2019年3月31日日曜日

今朝の散歩の風景。センバツの大分代表の行方。週末のUSマーケット。明日のお昼に新元号発表

今朝は7時には目が覚め、朝はコメダに行ってそのあと図書館に本を返却するつもりでした。
7時に目がさめて、朝食のバナナを食べて、洗濯機をかけて、30分ほど散歩に出かけて洗濯物を干して、出かけました。

(2019年3月31日 散歩途中の朝陽の中の桜 byHuaweiP10Plus)

(2019年3月31日 散歩途中の朝陽の中の桜 byHuaweiP10Plus)

(2019年3月31日 散歩途中の土筆 byHuaweiP10Plus)
土筆は先日より数が増えていました。

(2019年3月31日 散歩途中の朝陽 byHuaweiP10Plus)


コメダで、いつものようにコーヒー&Aセット。
2時間弱、本と、最近のでぃらー巡りの戦利品のカタログを読み、10時には図書館に向かいました。

この写真は実は昨日のコメダ。。。。


今センバツの真最中ですが、出身の大分が2校選ばれて、2校とも初戦を突破して残っていたのでうれしかったんですが、昨日雨の中、大分が兵庫代表の明石商に負けてしまい惜しかったですけどね。
そして明豊が今日、京都代表の竜谷大平安に1-0で辛くもサヨナラで勝って、ベスト4に上がりました。
次は、来週の火曜日、千葉の代表、習志野との勝負。



週末のUSマーケット。
かなりアゲアゲだったようです。すでに。昨年末、今年初めのネガティブ感は消えてしましました。
そのネガ要因の米中貿易摩擦の行方ですが、週末上げたのも、この摩擦に楽観論が支配的になったことと、
政権側がFRBに利下げを圧力として加え始めたことが、好感されたようです。
原油が60ドル台。イギリスやドイツも上がっている、、、


これはここ最近で回っている、MMTも心理的に大きく要因としてあるのではないのですかね。
でも、今更、なぜ、今年になってこのMMTが噂されるようになったのでしょうか。


どうでもいいが、明日のお昼に新元号発表です。

2019年3月30日土曜日

昨晩は会社の歓送会。赤神諒氏の「大友二階崩れ」の後、「大友落月記」の感想。

昨晩は会社の歓送会がありました。
帰宅したのは日にちが変わって零時半。
年度が替わるこの時期はこういう会は多いのでしょうか。
来月には、定年を迎えられた方を送る会があります。
昨日朝は薄曇りで気温高め12~3℃。会社には半袖の上に社服のジャージを羽織って出勤。
もう、この先一桁になりませぬように。。。といっているこの週末よりさきは少し冷えるそうです。
午後帰宅時は外気温計20~21度。今年初、車で冷房を付けました。

先週の21日に図書館で借りた、赤神諒氏の「大友二階崩れ」の後、「大友落月記」を読んでいます。ほぼ終盤。
二階崩れは、大友氏の世代交代時の有名な歴史上イベントを扱っています。二階崩れで黒幕が誰であったのかは現在でも議論があり、定説はありません。
交代の主、大友宗麟自身が絡んでいたのかすら謎になっています。この「二階崩れ」でも首謀者はあいまいにして、先代に義を通す主人公吉弘鑑理の苦悩を描いています。
実際は、吉弘鑑理は苦悩を背負う立場にありませんが、そこはフィクションです。

落月記では、これまた大友氏の歴史上のイベント弘治2年(1556年)5月に起こった姓氏対立事件を扱っています。が、こちらも、史実に基づいた、超がつくフィクションです。
作品としては前作同様、軽薄な印象は否めません。かといって、リズムが良いわけではなく、人物のとらえ方も、軽薄で底が浅い。史実を無視しているので、共感も出てこないし、人物間の絡み方も、設定に無理がありすぎる。

先日大友君主伝で振れたように、大友氏の家中には大友家に血がつながり、大友の家紋を使用できる同紋衆、もともと土着の豪族から大友家に取り立てられた他紋衆があり、この同他の争いが、古くから続いています。鑑理の時代、享禄3年(1530年)に「賀来騒動」、と言う事件も起きています。
弘治2年(1556年)5月に起こった姓氏対立事件では、大友家の他紋衆の有力者にして、肥後のとりまとめをしていた、小原鑑元が肥後の南関で挙兵。他紋衆の他の豪族は豊後府内で挙兵。宗麟は一時、臼杵の丹生島に避難するほど混乱になります。
この事件は実はその詳細はそれほど明らかではありません。
落月記では小原鑑元はたいそうな好漢に描かれかれていて、肥後の統治に心を砕き、肥後の領民から慕われています。
大友家の家中では、宗麟の側近、田原親賢(作中では専ら田原民部)と、大友家で専横を極める田原宗亀の権力闘争が熾烈になってこの争いが縦糸になって。
民部親賢の小者感を強調して、後世の石田三成のような、才覚はあるものの人徳の薄い人物として描かれており、民部に踊らされて宗亀を討つために挙兵した小原鑑元が悲劇の武将になっています。小原鑑元の娘に恋し、好漢の小原と共にする時間が長くなる分、鑑元に惚れる、前作主人公吉弘鑑理の息子、賀兵衛、鎮信が前作の父親同様、悩乱する凡庸な武将として描かれています。吉弘家を取り巻く作者の構図はほぼ同じ。
豊後の国から、肥後に渡り、独立を思う武将は、小原鑑元が初めてではありません。
大友家は隣国、肥後掌握を狙ったのは、宗麟の祖父義長の時代から大いに動きとしてはありました。このため義長は息子の一人を肥後の名族菊池氏の跡継ぎにします。
これが菊池義武。義鑑の弟、宗麟の叔父。
ですが、義武は肥後の菊池家家中の家臣があまりに独立心旺盛で義武自身の求心力のなさもあったでしょうが、菊池家をまとめることができず、最後は挙兵し、大友家の統制を離れようとします。
肥後には他国からくると、居心地の良さのようなものがあって、さらに豊かな環境、肥後は昔の国制区分でいうと、大国とされています。
物なりがよく、豊かであるが故です。
作中、小原鑑元は大友家の武将では武力では戸次鑑連に次ぐナンバー2とされています。
そのナンバー2が史実では挙兵こそしたものの、あっさり城に火をかけられて、討ち死にしています。武断派、と言う位置づけは史実通りですが、ナンバー2、というのはややもち上げすぎ。でしょうね。
まだ終盤読んでいる最中ですが、終わり方が気になります。この事件では肥後、豊後国内に同時に兵乱が起こっているので、肥後で挙兵したのが、ナンバー2の小原鑑元であると、この鎮圧は並の方法ではほぼ不可能。
ただ、史実では他紋衆の実力筆頭、佐伯氏は挙兵に加担せず、当主惟教は海の男らしく、伊予に向かって豊後を去ります。
これが、恐らく史実上、大友家の同紋衆の兵力を肥後に集中することができた一番の理由、
他紋衆がまとまることができなかったために、肥後の小原氏がやすやすと敗北した理由となるでしょう。
佐伯氏はしばらく後、毛利氏との争いが熾烈になり、宗麟自ら惟教を招いて、帰参します。
落月記で前作の吉弘家や鑑理の扱い同様全く納得できないのが、宗亀の立ち位置です。
作中でも、宗家をしのぐほどの勢いがあるように描かれて、最終的に民部の思惑をはずれ宗麟自ら宗亀側について、民部による、宗亀追い落としが失敗し、小原鑑元がはしごを外されてしまう形になります。
史実で、宗麟や大友宗家の人間にとって、同紋衆筆頭の意実力者といえど、田原宗亀と、大友宗家があの段階で手を結ぶ、ことはあり得ない。作中でも書いてありますが、
宗麟の祖父、義長が、亡くなる間際、それまで8度も大友宗家に背いた田原家に心せよ、と言残しています。宗亀も義鑑が二階崩れで亡くなる7年前の天文12年(1543年)には義鑑から豊後を追放されて、二階崩れの変後、帰参がかなっています。一度は失脚しています。そういう史実を見ると、裏で大きく動いて、吉弘鑑理を掌のうちで扱うような描かれかたをしていた前作のあつかいには奇妙なものを感じます。
同様に、宗家からそれだけ警戒されていた宗亀が、民部の企みを覆した結果、小原鑑元が肥後で挙兵するという筋書きは納得がいかないものを感じます。
むしろ、弘治2年(1556年)当時、大友家が割れて喜ぶのは、一時、大内氏の元に逃げていた宗亀のほう。
この事件の前年には大内家では、陶晴賢が厳島の戦いで毛利に敗れるという、いわば誰も思いつかない、珍事が発生して混乱の最中にあります。
豊後を取り巻く状況下で、他国から侵略される危機が最も低い状況にあったことは確かです。
最もうなづける描かれ方をされていたのは、民部の義兄、大友家当主、宗麟。欲が深く、美しいものに目がない、と言う性格付けは、宗麟自身をもっともよく描いています。
宗麟がダメ武将なため、そういったステレオタイプに立たせると描きやすいんでしょうね。

さらに、その欲を利用して、家臣の一部にむほんを起こさせて、勢力を潰す、という筋書きは、当時の大友家ではありがちな事件の発端です。
宗麟が家臣の妻を奪う、服部右京亮の事件然り、この服部右京亮の妻は実は民部の姉。この事件では服部と共に、一萬田鑑相(親実)鑑実の父)と宗像鑑久(鑑相の弟)が誅罰されて殺されます。この一万田一族の悲劇、作中で武力では3本柱の一人として名のみ上がる高橋鑑種も一万田鑑相の弟。

一万田家は鑑相の子、鑑実のもとまとまって、一族全滅だけは免れます。
しかし、後世、鑑実は宗麟の子義統から自害を命じられて自刃するはめに陥ります。
義鑑までの当主が優秀でしたが、宗麟以降、ダメ当主が続いてしまい、それまでの遺産で一時九州北部に覇を唱えることができたのですが、一時の間だけでした。


もう少し、大友家について、骨のある描き方をしている作品を読みたい。

この作品で、臼杵氏や志賀氏、田北氏が出てきますが、この辺の主要人物にももっと、設定を加えて、生かしてあげるといいのに、と思いましたね。

そして肥後の場面、作者は、肥後には来たことがないように思われる描写が目立ちます。
歴史を扱う本を書くなら、もっと実地にいって、その空気を伝える者でなければ、描写が雑で稚拙になりがち。目の前に迫ってくる感じが一切しない。
肥後と豊後の空気の違いを描く絶好のお膳立ての作品ですのに、もったいない。
自分も熊本北部は、玉名、とその北の山鹿、かつて城氏の支配地くらいまででした。
大津山、南関はまだ踏み入れていませんでした。近いうちに行ってみよう。

大津山、南関の地域が豊かなのは、何も、小原鑑元が心血を注いだせいではありません。
史上、お米がとれる地域は、現在と異なり、当時は平野部は生産性が悪く、むしろ山間部のほうが物なりが良かったのです。肥後でも、菊池盆地のような平野部より、山鹿や、玉名北部和水あたりの山間のほうが米の生産高は高く、益城の山間部が最も石高が高いエリアでした。
当時の有力者が平地よりも山間部から出やすいのは、山間、丘陵部のコメの生産性が高く、人口も当然多いことが理由です。

戦国期、益城郡は阿蘇氏の社領となっているところが広くありますが、このため阿蘇氏は大変に裕福でしたが、裕福がゆえに、内部抗争が起こりやすい。















2019年3月28日木曜日

今朝は雨が降っていました。気温は12度 huaweiから新しいスマホが発表された。(2019/3/26)


今朝は、朝は雨が降っていました。気温は12度。
今日は午後、心リハでした。心リハする場所の前の庭の桜やチューリップが大きく鮮やかに開花しています。春ですねえ。

一昨日、Huaweiが新しいモデルを発表していました。P30とP30Pro
私は、HuaweiのP10Plusを使っています。その前が中古のGalaxy J でした。その前がシャープ。
P10の次がP30の訳がない。P20は昨年の今頃に発表されています。

P20発表時のブログ↓
huaweiから新しいスマホが発表された
P10Plusを買って数か月後のブログ↓
昨年11月にスマホを新しくしました。(2017.11)

今のP10Plusは一昨年の11月頃にアマゾン経由で買いました。
定価72800円でしたが、アマゾン価格で6万6千500円ちょい。
P30は現在、定価で10万円と言われています。(799ユーロ)

今年の11月頃にアマゾンで6万円台になっている気がします。
私のP10Plus、自分が脳梗塞で昨年1月、蘇州の駅で落とした時の画面割れがあります。

割れている部分はそんなに大きくないし、画面を見る上で致命的ではないので、放置しています。

福岡の天神にHuaweiのショップがあるらしいので、持っていけば有料修理してくれるはずですが。

電池持ちも、二日は確実に持つので、これは買った当初から変わらず。
あまりアプリとか増やしてないからねえ。とはいえ、健康管理のあアプリやら増えていますが。
電力を使うアプリはコークオンのアプリくらい。
あまり不安点はありません。動きもサクサク動くし。
だったらP40くらいまで待つか?
P20を見送ったのはマイクロSDが使いにくそうだったから、P20Liteであれば使える。
P20の廉価版P20Liteでも能力十分で、価格は2万前後というかなり魅力的な価格。
P10にもP10Liteと言う名の廉価版があります。ですが上記二つのLiteは指紋認証の位置が背面なのです。
指紋認証は使うと、けっこう便利で、画面タッチで図を書いてのロック解除にもどれない。
いまは、顔認証と指紋の併用にしています。こちらも便利。
顔認証のみだと、マスクをして帽子をかぶると、さすがに認証してくれない。
手袋のみであれば、顔認証で十分。
という冬場特有の問題点があるんですね。
そんなわけで、P20、その上位版P20ProはマイクロSDが使えず。
P30は、P30Liteを出す気があるのかどうかは今は不明。普及機版のP30と、上位のP30Proの2本立てにして、
廉価版はNovaに誘導するつもりじゃないかな。Nova4eがP30Liteになるとの噂があり。


現状のアマゾンでのHawei売れ筋紹介↓(クリックで拡大します)


P30Proは4眼カメラだそうです。Proと非ProのP30は両方、見た目は3つしかレンズありませんが、Proは赤外線センサーによる、焦点深度を測距するようです。
すげーな。
指紋認証はディスプレーでできる模様。

今ネットwp巡ってみると、P30Liteも発表された、という記事がありました。
Huaweiのベトナムサイトで発表されている模様です。→こちら
Liteは日本円で3万前後になるのではと言われています。
そのくらいなら、P10の画面割れを修理するより、Lite版を早めに買い替えとして入手したほうが良いかな。恐らく夏前に日本登場でしょう。






2019年3月27日水曜日

今朝はそこそこ晴れていましたが、地上付近は朝霧。会社の周囲の桜。北熊本スマートIC

今朝はそこそこ晴れていましたが、地上付近は朝霧が出ていました。
6時頃の気温は5~6℃。

日中はほぼ一日晴れていました。洗濯日和。

昼、会社の周囲の桜は7~8分咲きになってほぼ満開に近い
(2019年3月27日会社近辺の桜 byHuaweiP10Plus)


下は昨日の桜
(2019年3月26日会社近辺の桜 byHuaweiP10Plus)


さらに一昨日、月曜の桜がした。
(2019年3月25日会社近辺の桜 byHuaweiP10Plus)

曇っていて桜の咲き具合が分かりづらい。雀が門柱にぶつかった日


その前の日曜日3月24日、自宅の至近に、北熊本スマートICが開通しました。
最初お昼ごろに近づくと15時から開通、と言う話になっていて、いったん、益城の津森神社に行き、益城ICから九州自動車道に乗って北上。北熊本SAに向かいます。

(2019年3月24日 北熊本スマートIC開通 byHuaweiP10Plus)


北熊本スマートICは北熊本SAの出口の通路に分岐する形で設置されています。


(2019年3月24日 北熊本SA入り口付近のスマートICの表示 byHuaweiP10Plus)



スマートICはどこでも同じですが、ETC搭載車のみ利用可能です。


スマートICは、高速のアクセスが楽になるので、大変便利です。
日本で高速道路を作るコスト、1kmあたり、50億円かかると言われtます。

スマートICの工事に18.6億円かかったそうです。
普通のICを作るよりは恐らく安上がりでしょう。

地震の際に、福岡方面からくる支援車両は植木で降りて3号線に乗って国道3号線が植木から熊本市内まで大渋滞だったので、
高速へのアクセス数を増やし分散させることは、災害への耐久性を上げますね。
先日、空港へのJRの支線計画があったことを載せましたが、はてさて、熊本って、そんなに景気良かった?便利になるのはうれしいですけど、スマートICのように、できる限りお金を使わない方法で進めてほしいですね。





















2019年3月26日火曜日

今朝は曇っていましたが予報では一日晴れ。今日は大友の当主伝

今朝は曇っていましたが予報では一日晴れだったので洗濯して干して出勤。
昼の散歩では会社付近の桜が一段と開花を増やしていました。

散歩で道端を歩いていたら、生垣の中から驚いて躍り出たスズメが2羽、生垣の先にある金属製の門柱に激しく体当たりしてぶつかっているのに出くわして、
見ているこっちがしばし茫然。。。


昨日、大友家を語るうえで重要な当主を3代紹介しました。
義鑑、そのまえの義長、その前の親治。

義鑑はその父親義長(とさらに祖父親治)が義長の代で南北朝の混乱にケリをつけてくれたおかげで、大友家を戦国大名化することができたと言っていいです。
そのため、義鑑の代で、その後、宗麟の時代に活躍する武将を育てることが出来ています。
義鑑が晩年、妾に産ませた子供に無理やり家督を譲るような動き(二階崩れ)がなければ、大友氏によって九州統一も夢ではなかったと思われるのですが。

この3代があるからこその戦国時代の大友の隆盛、鬼道雪、宗麟、高橋紹運、の名将があった、といっても過言ではありません。
今回も予定を変えて(苦笑)、その大友家の当主について、語ります。

大友の当主伝。

昨日、上のように書きましたが、戦国時代の大友家を作ったのがその以前3代の当主の功績が著しいので大友一族の話を載せます。
自分が大分出身、ということもあるかもしれませんが、その発端はもともと、肥後の菊池家の南北朝期以降を調べていくうちに、かかわりの深い大友家を調べる機会があったのです。

豊後大友家は鎌倉期に、頼朝のお気に入りだった相模の大友郷の豪族(元は古庄氏)が、九州の守護に命じられて下向して土着したことがきっかけです。この辺りはどこの戦国大名でも似たようなものです。ただ、特に功績らしいものが見当たらない。単に頼朝のお気に入りだった、というだけで成り上がっています。

その後、南北朝時代に、家が二手に分かれて、当主を交互に出す、というねじれた混乱状態にあり、そのことが切っ掛けで紛争や、他国の干渉を受け戦乱が起こりやすい次期が続きました。

8代当主大友 氏時の子、長男が南朝方の9代当主大友氏継、次男が北朝方の10代当主大友 親世、9代氏継の子11代当主大友親著、10代親世の子が12代大友持直、11代大友親著の子13代大友親綱。
と言う風に、氏継の系統と親世の系統が交互に跡を継いでいました。
親綱の次14代は持直の子が継ぐ順番ですが、持直が、幕府から追討を受けたため、持直の弟、親隆(結局親世系)が継ぎます。親隆の後15代は氏継系の先代親綱の弟親繁に譲ります。
親繁は先代、親隆の娘を妻にして、ようやく、両統が統一されます。この親繁の子が16代(18代)大友親治で(母親は親隆の娘ではない)

親治はそれまでの豊後の混乱を治めたので、名君といっていいです。
直前のダメ親父政親が膿をだしきった、ともいえる。
実はさきほど16代(18代)と書いた親治の兄の親繁長男の政親が16代、その子義右が17代です。
大友政親の時代は丁度応仁の乱の影響で大内による干渉が激しく、大内との戦が続き、あろうことか、豊後から博多の大内領攻撃に向かった船が遭難し流れて長門に流れ着いて、大内義興に斬られる、という失態を演じます。
その子義右はこの直前、病を得て亡くなり、父親政親がその後を継ぎ、16代(17代)政親の跡を、
政親の弟の親治が18代当主として継ぎます。

親治とその子義長、そして義鑑と3代続けて、ほぼ名君といっていい当主が続きましたので、
この時期に豊後の力は充実します。
家臣も大友庶流で大友家を凌ぐ力をもった国東の大族田原家を除き、名臣が数多く現れます。
義鑑の子、大友宗麟が、大友家の大名として、有名ですが、
その前三代の遺産(国力の充実、家臣の育成)が多大だったことが大きく影響しています。

これがあったので、宗麟がふぬけで、家臣の妻に手を出すといった、人倫の道を踏み外しても。大友家の屋台骨がすぐに揺らぐことはありませんでした。
この3代の間、豊後国内で、めだった混乱や紛争が無かったせいで、非常に平和な時期が流れていき、豊後の民が大友家によくなびきました。
大聖院宗心の乱はありましたが。(大内氏や幕府が仕掛けた大友家の内輪もめで宗心自身はその気がなかった 宗心は13代親綱の子で15代親繁の末弟、氏継系)
3代の始祖親治が長命だったことも大きい。享年63歳

しかし、その子義長は大友家随一といっていい名君ですが、短命でした。
義長の子義鑑は祖父の親治の後見をうけて善政を継続します。
この恩恵を知っていたのか、島津は豊後攻めは九州討伐の最後に回さざるを得なかった。
ただこの間、豊後の根幹の問題、同紋衆と他紋衆の相克問題は解決を見ず、宗麟の時代に持ち越されます。
むしろ、宗麟の父、義鑑は他紋衆を厚く用いる傾向があったので、人を見る目や。扱いがうまかったのは宗麟よりも義鑑のほうです。


宗麟は西洋の文化を取り入れて豊後を日本を代表する町にした功績はありますが、それのみで、彼の事績を調べるほど、宗教(キリスト教)に傾倒しすぎ、それ以前の文化、寺社勢力を破壊し、家臣の妻に懸想するのみか、力づくで横取りするといった、恐ろしく欲深く、さらにその自己の欲を制御できない人間として非常にダメな人物にしか見えません。


現代に大友宗麟が居たら、宗教マニアの女好き、オウムの麻原彰晃みたいになっていたのではないかと、思われます。

昨日は日経平均は世界景気減速不安という、先週末下げたNYの影響で下げていました。
今日はその反動で大きく上げていました。
持ち銘柄の一つ(SBI)が目標株価(2500)に達していました。売り注文出していなかったよ。
明日以降、もう少し売値を切り上げてみようかな。と欲を出すと、たいていダメな時が多い。
ただ下げても一日で戻すのは相場が強い感じがします。
アメリカ次第、という危うさが多分にありますが。






2019年3月25日月曜日

今朝はおおむね晴れ。肌寒い朝。気温2~3℃ 大友家臣団 春先の夜空、シリウスに向かって飛べ(映画「風の谷のナウシカ」のセリフ)、の考察。会社付近の桜(ソメイヨシノ)は2~3分咲き。来週末頃が見頃。

今朝はおおむね晴れていましたが、薄雲が拡がっているようで月がぼやけて見えました。
が、肌寒く、油断できません。気温2~3℃でした。

いよいよ、3月も最終週。
昼散歩した会社の周辺の桜は(ソメイヨシノ)は2~3分咲き。来週末頃が見頃。曇っていました。
午後帰宅途中、あめがぽつりぽつり。明日は晴れそうです。

昨晩、買い物に出かけついでの散歩したんですが。3月末の夜空はまだ冬の星座で、賑やかです。夜19時頃は、南60度くらいの高さにオリオン。少し視線を右にずらすと、おうし座の一党制アルデバラン。もうすこし右にいくとぼやっとした星の集まりが見えます。これはスバル。プレアデス星団。
おうし座の上に5角形に並んだ星座が見えます。これはぎょしゃ座、おうし座のさらに右(西側)にはクジラ座があります。
オリオンの左(東)側の少し下南に見える明るい一等星が見えます。おおいぬ座のシリウス。
高さ的には45度くらいにありますね。

昔、アニメの映画の「風の谷のナウシカ」で、王虫の幼生をさらって大海嘯の流れを風の谷に向けるべく飛ぶペジテの飛行甕に向かって、ナウシカやミトが乗った風の谷のガンシップが飛行甕に向かう際にナウシカのセリフ
「ミト、シリウスに向かって飛べ」とあります。

シリウスって、そんな低くないやん。



それとも、まだ東の空に昇りかけた時間?
あの、場面設定の季節は分かりませんが、直前、風の谷に、トルメキア軍が進駐している時期はブドウが実をつけているので、夏から秋にかけてと、予想されます。


その時期の夜(夜中前)、確かに、シリウスはまだ東の空に低いです。夜半を超えてくると、たかくなってきてしまうので、
ガンシップが水平飛行をしながら、その先にシリウスは見えてこない。

が、ここで、この場所、風の谷の地球上での緯度が関係してきます。
もし、高緯度の場所であるなら、シリウスは南の空低くなってくる可能性あります。

ま、買い物帰りの散歩の途中、星を見ながらこんなことを考えています。



年度末。
今週末には次の元号が発表されるらしいです。西暦末尾9年で新元号元年と言うのは換算しにくいですね。
こういうことがあると、元号なんてなくしてしまえばいいのに、と思っています。

さて、大分県出身の歴史好きとしては大友氏関連の本というのはほぼ、脊髄反射で手に取って見てしまうのですが、
昨日、図書館で借りた、赤神 諒氏の「二階崩れ」をさんざんにこきおろしました。

大友家の家臣と言うのは、同時期の他所の家臣団と決定的に違う点が一つあります。
宗麟、さらにその先代の義鑑くらいまで、こういった血縁、非血縁の家臣の相克が強かったのです。
戦国大名化する際の大きな障害になっています。
赤神さんの「二階崩れ」の本ではあまり話題にはなっていませんでしたが、
この時代の大友家の出来事を考える上で「同紋、他紋」の概念は重要です。


同時期の戦国大名の家臣団と言うのは、例えば、武田家、大内家でいえば、血縁家臣がメインです。
武田家は、その起こりは古いのですが、鎌倉期以前から甲斐の国(今の山梨)に来た源氏の一族が発祥です。
常陸の国(茨城県)に武田の荘があり、そこから出た源氏が武田氏を名乗って始まっています。
常陸の国から連れてきた郎党も居ますが、甲斐の国に移って以降、鎌倉期、室町期を通じて武田氏は栄える一方で、内部抗争も発生します。
栄える段階で、同じ武田と言う苗字では都合が悪くなり、ある土地を領地にした武田一族はその土地の名前を新たな姓にします。
穴山、飯富、甘利、秋山、板垣氏がそうです。武田氏庶流、(つまり血縁)と言う言われ方をします。
大内氏も庶流出身の家臣が有力になっています。陶氏、右田氏、問田氏、
大内氏の出身は珍しく、朝鮮半島の百済の聖王の後裔を自称しています。日本での姓氏でありがちな源平藤橘の出身ではないです。

こういった渡来人系の戦国武将は珍しい。です。西日本特有かもしれません。
中国地方でも九州に近い地域で栄えた氏族、という地域柄でしょう。
その九州にも渡来系の姓氏は多く、筑前(今の福岡県)の秋月の秋月氏、原田氏、は大蔵氏です。
大蔵氏は、古く、平安のさらに前、壬申の乱で活躍した大蔵氏の末裔で、この大蔵氏は東漢氏(やまとのあやうじ)(=倭漢氏)大蔵氏以外に秦氏もそうです。後漢末期の三国志に出てくる霊帝(黄巾賊が活躍したときの皇帝)の末裔、と称しています。


さて、大友家臣団はこういった鎌倉期以降の血族系の家臣(譜代)と、上記のような渡来系の土地に根差した地縁系の家臣(外様といってもいい)で構成されています。
もちろん、武田氏、大内氏にも血縁系以外の地縁系家臣はいますが。地縁というより、新規家臣
また、16世紀末の戦国時代の100年ほど前に、日本中、どこでもそうであった、南北朝の争いで、家を二分する争いを経ています。
このなかで、血縁系家臣が一旦断絶して、地縁系の家臣を再構成するという動きがどこの大名小名でありました。
大友の豊後では、渡来系の地縁豪族は隣の豊前、筑前ほどではないにしても、鎌倉期前期で平家方として活躍した大神氏系の氏族、特に緒方氏系の地縁氏族が根強く。
そもそも、大友氏が鎌倉初期に、相模から移ってきた、外様だったので、そこから大友家臣団に組み込まれた地縁系の非血縁系家臣としての成長があります。
大友家臣団でいえば、血縁系の譜代家臣をわざわざ「同紋衆」地縁系の非血縁家臣を「他紋衆」と呼び、隔てています。
(こういう呼び方であえて、二分するようなことは他所の家臣団であまり見られません)
呼ばないだけで、扱いはあったかもしれません。

江戸初期の「譜代」「外様」よんでいるのに似ています。
他紋衆は、先ほど書いたように、豊後の国、土着の大神氏、緒方氏系の豪族が多く、これにあたります。
佐伯氏、臼杵氏、が大友家臣団では有名。小原氏も大神系の他紋衆。
戸次氏も元は大神氏ですが、大友氏が取り込むために大友姓の人物を養子で送りこんで、同紋衆化しています。
戦国期はこういった養子縁組、結婚を通じて、同族化を図ることが日常茶飯事でした。

毛利家による、吉川家、小早川家乗っ取りはまさにこの動き。
さらにとなりの宍戸家に毛利三兄弟の同母姉、姫を送って宍戸隆家を婿にして、同族化しています。

来年、大河の主人公の明智光秀が織田信長の九州征討の前に。九州の名族の姓名の「惟任」を名乗らせて、いますが、惟任は大神氏系列の姓です。
同様に、丹羽長秀は大神系の「惟住」を与えられています。
塙直政は。上でも出てきた大蔵氏系の原田姓を与えられて、原田直政と変えています。


現在有名な大友家家臣団はほぼ、義鑑が育て上げています。
有名な宗麟は、ほぼ父と矢が育てた家臣と言う財産で、成り上がったと言っていいです。
義鑑はその父親義長(とさらに祖父親治)が義長の代で南北朝の混乱にケリをつけてくれたおかげで、大友家を戦国大名化することができたと言っていいです。
そのため、義鑑の代で、その後、宗麟の時代に活躍する武将を育てることが出来ています。
義鑑が晩年、妾に産ませた子供に無理やり家督を譲るような動き(二階崩れ)がなければ、大友氏によって九州統一も夢ではなかったと思われるのですが。

 義鑑に育てられた大友家臣団の名将の超個人的な、人物評

以下の5人は家老クラス

吉岡長増(宗歓):(長は義鑑の父義長の偏諱) 大友にこの人ありの筆頭。外交、内政で活躍。
戸次鑑連(立花道雪):大友にこのひとありの次点。鬼道雪で有名。遠く甲斐の国から、武田信玄に面会したいと言わせた。
臼杵長景、鑑速:長景は鑑速の兄。臼杵兄弟は外交で活躍。
小原鑑元:武の人らしい。有力な他紋衆で後に反乱を起こし、肥後の南関に立てこもる。
吉弘鑑理:赤神さんの「二階崩れ」ではさんざんな描かれ方をされた主人公の一人。史実的には正反対。知勇兼備とよく言われるが、文武にバランスが取れている、何せ忠義において、この一族の右に出る人は無し、の吉弘一族。の惣領。肥前戦線ではいまいち。竜造寺隆信を嘆かせているという史実はあるので、人を見る目はものすごく確かで、外交面でも、渋い役回りで活躍していたはず。

以下は有力武将クラス。
一万田鑑実:一万田家は大友庶流の名族。観桜会を開いていたりと文の武将に見えるが毛利との多々良浜の戦い、耳川の殿軍の活躍をみると、文一辺倒ではなさそう。
二階崩れの3年後、宗麟によって父や叔父を誅殺されながらも、恨み言を言わず、宗麟に仕えている。忍の人。そのせいか地味。
志賀親守:(親は義鑑の祖父親治の偏諱):大友家中で志賀家一族は直入郡や久住の裾野近辺を勢力とした大友一族です。大友家の3大支賊の一つ。
残り二つは国東の田原氏、の一つは大野郡の詫間氏、詫間氏は肥後にも所領を得て、肥後でも栄えます・
田北鑑生:田北氏も大友庶流。豊後の国特有の苗字です。直入郡に所領を得て、大友家の家臣として頭角を示します。有名ななのはこの鑑生、結構あちこちの戦で顔を出します。
武の人。
勢場が原の戦いでも、緒戦の敗色を取り戻したのは、主力の大将吉弘氏直の討ち死にに動揺せず、立石方面に布陣して別動隊を率いた田北鑑生の采配によって挽回したことが大きい。
また後世耳川の戦いの発端になったのは鑑生の末弟、田北鎮周の、突っ走りによって、島津得意の釣り野伏せの死の淵の中に大友全軍を引き込み、敗北します。
鑑生は戦場の土壇場でも冷静さを失わない、ベテランの渋みを感じさせる、武将ですが、末弟はむしろ、その正反対の活躍しか出来ていないのは、歴史の皮肉。
利光鑑教(宗魚):若いころの活躍は一切分からないのですが、晩年、豊薩戦争のおりに、居城の鶴崎城に攻めてきた2万の島津軍(大将:島津家久)を相手に、居城の鶴崎城に籠って善戦します。
流れ弾に当たって死にますが、彼の奥さんがまたすごく有名な人で、夫「宗魚」の戦死を伏せ家中を率いて戦い、島津の攻勢を凌いだ女武将。実は、立花道雪こと戸次鑑連の妹。
角隈 石宗:この人、超謎。現在の由布のあたりに角隈の地名がある模様です、角隈性の人が分布するようなので、由布当たりの出身でしょうか。
中国三国時代の謀士、賈 詡のようなイメージ
佐伯氏は入っていませんが、義鑑が育てた人は佐伯氏には。。。いないようにおもうんですけど。

私は大分佐伯出身ですが、大友家臣ではやはり、吉弘鑑理、一押し。
もし、今生きていたら一番知り合いになりたい人。

これだけの武将を取り立てて育てた。大友義鑑の評価は現在さほどではありませんが、どうしても二階崩れですべてを失っていますからね。その前までは、相当評価が高くても良いはずの人物だと思うんです。


スマートICの話は持ち越し。










2019年3月24日日曜日

朝からすっきり晴天の日曜。「大友二階崩れ」(赤神 諒)の読後感。吉弘家への冒涜がひどすぎる。

今朝は朝からすっきり晴天。

7時に起床、&朝食、(シリアル)その後出かけて、コメダ珈琲でコーヒー&s朝食(トーストA) 読書。
そして近所のトヨタカローラに寄ってPHVを見ようかなと思ったら置いてなく、次回予約だけしておきました。
昨日乗った、BMW3シリーズと同様のパーキングアシスタント機能はトヨタにもあるんですね。
さすが、安全面では他の追随を許さないな、トヨタ。


春分の日に図書館へ行って借りたのは、赤神 諒さんの、大友関連を2冊でしたが、一方は、この土日で読了「大友二階崩れ」


これ、元の題は「義と愛と」だったようです。第9回日経小説大賞(選考委員:辻原登、髙樹のぶ子、伊集院静)を高い評価で受賞したそうです。
が、これはイケない。

正直、歴史ものと思って読むと、尋常じゃなく、失望します。
完全に、歴史上の人物の名を騙って作った、史実に基づいた『フィクション』です。

出だし、私自身が思い入れのある、吉弘家が出てきます。
大友家の2階崩れの変は、史上有名な出来事ではありますが、史実では、この変事に吉弘家はさほど重要な役割を演じません。
が、この作品では、あろうことか、この変事で積極的にかかわって、吉弘家当主の鑑理(あきただ)が、次代大友家当主義鎮(後の宗麟)をないがしろにしつつ。行動します。これがあだになり。
首謀者的な位置づけにおかれ、さらに、中途半端に先代義鑑に義理立てしていることがになって、あろうことか、お家取り潰しにされかかります。

この本で、吉弘家の人々を主人公にしたのは、吉弘家FAnとしては気持ち的にはうれしいですが、吉弘鑑理を義の人、と位置付けるため、相当貶めて、凡庸の3流武士に仕立てています。
(本来は文も武もそつなくこなす。大友家中では有数の一流の武将」

この本でさんざん舞台になる、吉弘家の領地、都甲庄、は私も国東、高田付近に宿をとって都甲の血を自分の足で回って、屋山、筧城跡にも行きました。
下につけた私の旅行記ブログリンク参考。

私の中で吉弘家像はあまりに強固に出来上がっているせいで、この本はさっぱり面白くなかった。です。残念。この作家さんの歴史や人物の掘り方の浅さがやや気に入りませんでした。

吉弘鑑理は、その名(先代から偏諱を受けている)からもわかるように、二階崩れで命を奪われる、先代義鑑によって引き立てられた、吉弘家の主。
この本では、実際の年(というか登場人物の年齢関係に)にかなり誤りがあります。

大内勢が、豊前に続いて豊後に攻め入った、大友にとっては防衛戦だった「勢場が原の戦い」(天文3年1534年)で吉弘家の若き当主、吉弘氏直がやや血気に流行った感がある、うかつにも山から駆け降りる形で勢いのみで大内の本体にぶつかり、針鼠のように矢を浴びて絶命という壮絶な討ち死にをします。

この時、氏直19歳。

氏直の子、鑑理はいくら見積もってもこの時、4~5歳のはず。
ですが作中、14~5で、弟もおり、勢場が原の戦いに参戦したことになっていて、この戦の前のに発生している筑後の反乱(恐らく完全なフィクション)にもこの兄弟と氏直は参戦し、星野氏の血を引く姫を鑑理の弟鑑広がめとっています。
兄弟が筑後の星野の反乱に初陣として出ていても。その後氏直が死んだ勢場が原の戦いで20前後でないと、話があわない。
しかし史実では。勢場が原の戦いで20台直前なのは父親の氏直のほう。
年齢設定が激しく史実と異なっています。

勢場が原の戦いの後、鑑理は討ち死にした氏直の跡を継いで当主となっています。
が、実はすぐに家督を許されたわけではありません。
そりゃそうでしょう、少なくとも小学生くらいの子供に家督を認めるわけはないもの。
たしか、誰かの後見を受けていたはずなのですが。

さらに、義鑑は末娘を鑑理に娶せていますが。これは史実です。鑑理に嫁いだ宗麟の姉か妹の子、つまり宗麟の甥が吉弘鎮信、と高橋紹運、ということになります。
これは勢場が原の戦いで当主を失った吉弘家への義鑑の思いやりでしたでしょう。

が、
この作品で義に生きる、姿が与えられている、鑑理は二階崩れの前、先代が宗麟を世継ぎから外す、と言う動きに諌止しますが、宗麟よりも恩義のある先代に義理立てするのは仕方ないとしても、
至極中途半端な態度しかとれず、ことごとく、やることなすこと、反対の目がでてくる、凡庸の3流の武将としか言いようがない武将の姿になっています。

唯一、最終盤、
古来、叛意を抱かぬのに疑心暗鬼の中追い詰められ、保身のためにやむなく謀反を起こしてきた者たちがいる。骨肉相食む大友の歴史もその例にもれなかった。だが吉弘家のみは違った。その歴史は稀有の例外だった。鑑理の祖父も父も大友宗家のために戦で命を散らした
この2行の文章のみ、吉弘家一族の真実を伝えています。
私が吉弘一族に非常に惹かれた部分そのものです。
他の表現や説明、登場人物の姿はフィクションととらえたほうが良いでしょう。

私が、吉弘氏直に興味を持って、国東くんだりまでいき、勢場が原の戦いの実地検証もおこなったのは、この吉弘家の戦国の世に宝石のように光る、特異性にありました。
 国東半島を巡る旅(2015夏) その1

国東半島を巡る旅(2015夏) その2


この一族は後の、豊薩戦で、城兵ことごとく死んで玉砕し、戦国時代屈しの強さを誇る、敵(島津家)に大きなただれるような傷口を与え、溢れんばかりの出血を敷いた、岩屋城の戦いの高橋紹運は
この作品で鑑理の子、孫七郎として出てきます。

この作品で田原宗亀こと田原親宏の役回りこそ、史実の鑑理ではないだろうか、と考えます。
ですが、恐らく、宗亀ほどのあくどさはなく、清濁併せ吞んで、義を建てる、バランスの良い立ち回りをするのが、私の吉弘鑑理像なんです。
そういう姿に義を置いて描けなかったのか?というあたりに、この作家さんの限界を感じました。

余りに、本作の吉弘鑑理は泣き虫すぎます。さらにくどくど逡巡しすぎ。
そんな情に流される武将なら、肥前戦線で、龍造寺を斬って捨てるようなことはしないよ。
愛に生きる武の弟の鑑広が肥後戦で戦死するのは、ちょっと芸がなさすぎ、そこで死なすか?
甚だ疑問ナリ。

史実云々は別に物語としても、テンポがさほど良いわけではなく、情景の描写もごく平凡です。メリハリがいまいちな気がします。
本当はもう一作借りているので読まなきゃなのですが、ちょっと、この本「大友二階崩れ」でゲンナリ感がきつい。
もう一作は「大友落月記」


コメダを出て、トヨタに寄ったあと、八景水谷公園に行ってみました。
まだ公園内多くの桜は2分咲きです。つぼみはかなり膨らんでいるので、来週後半が見ごろかとおもわれます。公園内一部の桜は満開状態でした。








その後帰宅したのは 正午でした。

そして2時過ぎに、上記二階崩れの作中に出てきた、吉弘鑑広が討ち死にした場所に近い、益城の津森神社に行き。(実際には、そんな史実はありません)
きょう開通した、自宅の至近にある熊本北スマートIC使って帰宅。3時半。
やっぱベンリー。この件は明日の話題にします。


週末のNYのマーケット。

世界景気減速懸念(今年で何度目か知らんけど)でNYをはじめ欧州各国もは大きく動揺して下げています。
原油は59ドル台、と、底堅い。
NYダウは大幅に下げましたが、VIXは落ち着いています。

先週、為替は111円/ドルがやや定着しましたね。とかいたものの、ギリ110円台に下げています。







2019年3月23日土曜日

朝から曇っていた土曜日。散歩ついでになし崩しに新型330(G20)の試乗。走りや。室内の感じ音とか、上質。走っていて、気持ちが良かった。

今朝は朝から曇っていた土曜日。
予報を見ると午後から晴れマーク。
8時過ぎにコメダに行って読書&朝食。外気温は6~8度

10時過ぎにコメダを出て、帰宅して洗濯機をかけて30分散歩。小さい春を見つけました。
(2019年3月23日近所の散歩道脇の土筆 byHuaweiP10Plus)

子供の頃はたくさん取って料理してもらいましたね。
(2019年3月23日近所の畑脇のナズナ byHuaweiP10Plus)

(2019年3月23日近所の畑脇のナズナ byHuaweiP10Plus)

11時頃に洗濯ものを干してから、そとをぶらついて、近所のBMWに寄りました。徒歩30分。
全くBMWに寄るつもりはなかったので、服装はまったく、ラフな散歩の態でした。白Tシャツにウィンドブレーカー、下ジャージっていう。。。(をいをい)
ですが、BMの人、丁寧に接客してくれましたし、新型330(G20)M sportsの試乗を勧めてくれたので、勢いで試乗をしてしまいましたジャージで。(汗。

新型330、でかいです。幅はついに1800を超えてきました。


熊本北部には試乗には最適なマイルドな登りのワインディングが、飛田~四方寄間にあります。
なかなか、飛田近辺のディーラーさんで、この登りのワンディングをコースに入れるところはすくないんですよね。営業さんによっても違うのですが、私が知る限り、スバル清水店と、飛田のBMW本社くらいです、車に自信がある反映ですね。
新型330、そのなりの大きさのわりに、足回りが柔軟にして、甘くない。きっちり粘っこく車体をホールドしてくれる感じが、このワインディングにある数か所ののカーブの出口で見えてくるんです。
走りや。室内の感じ音とか、上質です。
ベンツA180とは段チ。格が違うから比べちゃダメでしょうけど。
きもちい登り曲がり方をしたのは、いままで、自分のAudiS1と、86初期型と、インプレッサWRXと、この新型330くらいだなあ。ただ、86初期はやや硬くて、限界を超えると流れそうになっていました。

今日はまるっきりディーラーさんの雰囲気探りと、車見るだけモードだったので、値段の藩士は全くせず。帰宅後調べると、Mスポーツで600万後半。
スタンダードで500万ミドル。手が届かなくはない。
セーフティ関連も、チェックしました。ネットですでに知っていた、3眼とレーダーで一通りはついています。ほぼVolvoとほぼ一緒レベルかな。
BMならではのものは、自動で駐車してくれる機能と、じそく36k以下で走行した50mの奇跡をたどってバックする、リバースアシスト機能、実際に使ってみました。気持ち悪いくらいするり、と戻ります。ドライバーはアクセル操作のみ介入します。ハンドルは一切触らずOK。
駐車場や路地で頭からいっても、自動運転で後戻りしてくれる機能。幅を広げて敬遠されそうな日本市場向けに開発されたとニュース記事で読みました。




ン~セーフティだけを考えると、New330、すげー欲しくなった。
とにかく走っていて、気持ちが良かった。
M2クーペも置いてあったので、いつかまた試乗したいと思います。

メルセデスベンツ店に次いで、コーヒーもおいしかったです。お店の雰囲気も、さすがに落ち着いていて、落ち着いている感じは、アウディディーラーと同じような、居心地の良さを感じます。
素敵な車に囲まれている、というのもあるのでしょうけど。

また徒歩で帰宅し、途中、白のアクアが自爆と思わしき事故現場に遭遇、救急車が来て、あたりは騒然。よくわからんけど、衝突セーフティついてなかったんですね。今時、軽自動車ですたついているのに。前方衝突の安全装置。車体左前方のタイヤハウス激しく破損してはがれたようになってました。どうやったら、あーなるか。アクセルとブレーキを踏み間違えたか?MTだったら、あーはならないのに。





























2019年3月22日金曜日

今朝は晴れていたのに、気温は高め。外気温計の表示はなんと10度。「夢酔独言」の感想

今朝は晴れていたのに、気温は高め、。朝5時半に家を出て出勤しますが、5時半の薄明の明るさが日に日に明るくなってきています。
外気温計の表示はなんと10度。
二けた!。晴れていて気温二けたってすごいねーますます春めいてきました。
通勤途中、農業公園の脇の道を通りますが、桜並木です。
すでにまとまった数の花が開花して、桃色の集団も目立ってきて、2分咲きくらいになっています。ここは来週末、3月末くらいが満開かも。


勝海舟の父親、勝小吉の自伝「夢酔独言」の感想を書きます。非常に面白い、生き生きと文章が踊っています。
自伝ですが序盤はなぜ、独言(自伝)を記すことにしたか、動機をくどくど書いています。
教訓じみたことをつらつらと書いているものを下に載せます。
結局のところ、不良旗本の自分を反面教師にせよ、と子孫に知らせるために、書いた、と言っています。
この不良、半端な不良と違う、当時、江戸一番の喧嘩が強い、不良といっていい。
そして、義侠(やくざ)の匂いが濃厚にある、貧乏旗本。

第一、利欲はたつべし。自分は多欲だったから、反面教師にせよ、と言っています。高相応に物をたくわいて。
もし友達や親類に不慮のことがあったならば、おしまずほどこすべし。
縁者はおのれより上の人と縁組むべから
ず。(欲を出すな、ということでしょうかね)
家来は貧乏人の子をつかうべし。
年季たちたらば分限の格にして片付けてやるべし
。(育てることの重要性でしょうか)
女色にふけるべからず。女にはきをつけるべし。(小吉さんは酒は飲まなかったが、女遊びは結構しています)
油断すると家を破る。小吉は女の事で、女房お信に死を覚悟させてしまう事件を起こしています。
世間に義理は欠くべからず。友達をば陰にてとりなすべし。常在坐臥とも柔和にして、家事をおさめ。
主人の威光をおとすことなし
。(お旗本の心意気でしょうか)
聖賢の道に志して慎みて守るときは一生安穏にして身を誤ることなかるまじ。
(ここはたてまえかな)後半は建前が多く、自身がまったくできなかったことを書いています。

ずいぶん、して出来ぬことはないものだ。
それになれるとしまえにはらくにできるものだ

(この部分は非常に共感します。)
けっして理外の道へ、いることなかれ。
いかようのことが出ても、人をばうらむものではない。みんなこっちのわるいと思う心がかんじんだ。
怨敵には恩をもってこたえば、まちがいはない。
善悪のむくいをよくよく味おうべし。


(このくだりは以前にも紹介していますが、感心した部分です。)
小吉さんは、生涯、人を恨んで事を起こす、と言うことは決してしていないひとでした。
むしろ、若いころ、出奔、家で、貧乏旅、乞食旅をしながら、行った先で人に好かれ、気に入られ、悪い目にあうどころか、人の親切で救われた場面がすくなからずあります。
いやむしろ、最終盤の丈助一件は、役人や住民が手に負えなかった事件をけっきょくうまく丸め込んで、大見得を切って解決しています。
小吉自身が勢いが肝心だと言っています。
勢いを掴むポイントもうまく抑えています。相手のスキを突く勘の良さは、若いころの剣術の修行や喧嘩の修行が物を言ったんだとおもわれます。
天性のものもあるかもしれません。
小吉は家庭事情はあまり良くはありませんが、父親からの愛情はしっかり受け止めていたようです。
兄彦四郎は真面目で、こきちとはそりが合わなかったようですが、義姉には世話を受けていたようです。
母親とは縁が薄く、養子にもらわれた先、勝家の養祖母のいびりにも耐えながら、乗り越えています。

実は、800円だし、アマゾンで購入しようかなと思っています。
恐らく、人生に迷ったときに読むべき本だと思います。
じぶんは十分に勇気づけられた。





2019年3月21日木曜日

今日は春分の日。図書館で借りたのは日本霊異記、黄色い水仙と、図書館脇の街路樹ハクモクレンかコブシか。

今日は春分の日で祝日。会社も珍しくお休みでした。
6時半に起床、朝から雨。7時過ぎに朝食を食べつつ、コメダ珈琲に出かけ、8時頃着いてまったり1時間読書。たっぷりコーヒーとAセット。そして、その本をもって9時頃、コメダを出て、図書館へ。
本「夢酔独言」を返却。その足で、いったん熊本港へ。9時頃ですでに外気温計19℃~20℃。
雨はすでに止んでいましたが。やや蒸し暑い。
途中、高橋山を過ぎて松尾付近から見える、金峰山の山々に霧、雲がかかって、山肌にはところどころ山桜がきれいな桃色。幻想的な風景でした。

熊本港で、車を停めて、車の中でコーヒーを飲みながら、新たに借りた本を1時間ほど読んでいました、。それは、日本霊異記。
今昔物語、宇治拾遺物語などがセットになった本。(日本文学全集、河出書房)



読むきっかけは、以前読んだ、坂口安吾の夜長姫と耳男ですかね。これを読んでいこう、日本の説話文学の何かを一回きっちり読んでおこうかな、と考えてた。そこで、宇治拾遺か、霊異記か、、
図書館で探すと、セットになったこの本がうまい具合にあったわけです。

読後感はまたの機会に。
その前に明日あたりに夢酔独言の感想を書きます。

昨日の続きで先週末の水仙。昨日は白い水仙でしたが、今回黄色。

(3月16日坪井川沿いの水仙byHuaweiP10Plus)

(3月16日坪井川沿いの水仙byHuaweiP10Plus)

(3月16日坪井川沿いの水仙byHuaweiP10Plus)

(3月16日坪井川沿いの水仙byHuaweiP10Plus)

また、今日、熊本市立図書館で横の街路樹の白い花
(2019年3月21日熊本市立図書館脇の街路樹byHuaweiP10Plus)

(2019年3月21日熊本市立図書館脇の街路樹byHuaweiP10Plus)

(2019年3月21日熊本市立図書館脇の街路樹byHuaweiP10Plus)

ハクモクレンでしょうか、コブシでしょうか。。


熊本港から帰宅。
(2019年3月21日熊本港のAudi S1)


(2019年3月21日白川越しの金峰山)


帰宅途中、アマゾンの荷物を自宅近所のコンビニ止めにしていたものを引き取りつつ、帰宅。

13時半時点で、雨は降っていない曇り空、散歩するか自宅で読書かまよいつつ、読書。






2019年3月20日水曜日

気が付けば週半ば。今日は仕事で、ほぼ一日スカイプ会議、相手は、上午も下午どちらも中国関連。今や半導体業界で中国はすでに日本の先を進んでいます。技術の伝承は大きな問題

気が付けば週半ば。今日は仕事で、ほぼ一日スカイプ会議、相手は、上午も下午どちらも中国の同僚とのスカイプ会議。上午は、自分の会社がお客さん、に販売した装置について、新しい性能を見せるために行った結果についての打ち合わせ。結果としては成功したのですが、その結果をお客さん自身がまとめた資料があるものの、その見方を現地にいるエンジニアが見ても説明できない、と言う。
最初に見せてもらった時に、いくつかあるグラフについて、理解できなかったらその場で、お客さんに聞きなよ、と言ってあげるのですが、どうも、彼(中国人)は、そのことをお客さんに聞くのが苦手な模様。
そして、聞きやすい、こちら(社内:日本側)に聞いてみればいいやーと思ったんでしょう。
僕らの仕事は半導体の最先端の現場にいます。それは間違いない。いくら中国と言っても、最前線の現場で起きていることは世界中の誰も知らない、、新しい驚きに満ちています。
確かに、日本側のエンジニアのほうが、その製品の開発を行っている以上、経験値が上なところも多いのですが、それでも、半導体の製造現場で得られる新規情報量は格段に多い。
現地のエンジニアによく言うことなんですけど、
「新しい性能を持つパーツとか製品は、世界でも、有数の顧客しか経験がない、そんな中で中国のお客さんに使ってもらっている以上、そのお客さんに一番近い、中国の現場のエンジニアがお客さんにべったりと引っ付いて、その新製品に関する情報を入手して、さらに改善点がないかどうか、調べる義務があるし、そうして、日本の工場側にフィードバックして、もっといい製品を作る手伝いをしなくてはいけませんよ。」と。

そう、今や半導体業界で中国はすでに日本の上を進んでいます。
半導体技術は、いったんやめてしまうと、追いつくまでの労力は半端ないことになります。恐らく。今更、日本の半導体製造業が、復活することはあり得ない、と思われます。
よほど、誰もが考えもしないような新世界を築かない限り。

下午の会議はお客さんの工場で起こったトラブルについて、とラブル解決のための道筋を建てる会議でした。
その半導体プロセス技術では、少なくとも、うちの会社で一番、経験値が高いのは私しかいないので。
しかも、現在のフラッシュメモリーやDRAM製造工程では最も重要な基幹部分に関わります。
なので、T芝さんやMクロンさん、S星さんやHNックスさんで起こるトラブル、新規導入の際には必ず自分は立ち会うか、深く関わっています。
ずいぶん前に、このブログで書いた、USユタ、韓国出張なんてその手の仕事関係です。
半導体の製造プロセスの扱いに自分のような、なくてはならない、人は周囲に私以外にもいくらもいますが、そんな人々で、定年される方も大勢。います。
少子高齢化ではありませんが、そうした技術の伝承は大きな問題だと思うのですが、うちの会社は結構アバウトにふんぞり返っています。大丈夫かしらん?

今日は朝は晴れて居ましたが冷え込みは限定的。3~4℃。昼間の散歩時16℃でさほど暑くも感じない。会社周りの桜のつぼみは膨らんでいますが、開花にはまだかかりそう。来週末以降かな。

明日は休日だったんですねえ。

先週土曜日に午前中、買い物散歩のついでに、水仙を撮り、午後てんすい桜を撮っていました。桜の写真はすでに上げていますね。
水仙の写真を上げときます。
すべてスマホ(Huawei P10 Plus)。


(2018年3月16日 坪井川沿いにて byHuawei P10 Plus)


(2018年3月16日 坪井川沿いにて byHuawei P10 Plus)

(2018年3月16日 坪井川沿いにて byHuawei P10 Plus)

(2018年3月16日 坪井川沿いにて byHuawei P10 Plus)























2019年3月19日火曜日

今朝は結構な雨。先週末、ePowerに乗ったせいでしょうか、EVやHVに関心が高くなってしまいました

今朝は結構な雨が降っていました。その分暖かい。
雨が降る、もしくは曇っていると暖かい、しかし晴れると超絶まだ寒い、という2月~3月中旬です。
今日の日中、散歩しているときは曇っていて、空の2/3に晴れ間が見える程度。
先週末、ePowerに乗ったせいでしょうか、賃貸住宅でもLeef乗っていらっしゃる方いますよという営業氏の言葉にまんまとこころがうごかされてしまいEVやHVに関心が高くなってしまいました。
ですが、独身、賃貸住宅生活車の自分によくよく考えてみるとやはりEVは無理な選択です。
家を不在にしない場合は、日産Leefの場合、20分から30分、順番待ちがあれば待ちをいれて1時間で、80%まで充電できて。一回の充電でE+では350kmくらいは走るそうです。すごいね

もし体調が良くて出張が可能、とかになると、うちの会社、今の部署、平気で2~3週間から一か月くらい出張させます。いまの脳梗塞、心筋症、というストッパーがないと、うちの会社はその点、容赦がない。
長期不在でEV所有していたら、帰国早々、車がつかえない状態になります。いくらLeefE+でも放電してしまっているでしょう。
せいぜいHVとか、PHVしか選択肢がないですね。あるいは軽。
そして調べて見ると、PHVって、まだ日本(&世界)ではそんなにせんたくしがないんでせんたくしがないんですね。恐らく本命に近いのはプリウスPHV,クラリティPHVはネット上の評判激悪。
かのK氏激賞のアウトランダーPHVは自分にはでかすぎる。輸入車でPHVはVolvoのV90PHVで950万ちょい。あとはBMかな。330eとか。ゴルフGTEもありますね
無理。そこまでして欲しいものではない。
ちなみにPHVで80%充電した場合、プリウスPHVなら20分で80%、EVモードで60kmくらいは走るそうです。


















心が騒いで惹かれたのはこれ

ルーフトップに太陽電池。賃貸住宅なんて青空駐車があたり前。
ほおっておくだけで太陽光で駆動用電池を充電してくれる。
平日5日間で30km弱充電。。。究極のエコカーだな。
最大値は地域によって違うみたいですよ。
福岡で最大5.8km/1日那覇で最大5.5km/1日、札幌では最大6.2km/1日名古屋で最大6.1kmでした。ん?よくわからん。日照率とは違うのか。日の長さ?
オプション扱いで30万近い。。。微妙。

とはいっても、今すぐ買い替えしませんよ。さすがに。(汗)
以前、インプレッサWRXはこんな感じで衝動に駆られて、中古を探して、すぐに県境を越えて実車見に行って即買いしてしまった前例アリ。。。むかしからブログを見ている人は知っているかも。
もう、そんな人はいないか(www

まーでも、次の買い替え動機は明らかに、セーフティ目線と、EV,HV目線になりそうな気がします。いつになるのかさっぱりわからないけど。
プリウスHVはその時の本命かな。
少し前まで、カローラスポーツだったんだけどね。

2回も否決されたブレグジットに対する、議会での3回目の採決を取ろうとする、イギリス首相のメイちゃんなみに戯言だな。














2019年3月18日月曜日

今朝は晴れて上を見上げると、夏の大三角が高く昇って彼岸入り。ディーラー巡りの続き。先週末のUSマーケット

今朝は晴れて上を見上げると、夏の大三角が高く昇って、日々薄明度が上がる東の空に明けの明星が輝いています。
寒さもそこそこ。2~3℃でした。さっむー。
本日月曜日は彼岸の入りです。晴れていたのは早朝のみで日中はずっと曇っていました。予報によると今晩月曜夜から明日の朝にかけて雨になる見込み。気温は暖かめ。

昨日日曜日のお金のかからないストレス解消でディーラー巡りの続き。

4番目
最後にはBMWの新型3シリーズと行きたかったんですが、日産のe-powerを見かける機会が多かったので、自宅近くの飛田バイパス沿いの日産プリンスに行きました。
そこでNote e-Powerに乗りました、アクセルのワンペダル操作を体感してきました。

 

最近、Noteとセレナのe-Powerをよく見かけていたので、近所の日産プリンス店に行ってみました。
Note ePower
外観は、人それぞれだと思います。自分はあまり好きじゃないです。カテゴリーでいえば私のS1と同じハッチバックになるのでしょう。
S1にくらべて格段にパッケージングに優れています。この辺のしまい込みのうまさは日本車ならでは。

フィットもそういう意味で同系列かと。しかし、反面スタイリッシュ、と言う言葉から離れてしまうのも道理。
Fitも、Noteも、だるまのようなもっさり感にあふれています。
まだ、トヨタAquaのほうがデザイン的に優れていると私は思います。
また、はっちばっくというかコンパクトSUVになってしまいますがトヨタCHRも、思いっきりデザインを頑張っていると思います。
さて、内装は200万円台としてはふつう。しかし、同じ200万円台でいえば、カローラSPのほうがすごく先進性にあふれているし、りっちじゃないけど。
Noteはもう少し内装に手をいれたほうがいい。画面も、ここまでタッチパネルの大画面をみてきたので、いきなり軽と同じような7インチ以下のNavi画面ではちょっとね。るーむミラーが全面液晶、あるいは有機ELで、360度モニター画面も映し出し。
情報を映し出すのは驚きましたが、ルームミラーだと、確認がし辛い。スマートルームミラーと言うのだそうです。夜間の見え具合が心配になりました。
ゆうがたですら、やや明るい感じ。明るいミラーを見た後、普通に窓越しの暗い外は逆に見えづらいんじゃないかな。瞳孔が開いて。。
メーカーオプション扱いだそうですよ。ドラレコとの連動や、単体でのレコード機能はない模様。
アクセルのワンペダル操作も含め、かなりの習熟と慣れが必要。一般的にお勧めな技術とは言い難い。



4件、暇もてあましのディーラー巡りでしたが、車種も特に絞ったわけではなく、前調べもせず回ってみた全体の感想を車の総合能力と魅力と言う点と車種、安全面、ランコス、という切り口で考えてみました。
今回、試乗した車種カテゴリーはバラバラなんですが、はやりのSUVの切り取りでいえば、XC40は比較的完成されていると思います。
安全面や燃費などランニングコストと言った切り取りでいえば、安全面では、この日回った中でも上位の性能を持っています。
私の目線では安全性能ではトヨタ、ベンツ、VolVoはどれを購入しても、十分に満足できるんじゃないかと感じました。

ランニングコストでいえば、Volvoは苦手な分野だそうです。安全とランコスを両立させようとしたらディーゼルを選ぶべき。
が、私はディーゼルはあまり好まないので、選択外。
コンパクトカーくくりでいえば、カローラSP、A180、Note、試乗していないもののV40、となります。
これも、安全面でいえば、カローラSP,A180がダントツ、V40はXC40と同等のものが付くとすれば、このグループに入るでしょう。
Noteは、インパネ周りが、ややしょぼい。所有欲を掻き立てるような先進性を感じない、前時代的なNavi画面。
このくらいのインテリア装備&ランコス勝負なら、ワタシなら、軽カーを探します。選択外。

安全面、ランコス(燃費)と言う切り口で選ぶとしても、全体にこれ、っという車がありませんでしたね。

安全面で選ぶなら、これは車と言うより、会社の姿勢になるので、ベンツ、Volvo、トヨタになります、、、
ランコスで選ぶなら、ePower的なレンジエクステンダー的な、電気自動車、もしくはハイブリッド、Leefのような電気自動車になりますね。
もしくはまさかの軽。いや、ランコスでは軽は本命と言っていい。すでに先代のミライースOEMのスバルPleo+に2年半乗って経験済み。

コスト面での一番は電気自動車のLeef e+、もしくは軽自動車。
Leefのような電気自動車が、賃貸住宅の住人でも購入者が結構いる、というはなしを日産で聞いたのはやや驚きでしたが。

これは実際のそれぞれの生活スタイルにあわせてみないと、使い勝手がどうかははんだんできない、と言うリスクがあります。
急速充電で30~40分あれば、十分一週間くらいは走行可能、というレベルまで、電気自動車の性能が上がっていることは認めます。
そのくらい、e+の登場は、衝撃的ですね。が、ネットで調べてみても、ネガティブコメントが皆無ではない。
やはり自宅で、夜間電力で普通充電している人も少なくない。
こういったリスクをしょえるような余裕が出てくれば別ですが、車を複数台所有するとか。

今の時点で、いくら格別な走行性能があっても、選択することはないかも。
今、SUVで選ぶ候補、大きさに依るけど、トヨタCHーR、Volvo XC40、Audi Q2、Q3あたりだろうか
まさかの、AudiのQ2,3に先進性がかけらもない。
Q5になるとちょっと格が違うような。

CX-5は決め手に欠ける。本体の安さくらい?
ランクルプラドなんてどうかな、SUVかな?
ジャガーのFペースとか?

また時期を開けて、思いだしたらディーラー巡ってみようかな。


週末にあげそこなったんですが、週末のNYのマーケット。
NYダウは3日連続上げて調子が良いそうです。
ブレグジットでもめている割に、イギリスの株価は年初から安定しています。
原油は59ドル台、VIXは落ち着いています
為替は111円/ドルがやや定着しましたね。





2019年3月17日日曜日

ひまな日曜日、ディーラー巡りをしました(VolVo編、ベンツ編)

今朝は曇り、7時に起床、気温は6~7℃くらいでしたかね。朝未明には雨が降ったようです。
天気予報によると午前中は曇り、午後から晴れる予報でしたので、午前中に洗濯をして干してしまって、、今日は録り貯めた録画がなかったので、午前のうちに外に出かけてしまい、
ディーラー巡りをしました。合計4件廻ったのですが今日はうち3件。(実質2件)

まず初めに、VolVoさん。
XC40の試乗、V40でもよかったんですが、話を聞くと、年末くらいにフルモデルチェンジの予定があるそうです。
こちらは現行V40。営業氏によると世界で日本が一番売れているんだとか、確かにこのサイズは日本向き。
アウディならA3、A4、VWならゴルフのクラスですね。


んで、ひとまずはXC40の試乗をしました。
熊本のVolVoのディーラーは浜線にあり、Audiのディーラーの近くで、Audiに立ち寄るたびに見て気になっていました。
VolVoは、中国の吉里に買収された後、劇的に変化して、車のデザインはスタイリッシュになって、スマートな雰囲気にがらりと変わりましたよね。
それまでの、ボルボカーズ時代は、なんとなくやぼったい、ただただ、頑丈なだけが取り柄の、詰まらない車の代表のようなイメージがありました。
自分が接した、営業氏は率直な方で好感が持てました。
XC40の弱点は燃費、後席の居住性、とはっきり言っていました。

XC40
2018-2019 日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞しただけのことはありますね。

自分はCOTYは嫌いですが。
感想としては、SUVの見切りの良さからくる安心感は、まあ並ですが、運転のしやすさ、ハンドルに対する車の操縦性、に関して、悪くはないと思います。
今の車でいえば標準的です。意外に興産を曲がる際に、くにゃっとしない、さっくりと曲がるのは好感を持ちました。座高が高いSUVでは上等なほうだと思います。
比較的、足回りがかっちりしていたのは正直意外でしたSUVなのでもっとやわい味付けかと予想していました。いや、むしろ全然、やわくない。普通にマンホールの凹凸のしんどうを拾うよ、この足は。しかも、嫌みじゃない。
これが運転していて安心感につながっているのかな、と思います。
また、各種セーフティ関係は、いずれも、私がアウディの安全性能を知っている(持ってはいない)だけに、厳しく見ましたが、現在の水準で考えると、
アウディとトヨタのセーフティーセンスPの中間くらいで必要にして十分。前者追従でハンドルが自動で動いて曲がることも体感出来ました。時速30~200kまで対応しているそうです。この自動運転はある意味、体感すると衝撃的。
XC=40に乗って、Volvoの見方はずいぶん、変わってきました。ある程度予想をして居ましたが、3割ほど、良い方向に予想を裏切ってくれる感じでした。
年末か年明けのV40のFMCを待ってみようと思います。

2番目にトヨタカローラ。世安店。
ここは実は2回目なのですが、前回同様、今回もドアを抜けて入っても、誰も声をかけてこず、完全に客を無視するかスルーされtいます。
前回はさすがに業腹だったので、こちらからおっさんに声をかけてカローラスポーツのMTの試乗車の有無を聞き、素っ気なく「没用」と回答されたきりです。
カローラは近所に清水店があるのでいいんですが、世安店には2度と行かないな。

3番目の前に、昼飯、くら寿司のくらバーガーなるものを食べてみました。3号線沿いのくら寿司、お昼時はひっきりなしにおky久さんが来ますね。
あぷりで座席の予約ができるんですね。テーブルは40~50分待ち、カウンター一人では20分待ちでした。
 
 
 
 
 
 
くらバーガーミートはオニオンリングがはいっていたので、マックより上。バンズも意外と手をぬいていないかんじでしたよ。
フィッシュは、フィレオフィッシュバーガーのようなものを予想していたんですが、つみれをハンバーグ化して照り焼きソースでくるんでいる感じです。



ミートもフィッシュも各¥250円。レジのところで注文して15分ほど待ちました。

3番目は自宅の近所のベンツ。A180に試乗。

私はベンツディーラーは初めてです。
ディーラーの雰囲気はある意味予想外、もっと落ち着いた大人な空間をイメージしていましたが、ある意味、ユニクロの店内のようなポップさと明るさを持つ雰囲気でした。

最近のAクラスの変貌を意味するような感じで、とっつきやすくてよかったです。
乗ったのはA180StyleでAMGラインのオプションが付いているもの。
こちらはベンツと違って、足回りが固い、実はアウディS1よりも固い。
昔の私が乗っていた、2001年しきのWRXSTi並という、、、
もう少し柔軟性があるとベストなんですけどね。でもこの硬さは、賛否と言うか否定的な意見が多いんじゃなかろうか。
この辺、サスの方向性はボルボのほうが味付けは上手い感じです。

ちなみに、XC40とA180共に、サスの硬さはドライブもーどの変更である程度変えられます。
どちらも標準のECOモードで試しています。(硬くないだろう程度)

安全性能面でいうと、トヨタ並です。(トヨタ的、と言うのは世界最先端と言っていいです)
昨年カローラスポーツで衝撃を受けた、セーフティボタン、がA180にもついています。推すと通信回線でオペレーターにつながる。
通信はソフトバンクのSimが付いてきて3年契約で車両価格に入っているそうです。トヨタのDCMとは違います。DCMは車両情報も直接オペレーターに知らせることが来ます。
ベンツはオペレーターと会話、いわゆる携帯電話と同じ通信網を使う感じです。
これとは別で、Mercedes me と言うサービス、コンセルジュ的なサービスもあります。(セーフティボタンの下にMeと言うボタンが付いていました)
セーフティボタンのサービスとの立ち位置の違いがいまいちわかりにくい。
VolVOで体感した自動操縦もついていると聞きましたが、体感するタイミングがありませんでした。
車の走行性能と言う部分でA180は値段(400~500万)に対して、やや割高感を感じるし、納得がいかない楽しくない部分があるので、次にCLAが出てきたタイミングで再検討かな。

ん~やはり、時間つぶしとはいえ、ディーラー巡りはいろんな意味で五感的に新鮮なことに触れることができるので楽しいです。この日一番はVolvoだったかな。
ただ、ベンツのコーヒー(イタリアンブレンド)が一番おいしかったです(苦笑)

最後の一軒は明日にでも書きます。