2018年12月30日日曜日

剣客商売全集 別巻 黒白の感想とか。(1)

さて、このブログはタイマーで自動でUPしています。
1月6日以前はリアルタイムではありません。
それまでは、九州から関東に小旅しています。
なので、いつも枕に書いている、熊本のお天気状況は記録できません。
また、ちょうど、日本は市場がお休み。NYや世界の市場は始まっていますが、そういった類の記録もしばしお休みでござる。

さて12月になってすぐに借りた剣客商売全集の別巻の事を載せるのも、延び延びにしていました。すこしづつ自動で挙げていきます。
例によって、礼の如く、感想と言うより筋を追いつつ、コメントをさしはさむ形式です。なので、完全にネタバレです。ご注意ください。

黒白
500ページに渡る長編です。剣客商売はそのほとんどが100~200ページ程度の短編で構成されています。
この黒白は、全集では別巻一冊にまとめてありますが、調べてみると、単行本では上下と2冊に分かれています。

この本を借りて初めの一週間でほぼ中間あたりまで読み進んで、しまいました。意に反して(苦笑
場面のイメージをしっかり受け止めた状態で、サクサクと読み進めてしまうのが、池波さんの本の良さです。
恐らく、真田太平記も同じように、恐るべきスピードで読み進んだように思います。
文庫本にして真田太平記は12巻ありますが、自分が学生の頃、もしくは浪人中、一か月もしくは半月くらいで読み終えてしまったような。記憶が。
高遠城から大阪城があっという間(苦笑
でも、未だに、印象的な場面は覚えています。高遠での向井佐平次との出会いとか。おこうとのからみとか、猫田の執念とか。
んーまた読みたくなってきた。

こういう時代小説を読んでその場所にバイクで旅行するのが学生の頃の楽しみでした。
そもそもの始まりは、18の時「竜馬がゆく」を読んで、関東群馬から高知・桂浜に18きっぷで旅したのが始まりです。

さてそう考えると、「剣客商売」を読んでも、江戸に行きたいと、思わないのは不思議です。
剣客商売では江戸の様々な場所が、印象的に描かれていて、その描写は素晴らしいのですが、所詮、江戸の町の風情は、今の東京に行って味わえるものではありません。
高校生の時の住まいは神奈川・川崎だったので、東京には頻繁に行ってました。
なので、目黒、とか、神田とか、高田の馬場、内藤新宿、と言われれば、訪れたことが既に実はあるのです。
さすがに、鐘ヶ淵とか、大川(隅田川)付近を散策したことはありません。
東京の東側はてんで感覚がつかめません。墨田川を船で下ったことは、高校の遠足行事であります。
浅草、深川、この辺もそれとなく歩いたことがあります。もちろん、「剣客商売」の時代を感じさせるものは既にありませんが。
日本橋から、品川まで徒歩で歩いたら、結構大変。
とはいえ、調べてみると2時間くらいか。行けないことはないな。2里(8kくらいです)
その途中にある、泉岳寺も赤穂浪士で有名ですし、言ったこともあります。12月でもなくても線香の煙がすごいです。
芝の増上寺も東京タワーの足元。
そういえば、上野は行ったことは何度もあるけど、寛永寺は言ったことがないな。
両国付近も未踏かも。
という訳で「剣客商売」は、私にとっては旅の手引きにはならないんですね。


ー有明行灯ー
最初の章題は「有明行灯」とあります。
これはこの本のもう一人の主人公、波切八郎の父親太兵衛が作ったとあります。
八郎は、この章のはじめ、出だしから何者かに追われて必死で逃げています。
追いかけているのは死んだはずの父親太兵衛。太兵衛は刀を抜き、八郎に斬りかかろうと追いかけています。
冒頭のの出だしは

暗い。
暗いようでいて、仄あかるい。
だが、道もなければ、周囲の風景もない。
つまり、薄暗い空間の中で、波切八郎は必死に走りつづけている。

と言う始まりです。
気が付くと思いますが、これは八郎の夢です。

八郎は父太兵衛の小野派一刀流の道場を引き継いで、何人かの門弟を抱えた道場主です。
その門弟の一人、水野新吾が、夜な夜な外出をしています。
この数日前に、水野新吾に関わる悪評を八郎は耳にします。
新吾は他道場に押し入って、勝負を挑んで他道場のものを何人か死に追いやるほどひどく打ち据えています。
八郎はこの話を出げいこに赴いた先の大身旗本酒井家の家老から聞き、戒めたほうがよいと忠告を受けます。
しかし、八郎には、新吾がこのような行動をとるきっかけに思い当たる節がありました。
新吾は9歳の時父親を失い、父親同士が交誼があったため、太兵衛が引き取ったのです。
八郎と新吾は兄弟のように育ってきました。
新吾と八郎の仲はそのようなものでったのですが、ある日出げいこから帰ってきた八郎は新吾と湯殿に入り、何かの気まぐれか、当人すら当惑するような暴発が起こり、
新吾の背中を流しているうちに、八郎は新吾を後ろから抱きすくめ、唇を新吾のうなじに押し付けます。
本人にとっても、晴天の霹靂のような事件でした。
ただこの件があって以降、新吾の八郎への態度は八郎にしか分からないわずかな変化でしたが変わりました。
そして夜な夜な外出するようになったのでした。
恐らく、新吾にとっても道場のけいこに物足りなさを感じていた矢先であったこともありました。
その外出のある夜、八郎は新吾をつけます。
そして、八郎は自らの手で、新吾を斬ります。
冒頭の、刀を持って追いかけた父太兵衛の姿は、恐らく、新吾を託した太兵衛の八郎自身への無念さを八郎自身が感じて罪の意識を感じていたせいでしょう。
新吾の傲慢さが高じて、辻斬りをするようなきっかけを作った、もしくは自制の蓋を外したのが、八郎自身のあの湯殿での感情の暴発だったため、そのことは八郎自身がもっともよく知っていて罪の意識を感じていました。
それがあの悪夢につながっていたのだと思います。
すまなかったな、とか、かるくうけながせるような性格を八郎が持っていたら、あの件も新吾の気持ちに深く影響することはなかったかもしれませんが、
この章の後あとにも引き続く事件のもとになっているのは、この八郎の生真面目さ、また自分のこころを制御する術をしらないことに起因するように思います。
門弟の一人が辻斬りをしていて、さらに弟のように思って一緒に育ってきた、新吾を斬らざるを得なくなった、八郎の気持ちも痛切です。
この章中にすでに、八郎は秋山小兵衛と翌年真剣勝することになっていることがあかされています。

新吾を斬って、門弟中の高弟の一人、三上達之助と家僕の市蔵に事の次第を説明し、新吾の遺骸は3人で屋敷の庭に埋めます。
八郎は、三上、道場の後を託し、自分は出奔することを告げます。
三上はもともと、新吾が無法を犯していたので、そこまで必要ないと留めますが、先ほど書いたように、生真面目な八郎にはそのようなこと、自分自身が許せなかったでしょう。
道場では、新吾が姿を消したことについて、三上から、新吾は出奔したと他の弟子たちに告げられます。

波切八郎と言う、むしろ爽やか系の登場人物の回りで起こる、暗い影を背負った事件。
やむなく、八郎は弟といってもいい、新吾を斬ってしまいますが、そのことで、心が闇に食いつぶされて、人生を転落してしまう、と言うことはありません。
ただ、光のあたる世界には居られなくなっていきます。三上を始め道場の門弟たちが、八郎を慕って、道場を守っていこうとするのは、八郎には徳があったのでしょう。




0 件のコメント :

コメントを投稿