2013年9月29日日曜日

韓国出張のおまけ その4

スウォンファソン編で2013年春・韓国出張編の最後になりますが、かなりボリュームが増えたので3回に分けました。
といってもデジカメ画像がほとんどです。(のつもり)



4月の半ばからひと月ちょいほど、韓国に出張していました。
一か月ちょいの出張で後半の二週は週末お休みを頂くことが出来ました。
ばたばたの出張だったことと資金不足の不安もあってこの期間にソウルに行くことはありませんでした。
もっぱらホテルの近所にある世界遺産「スウォン ファソン」に行ってました。



第三回、ファソンヘングン



Hengun(2013.4.27 八達山頂から見た行宮 byNEX5N Tamron 18-200 III 71mm F13.0 ISO125 1/125)



スウォンに関する項目はこれで最後です。
ファソンヘングンとは漢字で書くと「華城行宮」です。
行宮とは日本語で言えば「あんぐう」で、天皇が地方に落ち延びた時の住まい(仮の住まい=仮宮)を行宮(あんぐう)と言います。
韓国でも日本でも意味合いは同じようです。



華城を巡った日とは別の日に、行宮に行きました。
行宮の正門、新豊楼の前にはチャングムがいます。



011
(2013.4.28 新豊楼 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F7.1 ISO100 1/80)



01
(2013.5.5 新豊楼 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F8.0 ISO100 1/100)

こういう場所でドラマの撮影をしたんですかね。
チャングムの時代は日本では戦国時代(16世紀)だったような気がしますが。
行宮が作られた正祖の時代は18世紀。日本は幕末。
韓国の(朝鮮半島の)古い宮殿建築を訪れるのは恐らく今回が初めてです。
中国はちょっと前に故宮(紫禁城)に行ったことがあります。
日本は・・・ないですね。大宰府政庁跡や板葺宮跡、難波宮跡といった、置石しかない宮跡はありますけどねえ。
行宮は八達山を背に東を向いています。日本の場合は大概、南を向いているので、東向きの宮殿は珍しいなと思いました。
行宮を出てまっすぐ東に進むと、華城の中心を南北に通る大通りに出ます。
これを左折して北へ向かえば長安門に至り、その先は漢陽(ソウル)へと続きます。
右折して南へ向かえば八達門です。



02
(2013.4.28 案内図1 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F6.3 ISO100 1/160)



021



(2013.4.28 案内図2 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F7.1 ISO100 1/100)



新豊楼前のチャングムの横に行宮のMAPがあります。
これを見るとびっくりですが、行宮の建物配置は左右非対称。内部は迷路のようです。正式な宮殿じゃないからなんですかね。
この左右非対称ぶりは新鮮でした。
紫禁城ほどの広さはないので配置関係はなんとなく頭の中で描ける規模ですが、左右非対称なので分かりにくい・・・。
新豊楼の前は広く、毎週イベントをやっています。
別な日に通りがかったら、イベントに出くわしました。
「将勇営守衛儀式」と言うもので、日曜日の午後2時から行われているものです。
写真だけ別項で掲載しておきます。



新豊楼をくぐると前には左翊門。さらにその先に中陽門があります。
上のイベントとは別な日に行宮内を巡ったのですが、この日なにやらくぐった後の新豊楼が騒がしいなぁと振り返る王様がいらっしゃる(驚
以前載せた、池洞橋のイベントがここにつながるんですね。
毎週何かしらこういうイベントやっているなんてすごすぎます、王様!



03
(2013.4.28 新豊楼をくぐったところ byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F7.1 ISO100 1/320)



04
(2013.4.28 イベント 楽隊 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F7.1 ISO100 1/100)



05



(2013.4.28 イベント 王様と王妃様 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F6.3 ISO100 1/160)



さて、左翊門、中陽門。
この門の上部(屋根と門の間)は乗り越えられないようにトゲトゲがあります。
これを何と呼ぶのか知りませんが、日本ではあまり見かけない構造だと思いました。



06_3
(2013.4.28 左翊門 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F7.1 ISO100 1/100)



07
(2013.4.28 左翊門のトゲトゲ byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F7.1 ISO100 1/100)



08
(2013.4.28 中陽門 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F7.1 ISO100 1/100)



中陽門の先に本殿というか正堂というか、王の居室兼謁見所の奉寿堂があります。
王の居場所である正堂の名が「奉寿堂」と言うのは違和感がありますが、正祖存命中に母親の恵慶宮の還暦祝いを行った場所でもあり、その際にこの名前を付けたのだとか。



09
(2013.4.28 奉寿堂 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F7.1 ISO160 1/60)



10



(2013.4.28 奉寿堂の額 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F7.1 ISO100 1/60)



11
(2013.4.28 奉寿堂向かって右側 王の居室 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F7.1 ISO640 1/60)



12
(2013.4.28 奉寿堂向かって左側 王の母、恵慶宮の長寿を祝う宴の再現 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F7.1 ISO1000 1/60)



13
(2013.4.28 奉寿堂正面 byNEX5N Tamron 18-200 III 19mm F7.1 ISO1250 1/60)



この建物は向かって右側が王の寝所。正面が王の在所。左側には王の母恵慶宮の居室があり、左手奥には母親の長楽堂という建物がつながっています。長楽堂は江戸城で言えば大奥みたいな感じですかね。
この奉寿堂の裏にはこれを守る壁のように官吏や女官の長屋風な部屋があります。
この部屋それぞれに官吏や女官の人形が置いてあります。



15
(2013.4.28 奉寿堂裏 byNEX5N Tamron 18-200 III 19mm F7.1 ISO100 1/125)



16
(2013.4.28 奉寿堂裏 byNEX5N Tamron 18-200 III 19mm F7.1 ISO250 1/60)



17
(2013.4.28 奉寿堂裏 宦官の居所  byNEX5N Tamron 18-200 III 19mm F7.1 ISO640 1/60)



18
(2013.4.28 奉寿堂裏 宦官の居所 byNEX5N Tamron 18-200 III 19mm F7.1 ISO100 1/100)



19



(2013.4.28 奉寿堂/長楽堂裏 宮女の居所 byNEX5N Tamron 18-200 III 19mm F7.1 ISO1250 1/60)



20
(2013.4.28 奉寿堂/長楽堂裏 宮女の居所 byNEX5N Tamron 18-200 III 19mm F7.1 ISO1250 1/60)



その脇を通って北(行宮向かって右側)へ行けば、行宮の建物で言えば外郭の一部ですが、外側に向かって建っている得中亭、老来堂、洛南軒に至ります。
得中亭は王が矢を射る場所、と説明がありました。その矢がことごとく的に当たったので「得中亭」。でも何故建物の中から矢を射るんでしょうか。謎です。
その横に洛南軒があります。
行宮では、この建物以外の多くは日本軍によって破壊・撤去されたため、数少ない創建当時のまま残っている貴重な建物です。
洛南軒は催し物を行った場所だそうです。
柱も太く、広さもかなりあるので多くの人を収容できそうです。



21
(2013.4.28 得中亭 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F7.1 ISO200 1/60)





211
(2013.4.28 老来堂 byNEX5N Tamron 18-200 III 19mm F7.1 ISO125 1/60)



22



(2013.4.28 洛南軒  byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F5.6 ISO100 1/125)



23



(2013.4.28 洛南軒 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F4.0 ISO160 1/60)



24



(2013.4.28 洛南軒 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F7.1 ISO250 1/60)



洛南軒の先には壁に仕切られた別の建物群があります。華寧殿です。
こちらは正祖を祭るための建物です。(影殿、と呼ぶらしい)
朝鮮風の原色系装飾が一切なく(というか何の塗装も施さない)質素な建物ばかりです。
中央の漢雲閣の中には正祖の絵が飾られています。(建物の中には入れません)
行宮の外にあり、全体の位置で言えば最北の配置、もあるのでしょうが華寧殿は全体的に生者(盛者)のエリアではない感じでさびしい雰囲気です。



25
(2013.4.28 華寧殿正門 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F7.1 ISO100 1/125)



26
(2013.4.28 漢雲閣  byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F4.5 ISO100 1/80)



27
(2013.4.28 正祖の絵 byNEX5N Tamron 18-200 III 52mm F7.1 ISO1600 1/80)



28



(2013.4.28 漢雲閣 お寺っぽいたたずまい byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F4.0 ISO100 1/60)



29
(2013.4.28 風化堂 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F4.5 ISO100 1/100)



30
(2013.4.28 漢雲閣 お寺の境内っぽい byNEX5N Tamron 18-200 III 20mm F7.1 ISO100 1/80)



31
(2013.4.28 漢雲閣の瓦 byNEX5N Tamron 18-200 III 65mm F7.1 ISO250 1/100)



もと来た道を戻り、奉寿堂(長楽堂)裏手を南(行宮向かって左側)へ向かいます。
こちらは壁や建物が密集していて迷路ぶり炸裂です。



長楽堂の付近にはお勝手大奥関連の建物(福内堂)があり、その先には王や官吏の仕事場所(維興宅、書吏庁)、兵士たちの詰所(将庁、書吏庁、南軍営)などがあります。
福内堂付近にはチャングムをモデルに、女官の姿を説明する展示、当時の台所の再現があります。
維興宅では王や王妃などの衣装を着ることが出来るところがあります。



32
(2013.4.28 チャングムをモデルにした年代役職別女官服装 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F7.1 ISO500 1/60)



33
(2013.4.28 ドラマの撮影が出来そうな雰囲気 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F7.1 ISO200 1/60)



34
(2013.4.28 福内堂から維興宅に通じる門 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F7.1 ISO250 1/60)



35
(2013.4.28 福内堂 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F7.1 ISO320 1/60)



36
(2013.4.28 福内堂にある台所 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F7.1 ISO3200 1/25)



37_2
(2013.4.28 長楽堂 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F7.1 ISO250 1/60)



372
(2013.4.28 長楽堂の門 景龍門 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F7.1 ISO160 1/60)



ふと屋根の上を見ると日本の孔子廟でも良く見かける飾りがありました。



建物が密集しているので屋根の重なり具合も美しい感じがします。



38_2
(2013.4.28 行宮の瓦屋根 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F7.1 ISO160 1/60)



39
(2013.4.28 維興宅 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F7.1 ISO160 1/60)



維興宅の周囲にはいくつか展示がありますが、その一隅に「お櫃」(米櫃)の展示があります。
実はこれ、正祖の父親にまつわる大変ブラックな事件に関わる展示なのです。



40
(2013.4.28 維興宅周囲(左のほうに米びつが二つある) byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F7.1 ISO100 1/80)



41
(2013.4.28 米櫃、実は・・・ byNEX5N Tamron 18-200 III 19mm F7.1 ISO1000 1/60)



正祖の父親と言えば、正祖の前の王様じゃないのか?と思うのが普通です。
ですが、正祖の前の王は英祖といい、正祖の祖父にあたります。
祖父の英祖も名君とされている方ですが、その在位中に両班の激しい派閥争いがありました。
当時力を持っていた派閥が英祖の世継ぎである、正祖の父親(荘献世子、思悼世子ともいう)を讒言します。
その讒言をそのまま信じたかどうかは不明ですが、英祖は実の息子を米櫃に閉じ込め餓死させたのでした。
この時にはすでに孫(正祖)も誕生しているので、末頼もしい青年に成長していた我が子を米櫃に閉じ込めるとは。
(李氏)朝鮮王朝はごく普通の封建君主制ですが、両班と呼ばれる貴族層の力が強く、かつ派閥争いが激しかったのです。
これは、以前「大長吟」チャングムのドラマでも描かれてますが、王朝の続いた期間は両班の派閥争いの歴史、と言っていいくらい長い間不毛な内部抗争を続けていました。
王、といえどこれを力で制御することはついに出来なかったのです。
李氏朝鮮王朝でも英祖・正祖の時代はまだ王様の権限、発言力があったほうですが、わが子すら犠牲にしなければ得られなかった権力、と思うと権力のもつ空しさを感じます。



こういった逸話は、東西に関係なくありますね。日本にも、どろっとしたやつありますね(笑



42
(2013.4.28 左翊門付近から維興宅に通じる門 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F7.1 ISO100 1/60)



43_3
(2013.4.28 外整理所 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F7.1 ISO100 1/160)



44
(2013.4.28 外整理所 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F3.5 ISO100 1/400)



45
(2013.4.28 外整理所の女官? byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F3.5 ISO100 1/640)



46
(2013.4.28 外整理所の外 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F3.5 ISO100 1/640)



47
(2013.4.28 ヒ将庁 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F3.5 ISO100 1/200)
*ヒは衣偏に卑



48
(2013.4.28 書吏庁 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F3.5 ISO100 1/400)



49
(2013.4.28 南軍営 byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F3.5 ISO100 1/125)



50
(2013.4.28 チャングムとミン・ジョンホ 何故ここに? byNEX5N Tamron 18-200 III 18mm F3.5 ISO100 1/320)



華城行宮の正門「新豊楼」をくぐって逆時計回りに巡ってきましたが、南軍営までくると終わりです。
正門の新豊楼をはさむように、南側に南軍営、北に北軍営があります。



建物自体は太平洋戦争時に日本軍によって壊されているので、ほとんど新しく建てられなおされたものばかりです。
古臭さと言うものはありません。
どちらかと言えば、韓流ドラマ(時代劇)好きな人にはたまらないんじゃないですかね。そういうドラマのセットのような感じがしました。
ところどころ人形がおいてあるので、生き生きとしている、と言う風な印象がありました。



正祖の時代は李氏朝鮮では王権というものが正しく働き、新しい時代に向かっていこうとしていた最後の時代と言っていいでしょう。
自分が今まで知らなかった韓国の歴史に触れた、貴重な時間でした。