2019年1月31日木曜日

今日は朝から夕方まで病院に行ってました。結局、一日中雨為替が109円の安定領域に長期滞在するようになって、しばらく経ちますが、今日は少し円高に振れています。昨晩のFOMCで直近の利上げの可能性はほとんど薄れた、とみた向きの円売り圧力。明日から2月です。2月1日から日本と欧州のEPA(経済連携協定)が発効

今朝はずいぶんと暖かい朝でした。
雨が降っていました。
今日は8時40分に家を出て、朝から病院で、脳梗塞のために神経内科、心臓病のため、循環器内科に午前中、はしごして、
病院にあるコンビニで買ったサンドイッチとコーヒーでランチ。
お昼から、形成外科で四十肩を見てもらいました。四十肩の方は、まだ少し痛みはあるものの、薬のおかげで、夜寝れない、回数は減りました。
左腕が、以前は下した状態から床に水平になるくらいの高さにあげると(つまり90°)上げると超絶痛かったのが、今は95度くらいまであげれるようになっています。痛いけど。

病院で、3件はしごして、診察が終わったのが3時。そこから徒歩5分にある薬局で待って薬をもらって清算したら(35日分¥9000くらいでした)、夕方4時でした。帰宅したのは4時半。なかなかしんどい。
結局、一日中雨だったようです。天気予報通り。
関東の方はこの雨が今晩遅くに雪になるかも、とニュースで報じていました。

次の診察は5週間後の3月の頭です。退院後、初になるCPXの予約をして、こちらは来週の月曜2月4日の午後です。会社は午後半休になるかな。


為替が109円の安定領域に長期滞在するようになって、しばらく経ちますが、今日は少し円高に振れています。108円台。
昨晩FRBのFOMCで、利上げに関するコメントがあった模様です。年内の一段の利上げに忍耐強くある姿勢を示した、とはロイターの記事ですが、つまり、FRBとしては保守的に、利上げして、経済の過熱を早期に抑え、インフレに備えたい、気持ちをあえて耐え忍んで、見守る、ということのようです。
昔からそうですが、日本以外のどこの国でも金融当局はインフレに対し激しくナーバスです。
永遠に感じられるほど激しく長期にわたって超低金利の日本人にとってまったく実感が沸かないのですが、インフレなんて、本当に起こりうるのか?
起こりもしないインフレのゴーストにおびえているだけなんじゃないのか。と言う気がします。
どうひっくり返っても、これから、アメリカの景気が過熱化する要素は一つも見当たりません。むしろ、世界を見渡しても、アメリカが発信元になっている米中貿易摩擦によって、世界の景気も躓きかけています。アメリカでさえ、設備投資額は鈍化しており、上流側のお金の循環は滞り始めています。今ではまだ最下流の消費者層への影響は見えていませんが、上流から下流に、お金の循環の悪化の伝播のタイムラグはあるでしょう。


上のような「ことさらに耐える」という姑息な表現を取った、FRBの姿勢を、金利は直近では締め上げる姿勢から緩めるほうに重心をシフトしつつある、と市場は受け取ったため、為替は円高、ドル安方向に動いた模様です。


明日から2月です。2月1日から日本と欧州のEPA(経済連携協定)が発効します。美味しくて安いパスタがスーパーの店頭に並ぶといいですね。安くておいしいバターが入ってくるようになれば、町のパン屋さんもうれしいでしょうね。
















2019年1月30日水曜日

今朝は3℃くらいで曇っていたために気温はさほど下がりませんでした。、「中国私論」という本を図書館で借りて、読みました。人は誰も自分の見たいものしか見ないし、自分の理解したいものしか理解しない。国家の歴史認識と個人の人間関係を切り離せ。国家同士のくだらない諍いをはなれて友ができたなら、これほど素晴らしいことはない、に非常に強く共感します。終活年賀状のお返事をメールで頂きましたが、自分の状況をお知らせできたことが良かった。

今朝は3℃くらいで曇っていたために気温はさほど下がりませんでした。
一日中雲の多い天気でしたが、明日が一日中雨の予報でしたので、朝、洗濯して干して出勤しました。




以前にも一度紹介していましたが、会社の同僚に勧められて、「中国私論」という本を図書館で借りて、読みました。




基本的に、旅行記のような感じで、中国の社会について語っている本です。
前に紹介した本(スッキリ中国論)より読みやすく、バランスの取れた立場と語り口で書かれているので、お勧めです。



第1章から第2章までは、
そう、多くの部分で共感するところはありませんでした。
第一章、中国人という体験
「人口の多さ」がポイントのようです。
第2章、現代の錬金術:腐敗にべらぼうに厳しい現在の中国の政治、そもそも腐敗する仕組みになっている社会を解説

第3章、反日と戦争責任
ここから、歴史問題も含めて、日本と中国の関係と姿をバランスよく描いて、語っていると思います。
たとえば「中国のナショナリズム」

相手の立場を理解することは相手の主張に動同意することではない、双方が相手の立場を理解しあわなければ対話は成立しない
残念なことに日本と中国韓国との間にはこんな当たり前の常識すら成立しなくなってしまった。
日中は隣国で今更戦争をするわけにいかない。友好以外の選択肢はないということは両国の大多数が同意するだろう。だとすれば
今必要なのはお互いのナショナリズムをみとめつつ、偏狭なナショナリズムから自由になることだ。
この部分は非常に共感します。

さらに、謝罪と許し
という小題がついた段落では、同じ敗戦国でありながら、歴史問題と向き合ったドイツとの比較が非常に興味深いです。
最後のまとめの部分、当たり前のことが理解できっていない、日本人のなんと多いことか。

第二次大戦を象徴する出来事というとホロコーストと広島長崎への原爆投下を思い浮かべる
ところでアウシュビッツとヒロシマの持つ意味は両国にとって全く異なっている。
アウシュビッツはいうまでもなく加害の記録、広島は日本人にとって被害の記録
戦後、日本人は無意識に加害と被害を相殺した。
中国が南京大虐殺、韓国が慰安婦問題を執拗に持ち出すのは日本人にとって都合のいい罪の相殺に対する異議申し立てだろう。
戦後ドイツはどう乗り越えたか
ドイツも侵略戦争植民地については日本以上の露骨な罪の相殺をしている。
ドイツは東欧諸国を植民地化し、ロシアを侵略した。敗戦によってベルリンを破壊されソ連占領下の東ドイツではソ連兵によって数十万の女性が強姦さえれた冷戦で東西ぶんあkつされスターリンはポーランド東部の領土をソ連に編入する代わりにドイツとの国境を大きく西に動かしドイツの領土の④分の一をポーランドに割譲させた。
これによって1000万人以上のドイツ人がついほうされリンチや強姦などで210万人が死亡行方不明になったという。
ドイツの政治家が戦争における加害を謝罪する際には必ず被害にも言及する。
1970年ワルシャワをほうもんしたブラント首相はゲットー英雄記念館の前でひざまづいて世界を驚かせたが
「今日はわが国民と私自身にとって、あなたの国民に与えられたおおきな苦難そしてまたわが国民が味会わなければならなかった重い犠牲について痛ましい記憶を思い起こさせる日です。」
ヴァイツゼッカーは
「戦いが終わり筆舌に尽くしがたいホロコーストの全貌が明らかになったとき一切何もしらなかた、気配も感じなかったと言い張った人は余りにもおおかったのであります。一民族全体に罪がある、もしくは無実であるというようなことはありません。罪と言い無実と言い、集団的ではなく個人的なものであります。」
「ホロコーストの主犯はヒットラーとナチスだが、だからといって自分たちが従犯であったことから目をそらすわけではない。但、責めを負うのはあくまでも個人であって民族全体=ドイツ人ではない」
靖国問題において、日本は「A級戦犯に責任がないというなら、戦争責任はいったい誰にあるのか」と問われている。

戦争責任についてあれこれ私見を述べたが中国、韓国を旅する時この問題で不快な思いをするなどということはない。どこの国であれ、相手の社会や文化を尊重し、お互いの立場を思いやることができれば、何一つ恐れることはない。そういった当たり前の話だ。


日本と中国の「歴史問題」という小題には、
以下の二つの文に関しても、今の日本人であれば、中国を考える前提にして欲しいところです。

中国から生まれた日本
日本の文化の多くは中国大陸から持たされた文化からスタートしている。

日本から生まれた中国
中国に民族意識を植え付けたのは日本の中国侵略。



4章 民主化したいけどできない中国
面白い題ですけど、読むと「ああ、そだねー」と納得します。
民主主義を無理やり導入して苦しんでいる国は世界に非常に多いです。民主主義と言うのは劇薬です。順序を踏まないと、多くの不幸をまき散らします。東欧、中南米、中東、アフリカなど、アラブの春、で、私たちは、多くの悲劇を見てきたではありませんか。

民主主義こそ最高、というアメリカの押し付けこそ、多くの世界の人々を不幸にしています。
彼ら自身がそこに気が付いていないところが、皮肉です。
私自身も、そう思って、このブログで何度か書いてきました、そこをその通り代弁して頂いている気がしました。もちろん大変共感しました。


理想と愚民主義
民主中国の権力者は沿海部の富を強権によってうばいとり貧しい内陸部に分配することを公約したポピュリスト以外にはありえない。

中国人はみなこのことを知っているから、中国全土の民主化に賛同することは絶対にない。
共産党支配が弱まって民主化を求める声が高まれば、豊かな沿岸部はかつての軍閥のように事実上独立し、自らの権益を守ろうとするだろう。恐らくこのことが、革命の正当性を失っても共産党支配が続く最大の理由になっている。
中国の人々は独裁にくるしんでいるが、独裁を必要としてもいる。
中国は民主主義を実現するには広すぎるし、人口が多すぎる。
ワシントンコンセンサスの挫折
欧米の金融マフィアは人権や汚職民主政治の進展度合いなどで支援先に厳しい条件を付けてきた。これが「ワシントンコンセンサス」
しかし、民主化すればなにもかもうまくいく、と言う楽観論はここ10年で無様な醜態をさらした。アメリカのイラクやアフガニスタンへの介入のこと。
民主主義には三権分立や法の支配など、権力を制約する制度的な仕組みが必要。
しかし、アフリカの国々にはこうした制度や慣習はない。
そんな社会に民主主義をどうにゅうすると当選した政治家は利権を独占し、少数派を排除だんあつする。内戦に発展し独裁政治よりも悲惨なけっかになる。
アメリカの善意が途上国の人々を不幸に突き落とすという不都合な真実をしてきしたのがポールコリアー
人権と民主主義を至上のものとする欧米流の途上国支援が破綻するのと引き換えに注目されたのが中国の開発支援。

こちらは北京コンセンサスと呼ばれ、

中国企業の経済的利益を重視、エネルギー資源の確保を目的とする、国際政治における中国の影響力拡大を目指す。
もっとも際立った特徴は相手国の人権や政治体制に一切条件をつけない。
強くなるほどに弱くなる。
あちこちから警戒され。
分裂する権力
政治家やメディアは「中国」という統一された意思を前提に話をするが現実にはそんなものはどこにもないのかもしれない。
現代史についての基礎的な知識を持つことは大事だがどちらの歴史認識が正しいかを議論することには意味がない。
人は誰も自分の見たいものしか見ないし、自分の理解したいものしか理解しない。
だったら国家の歴史認識と個人の人間関係を切り離せばいい。国家同士のくだらない諍いをはなれてつきあえる友ができたなら、これほど素晴らしいことはないだろう。


人は誰も自分の見たいものしか見ないし、自分の理解したいものしか理解しない。

これはジュリアスシーザーの有名な一言です。はるか昔から、人類は何一つ進んでいないと慄然とします。人間の本質なのでしょうね。


さて、明日は診察で病院に行くため、会社を休みにしています。

今年は昨年のブログにも書きましたが、年賀状のお返しのいくつかは、寒中見舞いとして終活年賀状にしました。
そのお返事で、遠くに離れて同じ会社に勤めている方々から、メールでお返事の連絡を頂きました。
皆さんはもちろんじ「初めて知ってビックリした」とありました。
少なくとも、自分の状況を知らせることができたのは良かったと思います。
年賀状を頂いて、「元気?」と言われて、こちらからも「元気?」と年賀状を返すのは白々しいし、やはり生きているうちに正直に知らせてよかったと思います。
共通の会社の同僚が50になる直前という年で、夏に心不全で急死されていますので、なおさらです。


























2019年1月29日火曜日

今朝も冷え込みました。車の窓は凍って、寒さは今週末の土曜を最後、来週週明けから気温は上がっていくよう。日本の貿易収支悪化は、アジアから「通信機」の輸入が、EUから「医薬品」の輸入が増えたことが主因・こうした構造的な変化で近い将来、再び10兆円台の貿易黒字を計上することはなさそう。&短期的に円が上昇した時でも、加速度的に円高が進まなくなった背景には、こうした構造的な変化がある


今朝も冷え込みました。車の窓は凍っており、出勤時、朝5時半頃の外気温計はー1℃。
とはいっても、来週の週明けが立春です。気象庁のサイトで熊本県の週間天気予報を見ると、まさに来週週明けから気温は上がっていくようです。
寒さは今週末の土曜を最後にして、その後は少しづつ暖かくある見込み。やったー!
ま、とはいっても、まだ2月なので、周期的に寒の戻りとかあるかもしれませんけどね。






今日のロイターの拾い読み、為替に関するコラムが面白いことを書いていました。もう一つ挙げたのは週末スイスで行われたダボス会議に関するコラム。

円高にブレーキをかける日本経済の構造変化=佐々木融氏

日本の貿易収支悪化は、アジアからスマートフォンなど「通信機」の輸入が、EUから「医薬品」の輸入が増えたことが主因と言えそうだ。エネルギーの輸入がそれほど影響していない点も興味深い。

こうした構造的な変化をみると、日本が近い将来、再び10兆円台の貿易黒字を計上することはなさそうだ。日本企業の多くが生産拠点を海外に移し、対外直接投資に積極的な現状を考えると、むしろ赤字が常態化していく可能性のほうが高い。

一方、貿易収支を含む経常収支は過去最高に近い黒字水準を維持している。これは貿易黒字に代わり、過去に行った投資のリターンである所得収支の黒字が増加しているためである。
1980年代後半から1990年代までは、貿易黒字が経常黒字を上回る状態が続いていた。日本の経常黒字はすべて貿易黒字で構成されていたということだ。それが2000年代に入ると貿易黒字が頭打ちになる一方、所得収支の黒字が増え始め、2008年以降は経常黒字の中で圧倒的な存在感を示すようになった。
経常収支の変化は、円相場の動きを見る上で重要だ。単純化して言えば、貿易黒字は日本のメーカーが国内で作った製品を海外に輸出して得た代金である。コストの大部分は円建てと考えられ、貿易黒字の大部分は速やかに円資金に換える必要があると推測できる。一方、所得収支は過去の投資に対する対価であるため、すぐに円に換えずに再投資をする部分も多いと考えられる。

つまり、経常黒字が20兆円近い水準であっても、その大部分を所得収支の黒字が占める現状は、実需による経常的な円買いフローが多いとは言えない状況にある。

投資家のセンチメントが悪化し、短期的に円が上昇した時でも、加速度的に円高が進まなくなった背景には、こうした構造的な変化があると考えられる。
なるほどねー、経常収支で黒字になっても、その利益は日本国内に100%還流することはないぜ、と言うことなんでしょうね。あたりまえかもですが、そのせいで、円買いは一方的に進みにくいのか。やっぱ貿易赤字が定着してしまった今、昔のような円安水準は望めないんでしょうね。

超塩漬けにしている、ドル資産のリバランスを考えようかな。


転機迎えたダボス会議、世界の将来予想失敗の反省を


今回、ダボス会議では景気減速や怒れる民衆、先端技術を巡る対立などを心配することに大半の時間が費やされた。
そうしたムードは、お門違いの楽観論が漂っていた前年と実に対照的に映る。ただし1つの重要な要素は変わっていない。

それは、ダボス会議の参加者たちが次の展開を予測する能力に関して非常に強い自信を持っていることだ。
1年前、ダボス会議の参加者は万事順調だと感じていた。世界の大半の地域で経済成長はしっかりしていたし、当選したばかりのマクロン仏大統領は「フランスは立ち直っている」と宣言。
イタリアで反既成政治の政権が樹立しようとされていた動きは重視されず、サウジアラビアのムハンマド皇太子は先見の明を持つ改革者とみなされた。
トランプ米大統領でさえ、その職にふさわしいとの声が聞かれた。

こうした期待を込めた見方の一部は今年になって訂正を迫られた。

ダボス会議の参加者がスイスの空港に降り立ったかどうかの段階で、国際通貨基金(IMF)は世界経済見通しを3.5%に引き下げ、米中貿易摩擦がもたらす悪影響に警鐘を鳴らした。トランプ氏とマクロン氏は、それぞれ国内の政治停滞と反政権デモに対処するため、妥協を強いられた。
サウジの代表者は、反体制記者ジャマル・カショギ氏殺害事件でダメージを受けた各国との外交関係修復に力を注ぎ、イタリアのポピュリズム(大衆迎合主義)連立政権を率いるコンテ首相は、ダボスの聴衆に向けて国民を第一に考えるよう訴えた。
今年はほかにもたくさんの懸念要素があった。特にマクロ経済の議論を支配したのは中国経済の減速で、昨年の成長率は6.6%に下振れた。米国との関税合戦が一因ではあるものの、多くの専門家は、中国経済がさらに鈍化すると予想。それが今度はドイツなど輸出国の先行きに影を落としつつある。
ダボス会議の意気消沈ぶりは、各国の自業自得によって助長された面もあった。例えば米国では、ポンペオ国務長官のビデオメッセージが公表された時点までに、政府機関の一部閉鎖が35日に及んでいた。米国の政策金利はなお低く、ユーロ圏に至ってはマイナスにとどまっているため、中央銀行として深刻な経済ショックに見舞われても打てる手はは乏しい。
非公式の議論で主題となったのは、ハイテクだ。政治家は一斉に、巨大IT企業がデータ使用に節度を持たず、あまりに納税額を少ないと批判。フェイスブック(FB.O)のサンドバーグ最高執行責任者(COO)も、ソーシャルネットワークが顧客の信頼を失っている現状を認めた。
中国の華為技術(ファーウェイ)の梁華会長は、同社がスパイ行為をしているとの見方を否定するために登場した。
もっとも何人かの企業幹部は、幾筋かの希望を見出した。結局のところ、ダボス会議というのは間違った思い込みをするという点で特異な才能を持つからだ。実際、米中両国が3月の交渉期限までに新たな関税をかけるのを避ける道を回避できたり、英国が何とか混乱なく欧州連合(EU)を離脱すれば、情勢はすぐに良い方向に転じてもおかしくない。

ところがいつまでも変わらないのは、ダボス会議の参加者が抱く自信満々の姿勢だ。彼らにはある程度の謙虚さが望まれるだろう。

何しろ2016年1月の会議では、ブレグジット(英のEU離脱)やトランプ氏が共和党の大統領候補指名を受けることなど、ほとんどの参加者が予想できなかった。トランプ氏の大統領就任は言わずもがなだ。そして1年後、ダボス会議ではトランプ氏は現実的な指導者になると主張されたが、当のトランプ氏は就任演説で外国の経済的脅威などによって米国民が「ひどい目に合う」という現実離れした考えを披露した。
なぜダボス会議の世界観に歪みが生じるのか、説明するのはたやすい。参加者の圧倒的多数は、それぞれ政治、企業、金融、教育などの分野のエリートに属しており、お互いの意見を認め合いたいという誘惑には抗しがたい。だから反対意見はまれだし、抑えめになる。

ダボス会議が権力ネットワークが具現化した存在であることに変わりはない。
多くの人は、自分たちが目にしたいものがそこにあると期待し、ダボスに引き付けられる。だが議論の結果、先行きを正しく見通せていないことが証明されている以上、参加者は反省すべき時期にとっくに差し掛かっている。


ダボス会議なんて、正直止めたほうが良いでしょう。
あまりありがたくもない人々の集まりになってきていて、経済と言っても、お金持ちとか特権階級にとっての経済のお話に終始しており、そのせいか、ここのコラムで行っているように、世間の動きに超鈍感になってきていて、およそ賢明という言葉からほど遠い人々が、社会を語っていて、空々しい感じが年々、強まってきていて、昨年の顔触れは最たるものでしょうね。
今年は、そういった人々の一部に、自分のお尻に火がついて、賢明ではないことを露呈しています。失笑ものです。
反省すべき、とコラムの筆者が書いていますが、さて、それは何に対する反省になることか。
そういったことを明らかに記さない以上、この筆者もややペテンの類に近い。

「彼らにはある程度の謙虚さが望まれるだろう。」

なけなしの勇気を出して、こう記すので、精一杯、といったところか。(残念)



















2019年1月28日月曜日

週が明けて、月曜の早朝から雨。来週は2月4日が二十四節気の立春。中国は春節。新しい1年が始まります。近所の梅の花の定点観測。春節ごろに見ごろか。VWとフォードのアライアンス。巨大なアライアンスが誕生。キャノンの御手洗さんがデジタルカメラの市場が今後2年間で半分ほどに縮小する恐れがあると指摘

週が明けて、月曜の早朝から雨でした。カーペンターズの歌ではありませんが、物憂げな朝です。
気温は高め1~2度。
いよいよ、今週でもう一月は終わり。月末の週です。来週は2月4日が二十四節気の立春。寒の終わり。寒かったのか、暖かいのか、よくわかりませんが、通して朝は寒かった気がします。
今週の木曜日は月一の診察の日なので会社を休んで、病院にいく予定です。



さて過日、日曜日、朝から、録画した映画とかを見つつ、退屈したので、コメダに行き珈琲を飲んで、どこに行くかーとか考えていました。
ちなみに、見たのは、リュックベンソンの「Taxi2」、たしか、前に看たことがある。

家の近所では梅の花がいい感じになりつつあります。いつもと比べても早い感じ。
(2019年1月26日 近所の坪井川沿いの梅)

土曜も、日曜の朝も、かなり冷え込みました。
日曜、コメダに出かけたのは10時くらいでしたが、外気温計は2~3℃で、窓の氷がシャーベット状に残っていました。


上の梅の花、同じ場所で、1週間前撮ったものが↓
(2019年1月19日  近所の坪井川沿いの梅)



(2019年1月17日  近所の坪井川沿いの梅)


ニュースの拾い読みで

ドイツ銀、トランプ氏との関係巡り米下院委員会から質問受ける

2018年の開示資料では、トランプ氏がドイツ銀の子会社ドイツ銀行トラストカンパニー・アメリカズに少なくとも1億3000万ドルの債務があることが明らかになっている。これには首都ワシントンで旧郵便局を改築して建設した「トランプ・インターナショナル・ホテル」のための借り入れが含まれている。
じじい、いよいよ議会予算を通し、政府機関の閉鎖は一旦は収束しましたが、彼が望むメキシコとの国境の壁のお金は1セントも出ません。これが妥協なのか、なんなのか、よくわかりません。
が、一方でドイツ銀行とのスキャンダルめいたニュースが上の通り出ています。こんごの文脈にどう影響してくるのか。


独VWと米フォードが世界規模で提携、世界販売1700万台のアライアンス誕生

両社の提携で世界販売台数1700万台超の自動車連合が誕生する。


急に沸き上がったかのような、このアライアンスにはちょっとビックリしました。
日産、ルノー、三菱アライアンスは今後どうなるか?と言うところにありますが。

日産とルノーの提携以上に、VWとフォードの提携に必然性を感じません。うまくいかないような気がします。おそらく、フォードにしかメリットが見えません。

下はろいたーじゃあありませんが、

日本経済新聞に、キヤノンの御手洗冨士夫会長のコメント
御手洗冨士夫会長は日本経済新聞の取材で、デジタルカメラの市場が今後2年間で半分ほどに縮小する恐れがあると指摘
ミラーレスの製品が伸びているが、あくまで一眼レフとの置き換えだ。市場全体でみると上乗せにはなっていない
ある、カメラの某噂サイトに挙がっていた記事です。
スマホで一通りの撮影ができてしまうので、致し方あるまい、というのが、その某サイトの掲示板の大方の声でした。

















2019年1月27日日曜日

金曜日は会社の食事会で、お金を払ってないけど超絶旨い肉をたっぷり食べました。土曜日、昼に大いに雪が舞い、昼過ぎに震度4くらいの地震。

金曜日は会社の飲み会でした。
が、もちろん自分は病気のこともあり、お酒は飲みません。ですが、この日は食事が奮っていました。

場所は、花畑の「ニュー熊本亭」というお店。鉄板焼き肉のお店っぽいです。
各テーブルには鉄板がありました。お店の看板やWebのサイトを見ると、ステーキハウスとなっています。


会社から1万円出ていて、それで飲み食いしてください、というもの。

最初、サラダとお刺身三点盛の皿が出て、
スジ肉が入ったデミグラのシチューの入った金属製の器を鉄板で温め。一通り食べた
あと、エビとホタテの貝柱をバターで焼き


ここまでが前菜。
そして、ようやく本番。
ドドーン!フィレとかもも肉とか、三種類五人分、五きれづつあります。 



右上の赤身の一群がフィレ。

久しぶりにうまい肉を食しました。

フィレを焼くとこんな感じ。
こんな感じで切り分けて、

レアでも十分美味しい。

何種類かの醤油と、お店オリジナルステーキソースで食べます。

やばい。月いちで食べても良いんじゃない?

そして肉を食べて満足したころに、

土鍋ごはんが来ました。肉ときのこの炊き込みご飯だそうです。選択肢としては、これか、油そばがあった模様。




テカッてるなー。この締めのメシも旨かった。


こんなに食べたのに、帰宅後測った体重にはさほどの影響はありませんでした。
金曜の朝62.4kgで、
土曜の朝、62.8kg。
日曜の朝、62.6kgと言う感じ。肉だけじゃ、そんなに太らないんだなあ?(本当か?どこに行ったんだ、あの旨い肉は。はっ?まぼろし?)





土曜日はお昼、12時前後に熊本でも、30分くらいでしょうか。風が強く吹いて、大いに雪が舞いました。福岡や大分でも平野部で薄く雪が積もった、と聞きました。
12時半ごろ、買い物に出かける際にはほぼ止みかけていて、風も緩やかになりました。行く途中から青空が広がって、さっきの大雪は何だったんだろう?と言う感じ。
(2019年1月26日12時過ぎ 雪の舞う熊本)
写真では見えずらい。。。

買い物を済ませて、帰宅したのが14時ちょうどくらい。


すると、家の中がゴトゴト鳴り始め、グラグラっと来て、地震でした。震度は体感的には3と4のあいだくらい。
直感的に、1月の余震と気づきました。
2016年の地震から3年経ちますが、なかなか、地震を忘れることはさせてもらえません。
忘れないうちに、地震はやってきます。
テレビを見ると、やはり、和水あたりが震源であのあたりは震度五弱だったそうです。










2019年1月24日木曜日

今朝、5時に家を出た時にはそれほど寒くはありませんでした。窓も凍っていなかったし。が、6時7時頃出勤された方に聞くと寒いーと言ってました。今時分の寒さのピークは6時過ぎくらいなんでしょうね。

ここ1~2週間の株価は落ち着いています。VIX指数も昨晩1/23の時点で19.52と落ち着いています。年初20超えでした。
ただ、昨年の今頃は10~11でしたので、微妙な感じです。
まったくけしからんですが、じじい次第。

以下、いつものロイターニュースの拾い読みです。

アメリカの大統領の発言により、年末年始、世界中の株価にトランプ危機(Trump Crysys)が起きたのは記憶に新しいことです。
アップルショックと言う人もいますが、アップルはアイフォンの価格を引き下げて、販売額じゃなく、販売数量を確保する方向に変節しました。

それまで、出荷数量は気にするな、と強気に言っていたんですけど。
出荷数量を気にし始めると、コンシューマー製品は、途端にありふれたものになってしまいます。

つまり、オンリーワンとしての価値を捨てるようなものとして、消費者に受け取られてしまいます。
アップルはこれを恐れて、出荷額に重点を置いて、アイフォンの価格を上げていたのですが。
ついうっかり、上げすぎてしまったんでしょうね。
加えて、トランプ危機のあおりで、アメリカ製品に対するボイコットもあったんじゃないでしょうかね。

中国でのアイフォンは日本ほど多くはありません。
私の実感として、中国人男性、年齢に関係なく、若い人も、あまりアイフォンを持っている人はいません。男性客はどっちかと言えば、アンドロイド持っている人が多数です。
もちろん、そこにSamsungのGalaxyを持っている人は超少ない。まだ、SonyのExperiaを持っている人はすくなからず、いるかな。と言う程度。
どちらかと言えば、中国人の若い女性には、アイフォンが人気が高い、ような気がします。つまり客層はかなり偏っています。

そういったなかで、価格&商品魅力の本来の問題に加え、政治的な影響が入ってしまって、アップルの中国での出荷量はかなり減少した、らしい。です。

西暦の年末商戦より、2月上旬の旧暦の春節商戦(と言うものがあるかどうか? むしろ、直前の今くらいの商戦結果が大事なのかも。)

1月下旬の販売数量がどうなっているか。

前置きが長くなりましたが、そんなかで、

トランプ政権「株価ファースト」転換でドル安に=池田雄之輔氏

と言う見出しでコラムが載っていました。
株価ファーストというおだいもくより、ではじじいは具体的になにをするか?です。
いま、アメリカはそれよりも政府機関の閉鎖の方が喫緊の問題。株価ファーストならば、彼自身の政治的な真情より、大いに民主党に妥協して議会を運営するほうが株価ファーストと言えるでしょう。が、実際にそんなこと(変節)ができるかどうか。

米国のトランプ大統領とパウエル連邦準備理事会(FRB)議長の変節である。大統領の通商政策は「アメリカファースト(第一主義)」から「株価ファースト」へ、パウエル議長の政策姿勢も雇用最大化と物価安定という「デュアル・マンデート(2つの使命)」から、目先は「株価マンデート」へそれぞれ移行したように見える。

先陣を切ったのはパウエル議長だった。4日のスピーチで、「常に政策スタンスを大幅に変更する用意がある」と述べ、3カ月に1回という利上げペースに決別する考えを示唆した。景気とインフレのシナリオに大きな狂いが生じていない中でのハト派転換である。株価急落を重要視した可能性は否定できない。
このパターンは、3年前(訂正)の状況に似ている。2015年12月、当時のイエレンFRB議長は利上げ開始に踏み出したものの、きわめて弱い状況にあった中国景気との波長が合わずに失敗。年明けに強烈なリスクオフを招き、原油価格は一時1バレル30ドルを割り込んだ。その後、2月末に上海で20カ国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議が開かれ、「ドル安合意」があったのでは、と一部でささやかれる中、イエレン議長の政策姿勢は急速にハト派化した。

この記事では、FRB議長のほうが株式相場との向き合いが一足早いと、言いたげな内容になっています。
じじいの方は議会運営と、政府機関の運営のためのつなぎ予算にサインするだけ。無条件に。
じじいがメキシコとの国境の壁になんで固執するのか、さっぱりポンです。


続いてはこちらのニュース。

日産はいずれルノーに屈する運命か

ルノーにとっては厄介なことに、日産には2015年のルノーとの合意に基づき、ルノーが過剰な経営介入をした場合、ルノーへの出資比率を現在の15%からもっと高くする権利がある。持ち分を25%にすれば、日本の法律が適用されてルノーの議決権が無効になり、株主決議を拒否して取締役指名を阻止する力は弱まる。

もう一つは、
中国経済失速は本当か、コモディティ輸入量が示す真実

失速感を示すのは各企業の決算でもじわじわ出始めていますが、 一昨日の日本電産の決算とか。
そんなの、ロイター自身で検証してよ、的な、もはや、どうでもいい記事です。

結論からいうと、経済失速、とロイター自身が不安をあおっていることに対して、実際はそれほどでもない、ということ。
わたしも、実感的には、
アメリカとの貿易戦争は、アメリカに分がない戦いだと感じています。

実際に、中国への影響が現れるのは、アメリカの景気が先に倒れて、それが世界に伝播して以降になるはずです。
チキンレースしても、アメリカには勝ち目がありません。第二次大戦で、日本がアメリカに無謀な戦争を挑んだのと同様な状況になりつつあると、かつての日本の姿が、今のアメリカの姿に重なります。アメリカが追い込まれてからリアルに戦争への不安が発生してくるかもしれません。

そうなった場合、アメリカに味方するのはそれほど多くないんじゃあないでしょうか。
現在、かつて積み上げた徳を食いつぶしているように感じますけど。






2019年1月23日水曜日

今朝寒くて車の外気温系は-2度。車の窓は凍てつき。WILLSON 超解氷トリガーが凍てつき対応にお勧め。(呆)安部スネ夫シンゾーは内政で息をするように嘘をつき官僚もまねをする、外交も下手。良く首相が務まると呆れる。

今朝も寒くて車の外気温系は-2度。車の窓は凍っていました。
車の窓が凍っているときは、自分は、近所のホームセンターで下の(超解氷)を買って使っています。おすすめです。

WILLSON [ ウイルソン ] 超解氷トリガー400
¥537 @近所のナフコ

amazonでは800円くらいします。たっか!

缶スプレータイプよりも私はこの霧吹きスプレータイプの方が使い安いです。
霧吹きのノズル部分は回転して、スプレー範囲を2段階に変えることができます。
変える必要性はあまり感じたことがありません。
缶スプレータイプよりも私はこの霧吹きタイプの方が使い安く使用後の廃棄の際も廃プラで捨てられるので安全で楽です。(←ここ重要)
解氷の液体そのものにシリコーンが入っていて、撥水効果があります。
これを使って凍ったフロントガラスを溶かすと、後日雨が降っても、しっかり、結構強めに雨滴を弾いていました。

お安いし、捨てる際に気を使わないし、効果は十分以上ですし、大変満足です。
輸入車に使っていますが、ゴム部分や樹脂部分が、この解氷スプレーでおかしくなるということは2シーズン使ってありません。撥水効果が高くてワイパーのビビりは出ますが。。。


日本とロシアの首脳間で会談があったみたいです。日本側は領土に関して、ロシア側は二国間の平和条約に関して、進捗を見せたかったところですが、現時点では、けっきょくのところ、以前、ASEANの会議でロシアの首相がアドリブで発言した内容に沿った形に進みそう。

今年秋に開催されたASEANの会議で、ロシア首相は「前提条件を抜きにした年内の平和条約締結を提案しました」
スネ夫君は、頭が固く、そんなアドリブには弱いので、持ち帰ります、と定型のコメントしか発せず、だらしない姿をさらしています。あんなだらしなくていいのか?!
昨今のマスコミは政権に優しすぎます。

その後、いろいろなやり取りはあったのでしょうが、結局、状況として変わらず、あのとき、「うん、いいよ。」と返答していればスネ夫の評価は上がったでしょうけど。

4か月経っても、「うんいいよ、」と言うのと変わらないのであれば、即答して、人間としての信頼感を上げるほうが、外交においては普通、プラスです。人間同士のやり取りでも一緒。
国同士の外交なんて、結局は同じ。それができない安部スネ夫シンゾーは内政で息をするように嘘をつくし、外交も下手。良く首相が務まると呆れかえります。
日本側の思いは、元島民の帰島、というところしかないでしょうけど、戦後70年経ち、生き残っている当時の島民はそう多くないでしょう。
一方、現在の南クリルにはすでに70年の歴史を刻んだ、生まれ育った、という人も含め住人が多くいます。
そうした人々に、故郷を捨てろ、と日本が言えるのでしょうか。甚だ疑問です。
現実的なのは、年老いた、数少ない元島民に、故郷への帰還をあきらめてもらって、今の幸せの生活を続けてもらうことではないでしょうか。
故郷の帰還がかなわない、と言う意味では、ダムの底に故郷が沈んだ方も大勢いらっしゃいます。そう、特別なことではないはずです。
今住んでいる人を追い出して、新たな恨みのタネをまく、という愚行は繰り返してはいけないじゃないか、と思います。




2019年1月22日火曜日

車のフロントウィンドウに露は落ちて居ました。なかなか減らない体重と格闘中。改元まで100日を切った。

今朝は雲があったせいでしょうか、車のフロントウィンドウに露は落ちて居ましたが凍っていませんでした。外気温計は2度。ぎりぎりだったんでしょうかね。

なかなか減らない体重と格闘中です。
昨年の今頃は70kくらいでした。
ちょうど一年前の今頃、北京に出張。して、上海が記録的大雪だったので急遽計画を変更して新幹線で北京から上海に向かったつもりが、途中徐州で一旦下ろされて別の新幹線で降りた駅が大雪の中の蘇州、という。
はちゃめちゃな感じになって、警察(兵館)のロビーで一晩を過ごし。
翌朝いった病院で脳梗塞と診断されてICU直行。それが、2018年1月26日
死ぬ間際でした。。。2月の終わりまで、上海の浦東医院で入院。
この辺りは昨年のブログに詳細に記録しています。すくなくとも、上海にいる間まで、70kでした。

そこから昨年2018年6月10月まで65kの壁があり、その壁を打ち破った秘訣は「タマネギ」でした。
10月ころから1日1~2個、くらいタマネギを食べ続けています。
食べ方は、タマネギの上と下を斬って、茶色の外皮は向いて、皿の上で上の部分に十時に包丁を入れ、中心に「菜箸」(なんでもいいけど)で突き刺して中心に穴を開けます。
そしてオリーブオイル、あるいは「アマニ油」を大さじ一杯分くらいかけてラップで、蓋をして、電子レンジで600w5分。

といういわゆるオイル蒸しにします。

5分後、取り出して、大さじ一杯分のポン酢(フンドーキン醬油の「カボスポン酢」がおすすめ)をかけ、お好みにより、カツオ節をふりかけるだけ。


これを3か月くらいつづけています。

玉ねぎの買いだめ、100g10えん、1.5kg一袋で150円、一袋、9玉ぐらい入っていました。


が、1月以降、63kの壁が現れ、なかなかこの壁を抜けられません。一時的に62k代に落ちることはあるのですが、続かない。
朝飯にタマネギと、バナナ、もしくはシリアル+豆乳。
昼飯は会社があるときは社食。休日は、近所のカフェや、食堂に行って、定食とか、カレーなど外食で食べています。
夕飯はおでんとか、シリアル+L豆乳(もしくはパン3~4個)&バナナ。(けっこうがっつり)
というのが、ほぼここ半年の定番。昨年9月以前はタマネギが入っていなかっただけ。
それで、いつまでも壁だった65を破って、63~たまに62まで落としたので、タマネギ効果は少しはあったとみるべき。
が、ここにきてなかなか目指す目標が60kなので、もう少しなのですが。。。

一週間くらい、プチ絶食でもするかな?
がっつり運動して減らす、ということが心臓の病気持ちという背景がある以上不可能。
OutPutを増やして減らせない場合、InPutを減らすしかない。。。



さて、改元まで100日を切ったそうです。
今年、5月1日に改元を迎えるそうな。

さて、いまさら予想しても意味がないので、しませんが、

「暫定」とか「熊本」とか「肥後」、「希望」「天国」だったら面白いな、とは思います。

今まで、元号が地名だったことはありません。元号にちなんだ地名はいくつもあります。逆があってもいいじゃない?

希望はないですが、天国、の「天」の文字を使った元号は既にいくつも「天平とか天保とか天元とか」あります。

ネットを見渡すと、予想ランキングで「安」の字を使うものが多いようです。

あとこれまでの直近MTSHとかぶらないように、Kから始まる元号を予想しているところもありました。
大昔には4文字の元号があったので、いっそ4文字にしてみたら?「安全運転」とか?
なんで2文字じゃないといかんのかね。4~6文字もありじゃないかな~??
風林火山〇年、晴耕雨読〇年。起承転結、〇年もありじゃないかな。

「心機一転」「健康第一」とか。「原発撲滅」とか。「打倒自民」とか(苦笑)
「九州熊本」とかもありじゃねーの?「加藤清正元年」もありかなー。
「構想元年」「苦節元年」「究極元年」とか?













2019年1月21日月曜日

今晩はスーパームーン。日曜見た映画「ハドソン川の奇跡」は良い映画でした。多くの人々の誠実な行動の積み重ねが成功のカギ、が泣ける。

今日は朝から冷え込みました。車の窓も凍っており、外気温計は-0℃でした。ヒエー。
朝は天気が良かったのでその分放射冷却が進んだのでしょうね。
午後もすっきり晴天が続きました。
今日は夜、皆既月食です、明け方西の空に満月が出ていました。
今晩はスーパームーンの月食です。
(月食は1月21日の午前10時、アメリカやヨーロッパで見える範囲で起こっています)日本では見えません。


日曜日は朝方から午前中まで雨お昼ちょい前に雨は上がって、午後は晴れていました。
土曜は図書館行ったりしましたが、日曜日は専ら家で録画したテレビを見ていました。

日曜見たのは映画「ハドソン川の奇跡」
監督はクリントイーストウッド。実際に2009年1月にNYで起きた、旅客機の文字通り川への不時着事故を扱った映画です。映画の邦題は「ハドソン川の奇跡」になっていますが、原題は旅客機の機長だった人の愛称「サリー”Sully”」です。
この旅客機は、NY発でシャーロットと言うアメリカ国内のどこかを結ぶ国内線で、NYのラガーディア空港を離陸してすぐにバードストライクに会い、2発あるエンジンの二つとも破壊されて停止。
そこで機長はNYのビルの間をすれすれで飛びながらハドソン川に不時着する決断をします。
最初はラガーディア空港に戻るとか言ってましたが、二つのエンジンを福機長がマニュアルを見ながら必死に回復させようとしますが、それがかなわないことの見通しが立ったためすぐに川への不時着を決定します。
この副機長の行動や、あらかじめ、エンジンが戻らないことが分かっているかどうか、という場面がその後自己検証でのシミュレーションに影響を与えます。
「まさに運よく、飛行機は川にきれいに不時着します。ちょっとでも前後が傾いて不時着すれな機体は折れて飛行機はすぐに沈没してしまったかもしれないし、左右の傾きがあっても羽が折れて、沈むのが速まっていたかもしれません。NYの1月は冷えます。当時気温6度、水温2度。みずに溺れていれば死者は多く出た可能性があります。
ともかく、羽は折れず、機内の乗客155人はパニックになることもなく、羽の上や、だしゅつ用シューター、そのものがいかだにかわる。に乗り込んで脱出し、ハドソン川のフェリーも急遽救出に向かい、現れる関係者、沿岸警備隊、警察など、みなが誠実に自分のするべきことを行って、155人は一人もかけることなく無事に救出されました。
事故後、アメリカの当局の事調査委員会は、機長の判断が、むしろ、乗客を危険にさらして野ではないか、という姿勢で事故を調査します。コンピューターのシミュレーション、旅客機を製造したエアバスが用意した、事故シミュレーションをする、パイロットたちによる、シミュレーションでも、ラガーディア空港への帰還は可能だった、つまり、機長の判断は間違っていた、という結果に当初は進みかけます。しかし、機長も、副機長も何かおかしい、とそのシミュレーション結果に疑問を持ちます。
しみゅれーしょんを行った人々は何度練習したのか?と機長は事故調査委員会に質問します。
委員の一人は17回と答えます。機長のサリーも人的要因を考慮に入れてない、無効なシミュレーションだと言います。3日後、エンジンが川から引き揚げられて、完全に破壊されていたことが立証され、その結果、マニュアルを見てエンジンを回復させるための活動を考慮に入れた30秒のロスを入れてシミュレーションしてみると、どのパイロットも。ラガーディア空港にもどるどころか、NYの町中に不時着して、大惨事になるような結果しか出てきませんでした。機長のサリーの一瞬の判断有効性が証明されたのでした。
映画でも、機長のサリーが言っていますが、自分だけが英雄ではない、あの場にいた、乗客や乗員、フェリーの船員、警察や沿岸警備隊など救出にあたった皆が英雄だと、言います。
NYはこの事件の8年前に旅客機による非常に悲しい出来事が起きています。また時代背景的にも、NY、証券取引所ではこの事件のつい数か月前2008年9月にはリーマンショックが起きて社会的にも暗く案っていた中の、まさに、奇跡的な不幸中の幸いでした。
とてもいい映画でした。

多くの人の誠実な行動の積み重ねが成功のカギ、と言う部分が泣けてくる。おすすめ。


この他、「2012」というかなり荒唐無稽なB級映画も見ました。監督は「インディペンデンスデイ」のローランドエメリッヒ。

こちらは感動とかとはかけ離れとる。見るだけ無駄。
そのほか、「ドラマの鬼平、剣客商売」を溜めている分を見ました。
あっという間に一日が過ぎるゼイ。










2019年1月20日日曜日

剣客商売全集 別巻 黒白の感想とか。終(13)

内容を剣客商売に絞るため自動で1月20日の日曜の朝アップロードします。

日曜は大寒で寒の時期の折り返し、中間です。2月3~4日の立春までが寒の時期になります。
天気予報では雨です。家でじっと読書しているかも。


2018年12月になってすぐに借りた剣客商売全集の別巻の事を載せるのも、延び延びになっていました。ついに年を越してしまいました。
この章でいよいよ、最終章。ぎりぎり週中に終えることができましたが
これでえ剣客商売シリーズをすべて読破してしまいました。寂しいです。


剣客商売は2018年に出会ったなかで一番の本でした。
図書館で剣客商売全集1~8巻そして別巻。
今回の別巻が最後になっていますが、自分も読むのが最後ですが、時系列歴には剣客商売シリーズでは最も初めに位置していると思います。
剣客商売の第1巻、剣客商売は主人公小兵衛は50代後半から60代ですが、黒白は小兵衛30代から40代後半。
師匠の辻平右衛門が隠居のため、京都大原に逼塞するくだり、嶋岡礼蔵とのやり取り、辻道場の詳しい説明。
がこの黒白で語られています。また、本編では登場しませんが、小兵衛の最初の妻、大治郎の母である、お貞さんとのなれそめ、お貞さんの性格が詳しく描かれているのも、この黒白です。
番外編の「ないしょないしょ」が黒白の後の時代。しかし、ないしょないしょ」で小兵衛の登場は少ないです。この時小兵衛は50代の前半じゃないだろうか。
「ないしょないしょ」は剣客商売で唯一、女性が主人公、薄幸の女性「お福」の16から36までの人生の模様と、当時の江戸の姿が描かれています。
なので、剣客商売をこれから読もう、と言う場合、「黒白、ないしょないしょと、読んで、本編の1巻から読み進めると時系列的に正しいです。
剣客商売、と題名ですが、実際に剣で商売、お金のやり取りすることはほとんどありません、
好奇心旺盛な小兵衛が江戸で起こる様々な事件に首を突っ込んで解決していく、お話なので剣客事件簿、と言う題名のほうが良いような気がします。。。

例によって、礼の如く、感想と言うよりほとんど筋をコピペのように書きつつ、コメントをさしはさむ形式です。
なので、完全にネタバレです。ご注意ください。


-三条大橋ー


助五郎は探索中の浪人強盗二人の所在を突き止めようとしてかえって浪人どもに斬殺されて、助五郎の遺子で母親の手一つで育てられた弥七がお上から十手を許され亡父の跡を継いだのは明和四年(1767年)
小兵衛は49歳になっていた。宝暦三年(1753年)の一月末~二月頃に勝負してから十四年。
小兵衛にも子ができて大治郎と言った。お貞は大治郎が七つのとき風邪をこじらせて世を去った。
小兵衛にとってお貞の死は大きな衝撃で、一時四谷の道場を閉めてしまいます。この章はその後の小兵衛や、修行に京大原の辻平右衛門のもとに一人出て行くほどまで成長した大治郎の姿を追います。
旅立つ大治郎の一五歳の大きすぎる背中に小兵衛は波切八郎の姿を重ねたりしていますので、時折に八郎のことを思い出してしまうのでしょう。
辻平右衛門が安永二年(1773)大原で亡くなり小兵衛は知らせを受けて京大原に向かう。
そして、嶋岡礼蔵と大治郎と会う、辻平右衛門の始末が終わり、嶋岡は実家のある大和国へ発ち大治郎は大阪の柳道場に向かう。その別れの際に、

「のう大治郎、いまのお前にはまだよくわからぬやもしれぬ。わしもお前の年ごろには少しもわかってなかったのだが」
「よいか大治郎、人の生涯いや剣士の生涯とても、剣によっての黒白のみによって定まるのではない。この広い世の中は赤い色や緑の色や黄の色やさまざまな数え切れぬ色合いによって成り立っているのじゃ」
その晩ゆっくり眠った秋山親子は翌朝九時頃宿を出た。空は青く晴れ渡り、親子は三条大橋へ差しかかった。
(や・・・?)ぴたりと足が止まった。幅が約5間の向こう側を東詰めの方から歩んでくる老人に見覚えがある。背の高いその老人の右手は懐に入っているように見えたがそうではない。
ほかならぬ小兵衛の一刀によって切断されたのである。(あ、波切)まさに波切八郎であった。
(生きていたか・・・?)八郎は町人の姿をしている。八郎に付き添うように歩む老女がにっこりと笑いつつ何やら八郎へ語りかけている。
八郎がこれも穏やかな笑顔で老女に応えていた。
(生きていた。そうかふむ。波切八郎殿は生きていたか。)
わけもなく熱くなってきた目頭を指で押さえてから小兵衛は三条大橋を東へと渡って行った。

(終了)

まさかの八郎の再登場でした。しかも幸せそう。
小兵衛のほうがかつての八郎のように、八郎斬ったあとも、自分の息子大治郎に八郎の姿を重ねたりして、一歩も前に進めないような(実際には小兵衛の生活は進んでいるのですが)状態になっていました。
ですが、八郎の生きていて幸せそうな姿を見て呪縛から解放されたかのような心持になったのでしょう。
それほど、市蔵を含む八郎に対する心配、八郎を斬って黒白が定まったのではない、と言う心の現れもあるのでしょう。
諸国修行に向かう大治郎に「勝・負」という黒白にこだわってしまうと、大事なものを見失う、と言う意味で世の中の様々な色について述べるのは、実は自分に向かって言い聞かせている部分もあったのかもしれません。

























2019年1月19日土曜日

剣客商売全集 別巻 黒白の感想とか。(12)


恐らく土曜日の朝に自動にアップロードします。
日曜日に最終章の三条大橋も自動アップロードします、
どちらもブログの内容を剣客商売にしぼります、
土曜日は晴れれのち曇りなので、恐らく洗濯物の残りを片付けたり、散歩したりしているでしょう。
ひょっとすると、剣客商売を図書館に返却しに行っているかもしれません。新たな何かの本を借りているかも?

日曜は大寒で天気予報では雨です。家でじっと読書しているかも。


2018年12月になってすぐに借りた剣客商売全集の別巻の事を載せるのも、延び延びになっていました。ついに年を越してしまいました。
といっても、もう佳境にさしかかっています。
この章がクライマックス、小兵衛と八郎が最後の勝負。
この次の章が最終章。

例によって、礼の如く、感想と言うよりほとんど筋をコピペのように書きつつ、コメントをさしはさむ形式です。
なので、完全にネタバレです。ご注意ください。


ー春雪ー


弥助は伊之吉と和泉屋の2階に居た。弥助は大和守の殺人の依頼に嫌気がさしており、無常感を感じていました。そしてこれを最後にしたいと、今度の企みが終わったら江戸を離れる決意をします。
そうでないと自分も森平七郎と同様に、堀大和守に消されてしまうと思っています。ただ、これで最後、としたい理由は消される恐怖からではありません。
ここで、岡本弥助の剣の師匠井出徳五郎や、和気あいあいとしていた井出道場や井出夫婦の人柄に癒されている姿が描かれて、孤独だった弥助は師井出とのいる時間の心の安らぎを、八郎と一緒にいる時間の心のありようを重ねます。
伊之吉は、八郎に「ここ数日は弥助から目を離すな」と頼まれて、かつて一度もなかった、弥助の後をつけ、彼の向かう先を調べ、深川の堀大和守の屋敷に入る弥助を見ます。
八郎自身も、弥助が潜んでいる和泉屋の表口が見える宿屋山城屋に籠って弥助を見張っています。
八郎は今の自分が落ち着いてきたように感じていましたが、三十一年の剣士としての生涯の目的を秋山小兵衛との対決に絞りきれたからだろうと考えています。しかし一方で、岡本弥助のことが気になってならぬのは何故か。そうしているうちに八郎の丹波行は延び延びになって、お信や市蔵はやきもきします。岡本弥助が和泉屋を出ます。ちょうど同じころ、四谷の秋山小兵衛の家に谷彦太郎が現れ明後日に雑司ヶ谷の下屋敷に来て欲しいと伝えに来ます。これは、高松小三郎の稽古のためです。前の稽古から十余日経っていました。
谷がついでに秋山道場で汗を流して稽古して戻ったころ、伊之吉も弥助の後をつけて山城屋に戻ってきました。
岡本弥助も和泉屋に戻りました。八郎も伊之吉も事態が迫っていることを感じています。岡本は堀大和守に呼ばれていよいよ明後日に襲撃が決まったことを告げられます。
弥助は、和泉屋から深川の屋敷に移るべきか伺いますが、大和守は、鈴木甚蔵を紹介し明後日に和泉屋に迎えに行かせると言います。これは襲撃は鈴木甚蔵の指揮のもと行い、弥助はそれを助勢する立場であることを明らかにしたものでした。少なくとも、弥助はそう感じて不愉快でした。これまでの殺人は弥助が一人で準備し一人で指揮をしてすべてを取り仕切っていたため。他の人物にやらせるなら、弥助を巻き込まなくてもいいではないか、と言う思いがあったのでしょう。不快の色を感じ取った大和守は日中の襲撃でねらうのは子供一人だが、その警護に3~4人いるため鈴木甚蔵が目的の子供一人を討ち果たすとしても周りの3~4人は岡本弥助ともう一人の暗殺者で立ち向かってもらうことにしたと説明します。ここで弥助は目的の人物の名前を大和守に聞きますが、大和守は名を明かしませんでした。
弥助は鈴木甚蔵の高圧的な態度が気に入りませんでした。八郎は一度大久保の家に戻ってお信に会います。この頃、八郎にとってはお信と市蔵が、守るべき家族のような存在になっていて時を開けて会わないと気がかりになるようになっていました。そういうこころもちからか、お信に会った八郎は、共に京に行こうと言ってしまいます。
八郎が山城屋に戻ったとき、まだ弥助は和泉屋にこもっていました。翌朝は雪が降り、和泉屋の前に傘を差した侍が立っています。迎えに来た鈴木甚蔵でしょうか。
そのころ、四谷の道場では谷が例によって迎えの籠に付き従って、小兵衛を迎えに来ていました。和泉屋にも2挺の籠がきて、それに岡本弥助と迎えの鈴木甚蔵が乗り出ていきます。
その籠の後ろから、八郎と伊之吉が後をつけていきます。
小兵衛が雑司ヶ谷の下屋敷に到着した頃には、雪は止んでいました。小兵衛は前と同じように、弓場に行き、小三郎に会います。
小三郎は前と同じように、襷と鉢巻を巻いて小兵衛と向かいあったとき、腰の刀を抜き、構えます。小兵衛も刀を抜き、二人の間合いが以前と違って常に一定に保たれるように小三郎も合わせた動きができるようになっています。小兵衛が踏み込んで気合の声と共に刀を振り下ろすとハチマキは二つに切断されて落ちました。しかも。今回は、小三郎は失神することなく、刀を構えたまま、構えが少し崩れましたが構えなおし、そこで小兵衛が「お見事」と声を掛けました。
「今日はこれまで」上出来だったと小三郎をほめ、「この前の折に比べて格段に見事でござった」と褒めます。
小三郎はそういった情の籠った言葉をかけてもらったことがなかったのでしょうか。「この後、小三郎をお見捨てなきように願いあげます」と小兵衛に両手をついて言います。
これには小兵衛の両眼も熱くなった。
小兵衛は、小三郎に対し、人の情というものに飢えていたのではないか、と感じます。
大名の血を引いている子供と言っても、杉浦石見守が、信頼する小兵衛にも名を明かせぬほどの複雑な事情があると小兵衛も察しています。
帰りの籠で小兵衛は谷をそばに招きよせ、高松小三郎の身分や居所を知りたいと思わぬかと誘います。私は是非知りたくなった。と小兵衛は言います。「なんとなれば私は小三郎殿が好きになってしまったからだ」
そして、小兵衛と谷は籠を戻す。
岡本たちは深い木立の中で待ち伏せています。
この日の大和守は落ち着かなかった、大和守は鈴木甚蔵からの報告を待ちかねているのであろう。この暗殺を堀大和守へ依頼してきたある大名家の重臣、と書いているので、
ここで、この大名家が小三郎の家なのかどうか分かりません。同じ家なら、世継ぎ問題に絡む、お家騒動になるでしょう。
続いて、今度の暗殺は何といっても十八万石の大名家の内紛から生じたもの、とあります。これで、世継ぎ問題に端を発した、お家騒動がきっかけで始まったようです。
成功のあかつきには堀大和守の手へわたる金額も莫大なもの、金力で立身への途へ出ようとする、大和守にとっては成功させなければならない一件でした。
たまりかねて、書院から広縁へ出た大和守は用人の近藤兵馬に酒を持ってくるように命じます。兵馬は侍女を呼び、あたりを警戒しながらささやき命令を伝えています。
このシーンは不自然ですが、後で理由がはっきりします。
小兵衛と谷彦太郎が小三郎の駕籠をつけて千駄ヶ谷あたりまで来た頃
深川の屋敷で例の侍女が蝋燭に火を灯した。灯し終え侍女が障子を閉め、広縁に座っていた兵馬が振り向いて侍女を見上げた。
侍女は兵馬にうなづく、侍女は兵馬の傍らを擦り抜け奥へ去り、酒の膳を持ってくる。
それを見て近藤兵馬が膳を受け取る。侍女が障子を開け、兵馬が膳を持って中へ入り侍女が障子を閉めて小走りに奥へ消える。
兵馬は酒の膳を大和守の前に置き、「お酌を」という。「よい、かもうな」「はい」
兵馬は広縁に出た。この対応はいつもの事であるらしく、それでも兵馬は一応、「お酌を」と問い、いつも大和守の応えは「かもうな」だった。兵馬はそのまま広縁から消える。書院中の大和守は手酌の盃を口へ運びかけている。兵馬は傘を手に表門に現れ、門番にうなづき、潜り門を開けて兵馬は外に出ていく。
この時、堀大和守は2杯目の盃を飲み干している。
大和守は3杯目の盃をのみかけて「う・・・」突如顔を顰め左手を胸に当てた。右手の盃が膳の上へ落ちた、「あっ・・・」
両手で胸を押さえた堀大和守が「近藤兵馬はおらぬか」と叫んだ。こたえる者はだれもいない。「近藤・・・、近藤・・・」と呼ばわって立ち上がりかけた。大和守の身体が前へのめった。凄まじいうなり声と共に大和守の口からおびただしい血汐が吹きこぼれてきた。
これはあきらかに毒殺であった。公儀からも人が出張って来て行方不明となった近藤兵馬と侍女の探索が行われたがそれも「かたちばかりのもの」だったようである。
後になって堀大和守直行という人物の過去を知る人々は「御公儀にとっても八代様亡き後は大和守に生きていられては困ることがあったのじゃ」「それゆえ何年も前から毒殺の事を進めていたのであろう」「では近藤某と申す家臣も?」「御公儀の手の者であろうよ」
堀大和守の一件のみならず、徳川吉宗の「尻ぬぐいはいろいろあった」そうである。
この春雪の章に入って、急に近藤兵馬と侍女が不振な動きを見せ、不審なシーンの描写がありました。あとでわかる、と書いたのは、彼が公儀の隠密で、大和守暗殺に暗躍している、ということだったんです。
近藤兵馬は岡本弥助が森平七郎の件で深川の屋敷に赴いたころから登場していますが、岡本は兵馬をきらっていました。感情のない表情に気持ち悪さを感じていたようです。まさかの公儀の隠密の一人だったとは。
兵馬が堀大和守の用人になったのも、そもそも御公儀が大和守の毒殺を狙っていたことが理由だったと書いています。
となると、森の殺害以前に大和守が毒殺されていてもおかしくはなかった。
そうなっていれば、岡本弥助も、もっと早く、まっとうな生き方に戻ることはできたのですが。
さらに言えば、八郎も、とっとと丹波田能の石黒宗仙のもとに修行のし直しをするため向かっていたはずだったのです。。。なんという運命のいたずらか。
大和守の要らぬ立身欲のせいで、要らぬ巻き添えになったのは弥助でしょうか。

時間は大和守が最初の盃を口につけたあたりに戻って、
伊之吉が木立の中から姿を見せた鈴木甚蔵をみかける。
鈴木甚蔵は木陰から半身をのぞかせあたりの様子をうかがっているようだ。堀大和守を殺害した近藤兵馬は鈴木や岡本が高松小三郎暗殺の件を知っていたか、知らなかっただろう。ゆえに、この日、某所から、大和守毒殺命令が下ったのは偶然のことであったにちがいない。
4人の侍に警固された小三郎少年の駕籠は鈴木、岡本が潜んでいる木立の前にさしかかろうとしていた。
木立にはさまれた道が右へ折れ曲がって前方を進む高松小三郎一行が秋山小兵衛の視界から消えた。
そこで、小兵衛と谷彦太郎は間を詰めて行った。
堀大和守の密命を受けた刺客たちが木陰から躍り出たのはこの時。岡本は駕籠の右側後ろについていた、清野平左衛門へ斬りつけた。
老人だし、岡本の一刀にひとたまりもなく見えたが曲者とさけび、脇差を抜き放ち、岡本の二の太刀を必死に打ち払ったではないか。
岡本はもともとこの襲撃に気が乗らなかったこともあり、清野老人をみくびっていた気味がないでもなかった。
そこへ、駕籠の左側うしろについていた警固の侍が回り込み、岡本の側面からきりつけた。
もとよりその一刀をうけるような岡本ではなく、ぱっと飛び退った岡本が掬い斬りに侍の顎を切り上げた。
小三郎の一命を狙って鈴木甚蔵が飛び出したのはこのとき。
清野老人は「推参な。」と叫びざまに脇差を鈴木になげつけた。脇差は鈴木の頬を切り裂き木陰の中に吸い込まれていった。
堀大和守ははじめのうち、岡本一人にてよいとおもうなどと言っていたが、警固の侍たちの抵抗の強さは予想外のものであった。秋山小兵衛は道を曲がりこの異変を目撃した。
「谷!」声をかけて小兵衛は走り出す。岡本に顎を斬り割られつつ前に立ちふさがった侍に、岡本が必殺の一刀を浴びせかけた。そこへ秋山小兵衛が駆け寄ったのである。
岡本がその気配にはっと振り向いた。「鋭」秋山の腰間から走り出た藤原国助の愛刀が岡本の面上を斬った。「うっ」身を引いたが及ばなかった。覆面と共にひたいから鼻すじ口にかけて小兵衛の一刀に斬り割られた岡本が血しぶきをあげてのけ反った「あっ」様子を見ていた八郎が低く叫ぶとともに腰を上げた。小兵衛は岡本の首の急所へ二の太刀を送り込んで、清野を倒そうとしている鈴木甚蔵に立ち向かった。
降りまく雪の中で八郎は岡本を斬り倒したのが小兵衛だと分からなかった。八郎は我を忘れ笠をかぶったまま刀を抜き払い駕籠の左側を守っていた侍が気づき「曲者下がれ」わめいて斬りつける一刀を八郎は打ち払った。そこへ谷彦太郎が走り寄って八郎の右側から斬りかかった。
小兵衛は清野老人へ斬りかかっている鈴木へ左手に引き抜いた差し添えの脇差を投げ撃った。小兵衛の脇差は鈴木の左胸へ突き立った。清野老人に「さ、そやつを」と声をかけてくるりと反転した秋山小兵衛は、
谷の左肩先を浅く傷つけた波切八郎へ向かった。「谷、下がっていろ」叫びざま小兵衛が身を沈め、八郎の脚を薙ぎ払った。八郎は跳躍して一刀をかわした。
「何者だ名乗れ」叱咤して秋山小兵衛が大刀を下段につけて、八郎と相対した。(あ、)
このときはじめて八郎は相手が秋山小兵衛とわかった。
小兵衛もまた(や?)いぶかしげに八郎を見守った。
二人ともまさかに、いまこのときこのような場所で出会おうとはおもいおよばぬことであったが。
(あ、波切八郎殿ではないのか)(まさに波切どのだ。)わかると同じに「去れ!」大声を発した。
「立ち去れ」なたしても小兵衛が八郎へいった。
(もはやこれまでだ)すぐに八郎は決意した。

この章でのポイントは、小兵衛が八郎と切り結ぶことになった最初に、小兵衛が八郎を八郎と認識して、すぐ、間髪入れずに発した声が「去れ」と大声を出したことでしょう。
これは普通ではありえないことです。小三郎を狙う刺客の仲間と思った男がほかの男であれば「去れ」と、あたかも逃がすような言葉は言わないでしょう。
次の段で、このシーンを邂逅する場面があります。そこで、小兵衛の頭に市蔵が出てきたため、「去れ」と出てきたとあります。つまり、八郎を見て、八郎が戻るべき、八郎を待っている人間の元に戻れ、という意味の「去れ」だったことがわかります。
それが、このとっさの場面で声に出せるところが小兵衛の凄いところでしょう。
そしてもう一つのポイントが、そのあと、八郎は(もはやこれまでだ)すぐに決意した。
何が「これまで」なのか。八郎はここまで、小兵衛との次の真剣勝負を望んでいましたが、あくまで、小兵衛に前の約束を破ったことに対して説明をして、誤解を解いたうえで小兵衛との勝負に臨診たいという気持ちがありました。
第三者から見ると、なんと甘ちゃんな考え方か、と思わざるを得ません。
この期に及んでなんの弁解をするというのでしょうか。こういった、まだ子供、純な人を信じ切っている、子供のような心をもって、成熟しきれない八郎の姿があります。
途中、八郎は自分で落ち着いてきた、すべてを小兵衛との勝負にかける決意ができて割り切れたからだ。と、自己分析する場面がありますが、てんでそんなことはりません。
この期に及んで(もはやこれまでだ)と未練がましい気持ちを最後までもっていたのか、という切ない思いがします。

八郎が決意した。
秋山小兵衛との対決に備え、丹波の田能の石黒素仙のもとへ向かうつもりでいた波切八郎なのである。いずれにせよ小兵衛と相対するときは
秋山殿の誤見を解くことはできまい。その覚悟はすでについている。ただ一剣士として生涯を小兵衛との真剣勝負に賭けるのみ。
八郎にとってその期(とき)が早いか遅いかのちがいにすぎない。「むう」低く唸って波切八郎が間合いを詰め小兵衛がじりじりと退る。
八郎が猛然と小兵衛へ大刀をうちこんだのはこのとき。 伊之吉の昂奮しきった目には二人の剣士のうごきがさだかにつかめなかったようだ。二つの躰がいれかわりさらにうごいて八郎のがっしりした背中に小兵衛の姿が見えなくなったとおもったら八郎の躰がぐらりと揺れた。
「ああ・・・」おもわず声を上げた伊之吉は腰を浮かした信じられなかった。
八郎の右腕が大刀をつかみしめたまま血を振りまきつつ体から離れて雪の道へ転がるのを見たからである。
小兵衛が八郎に「去れ」と言ったのは老僕市蔵のことがあったからであろう。そうとしかおもえぬ。だが、八郎は剣を引かなかった。長い長い対峙の間に小兵衛の気迫は充実し八郎の剣には一種の焦りが浮いてきた何故か、それはわからぬ。
わからぬが八郎が思い切って小兵衛に打ち込み、これをかわした小兵衛の眼は一瞬次の攻撃に移ろうと右へ回った八郎の右腕のスキをとらえた。そこが(おかしい)のである。
本多邸における木太刀の立ち合いで小兵衛は八郎の左腕を打ち据えている。しかし八郎ほどの剣士が真剣の勝負において右腕にスキを生じるわけがない。わざとスキを見せたのでもあるまい。
わざと小兵衛の一刀を右腕に受けるつもりだったとは断じて言えぬ。つまりはそこに八郎の破綻が生じたと看るよりほかはない。
すべてはここ数年間における八郎と小兵衛のそれぞれの生目(いきめ)がその一瞬に凝結して勝敗を決したことになる。
伊之吉が激痛に唸る八郎を背負って木立の中へ飛び込んで行ったのである。もとより小兵衛は伊之吉が何者かは知らぬが、(これで何もかも終わった)と言ってよい。
これで春雪の章が終わり、次の最終章三条大橋に変わります。

ついに一巻通して800ページも費やして待ちに待った二人の対決の結果が描かれてしまいました。何かの舞台の一シーンを見るかのような流れるような息もつかせぬシーンの連続でしたが、
重要な中心事物二人の心の動きも同時に描きつつ、二人やそのほかの登場人物の動きも余さず描いていて、どこにも破綻するところがありません。
ただ、最後の段で書いているように、二人の生目が勝敗を決した、そこには八郎の心の未熟さだけが印象深く、その差が勝負に出てしまったのではないかと思います。
二人が最初に本多邸で木太刀で立ち合い勝負をした際も、小兵衛が八郎の左腕を打ち据えて勝負が決まります。
真剣勝負の今回は右腕。その木太刀での勝負から3~4年、二人には様々なことがあったでしょうが、八郎は心の成長をしないまま、むしろ足踏みしたまま時間だけ過ぎていった、ともいえるように思います。
それぞれの生目とはそういうことではないでしょうか。





2019年1月18日金曜日

今週が日の出が最も遅い時間来週から一日1分くらいづつ日の出が早くなってきます。剣客商売全集 別巻 黒白の感想とか。(11)

今朝は5時少し前の地震で目が覚めました震度3くらいに感じましたが、気象庁のサイトには震度2とありました。まじかよ。
朝から晴天マイナス2度で車の窓も凍っていました。洗濯物を干して出勤しました。
一日中雲のほとんどないすっきり晴天でした。空気は冷たいかんじでした。
寒のじきである、今週が日の出が最も遅い時間で、7:20 漢の時期の折り返しの大寒が明後日日曜日です。来週から一日1分くらいづつ日の出が早くなってきます。
5時頃、真っ暗な中、出勤するのですが、これからすこしづつ出勤時は明るくなってくるんですね。


2019年1月の熊本の日の出入り時間の表です↓



2018年12月になってすぐに借りた剣客商売全集の別巻の事を載せるのも、延び延びになっていました。ついに年を越してしまいました。
といっても、もうすでに過半。佳境にさしかかっています。本の方も年が改まり、宝暦3年(1753年の正月)です。
例によって、礼の如く、感想と言うより筋を追いつつ、コメントをさしはさむ形式です。なので、完全にネタバレです。ご注意ください。
今回を終えると、次の次が最終章。


ー霰ー これは(あられ)です。

年が明けて岡本弥助が堀大和守と密談、内容は次の殺害の相手はこどもという。ただ、誰の子供か、詳しいことは明らかになっていない。密談後、和泉屋に戻ってくると、伊之吉が八郎の行方を、掴んでいた。鞘師久保田宗七を見張っているとお信が現れ、そのお信を付けると大久保の家にたどり着いたのでした。
大久保の家に八郎がいるかどうか、確かなところは分かっていませんが、伊之吉は、八郎を追ううちに、自分を付けている存在に気が付きます。これは助五郎の手下でした。小兵衛は辻道場の時代から懇意にしている、杉浦石見守の筋から頼み事を受けます。内容は十三歳のある少年に剣術の手ほどきをしてほしい、というものです。名前も、誰の子供かが、明らかではないのですが、小兵衛はそこに複雑な事情が潜んでいることを察します。石見守は「ゆえあってしかと申せぬが実はある大名の血を引く少年だという」小兵衛はこれを引き受けます。
石見守の狙いは、小兵衛の剣を通じて少年の心身が強くたくましくなることです。
同じ旗本でも、杉浦石見守と堀大和守の、同じくらいの力量を持った剣客の小兵衛と八郎への影響の及ぼし方の違い、対比の仕方はどうでしょうか。
片や、凄腕の剣客を、人殺しの道具として使いこなせず、片や、凄腕の剣客の人柄をもって、一人の少年の心身を強く成長させ生かすことを考えています。
大久保の家の裏で、八郎は弥助に会い、弥助が持ってきた後金、五十両をうけとります。
岡本弥助の姿を見ただけで八郎は弥助がまた何かの企みに加担しそうなことを察します。
弥助は最後の願いとして、八郎と一杯飲みかわしたいと申し出ます。八郎はこれを承諾します。
表番衆町の自証院の門前の料理屋で二人は飲みかわします。八郎も、死を覚悟している弥助は今生の分かれの盃と考えています。二人は二人の縁の不思議さをおもいつつ飲みかわします。
八郎は伊之吉に、弥助に内緒で明日この店に来いと呼び出します。
ついに、弥助たちの襲撃の日、小兵衛は雑司ヶ谷にある、杉浦石見守の下屋敷に赴きます。四谷の道場に迎えに来た谷彦太郎は、石見守の家来で小兵衛の門人でした。
出かける前、内山文太にどこに行くのかと問われても、小兵衛は石見守様へ稽古をするといって、詳しい話をしません。
谷彦太郎が言うには石見守が御小姓組御番頭の役をもらったとのこと。
小兵衛が雑司ヶ谷の下屋敷内の弓場の建物に入ると、少年が待っており、「高松小三郎」と名乗ります。(高松と言う名の大名はいません、高松藩(今の香川、当時讃岐国)はありますが大名は松平家。恐らく偽名でしょう)
大和守が弥助に語った次の殺害の標的が子供だと言って以降出てきた子供はこの高松小三郎だけです。となると、大和守の標的はこの高松小三郎ということになりそうです。
小兵衛が小三郎と二人気にしてほしいと、石見守たちに言い。石見守はこれを承知する。小兵衛と小三郎は向き合い、小兵衛は小三郎に肩を抜いて構えろと命じ、小三郎は思い鉄の棒である刀を構えたまま半刻(1時間)小兵衛が小三郎との間合いを詰めながら刀を抜き、気合と共に振り下ろす。と小三郎の頭に巻かれたハチマキが二つに切断されて落ちる。もちろん、小三郎の額には傷はない。が、小三郎は失神し、ぐったりして倒れたところを小兵衛に抱き受け止められて、介抱される。この日の修練はこれで終える。小兵衛も小三郎にこの日、何を教えたら良いか小三郎を見るまで決まっていなかった。小三郎の姿と、その立ち振る舞いを見て、用意していた木太刀を使うことなく、あのようなことになった。それは小兵衛にも分からないことでした。ただ、失神から戻った小三郎の充実したよう何かを得たような表情から、これは小三郎と小兵衛の気が合ったと感じ、歩みながら、小兵衛は「気に入った」と呟きます。



2019年1月17日木曜日

今朝は今シーズンで一番に近い寒さ、でした。インフルエンザ増えています。剣客商売全集 別巻 黒白の感想とか。(10)

今日は一転、寒い朝で窓が凍っていました。車の外気温計もマイナス2度からマイナス3度と、今シーズンで一番に近い寒さ。昼間も、散歩していて寒かったです。風や空気の冷たさが凍みる感じでした。天気は良かったですが昨日と比べると、そこそこ雲が多くありました。
明日は一日晴天らしいので、洗濯物を干して出勤しよう。日曜が雨らしいです。

今日、鹿児島の口永良部島の火山が比較的規模の大きな噴火をしました。
インフルエンザが結構流行っているようです。東京で注意を超えて、警戒レベルに急増しているだとか。寒さが厳しくなっている折、気を付けましょう。


2018年12月になってすぐに借りた剣客商売全集の別巻の事を載せるのも、延び延びになっていました。ついに年を越してしまいました。
といっても、もうすでに過半。佳境にさしかかっています。お話の方もくしくも、? 宝暦2年(1752年)の年末です。
今回は2章行ってしまいます。週末までに終わらせるとするとギリギリになりそうなので(苦笑)

例によって、礼の如く、感想と言うより筋を追いつつ、コメントをさしはさむ形式です。なので、完全にネタバレです。ご注意ください。


ー旋風ー


いよいよ、森平七郎襲撃の日、八郎も、伊之吉と共に、森を襲撃する岡本弥助を見守るべく、弥助の近くにひそみます。
弥助と、他の剣客二人の3人は、森平七郎の屋敷に忍び込みます。早川太平が障子越しに伸びてきた手槍の太ももを突き刺します。相手は弥助の襲撃に気が付いていたのでした。
弥助たちと、森平七郎とその配下が屋敷内で芋をあるような争闘が始まります。弥助は森と撃ち合い、力量の差があって圧倒され、森の刀がおおきく振り上げられて弥、倒れこんだ弥助の頭の上に迫ったとき、いつのまにか森の背後に回った八郎が後ろから森平七郎に組み付き、投げ飛ばし、八郎は短刀を構えて、森平七郎にのしかかってそのまま森の胸に押し当てて刺し殺します。
弥助と八郎たちはその場から逃げ出します。しかし、八郎の太ももからの出血がひどく、こときれそうになったとき、小兵衛にでくわします。小兵衛が誰何したとき、早川太平をはこんでいた古沢伝蔵がたまりかねて、小兵衛に切りかかって、その一瞬に古沢の左足は切断されていました。その場にいた誰にも何が起こったのかわからないくらいの早業を、八郎も目撃します。小兵衛は立ち去る他の二人の武士と町人風の男をみて武士のほうの風体に見覚えがあると感じます。
小兵衛が四谷仲町の道場に戻って市蔵に会うと、小兵衛は先ほどの武士が八郎ではないかと感じられていたために不自然な態度が出てしまったのでしょう、市蔵もそのことを鋭く感じ取って、もしや小兵衛が八郎に会った、もしくは見かけたのではないか、といぶかしみます。小兵衛はでくわした3人連れや左足を斬った男のことが気になって事件が起きた場所に行ってみると、森と言う学者が襲われて斬られたという。


ー除夜ー


翌日、市蔵はお信に会えるのかどうか気になって伊勢虎に行ってみます。小兵衛江は出かけて行った市蔵のそぶりが気になります。
市蔵は伊勢虎でお信に会えますが、まさかの八郎もそこに居て、会うことができます。八郎は市蔵を引き取ると言ってくれます。そして今すぐに、と言います。市蔵も小兵衛に世話になっているので、無断で八郎に引き取られることに罪悪感を感じます。八郎はあとで手紙で知らせればよいと言います。市蔵を付けて伊勢虎を見張っていた、小兵衛は、伊勢虎を出てくる市蔵と大柄の女を見かけます。そしてその後にでてきた八郎を見かけ後を付けます。
結局、市蔵は秋山家に戻ってきませんでした。そこで小兵衛は伝馬町のなじみの御用聞きの助五郎にこの件を全て話し、波切八郎の身辺を探ってもらうように頼み込みます。しかし、森平七郎殺害事件は、お上から手をかけてはならない、討ち捨てておくようにというお達しがあり、闇に葬られることになっていました。小兵衛は八郎の身を案じ、できることなら手を貸してやりたいとお持っていました。さらに市蔵のことを案じて、助五郎の助けを必要としていました。
小兵衛のこの思いは、かつて立ち会った際に感じた八郎の件の相当な腕も貴重なものだと思う故ですが、立ち会っただけで通じ合うものがあり、八郎の人柄がわかったような気がしていた事から発しています。そうとうな領域に達した剣の達人でなければ、そういった思いというか、感覚の共有は出来ないのでしょう。(ほとんど、とあるロボットアニメの「ニュータイプ」のような感じですが)
助五郎は、後の弥七親分の父親です。この事件の3年前、辻道場でおきた盗難事件がきっかけで小兵衛と助五郎の交誼が始まり、助五郎も、小兵衛の人柄に親しみを感じており、小兵衛に御用聞きの闇の部分(時には泥水を飲むようなこともある)を踏まえて息子の弥七に御用聞きを仕込みたいと言います。その息子の弥七に剣術を教えてやって欲しいと小兵衛に頼んだことがある助五郎はお互いの信頼は厚いものがあります。
丁度このくだりに、助五郎の考え方として紹介されているのが、
”秋山小兵衛から聞かされた波切八郎一件の話は助五郎の興味をひいた。そうした、一つ一つの埋もれた事件を探ることにより少しでも人々が幸せを得ることができるならそれに越したことはないわけだしそうした小さな積み重ねによって、世の中がうまくととのってゆくのだ。”それが助五郎の信念でもあった。助五郎の信念とありますが、この「少しでも人々が幸せを得ることができる、小さな積み重ねによって世の中がととのっていく」は池波作品を通して通じる、池波さんの信念のように思えます。
「少しでも人々が幸せを得ることができる、小さな積み重ねによって世の中がととのっていく」
伊之吉は、森平七郎の件で八郎にお金を渡すために、笠屋を訪れて八郎に五十両を渡す。後金の五十両は十日ほど待って欲しい、というが八郎は無用という。お金が目的で弥助を救い、手伝ったのではないという。伊之吉が岡本にこの報告したとき、古沢も亡くなったことを知る。伊之吉が次に笠屋を見張っていると、八郎の姿が消え引き払ったことを知る。ただ、助五郎は八郎の行方を突き止めていた。八郎は大久保の竹やぶに囲まれた小さい家に潜んでいた。そこにはお信と市蔵もいた。
市蔵は手紙を書いて、小兵衛に伝えていた。堀大和守の屋敷でまた大和守と岡本弥助の密談が始まっていた。大和守は又何か企み事を画策しているようです。
堀大和守の意図、というか狙い、野望は八代将軍吉宗亡きあと、吉宗の隠密である自分の居場所がなくなりつつある現状に危機感を感じ、何事かの事件を起こして、再び天下に自分の名や、位置を誇示したい、と考えていました。
ある日、(宝暦2年(1752年)の大晦日に八郎は市蔵とお信を呼んで、半年ほど江戸を留守にして、丹波田能の師匠、石黒素仙の許で修行のし直しをしたいと言い出します。
もともと、この計画は、八郎が水野新吾を斬って、道場を出て以降から考えていたことです。大変遠回りして、結局、はじめの位置に戻ってきたわけですが。
しかし、八郎には、お信と市蔵に言えなかったある隠し事があるようです。これは、このとき、文字になっていませんでしたが、後に明らかになりますが、修行のし直しの後で、小兵衛との真剣での試合を臨んでいました。これも、水野新吾の件が起きたときも、そのつもりで、師匠のもとで再修業するつもりでした。



2019年1月16日水曜日

稀勢の里が引退発表。相撲って、なんだか、外野が、いちちうるさい、それで衰退しそうな感じ。植物に水をあげすぎると、根が腐る、あれと一緒な感じ。イギリスでは、重要な議会の決議。剣客商売全集 別巻 黒白の感想とか。(9)

朝早く、時間の問題だと思っていた、稀勢の里が引退発表しました。
開き直っても良かったと思うんですけど、相撲って、なんだか、外野が、格式ガー、日本人ガー、国技ガーっていちちうるさい。やっている中の人にとって、とってもめんどくさい、居心地の悪いところになっていると思います。可哀そうに。
相撲って、もっと楽しめばいいんじゃないの?
評論家とか、もうわかったから、いちいちどうでもいいよ。好きなら自分で出版して、そこで能書きを垂れていればいいんじゃ?新聞とかワイドショーとかね。んッとにクダラナイ。

一方、イギリスでは、重要な議会の決議がありました。EU離脱に関する協定案に関する議決で、メイ首相が議会に提案した協定案は多くの反対にあい否決。大敗したそうな。いわゆる合意なき離脱へ向かうのかもしれませんが、意外に、相場は反応しませんでした。もう、織り込み済み?
これはイギリス国内の残留派、離脱派、双方歓迎するという皮肉な様相を見せています。
イギリス、って、けっこう歴史的に無責任なところがあります。大きくは、イスラエルの建国。
イギリス国民の多くが恐らく、このような近視眼的な見地の持ち主です。過去の大英帝国、を引きずって、空虚なプライドばかり高くなって、日本人の多くも、なんだか過大評価する向きが多いように思われます。イギリスは過去の歴史を振り返ってみても、こういった無責任国民の集団なので、こんかいの結果はある程度予想通り。でも、このツケはきっとイギリス自身にもどってくると思います。アメリカは今、政府の予算が決まらず政府機関で働く人の無給期間が20日を超えています。
今は無給でも、先々予算が降りれば、その際に、今の無給分は支払われる仕組みになっているそうです。なので、決して、完全にボランティア状態ではありません。
でもま、いっそボランティアで運営したほうがよくね?


2018年12月になってすぐに借りた剣客商売全集の別巻の事を載せるのも、延び延びになっていました。ついに年を越してしまいました。
といっても、もうすでに過半。佳境にさしかかっています。週末までに終わりそうかな?
例によって、礼の如く、感想と言うより筋を追いつつ、コメントをさしはさむ形式です。なので、完全にネタバレです。ご注意ください。

ー浮寝鳥ー

深川の屋敷の主は、次の計画について岡本弥助と語る。殺害の対象の森について、森を働かせた、一方、京の一件に使われなかっただけでも良しとせねば、と言っているので、森も主が飼っている暗殺者集団のうちの一人と推測できます。森を主に引き合わせたのは弥助らしい。
小兵衛は市蔵が波切道場から持ってきた八郎の父親の形見の(もちろん、小兵衛は知る由もないのですが)手作りの有明行灯が、ある日別なものにかわっている事に気が付く。さらに、市蔵の態度の変化もあって、合わせて何かあったと感じとる。市蔵がもとの波切道場から持ってきた大事な行灯を持ち主の八郎に渡したのではないかと推測します。
小兵衛の観察眼の鋭さと、洞察力の深さに驚かされます。ちょっとした事実の違いを結び付けて、その背後にあることを見通す能力は剣客としてだけではない、小兵衛の人間としての深みを感じさせます。
偶然を装って、岡本弥助は八郎に会います。そこで、弥助は例の件(森殺害)を持ち出そうとしますが、
ここで、
八郎の脳裏に、ある情景が浮かびます。
それは父と、父の許に訪れたある客人の給仕を八郎がしていた時のこと、その客人のことば、客は嶋元宋泉という、幕府の元御番医師、八郎の父が親しい剣客のことに触れて、「それが宗泉先生、急に別人のごとく人柄が変ってしまいまして」
宗泉は「それはその折の、ひとびとそれぞれに違う星の累及によるもの、」つまり、中国の干支、九星学などによれば、「天地のみちとひとそれぞれの生年月日による星との関係は年ごとに変わるのだそうです。」
その影響を受ける人もあり、それが表に現れぬように見える人もあるが、だれしもが影響を受けている。八郎はこの3年間の自分を顧みて、水野新吾を成敗した自分はまるで自分が自分でないような思いがしたことを想起していました。
このくだりは、最終的には、こんかいのこの本の題名の「黒白」にかかわる、重大な一節になるように思えます。

八郎は岡本弥助が来て自分をXXの道に引き戻そうとしていることを察しこれを断り、かわします。弥助は堀大和守の名前を出します。弥助の思い詰めた態度から今度の相手がただものではないと感じ、剣客の血が騒ぎますが、八郎にとっての新生の道を見失うことになると、弥助の願いを振り払います。この時点で、八郎は、お信や市蔵に誠実に向き合い、これまでの、人に語れない人殺しの道から足を洗うつもりでいたように思えます。まさに、自分が自分でない時期からの脱皮を図っていたのでしょう。
八郎はお信に、弥助が口走った堀大和守について聞いて見ます。お信は以前、橘屋に堀大和守自身が訪れたことがあったことを思い出します。堀大和守が八代吉宗が紀州から連れてきた家来であることを忠兵衛から聞いていました。
八代将軍、吉宗と関係の深い、じきじきの家臣であったということです。八郎はある道すがら、町人が武士にいじめられていたぶられているところに出くわします。これをとがめて町人を救おうとします。
恐らく、これが八郎の本質なのですが、ただ、この人はやはり星の巡りが悪い。町人を救うはずが、この武士を斬ってしまいます。人殺しの生活を振り払って新生の道に向けて歩きだそうとした矢先だったのですが。
人を斬ったあとの感触、高揚感が、再び、小兵衛との真剣での立会いに未練が沸いてくる八郎でした。そこへ弥助の手下の伊之吉が笠屋に八郎を訪ねてきます。非常にタイミングが悪いです。まるで、伊之吉が八郎が町人を救ったのを見ていたかのよう。
伊之吉曰く、弥助を助けて欲しい、弥助が危ないと言います。弥助が、森平七郎を死を覚悟して斬りに行くと言います。
岡本弥助は郊外の料亭で、森殺しを深川の主、堀大和守から頼まれたほかの二人の剣客、早川太平と古沢伝蔵と襲撃の打ち合わせをしています。一方お信は伯父、久保田宗七に堀大和守のことを聞いて八代将軍吉宗がいくつも隠密集団を抱えていて、その一手の頭が堀大和守だったらしいことを知ります。あるとき、大和守が橘屋忠兵衛のもとにおしのびで訪れたとき、ちょうどそのころは真田藩は前述の騒動の最中で、大和守が家老原八郎五郎の始末を忠兵衛に持ちかけたこともあったと聞いてお信は驚きます。お信の元夫は原八郎五郎を殺害しようとして返り討ちに会って死去しています。

「浮寝鳥」という章名の由来は最後まで分かりませんでした。以前の剣客商売にも、「浮寝鳥」の題名は使われたことがあったと思います。
「浮寝鳥」とは水面に浮かんだまま首を後方に曲げ、折りたたんだ翼の間にくちばしを 埋めて眠っている水鳥のことです。

章題の「浮寝鳥」はこの章の場面の季節冬を表す季語なので、場面の季節のみを表しているだけかもしれません。


2019年1月15日火曜日

今朝も冬とは思えぬ暖かさ。日中は曇ってました。稀勢の里、引退カウントダウンか、頑張るか。剣客商売全集 別巻 黒白の感想とか。(8)


さて、今朝も暖かい朝でした。5~6℃だったと思います。車の外気温計が5.5℃でした。
朝は曇っていました。
日中も雲が多く、一日中曇りのお天気でした。昼間の散歩も風邪が少し吹くと冷たいくらいで凍えるほどの寒さではありませんでした。でも同じ気温でも日が差すのとそうでないのではずいぶん感じ方が変わってきます。
今日の夕方、大相撲では稀勢の里が負けて初日から3連敗。こうなると今日明日、いつ、引退した、とニュース速報が出てもおかしくありません。こうなったら開き直って頑張って欲しいですけど。


2018年12月になってすぐに借りた剣客商売全集の別巻の事を載せるのも、延び延びになっていました。ついに年を越してしまいました。
といっても、もうすでに過半。佳境にさしかかっています。
今回の章は一気にこれまで伏線だらけだったところに光が当たって、ネタばれします。
例によって、礼の如く、感想と言うより筋を追いつつ、コメントをさしはさむ形式です。なので、完全にネタバレです。ご注意ください。


ー秘密ー

この章ではお信の身の上や橘屋忠兵衛などの秘密が一気に明かされます。
お信は鞘師久保田宗七と伯父、姪の関係ですが、お信の父は松代十万石の真田家に仕えていた平野彦右衛門、母みよの兄が久保田宗七です。宗七も若いころは真田家に仕えていたという。真田家の内情の説明があります。
この時代、どこの大名家も幕府からの普請要請など、飢饉なども重なって、台所は火の車になっているところが多く真田家も同様で、真田家の当主、信弘、その養父幸道のころから真田家は借金がかさみ、殿様から涙ぐましい倹約に励んでいます。
幕府は八代吉宗の享保の時代、信弘が67で亡くなった時、彼には正夫人との間に4男1女がおり、3男は病死しており、3男の信安が後を継いだ。倹約に励む殿様だったので誰も側妾がいるとは思っていなかったが信弘には正夫人との間に生まれた子供以外の子が二人もいた。1人は江戸で商家の主になっているという。もう一人も江戸で商人をしているという。それが雑司ヶ谷の橘屋であることを告げる。つまり、忠兵衛の養子、豊太郎だった。忠兵衛も養子で、若い頃真田家に仕えていた武士だった。橘屋は紀州本陣御用宿という格式をもち、真田、九鬼の大名家と昵懇だと、八郎も聞いていた。そこで、八郎は、紀州家と橘屋、徳川吉宗、幕府とのつながりと、岡本について京都の公卿の殺害に思い当り、あの時、岡本は天下のためと言った。八郎がお信に高木勘蔵の事について聞くと、高木勘蔵は真田家の秘密について知りすぎた、という。真田家の家中は信弘の後を継いだ信安の出来が悪いせいで内紛が相次いでいた。真田家の内紛は江戸屋敷で奉公していたお信は見てきていた。お信は中山伝四郎という藩士のもとに嫁ぐが、やがて、中山も父や父の弟は真田家の騒動に巻き込まれて亡くなる。お信の父は藩の勘定役の下っ端だったが、ある夜自害する。お信の父は百何十両もの大金が使途不明になってきえた責任を取らされ苦に病み自殺したらしい。平野家は断絶となりお信の弟は中山家に引き取られるが、半年後に病死してしまう。お信の不幸は続き、夫の中山伝四郎が殺害される。高木勘蔵は藩内で汚職を重ねている家老原八郎五郎を警護していた、中山はその原を襲うなかで高木に殺された。そのうち原一派の秘密をしって、原から大金を強請りとるようになったらしい。真田家にとっても重大事となり、橘屋に説き伏せられお信は決心を固めて、八郎に近づいた。
お信が八郎に秘密を打ち明けて1年がたち、八郎は傘屋ではなく、久保田宗七の家の2階でお信と合うようになっていた。しかし、まだ完全にお信へのわだかまりが消えたわけではなかった。笠屋で岡本弥助の手下伊之吉は八郎を見つける。このことを伊之吉は弥助に知らせ、弥助は深川の屋敷の主に伝える。主は、「波切なら打ってつけといえよう」とつぶやく。
主は弥助に困ったことが起きたという、「森平七郎にあの世に行ってもらわねばならぬ」
森が主の秘密を知り五百両強請ってきたらしい。

2019年1月14日月曜日

今日も冬とは思えぬ暖かさ。剣客商売全集 別巻 黒白の感想とか。(7)

3連休最後の今日もそれほど寒くない朝でした、昨晩のうちに雲が晴れて、そのまま明けたようです。その割に放射冷却の影響はなくて冷え込まない朝でした。
3~4℃くらいでしたでしょうか。寒のうちとは思えませんねえ。

久しぶりに、朝からすっきり晴天でした。年明けの元旦の頃の熊本の空模様はよくわかりませんが、今朝は自分が熊本に戻って以来の朝からすっきり晴天じゃないでしょうかね。それまでは関東でずっと朝からすっきり晴天が続いていましたので。
そして昼、お昼ご飯を食べるため、行きつけの堀川に近い食堂に行きましたが、冬とは思えないあたたかさでした。風からして、ややホンワカ暖かい感じ。
こんな日は八景水谷公園に行けばカワセミが見られるかもしれないな、と思いつつ、行きませんでしたが。
今日のお昼ご飯は野菜炒め。


道を行きすがら、通り過ぎていく車の中には、晴れ着姿の新成人をちらほら、見ました。
昨日、今日が成人式の人もいるのでしょうね。

天気予報を見ると、熊本は明日は午後から雨の予報になっていますが、恐らくそれほどの大雨にはなりそうもありません。


2018年12月になってすぐに借りた剣客商売全集の別巻の事を載せるのも、延び延びになっていました。ついに年を越してしまいました。
といっても、もうすでに過半。佳境にさしかかっています。
感想を上げるのは滞っていますが、実際の読書はすでに全部読み終えてしまっており、ちょっと寂しい感じがあります。今週末に返却予定です。それまでに感想は終える予定です。

例によって、礼の如く、感想と言うより筋を追いつつ、コメントをさしはさむ形式です。なので、完全にネタバレです。ご注意ください。


ー桐屋の黒飴ー

市蔵は小兵衛の使いで下谷の三ノ輪に行きます。
市蔵は秋山家に引き取られ。三上が突然の発作で亡くなった後、道場は明応院に返されます。
明応院の和尚は、しばらくは道場を取り壊すことなく、そのままにしてくれると市蔵に言ってくれます。
三上家は娘に養子をとって、相続が許されます。市蔵はこうなると、八郎による道場復興をあきらめざるを得なくなります。
市蔵は秋山家にひきとられた際に、小兵衛にそのまま放っておくと死んでしまうと心配されます。
その心配はまんざらではなく、引き取って間もなく、心労から二か月、市蔵は寝込んでしまう。
もともと、秋山家にいた老僕、八助は、辻道場を引き払ってすぐ、秋山家で脳溢血で倒れたままこの世の人ではなくなっています。
三ノ輪に赴いた市蔵は、小兵衛の使いで三ノ輪にある、大関信濃守の下屋敷の留守居をしている福沢彦五郎に小兵衛の手紙を渡し、返事をもらって戻ります。
その途中、そば屋の小玉屋で柚子蕎麦を食べて、さらに小野篁をまつる、小野照崎明神で八郎との再会を祈り、振り向くと、なんと八郎と出くわします。
市蔵は八郎の足もとに駆け込んでかがみこんで、嗚咽しながらも八郎の足を必死に抱えこむ。
茶店で一刻ほど八郎は市蔵と邂逅する。八郎は市蔵に三日後、道場のあった目黒の明応院で再開を約し、二人は別れる。もちろん、こうなると、読み手として、市蔵は二度と八郎とは会えなくなるかもしれない、というハラハラが出てきます。嫌な予感しかしない。

市蔵は約束の日、一旦、明応院の和尚に会い、道場をしばらくそのままにしておくことの言質をもらい。明応院近くの目黒不動の門前にある桐屋の黒飴を買い求める。黒飴は八郎の大好物でした。八郎と小兵衛の文の黒飴を買い、約束の再会の場所である、鬼子母神堂
の前で八郎を待つが、約束の時間になっても、八郎は現れず、現れたのは五十過ぎの老女とみちがえる女だった。八郎の使いという女は八郎がここにはこられないということづけと、結び文を持ってきていた。その女はお信だった。お信は市蔵を目黒不動の裏門のまえにある料理屋伊勢虎に連れて行き昼餉を一緒にとる。お信は毎月の中ごろに自分が四谷の秋山道場に出向いて連絡を付けると市蔵に伝え、八郎に用事がある場合、高田の馬場の鞘師久保田宗七の家にお信の名前で告げれば、八郎に伝えることができることを伝える。


お信は「市蔵さんが波切先生のお言葉に従い、しばらく秋山小兵衛様の許で辛抱してくださるならいずれは波切先生と共に暮らすこともあろうかと思いますよ」と市蔵に力をこめて告げる。

この言葉は、どう考えても、お信が、お信自身に言い聞かせているような内容です。










2019年1月13日日曜日

今日は暖かい、どんど焼きの日。どんど焼きの日は小正月。剣客商売全集 別巻 黒白の感想とか。(6)


3連休の中日、今日も、朝から寒くなく、雨が降っていました。
6時くらいに起きて、朝食取って、8時過ぎにコメダ珈琲に行って読書。行く途中も雨でした。
本を読んでいるうちに、空が明るく成りましたが、すっきり晴れるというとはなく、雲が多く、10時頃に帰宅して徒歩で買い物。
買い物から帰ってきて、今日は歩いて30分くらいのお好み焼き屋に行き、焼き飯というか、ガーリックライスを食べて、



(お好み焼き屋のガーリックライス¥490)


そのあと、散歩がてら、八景水谷公園に行くと、どんど焼きをやっていました。自宅の近所の公園でも、それらしい焚火をしていました。
どんど焼きは小正月=1月15日に、正月の飾りや書初めを焼いて、1年の無病息災を祈る日です。書初めは字が上手くなることを祈ります。どんど焼きは地域によっては呼び名が違うようですが、だいたい、どんど焼きで通じるような気がします。


(2019年1月13日 八景水谷公園のどんど焼き Huawei P10plus)

(2019年1月13日 八景水谷公園のどんど焼き Huawei P10plus)

(2019年1月13日 八景水谷公園のどんど焼き Huawei P10plus)



晴れているといいのでしょうけど、雨は降っていないし、曇っているからこそ、比較的暖かい日でよかったですね。



昨年12月になってすぐに借りた剣客商売全集の別巻の事を載せるのも、延び延びにして、ついに年を越してしまいました。少しづつ挙げていきます。
とはいえ、まだ中盤。
例によって、礼の如く、感想と言うより筋を追いつつ、コメントをさしはさむ形式です。なので、完全にネタバレです。ご注意ください。



6つ目の章になります。次の7つ目が折り返し、確か、単行本で上下に分かれている場合は次の章 の「桐屋の黒飴」までが上巻です。


ー白い蝶ー
小兵衛は、文太を仲人にして、正式に、お貞と内輪の祝言をあげます。
ただ、小兵衛の心には、波切八郎が、約束をたがえるような男とは思えないため、なぜなのかが、気になって仕方なく、ついに弟子たちが守っているという、波切道場の様子を身に訪れます。
さて、読者には、雷雨の章以降、八郎が現れないため、八郎が岡本弥助を襲った無頼浪人を鮮やかに斬って守り切って、恐らくその匿われていた屋敷からは逃げて、岡本弥助とどこかに落ち延びているのではないか、ということしか想像できません。
小兵衛は波切道場の近くの茶店で、道場の様子を聞き、弟子の一人三上達之助が心臓の病で倒れてしまったことを知ります。
そして道場に行って、老木の市蔵が出てきてはなしをして、道場の寂れ具合を察することができます。
さて、小兵衛はようやく自分の道場を四谷仲町の自宅に作ることにします。資金は、国元の甲斐の兄が出してくれることになります。
辻道場に出入りしていた大工と、あれこれ口論しながら道場が建っていくのを眺める生活ですが、ある日、波切道場の老僕市蔵が小兵衛の家を訪ねてきます。
市蔵が、八郎の姿を見たというのです。
ただ、八郎も、市蔵に声をかけられて、むしろ姿を消します。
小兵衛は八郎は、道場の様子を人知れず見守っているのではないか、と考えます。

小兵衛と八郎、交わりそうで交わらない、微妙なすれ違い。すれ違わなければ、少なくとも八郎は黒白はっきりした人生を歩めたのではないだろうか。一方、小兵衛は、八郎との対決がなかったことで、お貞さんと夫婦になることができた。そこには、何か重大な落とし物をしてきた、と言うような屈託はない。小兵衛は、むしろ、八郎にあわないことで、黒白はっきりした生き方ができている、
むしろ白なのだろうけど。八郎はいつまでも、灰色。岡本と一緒にいるせいでそうなったのか。そもそも、岡本とは何者なのか。いろいろな伏線が仕込まれて、なんとなく、真田家とゆかりが出てきそうな雰囲気は匂ってきました。
お信との出会いがそうさせたのか。そこはわかりません。






















2019年1月11日金曜日

週末、珍しく、うちの会社も世間と同じく3連休.乾燥は風邪やインフルエンザにとって、拡がりやすい環境。車関連の、景気の良くないニュースがたて続けにありました。異常との対話が下手なパウエル君が為替を振り回しています。

いよいよ週末、珍しく、うちの会社も世間と同じく3連休です。
今朝も昨日と同じく冷え込まず、5~6℃くらいでした。
今週後半はずっと暖かい(というか、寒くない)朝でした。
天気も曇りがちであったことが影響しています。洗濯物が溜まっています。

年末年始、関東にいましたが、ずっと天気が晴天だったのとは対照的。
いや、むしろ、関東は一か月間、雨がなく、異常に乾燥しているようです。
乾燥も風邪やインフルエンザにとって、拡がりやすい環境になります。
人間は
こういったウィルスや菌に対して、乾燥度が強いと、対抗するための粘膜が弱まり、結果抵抗力が弱くなり、風邪をひく、インフルエンザにかかりやすくなります。

室内を暖房で暖かくする場合、適度な湿度は必要だ、というのはこのことです。

さて、ロイターのニュースには車関連の、あまり景気の良くないニュースがたて続けにありました。
以下見出しのみ。

米フォード、欧州事業立て直しで数千人規模の人員削減へ

ジャガー・ランドローバー、英で数千人削減へ 中国低迷など受け

ホンダ、英工場を6日間停止へ 4月にブレグジット対応で

イギリスの合意なきEU離脱にたいする関心は深く、昨年中から続いているイタリアの予算問題はまだくすぶっています。
EU付近には、事後、問題が大きくなった後で、「あぁ、やっぱこの問題が原因だったよねー」という問題のタネに溢れています。
それを見越して、ようやく自動車会社も、動きだしたようです。
「トランプ危機」の影響で、これまで見過ごしてきたリスクにようやく目を向け始めたということのようです。トランプ危機さえなければ、これまで通り、見過ごしてもいいようなネタ(種)なのだろうと思います。
こういうところでも中国関連はまだ、強いです。
体力があるということの裏返しでしょうね。

今日の日経平均は持ち直しましたが、為替が円高だったのが円安に戻したことが好感されたようです。年初、一時107円/ドル 台までいきましたが、一時104円台もつけていました。
これが今日、日中108円後半まで戻しました。
が、夜に入って以降、値動きが荒く、108円前半にいます。
パウエル君が、引き締め継続を示唆したという話です。
どうも、パウエル君は、歴代の議長に比べると、市場との会話が上手くないような気がします。
アランほどじゃなくても、ベンや、女史くらいには市場とのコミュニケーションを上達して欲しいところです。











2019年1月10日木曜日

今朝もそれほど冷え込まず。病院では普通の四十肩と言われた。Trump Crisis元年。ソフトバンクからADSLモデムの電源アダプター交換のおしらせ。

今朝もそれほど冷え込まず、5~6℃でした。寒のうちと言う割には、暖かいです。やはり、今年は暖冬なのでしょう。さむいけど。
暖冬だと、冬物衣料が不振になります。ユニクロのFRが9-11月の営業益が減る見通しと言うニュースがありました。

巷では、インフルエンザが流行っているようです。
今日は昨年末撮った、MRIの結果を聞くため病院に行きました。
結果は、ごく普通に四十肩とか五十肩というもので、骨や関節、腱には問題はないと言われました。
最初診てもらった時に、場合によっては手術あるかも、と脅されていたので。。。ヒヤヒヤでした。
そんな野球選手じゃあるまいし。
病院に来ている人で、それほど多くはマスクはしていませんでした。看護師さんとかはしている人は居ましたけど。
でもまー、人が多いところに行く場合は、念のためマスクはしておいたほうがいいでしょう。
空気も乾燥しているので、マスクしているほうが呼吸はしやすい。また、唇から結構体の熱は奪われるので、そういうことの防止にもなります。

我が家(といっても、おっさんの独身世帯ですが)のネット環境は17~8年くらい、YahooのADSLを使っています。後半10年はソフトバンクの8M YahooBBのバリュープランに変更しました。月々の支払いは1900円チョイです。私のネット使用状況では8MADSLで十分です。
光回線にする必要性はまったくない。
そこで、ソフトバンクからADSLモデムの電源アダプター交換のお願いの通知が来ました
後日交換のアダプターを送るから古い奴と交換して、古いほうは添付の封筒で返送して、と言う通知です。改めて、アダプターは中国(台湾?)のフォックスコンが製造元、であることに気が付きました。モデム本体もフォックスコン製なんでしょうね。知らんけど。
10年近く使っていますがなんら不具合がありません。Yahooのモデム経由で別の(PLANEX製)のWIFIルーターに分岐して、スマホや、タブレットは、そっちを通してWIFI使っています。

こちらが今日の本題です。といってもいつものとるに足らない愚痴ですが。

いわゆる、トランプショック"Trump Crisis"、が昨年末~年頭にかけて世界中で起こりました。

今年の最大のリスク要因は、アメリカのトランプ大統領です。結構多くの人がそう感じていらっしゃいます。

近く、アメリカのじじいが、中国との貿易協議を行うようです。

軽く中国にいなされるでしょう。確か貿易協議の期限が3月1日だったように思います。

アメリカ、中国、ともに。互いに報復関税とかやっちゃってますが、誰が見ても、これはお互いに利がなく、損が大きいです。
特に、アメリカに勝ち目がないことは明らかです。
かつてアメリカが日本に対して同じことをやって成功した、成功体験が、同じ手段を取らせているのだろうと思われます。
が、日本と、中国では、経済規模が大きく異なります。
中国は人口で、日本の10倍以上、アメリカの5倍以上あります。
そんな国を相手にして、関税合戦とは、腹で茶で沸くほど滑稽です。
昨今では、アメリカの中国への依存度が高くなっています。こうなると、傷が深いのがアメリカ側であることは明白。
昨年末、アップルの決算がいまいちだった、年末商戦でのアイフォンの売り上げが芳しくなかったことが原因。
業績見通しを下方修正しています。
これは、アメリカが仕掛けた貿易戦争の影響をアメリカの企業がもろに受けた形になっています。まさにブーメラン。
さらに、世界有数の穀物商社のカーギル、も経営に影響を受けているようです。
正月、ロイターの記事に「カーギルが3日発表した四半期決算では、中国の業績が予想を下回った。」とありました。
こんな状況で、トランプじじい、よくも、あれだけのたわごとが言えるな。
不謹慎ですが、彼がくたばれば、世界が平和になります。と私は思っていますが。
そういう人は少なくないんじゃないかな。

円高が進んでいます。107円台になっていました。
今日のロイターのニュースで気になった見出しは

米主要港湾の輸入量、対中関税引き上げ前の需要一巡で頭打ち
 中国人民元、将来的に世界の準備通貨となる可能性=英中銀総裁

初めのほうは、米中貿易摩擦の影響の本当の姿はこれからだよ、遅行性があるよ、と言っているようなものです。
2番目は中国のほうがしたたかに影響力を拡大しているよ、どっかの国のバカに比べて、やはり、こちらのほうが数枚上手であるように感じられる裏付けです。
言っているのが、女王の国の頭取であるのが、じわじわくる面白さです。






2019年1月9日水曜日

昨日のスレイマンつながりで、オスマン帝国の成り立ちについて、ティムール帝国との、アンカラの戦いとバヤズィト1世の死による、オスマン帝国の一時的な衰退。オスマン帝国を再統一したメフメト1世について。露土戦争におけるロシア軍の稀世の指揮官、スヴォーロフについて。ゴーン氏が日産の「大恩人」なんて、寝ぼけたことを言っているジャーナリストには反吐がでそうだ。

今朝も微妙に冷え込みは厳しくなく、外気温計は3~4℃くらい。
午前中からお昼ちょいまで、天気は良いお天気でした。
風邪は少しあって冷たい風でしたが。午後は雲が広がり、曇りました。

日産のゴーン氏の問題が長引いています。
日産や、特捜部に勝ち目がないと思う点は以前書きました。
自動車じゃーナリストのブログを読んでいて、ゴーン氏が日産の「大恩人」と書いているのが、気になりました。
また、寝ぼけたことを言っているなあ。と。
ゴーン氏がボランティアで日産を立て直したなら恩人と言ってもいいでしょうけど、彼も結局雇われ社長です。そんな人になんで恩を感じなければならないのでしょう。
こういったものの見方が、そもそも、古臭い、日本人特有の感覚でしょう。日本人がどれほど恩に感じたところで、ゴーン氏は別に義理に感じてくれることはないでしょう。
所詮、ある程度、高額な給料(報酬)の分ゴーン氏は働いて、今の日産の姿にしたに過ぎない、。
彼が、GTRやフェアレディZを復活させた、なんて、恩着せがましいこと言うのは間違っています。
ゴーン氏は仕事に必要だからそうしたに過ぎない。
仮に、恩を感じるならば、彼を起用した志賀氏あたりを褒めるべきだと思います。
こと、ゴーン氏をちやほやするジャーナリストがいるから、彼も勘違いして慢心してこの結果を招いたんだと思いますね。
あんな雇われ社長の実績なんて、相応の報酬があったんだから、ドライに接してていいのです。
名声なんて、余計なお世話ですよ。特にその手法は日本式じゃないし、すべての人がハッピーになったわけでもない。
経営者として、新たな価値を創造する、と言う点においてはゴーン氏はなんら評価に値しない人だと考えます。
まだ、日本電産の永守さんとか、トヨタの社長のほうが、世界に誇れる社長なのではないか?と思います。



昨日も書いたように、ロシアの時代劇ドラマ、「エカチェリーナ2世」は終わってしまいました。
ドラマ「エカチェリーナ2世」の終盤は露土戦争に入りかけていました。18世紀末のことです。

(エカチェリーナ2世)

エカチェリーナ2世がトルコに向けて宣戦布告するシーンがあります。
露土の「土」はトルコのことですがトルコと言うのはオスマン帝国です。エカチェリーナ2世の時代、北の強大国と、アジア~ヨーロッパの強国オスマン帝国は同じ国境をもつ隣国同士でした。
なので、露土戦争と言う名前の戦争はいくつもあります。Wikipediaをみると16世紀初頭から20世紀初頭まで、400年間にかけて、12回も、あきもせあきもせず、やっています。
人の命を何だと思っているんだ。

このドラマで、エカチェリーナ2世が宣戦布告した露土戦争は日本では「第一次ロシア・トルコ(露土)戦争」と呼ぶのが一般的らしいです。
実際の宣戦布告はオスマン帝国側からのようですが。
ドラマには、ロシア軍の指揮官として名将スヴォーロフが出てきます。
1774年4月、スヴォーロフはバルカン半島に侵攻し、6月20日、コズルドジで8,000名の軍で40,000名のオスマン軍を撃破しているシーンが出てきま。エカチェリーナの愛人、ポチョムキンもこの戦いで活躍しています。(ドラマでは)
スヴォーロフの活躍で、この戦いでロシアが勝利して、クリミア半島を手に入れます。
スヴォーロフはロシア帝国の最後の大元帥。不敗の指揮官として世界史的にもかなり有名。

その戦い方は日本人の目で見ると、源義経の戦い方に似ています。彼の戦い方は機動と速攻、奇襲にありました。

Wikipediaで見ると、スヴォーロフは著書の中で「戦争において金銭は尊い。人命はより尊い。それよりもなお時間は尊い」と述べています。蓋し名言。

昨日のブログに上げた、トルコのオスマン帝国は16世紀に現れたスレイマン大帝が西に東に、あっちこっち外征し、その外政がことごとく成功し、その領土を最大にします。スヴォーロフ並みに、スレイマンすげー。

(スレイマン大帝)

スレイマンはその立場でいえば、有数な戦略家、と言えますが、これまた有数な戦術家と言っていい。彼の代で、オスマン帝国の領地は最大になり、後の露土戦争のきっかけになるロシアと国境を接するようになるのです。まだスレイマンの時代ではロマノフ王朝どころか、ロシア王国すらない。モスクワ大公国。露土戦争の最初がこのスレイマン大帝の時代に起こります。この時代に、モスクワ大公国からロシアツァーリ国に国名が変わります。ツァーリがイヴァン4世。ロシアツァーリ国がロシア帝国になるのは18世紀初頭。ピョートル1世(大帝)の時代。

しかし、オスマン帝国の成長は最初から順調だったわけではありません。
オスマンのオスマンは英語で書くとOttoman 元はトルコ系遊牧民のオスマン家という、アナトリア半島の片田舎にいた遊牧民の一部族です。
彼らが現れるちょっと前まで、世界史はモンゴル帝国を中心にしたものでしたが、モンゴル帝国が東西で衰退し、西ではオスマン帝国が勃興します。東は元が滅んで明国が立つ。

オスマン帝国の成長に伴い、当時の世界史はオスマン帝国が中心になっていると言って良いです。
世界史の教科書的な説明によればオスマン帝国は1300年から1922年まで続いた、いうのが正式な見解。
最初から順調ではない、と書いたのは、初期はアナトリア半島を制覇し、西に広がり、第4代皇帝スルタンのバヤズィト1世の時代、バルカン半島を手に入れ、ハンガリー方面に進み、ヨーロッパ連合軍(十字軍)をニコポリスで破ります。ヨーロッパはこの事態に震撼。

(バヤズィト1世)

しかし、当時、アナトリアの東方、中央アジア、現在のイランよりも東、ウズベキスタンとかあるところではチンギスハンの子孫を自称するティムールが現れます。彼も、これまた戦えばかならず勝利する、という人物。でした、。

(ティムール)

結果ティムール帝国が成立。このティムール帝国が西に拡がるとオスマン帝国とぶつかり、アナトリアの現在のアンカラでぶつかり、アンカラの戦いが起こります。15世紀初頭の1402年。オスマン帝国は丁度、バルカン半島の完全制覇の仕上げに、東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルを攻略するべく包囲していたところでした。
この戦いで、時のオスマン帝国の皇帝スルタンのバヤズィト1世はなんとティムール軍に囚われて捕虜になります。バヤズィト1世は捕虜になったまま、翌年の1403年、病死。サマルカンドに移送の途上だったらしく、釈放のため交渉されていた最中のことだったようです。
オスマン帝国はバヤズィト1世の死後、彼の4人の子供によって分裂し、10年くらい内戦状態になります。その内戦を戦い勝ち残ったのが
メフメト1世です。メフメト1世は長兄のスレイマンがバルカン半島を抑えていたところへ弟の一人ムーサーを送り込みムーサーとスレイマンが潰しあう中、スレイマンは戦死、ムーサーは東ローマ帝国(ビザンツ帝国)と手を結んだメフメト1世との闘いで敗れ囚われ殺されます。(1413年)これによって、メフメト1世は勝ち残り、オスマン帝国を復興させます。
(メフメト1世)

メフメト1世の時代はオスマン帝国は目立った外征をしていません。
国内の安定があってこその外征、当時オスマン帝国は、兄弟同士の内戦を終え、ティムールとの闘いの余波が残って内乱が続き、外征できるようなそんな時期ではありませんでした。ヴェネツィア共和国と、コンスタンティノープルに近い、ガリポリの海で、海戦を行って(1416年)、一応辛くも、勝利しています。ヴェネツィア側が司令官が戦死したため撤退しました。この時代のヴェネツィア共和国は司令官になる階級の貴族が、率先して命を張って戦いに臨んでいました。
塩野さんの本を読むと、そのあたり詳しく書いていますので理解できます。





2019年1月8日火曜日

エカチェリーナ2世のドラマが残念ながらいったん終了した模様、あとを受けて、トルコのドラマ、スレイマン大帝が出てきている。しかし、ドラマは宮廷ドロドロ劇の模様なので、見ないかも。

今朝は寒かったんですが、2~3度と氷点下にいまいち届かなくて、車には霜が降りていませんでした。日中、昼までは雲が多くどんより天気。朝方も実は薄雲があったせいで、冷えなかったのかも。


エカチェリーナ2世のドラマは昨年末で一旦終了した模様。まだっ最終回は見ていませんが、今日、同じ時間帯の録画を見ると、なんと!スレイマン。
番組名は「オスマン帝国外伝〜愛と欲望のハレム〜」

スレイマンと言えば、オスマン帝国で大帝と呼ばれた男です。一通り見てましたが、恐らく続けてみることはないでしょう。宮廷のどろどろ劇がメインみたいです。スレイマン大帝が女官の一人に襲撃され暗殺しかかります。スレイマン大帝自身が取り押さえ、無事なのですが、この女官は大宰相イブラヒムによって後宮に入れられたということがり、イブラヒム自身が取り調べ(と言うか拷問)すると、暗殺はラヨシュによって命じられたのだという、また彼女の夫はどこかの要塞を守備していて、スレイマンによって殺されたとか言ってました。
ラヨシュと言えば、名前からするとハンガリー王かな。
また、恐らく主人公はこっちかもと思われたのがスレイマンの皇后、ヒュッレム。ロクセラーナとして有名か。
だが、残念ながら、スレイマンは良い男が演じているのに、ヒュッレムの美貌はそれほどでもない。どこかの田舎のねーちゃん的な女優が演じていました。(失礼)
ヒュッレムがいきなり、誰かかわからんが「レオ」という男の自害を看取ります。この男こそ何者?

スレイマンは16世紀の人物ですオスマン帝国第10代皇帝(スルタン)。 日本でいえば、斎藤道三と同時代の人。スレイマンって、古代イスラエルの「ソロモン」のトルコ語読みなんですね。
16世紀前半、1500年ちょいで、ハンガリーのもはーちで、モハーチの戦いを起こし、ハンガリー王国軍とオスマン帝国軍がぶつかりハンガリー王国軍を破ります。この戦いはハンガリー国王ラヨシュ2世の拙劣な戦いによって、ハンガリー側が負けたと言っても良いです。

そのチョイ前、ロードス島を攻めて、ヨハネ騎士団と壮絶な戦いをして、これを奪います。
塩野七生さんの「ロードス島戦記」に詳しく書いてあります。

とにもかくにもスレイマン大帝、外征するたびに勝って勝って勝ちまくった人。という印象。

が、ドラマの方はエカチェリーナ2世に比べて、いまいち面白くなさそう。
スレイマンよりヒュッレムの方に光があっていそうです。その割に、ヒュッレム役の女優にいまいち興味が沸かない。。。(苦笑)

オスマン帝国の歴代皇帝の中では第7代のメフメト2世が印象深いですけどね。
これも塩野七生さんの影響かな。1453年のコンスタンティノープルを攻略を指揮した人がメフメト2世。塩野さんの「コンスタンティノープルの陥落」に詳しい。







2019年1月7日月曜日

昨日は小寒でした。立春(2月)まで、寒のうち、といいます

昨日は小寒でした。節分つまり立春まで、寒のうちといいます。今年の節分は2月4日です。
2月4日は中国は春節です。
ここまで来るとお正月も、もう終わりですね。
今朝は車にも周囲の畑にも霜が降りて寒かったです。外気温計は0℃でした。
明日の朝も寒いそうです。。。。
しかし、昼間はぐっと暖かい感じでした。早朝、洗濯物を干して正解でした。


今日は東証は上がりましたね。前日比477円高で2万円の節目を超えて終えています。終値は、20038.97円です。ん~なんかぎりぎり。
為替は108円。


2019年1月6日日曜日

昨日、遅めの初詣に本妙寺に行ってきました。今日はまさかの休日のお昼の天体ショー、部分日食がありました


今朝も暖かい朝でした。7時頃起床。
今日はまさかの休日のお昼の天体ショー、部分日食がありました。
スマホで撮影トライしてみたものの
おまけに四十肩がチョー痛くて涙目になりながら撮影しました。

(1月6日9:26、自宅ベランダにて部分日食。肉眼観察用サングラスをあてがい撮影)

(1月6日10:19、自宅ベランダにて部分日食。肉眼観察用サングラスをあてがい撮影)

(1月6日10:30、自宅ベランダにて部分日食。肉眼観察用サングラスをあてがい撮影)


自分の目で見れたので、OKです。
一眼レフの方でもトライしてみたけど。そっちのほうがまだキレイに撮れていました。
スマホのほうは、2眼なのでいまいちなのかもしれん。

次は、今年は珍しく年に2度日食が見られます。12月26日です。木曜日。欠ける度合いは今回と同じくらい。
その次は来年2020年6月。台湾では金環日食になるので、南に行くほどかける率が高いです。熊本で60%くらいかな。今回の倍くらい、半分チョイかけます。それでも、肉眼だと日食と分からない。それほど暗くもなりません。




1月5日、遅めの初詣に本妙寺に行ってきました。
本妙寺は、戦国武将、加藤清正の菩提寺です。
いつものように、スマホの写真をWB化して載せました。

(1月5日本妙寺大本堂 ByHuawei P10plus)

(1月5日本妙寺大本堂 ByHuawei P10plus)

(1月5日本妙寺 ByHuawei P10plus)

 (1月5日本妙寺拝殿浄池廟 ByHuawei P10plus)

 (1月5日本妙寺拝殿浄池廟 ByHuawei P10plus)

 (1月5日本妙寺拝殿浄池廟から熊本市を望む ByHuawei P10plus)























2019年1月5日土曜日

図書館に返した本「スッキリ中国論」の感想。これは日本人について、もっと反省を込めて、見つめなおしたい、中国の成功を見習いたいと言う人向けの本。年末年始の経済ニュースについて

今朝は朝から暖かかったです。
昨日は朝、車全体にに霜がおりて真っ白だったのに。
お昼前に、図書館に行き、貸し出し期限の本を返してきました。感想は経済の下に書いておきます。
図書館に行っている間の日中はまさかの雨が降っていました。
帰り途中で、本妙寺に初詣しました。

午後は、ぼーっと録画診てたり。
散歩に行ったり。帰って録画みたり。
明日は午前中、部分日食があります。
が、熊本は曇り、雨も降りそうな雰囲気の天気予報。
ちょっと日食を見るのは望み薄。
今日は、アマゾンで買い物をしました。
結局、テレビ用の同軸ケーブル5C規格が、ベスト電器や、ミスターマックスで見つからなかったので、アマゾンで注文しました。

年末年始、ロイターのニュースでは、世界でのPMIという数値の低下ニュースが相次いでました。
PMIとはPurchasing Managers' Indexのこと。日本語でいうと、購買担当者指数。
製造業の景況感を示す指標。具体的には製造業の購買担当者へのアンケート調査の結果を指標化したもの。
年末は、なんと、経済指標が、政府の予算が底をついて閉鎖騒ぎになっているあおりを受けて発表延期、という事態に。

米商務省、新築1戸建て住宅販売の発表を無期限で延期 政府機関閉鎖受け

あと、興味を引いたニュースはこちら。
逆イールドと景気後退、米国以外では強い相関なし


1月2日
中国製造業PMI、12月は19カ月ぶりの50割れ 予想下回る

ユーロ圏製造業PMI改定値、12月は16年2月以来の低水準

英製造業PMI、12月は54.2に上昇 6カ月ぶり高水準

1月4日

財新の12月中国サービス部門PMI、53.9に上昇

仏サービス部門PMI改定値、12月は49.0に下方改定 抗議活動で

12月ユーロ圏総合PMI改定値は5年半ぶり低水準、サービス業も4年ぶり低水準

独サービス部門PMI改定値、12月は51.8 27カ月ぶり低水準
これに似たやつで、
消費者信頼感指数、と言うのがありますが、PMIより、景気に直結するのはこちら。

PMIはどっちかつーと、気分的な、景気の先取り感覚が強いので、先行指数なのでしょうな。

年明け、
アメリカで出た経済指標は昨年12月の雇用統計が大きなものでした。
非農業部門の雇用者数が31万2000人増加し、10カ月ぶりの大幅増となりました。

この結果を受けて、また利上げ?
ただ、歴代のFRB議長が総出で、現在の景気について語る、というイベントがあったみたいです。



今日返却したのはこちら

表題にかいているほど、中国人への理解に対して、すっきり感はありませんでした。

自分は結構ずっぽり中国でのビジネスに関わっていますが、この本に書かれているほど、中国の人々を特別に思ったことがありません。
むしろ、ストレスに思うのは、日本人の方に対するものが多いので。

中国人に関わらず、アメリカ人でも、すぐに仕事を辞める人は多いですが、
その説明にあった3項目のうち3番目の、

3、リスクヘッジのために辞める。

と言うのは目からうろこでした。
これは凄いし、日本人も見習うべき。

この本を読んで、むしろ日本人の欠点が見えてきます。
日本人にありがちな、「べき論」、が鬱陶しく感じます。形から入る日本人の迂遠なやりかた、いつまでも決めることができない日本人、恐らくどこの会社でもいるのでしょうけど、責任を取りたがらない責任者とか船頭の多い、日本のシステム。こんなんじゃ、日本は衰退して、消えていくしかないよね、と思えてくる。そういう納得の仕方をしました。
一方で、中国人の考えかたの良さも見えてきます。
が、この本を読もうと思う人はそれを求めてないので、そういう部分は批判されるでしょう。

特に、日本人はこういうのは見習ったほうがいい。
常にオプションを用意しておくのが中国流。
他者に自分の命運を握られないように生きるのが中国人の生き方の神髄。
ま、書かれてあることは、世間一般、当たり前なんだろうけど。日本人は建前が多くて不満を抱えながら本音を言えないから、鬱陶しいよね。

というのが私の感想。
日本人について、もっと反省を込めて、見つめなおしたい、と言う人向けの本だと思います。
隣人の見習うべき点について知りたい、と言う人が読むべきでしょう。
でなければ、日本の将来は危ういぞ、と。

































2019年1月4日金曜日

2019年、今年もよろしくお願いします。

2019年今年もよろしくお願いします。

戻ってきたら、いきなり震度5の地震
関東小旅から戻ってきました。
昨日、午前中に戻ってきて、夕方は家で録り貯めた録画をテレビで見ていました。そんな中、ゴーッと音がして、小刻みな縦揺れ。
しかも激しい。振幅は大きかったですが、波長が短いせいで、たいしたことはありませんでした。
自分が住んでいるところは熊本市北区で、震度5くらいだろうと感じました。
気象庁のサイトには震度5弱。まあ、そんなものでしょう。
ただ、3年前のトラウマでしょうか、これって、予兆とか前震じゃね?ってすぐに思いました。

年も明けて、月が変わったので、TOP画像は変えています。群馬の親の家付近、散歩ついでにスマホで撮った風景です。

この7日間何をしていたか、
12月29日 : 午後昼に自宅を出てバスで、交通センター。交通センターからバスで熊本空港へ。17時過ぎのANA便で羽田空港へ。そこから浜松町、上野経由で高崎線で親の家の最寄り駅の新町へ。着いたのが21時半頃。


12月30日 :のんびり8時半起き。午前中に散歩。
群馬の家の裏を流れる坂東太郎、利根川

下流側を望む

同じく下流側を望む。水鳥の群れ

上流側を見ると、榛名が見えます。雪雲がありますね。
群馬の家の住所の名称の由来になっている火雷神社(ホノイカヅチジンジャ)

火雷神社正面

火雷神社縁起 読むと、現在は佐波郡となっているのは実は昔、那波郡だったことが分かる。
大江広元の息子、那波政広(那波宗光、宗元)がこの地域の領主だった。
火雷神社は大江氏と所縁が深い。




火雷神社境内の神楽殿

火雷神社境内の神楽殿





12月31日 :のんびり8時半起き。午前中に散歩。夜紅白見たり、姪に付き合ってダウンタウンを見たり。
散歩途中の風景。右側に見えるのは赤城山

こちら側は正面に榛名


こちらは左側に雪をかぶった浅間山


スマホでパノラマ写真にトライ。

散歩途中で寄った観照寺

散歩途中で寄った観照寺

散歩途中で寄った観照寺
観照寺はもともと平安時代にこの地を開拓した玉村太郎の館跡と言われているらしい。
玉村太郎は平将門の乱平定に軍功があったらしい。

散歩途中で寄った観照寺


観照寺の板碑。鎌倉時代から伝わる物。町の指定重要文化財になっている
中央の一段高い板碑が弘長2年(1262年)銘で3つ並ぶ板碑の中で古く、右の板碑が弘安7年(1284)甲申の記銘、



夕方、大晦日の宴しながら紅白を見る。




1月1日 :8時半起き。朝飯を食べつつ、ニューイヤー駅伝見つつ、近所だからと散歩ついでに駅伝を見に行くも、間に合わず。。。

散歩して利根川を渡って、徒歩30分ほどで、倭文神社に到着
真ん中の林になっているところが倭文神社(倭文と書いて、しどりと読む)この地域の地名(伊勢崎市上之宮の地名の由来)上野の国の九の宮になっているそうな。
倭文神社の公園に車がいっぱい停まっていると思ったら、ほぼすべて、初詣ではなく、ニューイヤー駅伝の応援。

左が倭文神社への道。この真っ直ぐ先の道と交差している道が高崎ー伊勢崎線で、ニューイヤー駅伝のコース。
あと200mというところで、パトカーや白バイが駆け抜けていったのが遠目に見えたので、タッチの差。

すでに警備のおまわりさんしかいない。

残念。・・・というほど残念感はないっす。(苦笑)



戻って、おせち食べました。



1月2日 :8時半起き、午後、17時頃に新町駅を出て、御徒町へ。

御徒町北口、アメ横に行かずに、左のラーメン街に進んで徒歩3分くらいに目的の蘭州ラーメン屋があります。

御徒町で、蘭州ラーメンを食べる。


蘭州と言うのはともかく、久しぶりのニョーローメン(牛肉麺)はすげー旨かったです。

その後、蒲田へ行ってホテル泊。

熊本行の飛行機が早朝便7時10分発のため。

1月3日5時起き。
5時半蒲田駅発のバスに乗って羽田空港へ行く。
早朝のせいか、こんな時期でも、羽田空港は閑散。




朝焼けの羽田空港


ソラシドエアのピスタチオグリーン。7時10分発はコードシェア便。



51番ゲートに7時10分発熊本行の飛行機が駐機。

10時くらいに熊本空港着。


このあと、夕方に地震。

1月4日、朝からテレビ。午前中洗濯。お昼前にコメダ珈琲に行って読書。
帰って来てから、年賀状の返事書き。書いてから郵便局に出かけて出す。
帰って来てからもテレビ。

明日も、もっぱらテレビ見る予定。