2019年3月24日日曜日

朝からすっきり晴天の日曜。「大友二階崩れ」(赤神 諒)の読後感。吉弘家への冒涜がひどすぎる。

今朝は朝からすっきり晴天。

7時に起床、&朝食、(シリアル)その後出かけて、コメダ珈琲でコーヒー&s朝食(トーストA) 読書。
そして近所のトヨタカローラに寄ってPHVを見ようかなと思ったら置いてなく、次回予約だけしておきました。
昨日乗った、BMW3シリーズと同様のパーキングアシスタント機能はトヨタにもあるんですね。
さすが、安全面では他の追随を許さないな、トヨタ。


春分の日に図書館へ行って借りたのは、赤神 諒さんの、大友関連を2冊でしたが、一方は、この土日で読了「大友二階崩れ」


これ、元の題は「義と愛と」だったようです。第9回日経小説大賞(選考委員:辻原登、髙樹のぶ子、伊集院静)を高い評価で受賞したそうです。
が、これはイケない。

正直、歴史ものと思って読むと、尋常じゃなく、失望します。
完全に、歴史上の人物の名を騙って作った、史実に基づいた『フィクション』です。

出だし、私自身が思い入れのある、吉弘家が出てきます。
大友家の2階崩れの変は、史上有名な出来事ではありますが、史実では、この変事に吉弘家はさほど重要な役割を演じません。
が、この作品では、あろうことか、この変事で積極的にかかわって、吉弘家当主の鑑理(あきただ)が、次代大友家当主義鎮(後の宗麟)をないがしろにしつつ。行動します。これがあだになり。
首謀者的な位置づけにおかれ、さらに、中途半端に先代義鑑に義理立てしていることがになって、あろうことか、お家取り潰しにされかかります。

この本で、吉弘家の人々を主人公にしたのは、吉弘家FAnとしては気持ち的にはうれしいですが、吉弘鑑理を義の人、と位置付けるため、相当貶めて、凡庸の3流武士に仕立てています。
(本来は文も武もそつなくこなす。大友家中では有数の一流の武将」

この本でさんざん舞台になる、吉弘家の領地、都甲庄、は私も国東、高田付近に宿をとって都甲の血を自分の足で回って、屋山、筧城跡にも行きました。
下につけた私の旅行記ブログリンク参考。

私の中で吉弘家像はあまりに強固に出来上がっているせいで、この本はさっぱり面白くなかった。です。残念。この作家さんの歴史や人物の掘り方の浅さがやや気に入りませんでした。

吉弘鑑理は、その名(先代から偏諱を受けている)からもわかるように、二階崩れで命を奪われる、先代義鑑によって引き立てられた、吉弘家の主。
この本では、実際の年(というか登場人物の年齢関係に)にかなり誤りがあります。

大内勢が、豊前に続いて豊後に攻め入った、大友にとっては防衛戦だった「勢場が原の戦い」(天文3年1534年)で吉弘家の若き当主、吉弘氏直がやや血気に流行った感がある、うかつにも山から駆け降りる形で勢いのみで大内の本体にぶつかり、針鼠のように矢を浴びて絶命という壮絶な討ち死にをします。

この時、氏直19歳。

氏直の子、鑑理はいくら見積もってもこの時、4~5歳のはず。
ですが作中、14~5で、弟もおり、勢場が原の戦いに参戦したことになっていて、この戦の前のに発生している筑後の反乱(恐らく完全なフィクション)にもこの兄弟と氏直は参戦し、星野氏の血を引く姫を鑑理の弟鑑広がめとっています。
兄弟が筑後の星野の反乱に初陣として出ていても。その後氏直が死んだ勢場が原の戦いで20前後でないと、話があわない。
しかし史実では。勢場が原の戦いで20台直前なのは父親の氏直のほう。
年齢設定が激しく史実と異なっています。

勢場が原の戦いの後、鑑理は討ち死にした氏直の跡を継いで当主となっています。
が、実はすぐに家督を許されたわけではありません。
そりゃそうでしょう、少なくとも小学生くらいの子供に家督を認めるわけはないもの。
たしか、誰かの後見を受けていたはずなのですが。

さらに、義鑑は末娘を鑑理に娶せていますが。これは史実です。鑑理に嫁いだ宗麟の姉か妹の子、つまり宗麟の甥が吉弘鎮信、と高橋紹運、ということになります。
これは勢場が原の戦いで当主を失った吉弘家への義鑑の思いやりでしたでしょう。

が、
この作品で義に生きる、姿が与えられている、鑑理は二階崩れの前、先代が宗麟を世継ぎから外す、と言う動きに諌止しますが、宗麟よりも恩義のある先代に義理立てするのは仕方ないとしても、
至極中途半端な態度しかとれず、ことごとく、やることなすこと、反対の目がでてくる、凡庸の3流の武将としか言いようがない武将の姿になっています。

唯一、最終盤、
古来、叛意を抱かぬのに疑心暗鬼の中追い詰められ、保身のためにやむなく謀反を起こしてきた者たちがいる。骨肉相食む大友の歴史もその例にもれなかった。だが吉弘家のみは違った。その歴史は稀有の例外だった。鑑理の祖父も父も大友宗家のために戦で命を散らした
この2行の文章のみ、吉弘家一族の真実を伝えています。
私が吉弘一族に非常に惹かれた部分そのものです。
他の表現や説明、登場人物の姿はフィクションととらえたほうが良いでしょう。

私が、吉弘氏直に興味を持って、国東くんだりまでいき、勢場が原の戦いの実地検証もおこなったのは、この吉弘家の戦国の世に宝石のように光る、特異性にありました。
 国東半島を巡る旅(2015夏) その1

国東半島を巡る旅(2015夏) その2


この一族は後の、豊薩戦で、城兵ことごとく死んで玉砕し、戦国時代屈しの強さを誇る、敵(島津家)に大きなただれるような傷口を与え、溢れんばかりの出血を敷いた、岩屋城の戦いの高橋紹運は
この作品で鑑理の子、孫七郎として出てきます。

この作品で田原宗亀こと田原親宏の役回りこそ、史実の鑑理ではないだろうか、と考えます。
ですが、恐らく、宗亀ほどのあくどさはなく、清濁併せ吞んで、義を建てる、バランスの良い立ち回りをするのが、私の吉弘鑑理像なんです。
そういう姿に義を置いて描けなかったのか?というあたりに、この作家さんの限界を感じました。

余りに、本作の吉弘鑑理は泣き虫すぎます。さらにくどくど逡巡しすぎ。
そんな情に流される武将なら、肥前戦線で、龍造寺を斬って捨てるようなことはしないよ。
愛に生きる武の弟の鑑広が肥後戦で戦死するのは、ちょっと芸がなさすぎ、そこで死なすか?
甚だ疑問ナリ。

史実云々は別に物語としても、テンポがさほど良いわけではなく、情景の描写もごく平凡です。メリハリがいまいちな気がします。
本当はもう一作借りているので読まなきゃなのですが、ちょっと、この本「大友二階崩れ」でゲンナリ感がきつい。
もう一作は「大友落月記」


コメダを出て、トヨタに寄ったあと、八景水谷公園に行ってみました。
まだ公園内多くの桜は2分咲きです。つぼみはかなり膨らんでいるので、来週後半が見ごろかとおもわれます。公園内一部の桜は満開状態でした。








その後帰宅したのは 正午でした。

そして2時過ぎに、上記二階崩れの作中に出てきた、吉弘鑑広が討ち死にした場所に近い、益城の津森神社に行き。(実際には、そんな史実はありません)
きょう開通した、自宅の至近にある熊本北スマートIC使って帰宅。3時半。
やっぱベンリー。この件は明日の話題にします。


週末のNYのマーケット。

世界景気減速懸念(今年で何度目か知らんけど)でNYをはじめ欧州各国もは大きく動揺して下げています。
原油は59ドル台、と、底堅い。
NYダウは大幅に下げましたが、VIXは落ち着いています。

先週、為替は111円/ドルがやや定着しましたね。とかいたものの、ギリ110円台に下げています。







0 件のコメント :

コメントを投稿