2019年1月20日日曜日

剣客商売全集 別巻 黒白の感想とか。終(13)

内容を剣客商売に絞るため自動で1月20日の日曜の朝アップロードします。

日曜は大寒で寒の時期の折り返し、中間です。2月3~4日の立春までが寒の時期になります。
天気予報では雨です。家でじっと読書しているかも。


2018年12月になってすぐに借りた剣客商売全集の別巻の事を載せるのも、延び延びになっていました。ついに年を越してしまいました。
この章でいよいよ、最終章。ぎりぎり週中に終えることができましたが
これでえ剣客商売シリーズをすべて読破してしまいました。寂しいです。


剣客商売は2018年に出会ったなかで一番の本でした。
図書館で剣客商売全集1~8巻そして別巻。
今回の別巻が最後になっていますが、自分も読むのが最後ですが、時系列歴には剣客商売シリーズでは最も初めに位置していると思います。
剣客商売の第1巻、剣客商売は主人公小兵衛は50代後半から60代ですが、黒白は小兵衛30代から40代後半。
師匠の辻平右衛門が隠居のため、京都大原に逼塞するくだり、嶋岡礼蔵とのやり取り、辻道場の詳しい説明。
がこの黒白で語られています。また、本編では登場しませんが、小兵衛の最初の妻、大治郎の母である、お貞さんとのなれそめ、お貞さんの性格が詳しく描かれているのも、この黒白です。
番外編の「ないしょないしょ」が黒白の後の時代。しかし、ないしょないしょ」で小兵衛の登場は少ないです。この時小兵衛は50代の前半じゃないだろうか。
「ないしょないしょ」は剣客商売で唯一、女性が主人公、薄幸の女性「お福」の16から36までの人生の模様と、当時の江戸の姿が描かれています。
なので、剣客商売をこれから読もう、と言う場合、「黒白、ないしょないしょと、読んで、本編の1巻から読み進めると時系列的に正しいです。
剣客商売、と題名ですが、実際に剣で商売、お金のやり取りすることはほとんどありません、
好奇心旺盛な小兵衛が江戸で起こる様々な事件に首を突っ込んで解決していく、お話なので剣客事件簿、と言う題名のほうが良いような気がします。。。

例によって、礼の如く、感想と言うよりほとんど筋をコピペのように書きつつ、コメントをさしはさむ形式です。
なので、完全にネタバレです。ご注意ください。


-三条大橋ー


助五郎は探索中の浪人強盗二人の所在を突き止めようとしてかえって浪人どもに斬殺されて、助五郎の遺子で母親の手一つで育てられた弥七がお上から十手を許され亡父の跡を継いだのは明和四年(1767年)
小兵衛は49歳になっていた。宝暦三年(1753年)の一月末~二月頃に勝負してから十四年。
小兵衛にも子ができて大治郎と言った。お貞は大治郎が七つのとき風邪をこじらせて世を去った。
小兵衛にとってお貞の死は大きな衝撃で、一時四谷の道場を閉めてしまいます。この章はその後の小兵衛や、修行に京大原の辻平右衛門のもとに一人出て行くほどまで成長した大治郎の姿を追います。
旅立つ大治郎の一五歳の大きすぎる背中に小兵衛は波切八郎の姿を重ねたりしていますので、時折に八郎のことを思い出してしまうのでしょう。
辻平右衛門が安永二年(1773)大原で亡くなり小兵衛は知らせを受けて京大原に向かう。
そして、嶋岡礼蔵と大治郎と会う、辻平右衛門の始末が終わり、嶋岡は実家のある大和国へ発ち大治郎は大阪の柳道場に向かう。その別れの際に、

「のう大治郎、いまのお前にはまだよくわからぬやもしれぬ。わしもお前の年ごろには少しもわかってなかったのだが」
「よいか大治郎、人の生涯いや剣士の生涯とても、剣によっての黒白のみによって定まるのではない。この広い世の中は赤い色や緑の色や黄の色やさまざまな数え切れぬ色合いによって成り立っているのじゃ」
その晩ゆっくり眠った秋山親子は翌朝九時頃宿を出た。空は青く晴れ渡り、親子は三条大橋へ差しかかった。
(や・・・?)ぴたりと足が止まった。幅が約5間の向こう側を東詰めの方から歩んでくる老人に見覚えがある。背の高いその老人の右手は懐に入っているように見えたがそうではない。
ほかならぬ小兵衛の一刀によって切断されたのである。(あ、波切)まさに波切八郎であった。
(生きていたか・・・?)八郎は町人の姿をしている。八郎に付き添うように歩む老女がにっこりと笑いつつ何やら八郎へ語りかけている。
八郎がこれも穏やかな笑顔で老女に応えていた。
(生きていた。そうかふむ。波切八郎殿は生きていたか。)
わけもなく熱くなってきた目頭を指で押さえてから小兵衛は三条大橋を東へと渡って行った。

(終了)

まさかの八郎の再登場でした。しかも幸せそう。
小兵衛のほうがかつての八郎のように、八郎斬ったあとも、自分の息子大治郎に八郎の姿を重ねたりして、一歩も前に進めないような(実際には小兵衛の生活は進んでいるのですが)状態になっていました。
ですが、八郎の生きていて幸せそうな姿を見て呪縛から解放されたかのような心持になったのでしょう。
それほど、市蔵を含む八郎に対する心配、八郎を斬って黒白が定まったのではない、と言う心の現れもあるのでしょう。
諸国修行に向かう大治郎に「勝・負」という黒白にこだわってしまうと、大事なものを見失う、と言う意味で世の中の様々な色について述べるのは、実は自分に向かって言い聞かせている部分もあったのかもしれません。

























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