に注目しています。彼ほどの名参謀は、なかなかみあたりません。
薦野氏は豊後の戸次家以来の鑑連の家臣ではなく、鑑連が筑前、立花城に来て以来の家臣であるにも関わらず、
28歳の時点で、鑑連に見込まれて、2番目の妻の連れ子の娘の婿、つまり鑑連の跡継ぎに白羽をあてられたのが薦野三河。
戸次家の有力家臣は他にも有名な由布雪下(惟信)も登場します(立花四天王筆頭)、もう一人、小野和泉(鎮幸)も登場。
これら戸次家譜代の家臣と薦野氏が登場しているだけで、テンションがあがります。
小野和泉(鎮幸)のお墓は、熊本市本妙寺にあるそうです。
惜しむらくは、高橋紹運の掘り下げが浅かったことかな。ただ、高橋紹運に関して、昨日もか言ったように、この本の後半の見せ場として、猛烈に盛り上げて精緻に描いています。
なぜ紹運が、800名弱の兵を道連れにして、岩屋城を血で染め抜いて島津から守ったのか。
滝口さんの読み取りはそこに至る、鑑連の生きざまと、紹運の生きざまをあてはめて無理なく、納めていると思いました。
岩屋城の部分だけでも、読みごたえが重くあります。
岩屋城の落城、立花城をめぐる島津軍との駆け引き、立花統虎の活躍は続きますが、豊臣軍の九州上陸、島津軍の撤退を境に、物語は終わります。
戦国の世で、小さい勢力で、義を通すことは不可能な時代で義を通しぬいた恐らく、稀有な事例として、高橋紹運、戸次鑑連の名を上げることができるでしょう、その二人を父に持った統虎こと宗茂も、義を貫いたゆえに、すべてを失った後に、幕末まで名と家を残すことができたとも言えます。加えてひとの記憶にも鮮烈に残った名実ともに残すのはなかなかにできないことですが、
一般の普通の人は、この本で出てくる、筑紫惟門のように、したたかに生きるしかないと思います。
それも一つの生き方として、間違っていない。
義を貫くことは、孤独でもあり、哀しい。
戦国と言う時代ゆえに、多くの命の屍の上を踏み越える覚悟も必要になってきます。
それは、はらわたを引きずりおろされるくらいの思いを歯を食いしばって通り抜けていくことなのでしょう。
そういったことを、生き生きと、と言う風にではないけど、ていねいに描けている本だと思いました。
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