2013年9月29日日曜日

韓国出張のおまけ その4

スウォンファソン編で2013年春・韓国出張編の最後になりますが、かなりボリュームが増えたので3回に分けました。
といってもデジカメ画像がほとんどです。(のつもり)



4月の半ばからひと月ちょいほど、韓国に出張していました。
一か月ちょいの出張で後半の二週は週末お休みを頂くことが出来ました。
ばたばたの出張だったことと資金不足の不安もあってこの期間にソウルに行くことはありませんでした。
もっぱらホテルの近所にある世界遺産「スウォン ファソン」に行ってました。



第三回、ファソンヘングン



Hengun(2013.4.27 八達山頂から見た行宮 byNEX5N Tamron 18-200 III 71mm F13.0 ISO125 1/125)



スウォンに関する項目はこれで最後です。
ファソンヘングンとは漢字で書くと「華城行宮」です。
行宮とは日本語で言えば「あんぐう」で、天皇が地方に落ち延びた時の住まい(仮の住まい=仮宮)を行宮(あんぐう)と言います。
韓国でも日本でも意味合いは同じようです。



華城を巡った日とは別の日に、行宮に行きました。
行宮の正門、新豊楼の前にはチャングムがいます。



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(2013.4.28 新豊楼 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F7.1 ISO100 1/80)



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(2013.5.5 新豊楼 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F8.0 ISO100 1/100)

こういう場所でドラマの撮影をしたんですかね。
チャングムの時代は日本では戦国時代(16世紀)だったような気がしますが。
行宮が作られた正祖の時代は18世紀。日本は幕末。
韓国の(朝鮮半島の)古い宮殿建築を訪れるのは恐らく今回が初めてです。
中国はちょっと前に故宮(紫禁城)に行ったことがあります。
日本は・・・ないですね。大宰府政庁跡や板葺宮跡、難波宮跡といった、置石しかない宮跡はありますけどねえ。
行宮は八達山を背に東を向いています。日本の場合は大概、南を向いているので、東向きの宮殿は珍しいなと思いました。
行宮を出てまっすぐ東に進むと、華城の中心を南北に通る大通りに出ます。
これを左折して北へ向かえば長安門に至り、その先は漢陽(ソウル)へと続きます。
右折して南へ向かえば八達門です。



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(2013.4.28 案内図1 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F6.3 ISO100 1/160)



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(2013.4.28 案内図2 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F7.1 ISO100 1/100)



新豊楼前のチャングムの横に行宮のMAPがあります。
これを見るとびっくりですが、行宮の建物配置は左右非対称。内部は迷路のようです。正式な宮殿じゃないからなんですかね。
この左右非対称ぶりは新鮮でした。
紫禁城ほどの広さはないので配置関係はなんとなく頭の中で描ける規模ですが、左右非対称なので分かりにくい・・・。
新豊楼の前は広く、毎週イベントをやっています。
別な日に通りがかったら、イベントに出くわしました。
「将勇営守衛儀式」と言うもので、日曜日の午後2時から行われているものです。
写真だけ別項で掲載しておきます。



新豊楼をくぐると前には左翊門。さらにその先に中陽門があります。
上のイベントとは別な日に行宮内を巡ったのですが、この日なにやらくぐった後の新豊楼が騒がしいなぁと振り返る王様がいらっしゃる(驚
以前載せた、池洞橋のイベントがここにつながるんですね。
毎週何かしらこういうイベントやっているなんてすごすぎます、王様!



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(2013.4.28 新豊楼をくぐったところ byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F7.1 ISO100 1/320)



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(2013.4.28 イベント 楽隊 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F7.1 ISO100 1/100)



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(2013.4.28 イベント 王様と王妃様 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F6.3 ISO100 1/160)



さて、左翊門、中陽門。
この門の上部(屋根と門の間)は乗り越えられないようにトゲトゲがあります。
これを何と呼ぶのか知りませんが、日本ではあまり見かけない構造だと思いました。



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(2013.4.28 左翊門 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F7.1 ISO100 1/100)



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(2013.4.28 左翊門のトゲトゲ byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F7.1 ISO100 1/100)



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(2013.4.28 中陽門 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F7.1 ISO100 1/100)



中陽門の先に本殿というか正堂というか、王の居室兼謁見所の奉寿堂があります。
王の居場所である正堂の名が「奉寿堂」と言うのは違和感がありますが、正祖存命中に母親の恵慶宮の還暦祝いを行った場所でもあり、その際にこの名前を付けたのだとか。



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(2013.4.28 奉寿堂 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F7.1 ISO160 1/60)



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(2013.4.28 奉寿堂の額 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F7.1 ISO100 1/60)



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(2013.4.28 奉寿堂向かって右側 王の居室 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F7.1 ISO640 1/60)



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(2013.4.28 奉寿堂向かって左側 王の母、恵慶宮の長寿を祝う宴の再現 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F7.1 ISO1000 1/60)



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(2013.4.28 奉寿堂正面 byNEX5N Tamron 18-200 III 19mm F7.1 ISO1250 1/60)



この建物は向かって右側が王の寝所。正面が王の在所。左側には王の母恵慶宮の居室があり、左手奥には母親の長楽堂という建物がつながっています。長楽堂は江戸城で言えば大奥みたいな感じですかね。
この奉寿堂の裏にはこれを守る壁のように官吏や女官の長屋風な部屋があります。
この部屋それぞれに官吏や女官の人形が置いてあります。



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(2013.4.28 奉寿堂裏 byNEX5N Tamron 18-200 III 19mm F7.1 ISO100 1/125)



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(2013.4.28 奉寿堂裏 byNEX5N Tamron 18-200 III 19mm F7.1 ISO250 1/60)



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(2013.4.28 奉寿堂裏 宦官の居所  byNEX5N Tamron 18-200 III 19mm F7.1 ISO640 1/60)



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(2013.4.28 奉寿堂裏 宦官の居所 byNEX5N Tamron 18-200 III 19mm F7.1 ISO100 1/100)



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(2013.4.28 奉寿堂/長楽堂裏 宮女の居所 byNEX5N Tamron 18-200 III 19mm F7.1 ISO1250 1/60)



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(2013.4.28 奉寿堂/長楽堂裏 宮女の居所 byNEX5N Tamron 18-200 III 19mm F7.1 ISO1250 1/60)



その脇を通って北(行宮向かって右側)へ行けば、行宮の建物で言えば外郭の一部ですが、外側に向かって建っている得中亭、老来堂、洛南軒に至ります。
得中亭は王が矢を射る場所、と説明がありました。その矢がことごとく的に当たったので「得中亭」。でも何故建物の中から矢を射るんでしょうか。謎です。
その横に洛南軒があります。
行宮では、この建物以外の多くは日本軍によって破壊・撤去されたため、数少ない創建当時のまま残っている貴重な建物です。
洛南軒は催し物を行った場所だそうです。
柱も太く、広さもかなりあるので多くの人を収容できそうです。



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(2013.4.28 得中亭 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F7.1 ISO200 1/60)





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(2013.4.28 老来堂 byNEX5N Tamron 18-200 III 19mm F7.1 ISO125 1/60)



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(2013.4.28 洛南軒  byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F5.6 ISO100 1/125)



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(2013.4.28 洛南軒 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F4.0 ISO160 1/60)



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(2013.4.28 洛南軒 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F7.1 ISO250 1/60)



洛南軒の先には壁に仕切られた別の建物群があります。華寧殿です。
こちらは正祖を祭るための建物です。(影殿、と呼ぶらしい)
朝鮮風の原色系装飾が一切なく(というか何の塗装も施さない)質素な建物ばかりです。
中央の漢雲閣の中には正祖の絵が飾られています。(建物の中には入れません)
行宮の外にあり、全体の位置で言えば最北の配置、もあるのでしょうが華寧殿は全体的に生者(盛者)のエリアではない感じでさびしい雰囲気です。



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(2013.4.28 華寧殿正門 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F7.1 ISO100 1/125)



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(2013.4.28 漢雲閣  byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F4.5 ISO100 1/80)



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(2013.4.28 正祖の絵 byNEX5N Tamron 18-200 III 52mm F7.1 ISO1600 1/80)



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(2013.4.28 漢雲閣 お寺っぽいたたずまい byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F4.0 ISO100 1/60)



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(2013.4.28 風化堂 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F4.5 ISO100 1/100)



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(2013.4.28 漢雲閣 お寺の境内っぽい byNEX5N Tamron 18-200 III 20mm F7.1 ISO100 1/80)



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(2013.4.28 漢雲閣の瓦 byNEX5N Tamron 18-200 III 65mm F7.1 ISO250 1/100)



もと来た道を戻り、奉寿堂(長楽堂)裏手を南(行宮向かって左側)へ向かいます。
こちらは壁や建物が密集していて迷路ぶり炸裂です。



長楽堂の付近にはお勝手大奥関連の建物(福内堂)があり、その先には王や官吏の仕事場所(維興宅、書吏庁)、兵士たちの詰所(将庁、書吏庁、南軍営)などがあります。
福内堂付近にはチャングムをモデルに、女官の姿を説明する展示、当時の台所の再現があります。
維興宅では王や王妃などの衣装を着ることが出来るところがあります。



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(2013.4.28 チャングムをモデルにした年代役職別女官服装 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F7.1 ISO500 1/60)



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(2013.4.28 ドラマの撮影が出来そうな雰囲気 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F7.1 ISO200 1/60)



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(2013.4.28 福内堂から維興宅に通じる門 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F7.1 ISO250 1/60)



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(2013.4.28 福内堂 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F7.1 ISO320 1/60)



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(2013.4.28 福内堂にある台所 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F7.1 ISO3200 1/25)



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(2013.4.28 長楽堂 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F7.1 ISO250 1/60)



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(2013.4.28 長楽堂の門 景龍門 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F7.1 ISO160 1/60)



ふと屋根の上を見ると日本の孔子廟でも良く見かける飾りがありました。



建物が密集しているので屋根の重なり具合も美しい感じがします。



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(2013.4.28 行宮の瓦屋根 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F7.1 ISO160 1/60)



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(2013.4.28 維興宅 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F7.1 ISO160 1/60)



維興宅の周囲にはいくつか展示がありますが、その一隅に「お櫃」(米櫃)の展示があります。
実はこれ、正祖の父親にまつわる大変ブラックな事件に関わる展示なのです。



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(2013.4.28 維興宅周囲(左のほうに米びつが二つある) byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F7.1 ISO100 1/80)



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(2013.4.28 米櫃、実は・・・ byNEX5N Tamron 18-200 III 19mm F7.1 ISO1000 1/60)



正祖の父親と言えば、正祖の前の王様じゃないのか?と思うのが普通です。
ですが、正祖の前の王は英祖といい、正祖の祖父にあたります。
祖父の英祖も名君とされている方ですが、その在位中に両班の激しい派閥争いがありました。
当時力を持っていた派閥が英祖の世継ぎである、正祖の父親(荘献世子、思悼世子ともいう)を讒言します。
その讒言をそのまま信じたかどうかは不明ですが、英祖は実の息子を米櫃に閉じ込め餓死させたのでした。
この時にはすでに孫(正祖)も誕生しているので、末頼もしい青年に成長していた我が子を米櫃に閉じ込めるとは。
(李氏)朝鮮王朝はごく普通の封建君主制ですが、両班と呼ばれる貴族層の力が強く、かつ派閥争いが激しかったのです。
これは、以前「大長吟」チャングムのドラマでも描かれてますが、王朝の続いた期間は両班の派閥争いの歴史、と言っていいくらい長い間不毛な内部抗争を続けていました。
王、といえどこれを力で制御することはついに出来なかったのです。
李氏朝鮮王朝でも英祖・正祖の時代はまだ王様の権限、発言力があったほうですが、わが子すら犠牲にしなければ得られなかった権力、と思うと権力のもつ空しさを感じます。



こういった逸話は、東西に関係なくありますね。日本にも、どろっとしたやつありますね(笑



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(2013.4.28 左翊門付近から維興宅に通じる門 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F7.1 ISO100 1/60)



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(2013.4.28 外整理所 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F7.1 ISO100 1/160)



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(2013.4.28 外整理所 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F3.5 ISO100 1/400)



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(2013.4.28 外整理所の女官? byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F3.5 ISO100 1/640)



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(2013.4.28 外整理所の外 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F3.5 ISO100 1/640)



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(2013.4.28 ヒ将庁 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F3.5 ISO100 1/200)
*ヒは衣偏に卑



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(2013.4.28 書吏庁 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F3.5 ISO100 1/400)



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(2013.4.28 南軍営 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F3.5 ISO100 1/125)



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(2013.4.28 チャングムとミン・ジョンホ 何故ここに? byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F3.5 ISO100 1/320)



華城行宮の正門「新豊楼」をくぐって逆時計回りに巡ってきましたが、南軍営までくると終わりです。
正門の新豊楼をはさむように、南側に南軍営、北に北軍営があります。



建物自体は太平洋戦争時に日本軍によって壊されているので、ほとんど新しく建てられなおされたものばかりです。
古臭さと言うものはありません。
どちらかと言えば、韓流ドラマ(時代劇)好きな人にはたまらないんじゃないですかね。そういうドラマのセットのような感じがしました。
ところどころ人形がおいてあるので、生き生きとしている、と言う風な印象がありました。



正祖の時代は李氏朝鮮では王権というものが正しく働き、新しい時代に向かっていこうとしていた最後の時代と言っていいでしょう。
自分が今まで知らなかった韓国の歴史に触れた、貴重な時間でした。







2013年9月20日金曜日

韓国出張のおまけ その3

スウォンファソン編で2013年春・韓国出張編の最後になります。
かなりボリュームが増えたので3回に分けました。今回は2回目。
(さらに、この2回目が長くなったので前編、後編に分けています)
デジカメ画像がほとんどです。



4月の半ばからひと月ちょいほど、韓国に出張していました。
休日にホテルの近所にある世界遺産「スウォン ファソン」に行って来ました。



 



●第二回、水原華城。 ファソン巡り(後編 華虹門から南水門まで)



長安門の先には、華城を南北に流れる水原川の水門があります。
北の水門なので北水門ですが、別名華虹門というそうです。
なんとなくこのあたりには風情がありました。
水原川の川岸には散歩道があります。昔の景観や風情を残すようにしているのでしょうね。
門の上には櫓があります。ここからの眺めはなにやら落ち着きます。
朝の10時ごろに八達門をスタートし、ここに着いたのが午後1時ごろです。
おなかがすいたので、ここで持ってきたパンを食べてお昼にしました。



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(2013.4.27 華虹門 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F22.0 ISO100 1/10)



水原川は華城を北から南へと流れていきます。この華虹門は入り口に当たります。
華城の市民にとっては命の水と言っていいでしょう。
おそらく市内や宮殿には井戸もあると思いますが、この川の水も重要です。
敵が攻めてきた場合、この水の手が攻撃されることは十分予測できることです。
このため、この付近は城壁がいったん南下して町のほうに入り込んで華虹門につながり、その先の城壁はまた北上し、川の流れに沿う形で建設されています。
川の警備も兼ねた配置にしたように思われます。



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(2013.4.27 水原川上流(城外) byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F8.0 ISO100 1/160)



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(2013.4.27 水原川下流(城内) byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F8.0 ISO100 1/200)



華虹門の隣には東北角楼があり、この角楼は別名「訪花随柳亭」というみやびた名前です。
「訪花随柳亭」をその東隣にある、東北舗楼から見た写真がありますが、確かにこの風景は詩的です。
東北角楼、「訪花随柳亭」には靴を脱いで上がることが出来ます。自分が行ったときも多くの人が上がってくつろいでいました。
またこの建物の形も複雑で、他にはない独特な造りをしています。
さすがにここで詩を詠む人はいませんでした(苦笑



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(2013.4.27 東北角楼「訪花随柳亭」 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F8.0 ISO100 1/100)



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(2013.4.27 東北舗楼から眺めた訪花随柳亭 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F13.0 ISO100 1/80)



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(2013.4.27 東北舗楼 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F8.0 ISO100 1/400)



華虹門を過ぎて歩いてゆくと、東の大門、蒼龍門が見えてきます。
門の手前にも大きな屋根があります。何かと思えば、東将台。
しかしこちらは、自分が行ったときはまだ改修工事中。
とはいえ中には入れるんですね。いいのかなー



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(2013.4.27 練武台方向 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F3.5 ISO800 1/4000)



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(2013.4.27 東将台「練武台」 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F11.0 ISO800 1/500)



東将台は別名「練武台」といい、華城に駐屯する親衛隊や兵士が武芸を修練していた場所だそうです。
将台、というのは兵士を指揮する場所のこと。
西将台は八達山の山頂にあるので、状況を把握しやすそうだけど東将台は山の上じゃないから状況がわかりにくそうですね。
案内板には、開けた丘陵の上にあるので格好の場所、とありました、けどどうだかなー



練武台(東将台)の近くには、昔の朝鮮時代の弓を射ることが出来る場所があります。
自分が行ったときには子供たちがワーキャーいいながらやってました。1回10発で2000ウォンだそうです。
さらにこのあたりには練武台観光案内所があり、華城列車という、先頭車両が竜の頭の観光用の車(客車を3台ほど連結)の乗り場があります。
かなり人気みたいで、列が出来ていました。



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(2013.4.27 国弓体験 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F11.0 ISO100 1/100)



練武台を過ぎると丘の上に東北空心墩(土偏に敦)があります。
この建物は基部は石積みですがその上はレンガで出来ています。
形状が大変ユニークなのです。
空心墩と名のつくものは西北の華西門の隣にありますが、こちらの形状とは少し違います。
西北空心墩は四隅のうちひとつの角部のみが曲線になっています。
東北空心墩写真を見てわかるように建物の四隅すべてが曲線なんですね。建物自体が円筒形ではなく、基部の石積み部分も四角なんですがその上のレンガ部分が丸みを帯びた形状に変えてあるんです。
ガイドには、中国の平墩を参考にした、とありました。このオリジナルの資料がないのでどうなっているのか興味があります。



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(2013.4.27 西北空心墩 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F11.0 ISO800 1/800)



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(2013.4.27 西北空心墩内部 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F11.0 ISO3200 1/15)



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(2013.4.27 西北空心墩の曲線美 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F11.0 ISO100 1/80)



内部はらせん状にまわりながら上部にいたる通路があります。
らせん状といっても直線とカーブの連続です。
なかなか面白いですね。
上まで上がれば非常に眺めがよく東将台が見下ろせます。空心墩とは見張り用の楼台なんですね。
この建物は、華城のなかでも必見の建物のひとつだと思います。



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(2013.4.27 東北弩台入り口 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F11.0 ISO100 1/125)



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(2013.4.27 東北弩台上部 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F11.0 ISO100 1/125)



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(2013.4.27 東北弩台の弓狭間から西北空心墩を望む byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F11.0 ISO100 1/80)



東北空心墩を過ぎ、東北弩台をすぎると東の大門、蒼龍門があります。
こちらも華西門のような馬出状の構造物(甕城)がついています。



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(2013.4.27 蒼龍門 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F11.0 ISO200 1/60)



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(2013.4.27 蒼龍門馬出(甕城) byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F11.0 ISO100 1/200)



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(2013.4.27 蒼龍門裏側 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F11.0 ISO100 1/200)



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(2013.4.27 蒼龍門の龍 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F11.0 ISO800 1/60)



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(2013.4.27 蒼龍門馬出入り口側 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F11.0 ISO100 1/60)



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(2013.4.27 蒼龍門正面 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F11.0 ISO125 1/60)



この蒼龍門を過ぎれば再び南部守備の守備範囲となるのでしょうか。
旗の色が赤くなっています。
気づいた方がいらっしゃるかどうか。



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(2013.4.27 赤令旗 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F9.0 ISO100 1/320)



各写真にはところどころ旗が写っています。
「令」とか「巡視」という文字が書いてあります。
ここからは予想。
「令」は王の命令を伝える兵が持つ旗印。
「巡視」は守備兵や警備兵を示す旗印でしょう。
そして旗の色は方角を示し、従事する兵の部署がわかるようになっている。
なんてねー



Red
(2013.4.27 この日スタート地点近くの旗の色 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F8.0 ISO100 1/250)



旗の色は方角を示していますね。
東は青、西は白、南は赤、北は黒。
中国の四神
東=蒼龍=青
西=白虎=白
南=朱雀=赤
北=玄武=黒
がその元になっているといいます。
この考え方は日本にも伝わっていますね。



というわけで、華城でも赤い旗を見かければ「南に入りましたよー」というサインでもあるのです。
スタート地点付近に見た赤い旗を再び見るようになった、ということはゴールが近づいてきた証拠ですね



さて蒼竜門を過ぎて、次の見ものである烽墩までは結構長いです。
退屈な感じ。
城の外には、場違いな感じもする大きな聖堂が見えます。
実は韓国にはかなりのキリスト教信者がいらっしゃるので、場違いな、ってことはないのですが、華城の成り立ちを考えるとちょっと微妙な気がします。
長安門のところで、正祖の側近であり、華城の設計者でもあった丁若鏞(チョンヤギョン、ギョンは金偏に庸)を取り上げましたが、かれは当時まだ認められていなかった天主教信者(カトリック信者)ではないかという疑いで、正祖在命中でも流刑にあったりしています。
正祖が当時の既得権者勢力だった両班との戦いをしていた王で、その側近は当然のことながらこの反対勢力の両班との戦いの矢面に立つことになります。
彼自身が本当に天主教信者だったかどうかは現在わかっていないそうです。
正祖がなくなった後の反動で丁若鏞は権力争いに破れ、当時激しくなっていた天主教への弾圧に伴い長い流刑生活を送ることになります。
その城のそばであんな大きな聖堂が立っているなってねえ、歴史の皮肉というかなんと言うか。



そんなことをつらつら思いながら歩いていくうちに、ついに烽墩に到着。
電信技術などなかった時代、最先端の長距離通信技術は烽(のろし)でした。
この城にこういった専用の、大掛かりな建物を作っているのは面白いですね。
烽をあげる筒(煙突)が5本あります。もしかして、烽火をあげる数で複雑な通信文を伝達できるとか?
当時の都漢陽(今のソウル)に近い北側ではなく、正反対の南側にこの施設が位置しているのも興味深いですね。



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(2013.4.27 烽墩 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F9.0 ISO100 1/200)



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(2013.4.27 烽墩内部 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F9.0 ISO100 1/160)



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(2013.4.27 烽墩内部 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F11.0 ISO100 1/80)



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(2013.4.27 烽墩 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F9.0 ISO100 1/320)





さて、烽墩を過ぎると東南角楼が見えてきます。
この角楼までやや高台に城壁がありますが、ここから今回のスタート地点までは平地部分になります。
華城は北に開けた台形の形である、と前に書きました。
南側はくびれていて、八達門付近は狭い平地部分です。
南側から攻めてくる敵勢力に対しては、少ない兵力でこの狭い部分を守備することが可能なようです。
その狭い平地部には水原川も流れています。
防衛上そういう地形を選んだ、ということでしょう。



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(2013.4.27 東南角楼 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F9.0 ISO100 1/125)



東南角楼から降りると水原川の南側の門。南水門があります。
こちら側は北水門とちがっていまひとつ風情に欠けますねえ。
南水門とその付近は比較的最近修復された建物です。



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(2013.4.27 東南角楼からの降り口 中心の灰色構造物が南水門の上部 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F9.0 ISO100 1/160)



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(2013.4.27 南水門下流側(城外) byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F13.0 ISO100 1/160)



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(2013.4.27 南水門上流側(城内) byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F9.0 ISO100 1/60)



これでようやく華城めぐりが終わりました。
もうくたくたです(苦笑
朝の10時頃に八達門を出発して、南水門に到着したのが午後3時。
5.8km、5時間の遠足でした。
でもすっごく楽しかったです。
正祖の生きた時代は世界史的にも激動の時代でした。
彼の改革に対する信念が形となったこの華城。
彼と丁若鏞たちの改革の夢、野望といったところに思いをはせながら見て回るのもいいと思います。
彼の寿命がもう少し長く、そして改革が軌道に乗っていれば朝鮮半島の歴史もずいぶん変わったのではないか、と思うのですが。



ガイドに2時間とあるのは、かなりショートカットしてるんじゃないかなあ、と思います。





2013年9月19日木曜日

DRAMの値上がり

仕事柄、DRAM工場と縁があります。
最近、ウーシーの火災事故で世界のDRAM価格高騰!なんて話を聞きました。
だけど調べてみると、昨年暮れあたりからDRAM価格は値上がりし続けています。
うなぎのぼり、と言っていいくらい。
価格コムで、あるDRAM(DDR3)の小売価格を調べたらこんな具合です。





上記の事故の影響もなくはないでしょうけど、それ以前に日本でのDRAM価格には大きな変動が起こっています。
円安のせいだけで説明がつくかなあ・・・
むしろ、世界的な生産調整が起こっている(起こっていた)ような気がしますが、どうなんでしょか。