2019年5月27日月曜日

5月26日 晴れ6時半起床。気温23℃ 【葉室麟『潮鳴り』を読み始める】【あんずの里にて10時のお茶。洋菓子店Anの店内で、潮鳴りにはまる】【山鹿装飾古墳館付近でお昼ごはん、だご汁。黒米のだごが珍しい。古墳群について】

5月26日 晴れ6時半起床。気温23℃ 8時半ころ家を出てコメダに向かい、朝食&コーヒー。


【葉室麟『潮鳴り』を読み始める】
以前TSUTAYAで買った葉室麟さんの本、『蜩ノ記』以外にもう1冊あり。これを読み始めました。










『潮鳴り』舞台は、『蜩ノ記』と同じく、豊後 羽根(うね)藩

冒頭、すさんだ浪人が海岸に現れる情景からスタートします。このすさんだ浪人伊吹櫂蔵が主人公です。
はじまりはこうです。
「塩気を帯びた風が鬢をなぶるように吹き付けてくる。夏の日差しは朝から肌をじりじりと焼くように強かった」
「伊吹櫂蔵は日が昇ったばかりの海に目を遣った」
「九州豊後の羽根藩士である伊吹櫂蔵はことし二十六歳になる。六尺近い身長で、手足が長く骨ばった体つきをしており、鼻が高くあごが張った面長の顔は、本来、男臭いものの、いい面構えと言えるかもしれなかった。」
今日はあちこち移動しながら読み進んでmさくさくと2/3ほど読み進んでしまいました。


潮鳴りの舞台は『蜩ノ記』と同じ羽根藩ですが、話はつながっているわけではなさそうです。ただ、藩の田畑を買い占めようとする、博多の商人、播磨屋は登場して暗躍している節があります。
私も豊後国の生まれながら、羽根藩を知りませんでしたが、蜩ノ記で、筵を特産にする、というくだりから、調べて、どうも杵築藩のように思われます。
杵築藩といって、藩の領地は今の国東半島の東半分になります。

豊後杵築藩の藩主で三浦氏は居ません、能見松平家が江戸時代初期から幕末まで10代治めています。能見松平家の時代の中期、この地に現れた学者が三浦氏、という人は居ます。
『潮鳴り」でも藩主は三浦氏になっています。この藩主の江戸住まいにおける、無駄使いで、藩の財政が悪化し、新田奉行をした、伊吹櫂蔵の弟、新五郎が、あることがきっかけで切腹をするはめになり、このいきさつを知った兄、櫂蔵の活躍が、この本の主とする流れです。

杵築、と言えば2年前に、AudiS1で旅行したことがあります。
2016年夏に、S1納車までの代車のA3で行った2016国東の旅、の第2弾でS1で周りました。

杵築城。

城下はコンパクトに纏まっておりふたつある丘陵の峰の一報の先端に城があり、丘陵の上部は藩士の住まいの跡が残っていて、丘陵と丘陵に挟まれた谷部分が町屋地区になります。
なかなか、町の雰囲気が良かった。

私は豊後の南、現在、かつては海部郡という大きなくくりであったものがそのまま市になった佐伯の生まれです。


佐伯にも、城下町の跡があり、その雰囲気を色濃く残す養賢寺の付近は子供の頃の遊び場でしたけれど、その雰囲気で育っているので、杵築の城下町はノスタルジーを感じます。


 さて、コメダで10時過ぎまで滞在。

【あんずの里にて10時のお茶。洋菓子店Anの店内で、潮鳴りにはまる】
 
その後、山鹿方面にドライブ、あんずの里に向かいました。いつもなら、鞠智城に行っている流れですが、鞠智城に行かず、山鹿の懐に向かって進み、あんずの里に行ってみました。


あんずの里にも、物産館の横に普通充電のスタンドがあります。ケーブル付き。

あんずの里でおひるごはんを食べようかと思っていたんですが、行ってみると準備中。



そこであんずの里の中にある、「An」という洋菓子屋さんでケーキ+コーヒーで時間をつぶしながら読書。


ロールケーキ、うまし!
 
 
 
そして、あんずの里にあった、山鹿の観光案内を視つつ、次の目的地を、装飾古墳の古墳館にしました。




【山鹿装飾古墳館付近でお昼ごはん、だご汁。黒米のだごが珍しい。古墳群について】

装飾古墳の古墳館近くの物産館付近に着いたとき、丁度12時くらいでしたが、車外気温計の気温31℃。。。暑い。。。北海道では39℃だったそうな 5月かよ?



装飾古墳の古墳館近くで食事をとり、だご汁定食700円黒米のだごが入っていました。珍しい。まあまあ美味しかったですよ。





食後、古墳をめぐります。こんな森というか丘陵のまんなかに、古墳が激しく分布しているのが、非常に興味深いです。









 
 





菊池川の近くにある、和水の江田船山古墳は、川の恩恵があり、古代人の生活を推し量れるのですが、この山鹿の古墳群は一体・・・。










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