「戻ってきたら、いきなり震度5の地震」
関東小旅から戻ってきました。
昨日、午前中に戻ってきて、夕方は家で録り貯めた録画をテレビで見ていました。そんな中、ゴーッと音がして、小刻みな縦揺れ。
しかも激しい。振幅は大きかったですが、波長が短いせいで、たいしたことはありませんでした。
自分が住んでいるところは熊本市北区で、震度5くらいだろうと感じました。
気象庁のサイトには震度5弱。まあ、そんなものでしょう。
ただ、3年前のトラウマでしょうか、これって、予兆とか前震じゃね?ってすぐに思いました。
年も明けて、月が変わったので、TOP画像は変えています。群馬の親の家付近、散歩ついでにスマホで撮った風景です。
この7日間何をしていたか、
12月29日 : 午後昼に自宅を出てバスで、交通センター。交通センターからバスで熊本空港へ。17時過ぎのANA便で羽田空港へ。そこから浜松町、上野経由で高崎線で親の家の最寄り駅の新町へ。着いたのが21時半頃。
12月30日 :のんびり8時半起き。午前中に散歩。
群馬の家の裏を流れる坂東太郎、利根川
下流側を望む
同じく下流側を望む。水鳥の群れ
上流側を見ると、榛名が見えます。雪雲がありますね。
群馬の家の住所の名称の由来になっている火雷神社(ホノイカヅチジンジャ)
火雷神社正面
火雷神社縁起 読むと、現在は佐波郡となっているのは実は昔、那波郡だったことが分かる。
大江広元の息子、那波政広(那波宗光、宗元)がこの地域の領主だった。
火雷神社は大江氏と所縁が深い。
火雷神社境内の神楽殿
火雷神社境内の神楽殿
12月31日 :のんびり8時半起き。午前中に散歩。夜紅白見たり、姪に付き合ってダウンタウンを見たり。
散歩途中の風景。右側に見えるのは赤城山
こちら側は正面に榛名
こちらは左側に雪をかぶった浅間山
スマホでパノラマ写真にトライ。
散歩途中で寄った観照寺
散歩途中で寄った観照寺
散歩途中で寄った観照寺
観照寺はもともと平安時代にこの地を開拓した玉村太郎の館跡と言われているらしい。
玉村太郎は平将門の乱平定に軍功があったらしい。
散歩途中で寄った観照寺
観照寺の板碑。鎌倉時代から伝わる物。町の指定重要文化財になっている
中央の一段高い板碑が弘長2年(1262年)銘で3つ並ぶ板碑の中で古く、右の板碑が弘安7年(1284)甲申の記銘、
夕方、大晦日の宴しながら紅白を見る。
1月1日 :8時半起き。朝飯を食べつつ、ニューイヤー駅伝見つつ、近所だからと散歩ついでに駅伝を見に行くも、間に合わず。。。
散歩して利根川を渡って、徒歩30分ほどで、倭文神社に到着
真ん中の林になっているところが倭文神社(倭文と書いて、しどりと読む)この地域の地名(伊勢崎市上之宮の地名の由来)上野の国の九の宮になっているそうな。
倭文神社の公園に車がいっぱい停まっていると思ったら、ほぼすべて、初詣ではなく、ニューイヤー駅伝の応援。
左が倭文神社への道。この真っ直ぐ先の道と交差している道が高崎ー伊勢崎線で、ニューイヤー駅伝のコース。
あと200mというところで、パトカーや白バイが駆け抜けていったのが遠目に見えたので、タッチの差。
すでに警備のおまわりさんしかいない。
残念。・・・というほど残念感はないっす。(苦笑)
戻って、おせち食べました。
1月2日 :8時半起き、午後、17時頃に新町駅を出て、御徒町へ。
御徒町北口、アメ横に行かずに、左のラーメン街に進んで徒歩3分くらいに目的の蘭州ラーメン屋があります。
御徒町で、蘭州ラーメンを食べる。
蘭州と言うのはともかく、久しぶりのニョーローメン(牛肉麺)はすげー旨かったです。
その後、蒲田へ行ってホテル泊。
熊本行の飛行機が早朝便7時10分発のため。
1月3日5時起き。
5時半蒲田駅発のバスに乗って羽田空港へ行く。
早朝のせいか、こんな時期でも、羽田空港は閑散。
朝焼けの羽田空港
ソラシドエアのピスタチオグリーン。7時10分発はコードシェア便。
51番ゲートに7時10分発熊本行の飛行機が駐機。
10時くらいに熊本空港着。
このあと、夕方に地震。
1月4日、朝からテレビ。午前中洗濯。お昼前にコメダ珈琲に行って読書。
帰って来てから、年賀状の返事書き。書いてから郵便局に出かけて出す。
帰って来てからもテレビ。
明日も、もっぱらテレビ見る予定。
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