2018年8月14日火曜日

うなだれるひまわり

颱風リーピが予想外に北よりにコースを変えて、明日未明九州上陸し九州、熊本を横断しそうです。
図中の赤線はかつての予想進路。
うちに最も近づくのは明朝。
降水予想で明日朝の6時くらいの予想図を見ました。
明日は雨ですなあ



先日、ニュースで、宇城、豊野のひまわりのニュースを見ました。
見に行ってこよう、と出かけたのが今日。
熊本市北部の自宅から、宇城豊野まで、3号線使って、およそ1時間半。
豊野、糸石にあるらしい、しか分からず、行けば看板とかあるんじゃないか、と、かなり適当に考えて、行ってみたものの。3号線から218号線に乗って、豊野を超えて、美里町まで行っても看板なんてありゃしない。
そこで、糸石にあった、コンビニで店員のお姉さまにきいてみたところ、、軽く笑って新設に絵をかいて教えてくださいました。軽く笑ったのは、あーやっぱり分かんないわよね。の苦笑?だったのでしょうか。
で、いってみたところ、途中で変な看板のせいで、迷子になりかけましたが、コンビニのお姉さまの手書きの地図通りに行って間違いなく到着。

神社が目印ですが、この神社と、その境内にある看板については、予想外の収穫だったので後述。
写真はすべてクリックすると拡大します。


神社の入り口にこのような案内板がありました。

この案内板を、もっと手前においてほしかった、、、
子の案内板の近くに車を置いて、そこから歩いて行ってみると。


現場に到着。なんか怪しげな感じ。予想外に緑が多いぞよ。


kの看板を見ながら少し登ってみると。



来てみると。ガーン。全部のひまわりが暑さでか、うなだれ気味にしおれとる。

ここから下は、うなだれた残念な姿のひまわり映像です。













一同、礼! みたいな。





ショボーン、スンマセーン、みたいな。

ショボーン、スンマセーン、


サーセン的なヒマワリ






みんなでガックシ、的なヒマワリ。


さて、神社の話ですが、名前は相良神社と呼ぶようです。


鳥居をくぐると、やや新しい、小さなお堂があります。





ちいさなお堂は相良堂というようです。再建して新しくなっている風ですが、県史跡とありますねえ。
不思議な。

帰宅後、このブログを書く前に、調べて見ると、、宇城市のサイト
https://www.city.uki.kumamoto.jp/kankou/q/aview/113/93.html

以下のような説明があります。

『享保15年(1730)に、惣庄屋の中山孫左衛門によって建立された響ヶ原の戦い(天正9年(1581))で没した相良義陽とその家臣を祀るための堂。相良義陽の家臣であった犬藤頼安によって没時に供養碑が建立されており、これを保護し供養するために建てられた堂です』


そう、先ほどのひまわり畑の周囲、少し台地状になっています。
まさかこの地が、あの有名な響が原だとは。
響が原とは、かつて戦国時代に、上述のような、響が原の戦いでゆうめいになった場所。
古戦場です。

鎌倉時代以降から、人吉付近を収める領主(地頭)が、名族相良氏。
徳川期も生き延び、人吉藩の大名として幕末まで残ります。鎌倉時代の領主が同じ場所で残るというのは全国でもそう多くありません。九州では薩摩の島津家。人吉の相良家。
相良家もその間、様々な苦難を乗り越えてきましたが、戦国末期の九州。島津家が薩摩大隅を平定し、北上しはじめ。
天正6年1578年。日向伊東氏を攻めたことがきっかけで豊後大友氏が出張って日向の耳川で大きないくさになり、大友家はみじめに大敗し、多くの名だたる武将が戦死。これをきっかけに大友家は衰退を始めます。
その後、島津はすぐに日向を平定し、豊後に攻め入ることはせず、肥後に侵攻します。
肥後は人吉の相良家と、益城や阿蘇の宮司家だった、阿蘇氏が庇護の大きな領域を占めていまいした。それ以外の地域は菊池家がいたのですが、肥前の龍造寺と大友支配で転々としており、ローカルな豪族がそれぞれのパトロンをその場その場で都合よく変えながら割拠している状態。
相良氏は早い時期から島津とよしみを通じていました。

このため、島津家は益城を収める阿蘇氏を取り込むため相良氏を先兵とします。
当時の相良氏の当主、相良義晴は阿蘇氏の名臣御船城主甲斐宗運と厚い盟友関係を結んでいました。
友情を取るか。お家の大事を取るか。
義晴は守りにくい響が原台地上に陣を敷きます。島津の侵攻と相良軍の出兵を聞き、相良軍が響が原に本陣を敷いたと聞いて、宗運は耳を疑います。あんな場所では負ける気か?と。
甲斐宗運は一気に相良義陽の陣を奇襲、相良勢は壊滅します。
相良義陽は退却を勧める家臣の言を無視し、床机に座ったまま敵兵に斬り殺されたといいます。
義晴は、盟友甲斐氏と相互不可侵を誓い合っていましたが、膨張する島津の勢いには抗えず、
意に反して、益城に軍を進めてしまったことを悔やんでいたのでしょうか。
まるでその盟約違反を懺悔するかのように、悲劇的な終わり方をしています。

この相良義晴の首やこの戦で戦死した相良家臣の亡骸を供養するために縦らえたのが相良塚で、その後、その塚にお堂が建てられ、相良堂されたのですな。
相良神社の境内には響が原合戦に関する案内板もあります。夏草に埋まって、目立ちませんが。
夏草や兵どもが夢の跡、を地で行く感じ。









ひまわり目当てに来てみましたが、ヒマワリは残念ながら、響が原合戦で負け、うなだれる相良兵を思わせる残念な姿ではありましたが思わぬ古戦場訪問になりました。













































剣客商売全集(8)前半感想 

時期的にはお盆休みになりますが、先月墓参り済ませました。
会社も8/13~15は休みなのですが、この期間中は食堂は開いており、初日だけ、お昼ご飯を社食で取りました。
前夜ペルセ流星群を眺めている深夜も乾いた風が吹いていたのでひょっとしたらそうなるかもしれないなと感じましたが、13日の熊本県(九州各県も)、フェーン現象で激しく気温があがりました。
日田で39.9度だったらしい。
熊本市で38.1菊池で38.4度。じりじり焼けそう。


剣客商売全集 8巻前半 「二十番斬り」 (おたま、二十番斬り)
剣客商売の作品としてはこの8巻の作品で最後になります。別冊もあるらしいのですが。
図書館では見たことがない。
せっかく面白い作品を見つけたのですが、これでもう読み終わると思うと、寂しいです。
といいつつ、今の時点で読み終えています。小兵衛はまだまだ生き続けるようです。
最終巻の最後の話時点で、余命が30年近くあるのです。
剣客商売は小兵衛とその息子大治郎が主人公ですが、お話的には、
その周りの個性豊かな、江戸の町人kお兵衛の友人たちが大きな存在です。その多くの友人や仲間が小兵衛が亡くなる前に死んでしまう。ことになっています。
恐らく、小兵衛の最後は孫、小太郎が立派な人物になっているでしょう。
ただ、時代の波の大きさが大変なもの。幕末明治維新を迎え、小兵衛の予想通り、侍の世ではなくなります。剣客としては生きていけない世になります。



ほぼあらすじをかいてしまっておりネタバレになります。ご注意ください。

おたま
小兵衛とおはるがおたま、と呼ぶ白猫は小兵衛の隠宅に迷い込んで居ついたのは一昨年前、おはるは嫌がったが小兵衛に懐いて一年前の梅雨に一旦居なくなった。それが一年ぶりに姿を見せ、小兵衛を誘うそぶりを見せる。
おたまは、木立や竹藪に囲まれた一軒家に小兵衛をさそいだす。中に人がいる気配がする。小兵衛は二年前、通りがかりに無頼の浪人に暴行を受ける老人を救ったことがあり、その事件の時、一部始終を見ていたのがおたまだった。そのことを思い出して、意を決して、一軒家の中に踏み込むと、大男の禿げ頭の老人が猿轡をかまされ後ろ手に縛られて、女が三人の男たちに強姦されていた。小兵衛はなんなく三人を追い払った。また老人に見おぼえがあったが、老人のほうは覚えていないようだ。四十年ぶりの再会。老人の名前は夏目八十郎という。
この事件には裏があって、女の動きからそれを察した小兵衛はこれを見抜く。女は老人のお金を目当てにしているが、老人との関係も清算したいと思っており、自らを餌にして、三人に襲わせた。三人の無頼たちと女は一味だった。
夏目八十郎はかつて小兵衛の師匠、辻道場に入って八年目に、ほうぼうの道場を渡り歩く、夏目に辻道場であった。しかし、当時、夏目は強く、小兵衛がけいこで一度として勝てず悔しい思いをしていたのだった。
弥七によると、夏目は大変な猫好きらしい。四十年もたつと、ひとはすっかりかわるものらしい。・

小兵衛が猫と関わる話はまえにもありました。
おたまでは、前に小兵衛が買っていた黒い猫のくろ、という猫も登場します。
小兵衛によると、猫は人間以上に周りに気を遣う生き物で、あるらしい。

二十番斬り。
やや長編です。
前にも書きましたが、ざっくり書くと、
小兵衛の若いころに師匠から剣だけなく人生の支えとしても面倒を見てほしいと頼まれた門人仲間がいました。
その門人仲間の息子に関わる事件に小兵衛が関わる「二十番切り」。
十番斬り同様、二十人をばったばったと倒していきます。、傘徳さんの表現を借りるとゆらりふらりとした動きで倒していきます。最後の一人は番傘で倒すという離れ業をみせます。
門人仲間の隠された秘密、師匠辻平右衛門との秘密の関係が明かされますが、この息子は最後まで真実を小兵衛に直接語らないままでした。

2018年8月13日月曜日

2018ペルセウス流星群(2)

2018年のペルセウス座流星群を見てきました。
13日0:30に自宅出て、鞠智城跡に13日1:00頃着。準備して。
最初に撮ったのがこれ。

(2018.08.13 ペルセ01 by α6000 SEL24F18Z  F 3.2 ISO1250 319s 5min19sec 固定)

ペルセの特色ですが、明るい流星も多かったですね。ただ、今回、流星痕が残るほどの流星は見えませんでした。3:30に撤収するまでの2時間で、恐らく、10分で5~6個は見えたので1時間当たり30~40個以上は出ていたように思いました。
雲も少なくて。条件は良かったです。



(2018.8.13 ペルセ02 by α6000 SEL24F18Z  F 3.2 ISO3200 20sec 固定)
鞠智城の鼓楼を入れて固定で20秒。



(2018.8.13 ペルセ03 by α6000 SEL24F18Z  F 2.2 ISO400 36sec 固定)
鞠智城の鼓楼を入れて固定で20秒。ISOを下げて、空の白かぶりを抑えてみました。


(2018.8.13 ペルセ04 by α6000 SEL24F18Z  F 2.0 ISO800 58sec 追尾)
ポータブル赤道義で、追尾しながら撮影。
がめん中央にカシオペア座。右端にはアンドロメダ星雲も映ってます。



(2018.8.13 ペルセ05 by α6000 SEL24F18Z  F 2.0 ISO800 62sec 追尾)
ポータブル赤道義で、追尾しながら撮影。やや薄い雲があるような。北十字のはくちょう座
天の川かガスなのか。。。



(2018.8.13 ペルセ06 by α6000 SEL24F18Z  F 2.0 ISO400 63sec 追尾)
上の写真と全く同じ白鳥座ガスが晴れています。ISO下げているせいもあるかも。


結局どの写真にも写ってませんですねえ。24㎜は広角なほうですが。。。
流星撮影には12mmとかのほうがいいいのか。







2018ペルセウス流星群

8月12日(日)から13日(月)にかけての夜はペルセウス流星群が極大を迎えます。
正確に時間でいうと、8月13日10時頃が極大です。22時ではありません13日(月)の午前の昼頃。です。もちろん、星は見えませんので、実際には12から13日にかけた夜が2018年ペルセウス座流星群の見ごろ、と言えます。
国立天文台のサイトにキャンペーンが開かれています。
https://naojcamp.nao.ac.jp/phenomena/201808-perseids/

今年は、どっかに出かけて寝転がって眺めて見よう、と思っています。天気も良さげ。よほどのきまぐれで雷雲が出なければ。夜の鞠智城とかいいんじゃないかなあ。
もしくは竜門ダムとか。
どっちも夜行ったことないけど。街灯の有無がねえ。意外に夜にならないと、え、こんなとこにあるの?という感じであったりするんですよね。
街灯嫌い。

せっかく、月の状態が新月に近いので、空が暗く、星空が見えやすい。暗い流れ星も見えやすい。
(と私がこれ書いているのは12日の昼)
国立天文台のサイトに観測に適した時間帯の説明があります。












2018年8月12日日曜日

うだうだしながら過ごす週末。池宮平家上巻の感想含む


この盆休みに入った感のある週末。相変わらず激しく暑いですが。夜は25度27~8度になるようです。とはいって、エアコンを使わずに済まないので、一晩中エアコン使って、朝起きてエアコン切って、午前中は窓をあけっぱにして、扇風機で室内で過ごしています。部屋の気温32.8度。湿度51%
湿度が低いから、まだ、扇風機だけでもなんとかなりますな。動き回らなければ。
掃除機をかけると、途端に汗だくになりますが。
8/12日曜で、高校野球は7日目でようやく一回戦の試合を消化し、この日から二回戦がはじまるそうです。
あいかわらず、図書館で借りた、角川 池宮彰一郎 平家(上)
を読んでいます。上巻を読み終え、
同時に借りた、剣客商売全集最終巻8巻を一気に読み終えました。
今日は朝散歩しておらず。おそらく午後図書館に本を返しに行ったついでに、図書館周りを歩いて、散歩の代わりにするつもり。今年いっぱいで閉店かもしれない、シンカムで昼餉にしましょう。
最終巻だった剣客商売の感想はあとにしましょう。一遍だけ通常の長さやや短編の物語小兵衛と白猫の関わりあいで起きた事件を描いた「おたま」と、長編が二つ。小兵衛の若いころに師匠から剣だけなく人生の支えとしても面倒を見てほしいと頼まれた門人仲間がいた。その息子に関わる事件に小兵衛が関わる「二十番切り」。そして最終、「浮沈」これも、小兵衛がかつて斬りあって殺したおとこの息子に偶然会い。この息子が関わる事件を小兵衛が関わって解決していく。
最終巻だけに、小兵衛のその後に関係する話がちょこちょこ出てきます。まだ最終巻時点で小兵衛の年齢は66くらいですが、93歳まで生きるとか、小兵衛が死ぬ前に、碁敵の町医者小川宗哲先生もこの世にいなくなっているとか、金貸し幸右衛門で小兵衛が預けられた千両を軽く超える大金は、小兵衛の門人で口入屋や仕法家をやっている駿河屋八兵衛に預けており、八兵衛はさらにこれを増やして千五百両にして、さらに利益のお金を時折、小兵衛にわたしているらしい。
小兵衛は自分が死んだ後のことを八兵衛に頼むが、なんと、八兵衛さんのほうが先に亡くなってしまうようです。
さて、この最終巻までに、鰻売りの又六さんが、手裏剣を使う、一刀流のけんの使い手でもある、女剣士、杉原秀と結婚します。秀のお腹には又六さんの子供がいるようです。そんな状況で秀は大活躍。
もう少し細かい感想は別に書きます。




ついに、剣客商売全集も最後の8巻目に到達してしまったので、図書館で、同じ棚にあった
(並びが著作者のあいうえお順なので。)平家読むことにしました。
池宮彰一郎さんの本は初めてでしたが、事件の登場人物も、行く末も、ほぼわかりきっているので、読み進むのは早い。すでに上巻の半分くらいい読んでしまいました。
池宮平家の始まりは、平治の乱。です。
上巻では半分読んだところで平治の乱がひと段落しました。
後半は、乱後、清盛の国政改革の動機説明が続きます。
後白河院は健在。彼の子供の二条天皇が、天皇親政に強い執着を見せ。後白河院はそれを許すと自分のたちばがなくなる。死を意味する、という表現で書かれています。
清盛は、保元の乱、平治の乱といった、乱が続いている世の中、また、班田制が、天皇や公家のための荘園の拡大によって破綻し、国の政治に障害を及ぼしていることを清盛が憂えて、その原因は藤原官僚群による、政治の破綻にあり、これを無くす、もしくは制御しないと、国の政は破綻すると案じています。
後半はこのくだりに多く文字を費やしています。
二条天皇が死に、その子六条に天王位が移り、
そんな中、院と二条天皇派の中でうまく立ち回って、清盛は太政大臣にまで上り詰めます。
とはいえ、上には天皇や摂関の藤原氏がいます。
最後の数ページで一気に、清盛の政治上の立場が上がりますが、後白河の企みを清盛が感じつつ、という表現があります。併せて、まさに終盤に政治改革を目指す清盛と、その子、文官肌の重盛との感覚のずれが目立ってきます。
この本が書かれたのは平成13年。西暦でいえば2001年。日経新聞紙上らしいです。
自分は通勤途上のバイク事故で腰椎の一つを粉砕骨折して、2000年夏から2001年春まで8か月入院してました。
春に小泉内閣が成立し、秋に911が起こった激動の年。
2001年の秋、しし座流星群が、非常に激しく、まさに豪雨のように、星が流れた年でもありました。
池波氏は2001年政治の変革を望みながら、この平家を書いたんでしょうか。
小泉という私は好きではありませんが強烈な政治家の登場によって、平安と違うい現代の官僚政治の打破を臨んだのでしょうか。
小泉の時代は、それでも、彼が良くも悪くも強烈な人格の政治家であったので、政治家主導で日本の政治は動いて居ました。が、所詮、自民党でいる以上は官僚からコントロールされる立場を超えることはできないのでしょう。
官僚政治を超えようとした民進党は官僚の異常な報復と反発で、世間の評判を落とし、政権を追われます。
これに調子にのったのが自民党と安倍。安倍は逆に利用して、異常な影の権力で官僚への圧力を加え、私事に利用します。第一次安倍内閣においても、したっぱに圧力を加え、ばれそうになると、農林大臣や関係者を自殺という形で口封じ。第二次でも、官僚を自殺に追い込みます。
民進党政治の反動を官僚への恐怖統治という形で利用しています。
上巻を読み終えて、清盛の人格的な魅力はあまり描かれていません。
のちに、福原京設立につながる、海に開かれた国づくりに至る、動機付けが、
このまま進むと藤原官僚群の行う政治への改革のため、となりそうですが、
そうするにはやや、偏りすぎだし、清盛の魅力を伝えきれないのではないかと心配です。

2018年8月11日土曜日

不動産屋のくそおやじ、アドルフ安倍、逆プラザ合意しろ。

逆プラザ合意
トルコの通貨、リラが急落してます。一時、16円台/1リラ です。
どっかの国の不動産屋のいなかっぺ大将が、これまたあほの安倍にそそのかされて、トルコに経済制裁で、関税をあげるとか。強いドルがお好みらしい。では、是非、超円安に誘導してくれんかな。1ドル250円くらいに。
逆プラザ合意なんて妄想すぎますが。

そういえば、マネックスのサイトを見ると、一時、つい一年前まで、トルコリラ建て国際復興開発銀行の債券をえらく前に押し出して売り出してましたね。気が狂ってる、
と当時は思っていました。



トルコと言えば、当時も円高リラ安傾向ありました。


決して安定している感じではなかった。経済的にはやや上向きではあったのですが、不安定なトルコ国内事情は、けしって楽観できるものではありませんし、それが大きく作用していました。
また、そういう、経済的には底打っている感じだが、政治や治安が安定していない、という国の為替はFX業者に目を付けられやすいようです。証券会社の債券も同じなんでしょう。
こういった場合、マネックス証券の底意地の悪い、悪意に似たものを感じます。
こういった、高金利の債券なんて、リスクの塊ですよ。証券会社が為替をヘッジするので、為替リスクがない、というならわかるんですが。
するわけねえが。

社長の松本君からして、ビットコインという胡散臭いものに手を出す人なので、会社も、ややうさん臭さを増した感じがします。一時はまじめな会社でしたけどね。
今はリラ安に行ってますが、為替はまわりまわって、世界中に影響を及ぼします。
トルコ危機、なんてなれば、ゆーろや、円やドルに影響を及ぼすでしょうね。
ドル円が安定しているなんて、思えませんね。
さっそく、ニューヨーク株が激下げしています。しばし、彼岸まで、株価は下げ傾向続けるでしょうな。買い時、と言えばそうなんだけどねえ
全く、どれもこれも、不動産屋のバカおやじのせいだ。
またそそのかしたアドルフ安倍の罪も重いな。






2018年8月10日金曜日

沖縄の翁長知事

沖縄の翁長知事が昨日亡くなったそうです。すい臓がん。
ご冥福をお祈りします。
沖縄の県民のことをひたすら想っていた知事さんだけに、非常に残念なことと思います。
以前から応援していました。
全くと言っていいくらい、私事にとらわれることのない、孤高の闘士、でした。


一方、それに引き換え、現国政の長は公私の区別もつかず、お友達大事で、部下の忖度に、いい気になっております。
そして、その悪い見本を日大とか、ボクシング連盟とか社会全体が真似ている。
上から下まで腐っている日本にしてしまった、元凶の安倍は、いい加減、自身の社会への悪影響に気が付いて、辞めてくださいませんか。安倍よ、あなたは社会の極悪人なんだよ。
翁長知事のように。私心なく、公に尽くしている人もいるのに。
国と沖縄が争った際に、その人柄を考えても、正義はどちらにあるか明白ではないでしょうか。


2018年8月7日火曜日

個人向け国債の購入を考えています

今日、立秋だそうです。
これから出すはがきは残暑お見舞いになりますね。
熊本の昼間は相変わらず暑かった。です。
昨日は午後、市内付近に夕立があった気配がありました。
自宅周りに降雨の跡がありました。夜は幾分かは涼しかったか。
でも30度は余裕でありましたが。
今日は降雨の跡、全くなし。

ヤフーニュースで、大分県の話題がニュースに。出元は西日本新聞ですが。
見出しは
「大分の外国人宿泊者増加率、日本一 67%増の138万人 温泉人気など要因」
です。
138万はむしろ少ない。全国で12位だそうです。
九州では断トツに、福岡。
福岡県の外国人宿泊客数は311万2070人!!
大分が増えた理由は、大分空港~ソウル間の航路が開業したことによるもの。
増加した外国人客の出身国は韓国の方の人数が大幅に増えているそうです。
大分と中国間の航路はありませんねえ。
中国人は、大分に来るには、福岡からバスに乗るしかない。
でも、航路がない=知名度が低い。となります。
福岡=Fukangと話をすると、たいていの中国人には(上海&北京エリア)には通じます。
dafen=大分は全く知名度低い。知っている人いない。
別府はbiefuはチョー微妙。
まずは知ってもらうことから始めないと。
温泉で勝負しても、中国には似たような温泉ありますよ。きっと。
大分が中国人客にすごくアピールして、絶対受けるのは、やはり、海の幸。だと思います。
これは世界の、どこへだしても、アピールできる。
石仏も、中国に行ったらもっとすごいのたくさんあるので、アピール弱し。
耶馬渓も大したことないんですよ。実は。前にも紹介しましたが、湖北の、張家界と比べたら。。。
スケールも美しさもダンチ。
というわけで、観光客をよびこむつもりなら、大分ならではを追及して、アピールするところから。
あとは直通便を設けて移動の利便性を高めないとね。


をッと、今日は国債の話をするつもりでした。

以前、少し触れましたが個人向け国債の購入を考えています。一度金融機関に行ったら、「今週、お売りできるものはありません、」と言われました。来週また来てくださいと。
座って椅子からずり落ちそうになりました(苦笑)
個人向け国債って、品切れ(もしくは販売期間)があるんですね。今まで知りませんでした。

その、金融機関で、購入の動機を聞かれたんですが、ずばり、あなたのところの普通預金で貯金すると、利用の度に目減りするので、貯金を「減らさないため」、と回答さしあげました。
今時、銀行の定期ですら、途中解約すると解約手数料取られて、元本割れするでしょ?
金融機関利用の度に貯金が減るのは何故か。答えは簡単。ATMでのお金の出し入れで、手数料取られるため。普通、1回、300円くらいとられます。
無論、無料の時間帯はあります。いつも手数料取っているほど、金融機関は極悪ではありません。
仮に100万円、の貯金があるとすれば、300円のATM手数料は、貯金額に対して0.03%くらい。
一方、普通預金の金利は1年で0.001%くらい。定期の1年で、0.01%、10年定期で、0.05%くらい。
ちなみに、最近の国債の利回りを調べました。

10年債が最近0.1%超えたのがニュースになってましたね。つまり、そのレベル。

しかし、定期は途中解約すると解約手数料を搾り取られます。つまり、元本割れします。をいをい。
せめて、ATMの手数料くらいの利回りを出せないのか?。
銀行は金融のプロ、と言うけど、実際は違いますね。金融のプロ集団が、お金を増やすことができないので、金融再編という事態になっていますが、
再編しても、お金を増やす才能がないので、経営が好転する可能性を考えるのは時間の無駄、というものでしょう。
お金を増やせないから、ATMの手数料、投資信託の売り上げ手数料で、稼ぐしかない。つまり、お金を預けている人から小銭を稼ぐ方法(搾り取るという)しか、発想がない。
ので、銀行はこの先、大丈夫ですかね。他人ごとながら。心配ですよ。低金利のせい、と言うけど、お金の運用先は他にもあると思うんですけどね。
自分も、外貨MMFで米ドル預金100万円ほどありますが、預けたのは116円とか120円/ドルのとき。20年近く前。空前絶後の円高の際に引き上げてたら、大赤字でした。
今は116円くらいなら、利子分乗っければトントンくらい。今はアメリカの利回りも高いので、円ドルも今更、かつてのような円高になるとは思いにくいです。
米ドル外貨MMFの枠を増やしてもいいかなーと。 

先日、話が上がって以降ずるずる進捗なく、ずいぶん延期されていた福岡銀行と長崎の十八銀行の提携の話がようやく動き出したかのようなニュース有りました。
結局、規模に頼らざるを得ないのね。少子高齢化で、人口減少のなかで、銀行じり貧じゃん。
なぜ、日本の地方銀行は地方だけに縛られているのか、謎すぎます。
商売を考えたら、特に九州の銀行は地理的な有利さを思えば、韓国や中国相手の金融を考えてもよさそうなものだ。これも、日本のバカな法律のせい、とか言うのだろうか。

だったら法律変えれればいいのに。何事も日本は行動がのろい。石橋をたたいて壊して、結局渡らない国民性が知れる。慎重というより、優柔不断。


というわけで、減らさないため、個人向け国債を近々、購入するとおもいます。
リスク資産は、前述の外貨MMFとか、会社の持ち株とかあるんで、これ以上はお腹一杯かな。
長生きする見込みも薄いしね。





2018年8月6日月曜日

今日は原爆記念日でした。戦争のない世の中になることを祈ります。

 
今日は原爆記念日です。
小学生まで、原爆の恐怖を感じながら夜寝てました。
夜、空を飛ぶ航空機の音に震えながら。
 
大分県では、夏休みのある一日終戦記念日頃に登校日になっていました。
その日一日、反戦授業がありました。
毎年聞く、戦争の恐怖。原爆の恐怖。
当時、私は大分の佐伯市に生まれ育ち、住んでいましたが、佐伯市は戦争中、重要な軍事拠点で、小さい町のわりに、軍港として海軍基地があり海軍航空隊の基地でもありました。
そのせいで激しい空襲を受けたりし、
時を経て戦後子供の遊び場に、防空壕を使ったり。あっちこちに身近なところに、戦争の記憶が残っている町だったのです。
戦艦大和も最後の出航で佐伯湾に立ち寄っています。
開戦時、真珠湾攻撃の際の最後の本土寄港地が佐伯湾。
それだけに、戦争の恐ろしさを、身近に感じながら育ち、大人になっても、戦争への忌避感は人一倍強いと思っています。
非攻兼愛を説く老子に傾倒するのは、シカタナイ。
戦争好きな右寄り日本の首相、アドルフ安部のことを毛嫌いするのもシカタナイ。
 
 
颱風が日本に近づいています。自分のブログでは一貫してアジア名で記録しています。
 
このジョンダリに続く、颱風のアジア名は気象庁のサイトで見ると、「サンサン」とあります。
そう、今年上野動物園をにぎわしたパンダの子供と同じです。
意図的に気象庁が変えているかどうかわかりません。
英語表記は「ShanShan」です。香港提案の名前だそうです。オリジナル漢字表記わかりませんが、「香香」かなあ。だとすると、英語表記はxiangxiangか。シャンシャンだと「上上」か?
ん?それじゃ、「上上颱風」じゃないか。自分はこのアーチストグループのアジアンなテイスト、好きなので、CD持っています。中学生のころ買った。。。
意味は少女の名前、だそうですよ。
 
今週末には関東に近づきます。結構な規模になるので注意が必要ですが、関東は梅雨でもあまり雨が降っていないので、関東一円の河川の貯水率が、かなりやばいくらい低め。
恵みの雨になるか。さて関東は、颱風の前に、前線があります。
こちらの大雨も気を付けねばなりますまい。昨晩、山形で激しい雨を降らせた前線です。今日は関東付近まで颱風に引き寄せられるように南下しています。

 

明日の気圧配置。



(2018年8月6日19:40分の気象衛星画像。)

前線はこの後、颱風に吹き飛ばされるように北上する見込み。




2018年8月5日日曜日

だらだら、うだうだ

lこの週末、どこにも遠出することなく、基本、家でうだうだ、だらだらしていました。
朝の公園での散歩はしていますが。
従来、夏とは限らず、週末は、どこかのプールで1時間ほど泳いでいたものです自分は、水の中にいるほうがリラックスできます。
前世は水生生物だったんじゃないだろうか。。。とおもうくらい。ミジンコ?

半導体の世界的なファウンドリー大手、tsmcさんが、金曜夜に製造ツールの一部にコンピューターウィルスの攻撃を受けた、とニュースがありました。
その結果複数の工場が停止に追い込まれた。らしいです。次期Iphoneのチップも製造しているとのうわさがありますが。どの程度影響が出るのか週明けにならないとよくわかんないですね。


剣客商売全集6巻と7巻の返却期日がこの週末だったので、、図書館には行きました。
ついでに、昼ご飯はシンカムに行ったんですが、残念ながら、お店の人が言うには、おからの具合がよくない。腰痛のようですが。そのせいで、営業が来年1月まで、だそうです。
ん~むちゃくちゃ、残念です。。年内はヘビロテしよう。
トムヤンクンもおいてあって、おいしかった。
重ね重ね、残念至極。
さて、新たに図書館で、借りたのは剣客商売全集8巻と、池宮彰一郎の「平家」(上)
新潮社 剣客商売全集 8巻+別巻



角川 池宮彰一郎 平家(上)

自分が日本史で惹かれる時代というと、平安末期の源平観戦時期というより、平清盛の活躍した時代。
戦国時代(なかでも戦国前期、応仁期~織田信長登場以前)、幕末。

清盛フリークと言ってもいいかも。吉川英治の新平家物語も、最初呼んだのが中学生くらいだったが、社会人になって、吉川英治歴史時代文庫全16巻、買って読んだ。

清盛だけでなく、平安末期の登場人物の様々な性格に惹かれるのは、吉川英治の描き方が卓越しているせいかもしれない。
ついに、剣客商売全集も最後の8巻目に到達してしまったので、図書館で、同じ棚にあった
(並びが著作者のあいうえお順なので。)平家読むことにしました。
池宮彰一郎さんの本は初めてでしたが、事件の登場人物も、行く末も、ほぼわかりきっているので、読み進むのは早い。すでに上巻の半分くらいい読んでしまいました。
池宮平家の始まりは、平治の乱。です。
平治の乱を語るには、その前にあった保元の乱を開設する必要がありますが。
保元の乱は、天皇家の内輪もめと、崇徳の嫉妬に始まったといえるでしょう。
崇徳の嫉妬とはいえ、その遠因は人でなしの遊び人白河のまいた種にあります。
白河天皇というと、絶大な天皇権威を打ち立て、天皇位をしりぞき、院政を敷いて、「治天の君」と呼ばれる強権を手にしたひと。
その強権の裏に、泣いた人も数知れず。崇徳、は一番の被害者と言っても良いかも。
その崇徳があらがったのが保元の乱。白河院の成立自体も、平安の長きにわたって機能してきた、。藤原氏による官僚制度、摂関政治、と言う。これが機能不全に陥ったことによるものが大きいのですが。変わって源平に代表される武家の登場。
公家(摂関家の藤原氏)の内部争い利用される形で、表面上武力を担ったのが源平ですが、
保元の乱では結果的に、源氏は一族内で割れて、父為義を子義朝が討つ、という形になり、一時的に源氏の勢力は衰える。平家は一族を挙げて勝者の天皇方に付き勝利を得て、平家の勢力が非常に伸びます。
平治の乱は、保元の乱の後処理を行った信西が多方面で恨みを買い、源氏の凋落に危機感を感じた義朝と、半信西派が結託した、クーデターと言えます。信西を引き立てたのは後白河院なのでm、乱の黒幕は後白河といってもいい。この後白河は、史上の天皇一族で、最も極悪人と言っていい人物。保元の乱、平治の乱を引き起こした、黒幕でありながら院政の権威を保ち続けた。
これは清盛も、後白河の狷介さに比べると、子供のような無邪気さがあったので、いいように、もてあそばれたといっていいでしょう。

自分はこの上巻で、平治の乱がひと段落する中盤まで、一気に読んでしまいました。
まだ、池波平家者語での、清盛の心中を垣間見るほどの展開がありません。
後白河のダークぶりは全開で描かれていますな。





































2018年8月4日土曜日

剣客商売全集(7)後半感想 

土曜日の17時過ぎですが、熊本市の北のほうですが、遠くで雷鳴しています。
気象庁のレーダー見ると17時前に阿蘇のほうにあった積乱雲が西方向に移動しています。


2018年8月4日16時45分の雨雲レーダー


上の画像から10分後 8月4日16時55分

 
上の画像から20分後 8月4日17時15分
リアルタイムで、このくらいの時間で竜巻注意が出ました。


上の画像から20分後の『予測』 8月4日17時35分予測

 上の画像から30分後の『予測』 8月4日18時05分予測


上の画像から10分後の『予測』 8月4日18時15分予測

今日はお昼前に近所の公園で散歩。暑い暑い、と言いながら。(苦笑



さて本題

7巻後半 暗殺者

感想というかあらすじそのままなのでネタバレです。ご注意ください。


5巻の長編に続く2編目の長編です。
浪川周蔵の心はまっすぐですが、その生い立ちの暗さに、つけこんだ旗本の殿様のねじ曲がったたくらみが事件を起こします。
五十五、六、小柄な元締と呼ばれている老人が浪人浪川周蔵に五十両で殺しの依頼をしています。場所は目黒不動門前のの料理屋山の井
小兵衛は内山文太の死を引きずっていました。医者の横山正元のもとを訪れたりしています。正元せんせいは文太の孫のお直と夫婦になって、お直は見違えるほど元気になっていた。小兵衛は胸の内で文太に語りながら、気晴らしができている様子。
その帰途、高田の七面堂を通りかかったところ、素手の浪人を襲う抜刀した二人の浪人の3人を見かける。
素手の浪人は左の小鼻に黒子が見え、小兵衛は見覚えがあった。
黒子の浪人は抜刀して見事な技で二人を追い払う。小兵衛は大治郎の家近く真崎稲荷で童女を連れた黒子の浪人浪人を見かけたことを思い出す。
黒子の浪人の腕前の凄さを見た小兵衛は襲ってきた二人の浪人を追わない黒子の浪人の行動の不思議にと腕前に興味を惹かれる。晩年が変わって、この黒子の浪人が浪川周蔵であることが明らかになる。
妻に引っ越しの相談をしている。。また、と言っているので何度も住処を変えているようだ。妻は静、娘は八重という。かつて浪人をしていた静の父とは、家が隣で周蔵と交誼があった。静の父は、浪川に浪人の汚れがついていないと評価していた。浪川から聞いた話では浪川の先祖は土佐の出身らしい。その父は病没し、浪川が葬式を仕切り、ひと段落して、浪川が静に求婚し、二人は夫婦になった。
小兵衛は、不二楼の主が半年ほど無沙汰にしていることを心配して招いてくれたので、応じる。
途中、寄った船宿の鯉屋の女主お峰に黒子の浪人を聞くと、浪川の名前と住処はすでに引っ越したことを聞ける。
小兵衛は、不二楼で、浪川を襲った二人の浪人のうち一人を見かける。
その浪人は平山といい、連れの立派な身なりの侍は小田切という。二人は蘭の間に入って、話をしているところを隠し部屋から聞く小兵衛。小田切が平山と松崎という浪人に浪川を腕試しのため襲わせたことがわかる。浪川の腕で、小田切らの強敵を撃とうとする構図を見て取った小兵衛は、その強敵は誰か?浪川との決闘にっ剣客としての興味がひかれた。
小兵衛は牛堀から、旧友の稲垣忠兵衛が重病に臥せっていることを聞き、見舞いのため、麻布の仙台坂に向かう。稲垣は父が仙台城下に道場を開いていた縁で、伊達家の家来に多く門人がいて、その縁故で、伊達家の下屋敷に居があり伊達家の庇護を受けていた。小兵衛は浪川gが伊達家の通用門から出てきたところを見かける。
さらに浪川のあとを追う存在にも気が付く。
稲垣の見舞いで、浪川のことを聞くと、以前心臓の発作でうずくまっているところを助けられて以来の縁だという。
内山文太のことを反すつもりだった小兵衛は、稲垣の具合を見てためらう。
この話の冒頭、出てきた浪川に五十両で殺しを依頼している老人の正体が明らかになります。
老人は碑文谷の萱野亀右衛門という、目黒渋谷麻布に縄張りを持つ香具師の元締。このころ、碑文谷の亀右衛門の別宅に、浪川の家族は住んでいた。
不二楼の主人与兵衛が小兵衛の隠宅に現れる。先日の小田切が立派な風采の侍と店に来て蘭の間で密談していい手、与兵衛が隠し部屋で盗み聞きしたところ、府立派な侍の口から秋山大治郎の名前が出たことを告げる。
さすがにほおっておけない小兵衛。
年が明け、小田切は平山浪人と話をしている場面。浪川に秋山大治郎を殺害させる計画。
小兵衛は不二楼の主与兵衛から話を聞いたあと、弥七親分と傘徳さんに打ち明け、相談します。
小兵衛が見る限り、浪川と大治郎が斬りあって、大治郎が必ず勝てるとは言えないと弥七にいう。
弥七はすぐに傘徳を不二楼に張らせることを小兵衛に提案。小兵衛は眼を潤ませながら弥七に頼む。
弥七はその目に小兵衛の老いを感じ胸が熱くなる。
弥七は不二楼から小田切の線を探る計画、伊達屋敷の稲垣から浪川の住処を探る計画の二つが探索の糸口になると見る。
小兵衛は大治郎を呼んで、説明するが、大治郎は心当たりがない。
傘徳さんが張っていた不二楼には平山浪人と小田切が現れるが蘭の間が空いていなかったため早々に引き上げるが平山を追った傘徳さんは瑞雲寺に入っていく平山を見る。
この話を聞いた小兵衛は気がそぞろで一人で瑞雲寺に向かう。
瑞雲寺で、平山と松崎にわざと捕まる小兵衛。
何とか逃げ出した小兵衛だったが、得るものはなかった。
浪川のもとに、手紙が届く。浪川が九品寺の浄真寺に赴く。
そこで待っていたのは小田切と、松平伊勢守という旗本の殿様。伊勢守はじきじきに浪川に秋山大治郎を斬ることを命じる。
伊勢守は「天下の事じゃ」という。さらに「周蔵、おのれの母が事を忘れるなよ」三日後に返答せよと言われ浪川は立ち去る。
周蔵は亀右衛門の殺しの依頼を引き受け、見事の技で殺しを遂げる。周蔵はその代りに妻子を安全な場所に隠して欲しいと亀右衛門に頼む。弥七は周蔵の後追って碑文谷の隠れ家を探る。これに周蔵が感づいたのか、周蔵の家族の移動は早まる。
小兵衛は稲垣を見舞い、そこで浪川とすれ違う。浪川の目には闇討ちするものの曇りがなく小兵衛は戸惑う。
そのころ小田切が一人で不二楼に現れ、帰りを弥七と傘徳が追う。
小田切は木場のはずれの忍び返しが付いた高い塀のある屋敷に入っていく。
弥七が知り合いの深川の御用聞き新蔵に聞いて調べて見ると、新蔵は弥七にこの件はかかわらないほうがいいと警告する。
屋敷の持ち主は松平伊勢守という旗本で三年前まで目付をやっていた。
弥七から事情を聞いた小兵衛は門人の中から奥御祐筆をやっていた滝口彦右衛門を訪ねて松平伊勢守のことを聞く。滝口曰く、伊勢守を思い切って目付を罷免したのは田沼意次だという。
小兵衛は大治郎にこのことを話し。大治郎は小兵衛に今年も意次から二月二十日の墓参のお供を命じられたことを言う。そこで小兵衛も気が付く。
田沼意次は毎年亡妻の命日に私的に非常に軽い形で警備もつけず墓参していた。小兵衛は昨年から大治郎がお供に加わっていること、伊勢守の本当の狙いは田沼意次の暗殺。そこにはお供が二人しかおらず、その一人が大治郎で、大治郎を斬ることができる手練れの人物として浪川が必要になっていることに気づいた小兵衛は興奮しヒステリックに大治郎に迫る。むしろ大治郎のほうが落ち着いて小兵衛をなだめています。
やはり、小兵衛も66ですし老いたのでしょうか。老いたとはいえ頭の回転の速さには目を見張るものがありますが。
波川の生い立ちが明らかになります。波川の父親は伊勢守の用人でした。
周蔵が17の時に急死します。その23年後浪川の母に伊勢守の手が付き、周蔵が20の時、すれ違いざま鞘が当たって相手が不当な言いがかりをつけた時、周蔵は斬って殺してしまう。周蔵は伊勢守に相談して出奔。
17年の時を経て伊勢守は周蔵を呼んで今回のことに至る。しかし、周蔵も伊勢守も17年前とは変わりきっている。
さらに、周蔵の母親は発狂している。
いよいよ決行の日が近づく、周蔵は殺害の目的が秋山大治郎だけではないことを知り、大治郎は護衛で、真の目的は田沼意次ではないかと感じる。伊勢守が目付を罷免させられた恨みに老中田沼意次を殺害するつもりではないか、
田沼老中の街籠が屋敷を出る。襲撃の資格は全部で8名。小田切までも、此度のことは天下の事、というではないか。これに、周蔵は、目的が田沼老中の殺害であることを直感した。いいよいよ襲撃の場面。
小田切たちが籠の前に立ちはだかり、周蔵が籠の後ろの大治郎の後ろに回ると見えた刹那、周蔵が刀を抜きざま身をひるがえし、小田切の左ひじを切断。小田切の体を体当たりで跳ね飛ばして、平山の首筋に切りつける。
籠の中に資格が手槍を突き入れた時には中の人はおらず、先の籠の前に資格が飛び出して籠が倒れた時に小柄な人影が籠から転げ出ていた。これは田沼意次ではなく、秋山小兵衛。
小兵衛の抜き打ちに資格の一人が倒れる。大治郎は松崎浪人を斬って、周蔵ももう一人の資格を斬って小兵衛はもう一人の刺客を斬って、もう一人は秋山と供をしていた白井与平次が斬った。残りは逃げた。
この血闘はあっという間に終わった。
小田切や刺客思いもかけぬ逆転だった。小兵衛は周蔵に、「この仕儀は?」と問う。
周蔵は、「秋山先生のご子息に歯向かうことはできませぬ。そのようなことをいたしましたら。稲垣忠兵衛老人を裏切ることになります。」と語る。
生母が、いまも伊勢守の世話を受けているからといって、秋山大治郎を斬るような周蔵ではない。
いまの松平伊勢守はかつて、周蔵が慕っていたころの伊勢守ではない。
かつての伊勢守であれば、じぶんが手を付けた女周蔵の母のことを持ちだして
「周蔵、おのれの、母がことをわすれるなよ」と義理で縛り付け、周蔵には理由もわからぬ秋山大治郎殺害を命じることなど決してなかっただっろう。
生母のことは見捨てても大治郎を襲うような波川周蔵ではなかった。
老友稲垣忠兵衛の言葉にうよって、周蔵は秋山父子の人ががらをよく呑み込んでいた。
母上もこのようなおれをゆるして下さるだろう、と周蔵は思っている。
五日後、伊勢守は深川の別邸で切腹した。
意次は伊勢守の切腹と小田切の自白で、納得はした。伊勢守への探索はあえてしなかった。
小田切には傷が治り次第好きなところに行け、と伝えている。
意次が小兵衛に語るところによると、
かつて、意次も伊勢守に期待していたが、伊勢守が権力をてにしてその権力に溺れ人がらが変わって、やむを得ず、目付を罷免したと語った。
今回の事件は伊勢守の恨みから出たものだろうが、「田沼を討てば天下のためになると思ったのではないか」
と語る。
言葉通り、この事件から一か月の後、若年寄だった意次の長男山城守意知が江戸城内で殺害される。
この事件のあと田沼の権勢は急速に衰え、2年後に老中を免ぜられ領地2万石も没収される。
田沼意次は予感めいたものがあったのか、小兵衛に、今後の三冬と孫の小太郎のことを沈痛な声音で頼んでいる。
事件から1年後、波川周蔵はかつて父の配下だった弓師の加藤弥兵衛のもとを訪れる。
周蔵は母親の事を加藤に聞く。加藤は驚くこと言う、周蔵の母親は加藤が保護しているという。
周蔵の母は静かに気がふれており、狂いの度を深めているようだった。周蔵は泪を溢れさせ、今は藤沢にはずれにいる家族で母親を引き取ることを加藤に告げ母とともに藤沢に去っていく。
最終的には前回の長編同様、田沼意次に絡む事件ではありましたが、政治的な匂いはありません。
ただ、田沼政治の末期をうかがわせるものはありありと見えます。
老いた意次も、娘三冬と孫小太郎が気になって仕方ない。
小兵衛もこの回ではずいぶん老いを感じさせる場面が増えています。
特に前回、 「夕紅大川橋」で描かれた、自身にとって半身と思っていた長年の友人、内山文太の死は響いていると思います。
こうした、古く長く付き合ってきた、絆というものが切れるのは、心に大きな傷を残します。
人の命には限りがあるのでいたしかたないことではあります。いかに人生の達人の小兵衛にしても、こればかり
いたし方のないことなのでしょう。
池波さんが考える、人の絆のあり方を表したものでしょう。
自分もそういう覚悟をしなくてはいけない年になり、自身がそういった境遇にあるので、非常に考えさせられました。


2018年8月3日金曜日

剣客商売全集(7)前半感想 


今日から熊本は火の国まつり開催中。
正確には7/21から地味に始まっていましたが。
平成最後の火の国まつり。
熊本市の大きな夏祭りですねえ。
熊本県、でいえば、今日、玉名で花火やってます。
再来週8/15, 8/16、山鹿で山鹿灯籠まつりあります。
いつも、見に行ってみたいなあ、と思っているのですが。






山鹿灯籠まつりのサイトから。
こんなのを見ると、実際に、目の前で見たいと、ワクワク思うじゃないですか!!






さて、本題。
7巻前半「波紋」 その1 (消えた女、波紋、 剣士変貌、 敵、 夕紅大川橋)

感想というかあらすじそのままなのでネタバレです。ご注意ください。




消えた女、
小兵衛の過去を振り返るもの。
小兵衛は同門の辻平右衛門道場で剣を学んだ40年に及ぶ交誼の松崎助右衛門宅を訪れていた。
帰宅の途中傘徳に出会う。傘徳と四谷の弥七は囮を使った捕り物の最中だった。
そこで小兵衛が見た囮の小娘は、かつて20年前、小兵衛の家で働いていた下女のおたみにそっくりだった。
この回で、これまで活躍のあった、弥七の上役の町奉行所の同心永山精之助が殺されて死んでしまっています。その犯人を捕まえるべく、おたみに似た小娘を囮にした捕り物になっています。傘徳に垂れ込んだ密偵は岩戸の繁蔵です。彼が言うには、永山同心を殺したのは、山口為五郎という浪人。山口はかつて弥七と傘徳が取り逃がした大きな承認を相手に恐喝を続けていた悪人。
小兵衛と下女おたみの間にはわずかではありますが、体の関係があり、小兵衛もこんな女と末永く暮らすのもわるくない、と思ったことあった関係でした。
捕り物は、山口は小兵衛に追い詰められ、たまたま通りかかった騎乗の侍の馬に蹴られて死んでしまいます。
のちに、囮の小娘おみつは、おたみの娘だと判明。弥七が語るには、おみつは母親のおたみの言葉を覚えており、「お前の本当のおとっつあんは、江戸の立派な剣術使いの先生なのだよ」こうささやいて、おみつを抱きしめ忍び泣きに泣いたという。
おたみは、ほうぼう流れて、山口浪人のおんなだった時期もあったようです。すでに病死しています。
おみつは16歳なので、小兵衛のむすめではないことははっきりしていますが、これを聞いた小兵衛は凝然となった。
いろいろ思うところや、薄幸の末、娘を残して病死したおたみの身の上を考えて
迫ってくることもあったでしょう。
「ですが先生、おたみは何故我が子にそんな嘘をいったのでしょう」と問いかける弥七に、小兵衛は、「おたみはわしに惚れていたらしいのう」とほろ苦く笑いを浮かべて答えます。

波紋
秋山大治郎は碑文谷の法華寺に病臥している小兵衛と旧知の老剣客藤野玉右衛門の見舞いに訪れますが、その帰りに、弓を射かけられ襲われます。剣で襲う浪人もいましたが、大治郎が顔を斬り撃退します。
襲撃されるのは、剣客のさだめ
顔を斬られた浪人は関山百太郎という浪人で、なんと、傘徳の飼っている密偵、岩戸の繁蔵の兄の家に潜り込んでいます。
この兄の妻が女郎上がり、百太郎を家に連れ込んでいたのです。この妻と百太郎が肉体関係を結んでいて、それに憤った、繁蔵の兄がある夜、百太郎のはらに包丁を突き刺し、殺してしまいます。その後、兄は繁蔵の家に転がり込みます。
繁蔵は犯行のあった兄の家に様子を見に行きますが、その際、かつて自分の上司を斬殺した井上権之助を見かけます。この井上、ある賭博場で騒ぎになった際に岩戸の繁蔵の左腕を斬り落とした本人です。
場面が変わり、大治郎は無防備にも、庭先で肌kで水を浴びて汗を流しているとき、再び襲撃者が現れます。これが弓をつがえた井上権之助。
これは、気にしていた小兵衛が放った石で防がれ、最後は大治郎に首筋を手刀で打ち据えられて、捕まります。
事件の起こりはある旗本が老百姓を痛めつけているところに、大治郎が通りかかり、この旗本を懲らしめたところにあり、逆恨みをした旗本の殿様が仕組んだことでした。
最初は大治郎の襲撃に始まりますが、岩戸の繁蔵の兄の事件や、繁蔵の腕をきりおとした井上浪人が登場したり、まさに波紋のように事件と事件がからみあって、波紋のように広がっているように展開していきます。
池波さんの文章はは基本的にシンプルで、テンポよく進むので、このように複雑ないくつもの事件が絡み合っていても、苦もなく読んでいけます。
さて、最後のほうで、小兵衛がまたもや、金貸し幸右衛門の遺産で岩戸の繁蔵へ更生の手を差し伸べるところで話は終わります。

剣士変貌、
橋場の船宿の鯉屋で小兵衛は菓子店、笹屋の後妻と一緒にいた侍に
見覚えがあった。かつて、剣術指南をしたことがあった横堀喜平次だった、横堀はかつて、小兵衛と親しかった中西弥之助が開いていた中条流の中西道場の食客だった。旧知中西のつてで、小兵衛も横堀に県の指南をしたことがあったのだった。その時は横堀も人懐っこい好男子だったが、その後、横堀が麻布に道場を開くことになり、小兵衛、中西弥之助も、これの行く末を危ぶんだ。3年ほどは道場も評判も良かったものの、3年後に、横堀は門人の一人を斬り殺して道場を捨てて逐電した。
小兵衛は、この菓子店の後家と横堀の二人の関係を訝しながら放っておこうとしましたが、
長虫の甚九郎という悪事を繰り返す浪人が登場。この男はかつて小兵衛の道場に来たことがあったが、たまたま居合わせた横堀喜平次にさんざん打ち負かされています。小兵衛が甚九郎をひっ捕らえようと後を追うと、なんと、横堀喜平次の家に入っていきます。
こうなると一旦、放っておこうとした横堀のことが放っておけぬことになります。小兵衛はいつもの四谷の弥七や手下の傘徳を頼ろうとしますが、二人は別の御用聞きで小田原に行っており不在。しかたなくこれまた、これまで何度も登場してきたなじみみの御用聞き、北大門の文蔵親分に相談します。またこのあたりから、秋山親子と親交のある早稲田町の町医者、横山正元登場。町医者でありながら秋山親子と同様に無外流の使い手。
文蔵や又六や正元が見張るなか、甚九郎や横堀喜平次は何を企んでいるのか、
小兵衛は何となく感づいてます。
小兵衛は。菓子店笹屋に近い市ヶ谷に井筒屋という茶問屋の隠居、内山文太のもとにもぐりこんで、見張りを始める。内山文太も秋山小兵衛と同じく、辻道場の門人。
そこに、甚九郎と横堀らが市ヶ谷に向かっていきます。
雨の降る中、横堀らが菓子店笹屋に着く。すると、笹屋の後家が裏の通用門を開ける。
ここで小兵衛登場。集まった浪人12人および、甚九郎と横堀喜平次を取り押さえる。
喜平次も小兵衛の前に屈し、激しく泣き始める。
横堀らを手引きした、笹屋の後家は実は、横堀の実の妹だったという真相が明らかになります。
横堀ほどかつては好人物だと思われて、剣術への情熱も人一倍あった男がこのように落ちぶれてしまう理由について、小兵衛は、なまじ道場主となったばかりに、われより強き者に打ち叩かれることを忘れてしまった。いや、嫌うようになった。道場主としての自信を失うことが怖かったにちがいない。それでいて、これでよいのか、弱いものだけを相手にしている、いまのおれは、これでよいのか。その不安につきまとわれていたに相違ない。
事件があらかた片付いたとき、弥七らが小田原から戻ってきます。ここで小兵衛が
「弥七、芝居の幕は、もう閉まったわえ」と告げます。
人が、人品を保っていくことの難しさを伺い知ることができました。
特に、剣術使いというものは、自分自身と戦っていくことが普通の人よりすこしばかり大きいのでしょう。
今の世の中でも同じく。人はいつも自分自身との闘いがあります。心の弱い部分というものがどんな人でもあるのです。いくら鍛えても鍛えられない部分であるだけに、つねに磨いていかなければならないのが心、と言うこともできるでしょう。

敵、
小兵衛も贔屓にしている、浅草の料理屋「嶋屋」の門前で、店から見送られた立派な風采の侍の客が、背の高い浪人にこん棒で首筋を叩かれ気を失う。
襲った方の浪人は中沢春蔵という名前で、缶で雇われているようです。
さらに十両で引き受けたこの仕事ですが、十両のうち1両は秋山大治郎に返しています。
中沢が、大治郎家にこの一両を返しに訪れていた時、「笠原の使いがくる。」秋山大治郎、その妻三冬ともに親しい間柄の笠原先生が嶋屋をでたところで心臓を一突きにされてさつがいされたという。この話を聞いて、中沢は動揺します。
笠原というのは笠原源四郎といい、仕法家というものらしい。
仕法家という職業は初耳でしたが、このころ行き詰まっている大名家の経済立て直しに腕を振るう人のようです。今でいう、経営コンサルタント、のような。
笠原源四郎はこれまで、五家の大名三家の旗本の仕法に成功した、とあります。
老中田沼意次も笠原源四郎を招き、相談をしていたようです。
そんなとき、田沼家で意次が笠原と秋谷親子を引き合わせています。笠原源四郎は小野一刀流を学んでおり、意次のすすめで大治郎は笠原源四郎と立ち会って、三本のうち、一本は笠原に取られています。
笠原急死を大治郎邸で聞いた中沢の顔色の変化をみた小兵衛は不審に思い、弥七や傘徳に中沢を見張るように命じています。
中沢は、一件を依頼してきた平吉と会うため、丸山浄心寺門前の茶店美濃屋で張り込みをします。
門前のもう一軒の茶店三好屋には傘徳が中沢を張っています。
一方、大治郎は中沢の旧師にあたる、牛堀九万之助を訪れる。
中沢は牛堀の門人であったが、以前に気の毒なことがあったという。
中沢は、妻をめとって、所帯を持つようになり、やがて女の子が生まれ、春蔵は秋山小兵衛へ、「天にも昇る心地というのはこのことだと思いました」といかにもうれしげにつげたそうな。
その溺愛する一人娘の千代がかわいい盛りの三歳の夏に急死した。近所の子供たちと遊んでいるときに凶暴な野良犬に首筋をかみ砕かれて死んだ。
中沢四日間その犬を探し遂に発見して首を切ったが、妻は気がくるって、挙句、大川に身投げして死んでしまった。中沢は、酒浸りの毎日になったのはそのあとのこと。
師匠の牛堀は中沢に訓戒を与え、自宅に行って叱りつけもしたようだ。
しかし、牛堀も春蔵を見捨てる。
その後、秋山親子も牛堀から「中沢はおもうところがあって破門しました」
ときいたのみ。
やがて、春蔵は大治郎を訪れるようになり、一年のうち3,4度は顔を見せるようにはなっていた。
大治郎も、いずれ詳しく破門の事情を聞いて何とか身を立てられるようにしてやりうたいと思っていたやさきだった。
平吉は駒込千駄木の提灯屋の2階にこもっていた、嶋屋の女中千とあいびきしている。
平吉は笠原源四郎を親の仇といつわって、千を手引きに使うためたぶらかした。
いよいよ、平吉が浄心寺前に現れます。中沢はこれの後を追います。そのあとを傘徳や弥七も追います。連絡を受けた秋山親子もこれに加わります。
平吉笠原殺害の依頼をした高橋又十郎の屋敷で、又十郎をゆすって百両を得ようとしています。高橋又十郎が平吉の首を絞めて殺そうとしているところへ出ていく中沢春蔵。
さらに後を追って、秋山親子や弥七、傘徳も出ていきます。
中沢春蔵は呆然とこの捕り物を見守るしかなく。
高橋又十郎はなぜ、笠原源四郎を殺すことになったのか。
高橋が酔っ払って、浅草の田圃の細道を笠原とすれ違うときによろめいて笠原にぶつかりそうになって、笠原が身をかわして、高橋が田圃に落ちた時、逆切れして笠原に切りかかったとき、あっけなくかわされて、手刀で倒された時のことを逆恨みしたものらしい。
高橋と平吉と中沢は町奉行所ではなく、幕府の評定所で裁ききを受け、高橋と平吉は死罪。
中沢は3年の遠島で済んだ。

これをわざわざ田沼屋敷に呼ばれ意次からじきじきに聞かされた秋山親子でしたが。
さらに驚くことを聞かされます。意次曰く、笠原は八代の血筋を受けた人。八代とは意次を取り立てた、八代将軍吉宗のこと。

 夕紅大川橋
この回は、終盤、秋山小兵衛にとって痛切な場面が待っています。
終始、同門の弟子仲間ではありますが、小兵衛の兄弟のように思ってきた内山文太への熱い想いが伝わってきます。それだけに終盤の展開は切なさがひとしお。
冒頭は、小兵衛と町医者横山正元が、小兵衛なじみの橋場の料理屋「不二楼」で杯を酌み交わしている場面から始まりますが、二人はある光景を見てびっくりします。
小兵衛にとって辻道場の同門の弟子仲間で、ほぼ同年代の内山文太。剣士変貌にも出てきましたが、今は茶問屋井筒屋の隠居になっています。彼が女と二人で船に乗っているのは、内山文太をよく知る小兵衛にとって思わぬことであったようです。
さらに横山正元には内山文太だけではなく、女のほうも知っています。女は岡場所の女で、正元せんせいも23度抱いたことがあるそうな。
小兵衛と正元せんせいが連れ立って、小兵衛の鐘ヶ淵の隠宅に帰ると、井筒屋の主作兵衛が小兵衛を訪ねてきており、義父の内山文太が行方不明と騒いでいる。小兵衛にとって、内山文太は二人とも無外流の達人辻平右衛門道場の愛弟子であり。かけがえのない同門の親友だった。
作兵衛に言われるまでもなく、小兵衛も正元せんせいも、不二楼で内山文太が岡場所の女と船に乗っているところを見ているのだ。
こうなっては、小兵衛も文太の行方を追わずにはいられない。弥七親分と傘徳さんも加わり、文太の探索が始まる。
そんな中、小兵衛は夜半の雨に、古い記憶を思い出す。40年も昔のこと。内山を訪ねて、辻道場に静という女が来た。女は小兵衛に内山文太宛の一通の手紙を渡す。
さらにその後、すでに亡き下男の八助が言うには、その女と内山文太が連れ立って歩いている姿を浅草御門で見かけたという話。
そんな中、井筒屋に文太の手紙が届く。心配するな、誰の耳にも伝えるな。とある。
手紙を届けに来た中年男を井筒屋の番頭は気を利かせてあとを追う。その男は浅草篠塚稲荷の宿屋に入った。宿屋の名前は田中屋という。文太は駿河国田中の生まれと関係のあるのかないのか。
さっそく田中屋のまわりを見張る小兵衛。しかし、意外とあっさり、小兵衛も驚くほど老け込んだ内山文太が田中屋から出てきます。文太と連れ立って出てきた男と二人で船に乗ったところに小兵衛も飛び乗って文太から話を聞く。
文太曰く、40年前辻道場を訪ねてきたのは弟の嫁の静という。そして、先般っ小兵衛と正元せんせいがみた文太と一緒に乗っていた船の女はなんと孫という。
さらに、静は女の子を生んだがその女の子清は文太の子という。
この間、文太は小兵衛も見たこともない、文太の泣く姿をさらしながら、語ったいきさつは
まあやや複雑で煩雑ですがいろんな事情があったようです。ただ、文太もすべて話しておらず。
娘の命が危ないと言いながらどこかに行こうとする文太を小兵衛が一声のもとに叱る。
「失礼ながら年上のおぬしをこれまで我が実の弟と思うてきた。わしの心を踏みつけにする気か。包み隠さずみんな吐き出してしまえ。」
文太は小兵衛の胸にしがみついて泣きじゃくるほかない。
さて、文太の娘お清は実は真田藩の藩士中村小平次の妻になっていますがそれ以前にくだんの田中屋で女中をしていた時期があり、大工の由松と夫婦になり娘のお直を設けるが、大工の由松は仕事場で足を滑らせ頭を打って死んでしまう。
内山文太が孫のお直を連れてお清のいるところに来てみると、夫の中村小平次が脳卒中で急死して、お清はその遺骸を前に途方にくれているところだった。
またお清も心の臓の病を患っていてむやみに動かすと危ないと内山文太がおもったほど悪化して臥していた。
また中村小平次は200両の大金を隠し持っていることも、文太はあらいざらい小兵衛に話した。
話を聞き終わった小兵衛は文太と連れ立って、文太の娘清と孫のお直のまつ茶店に向かう。
その茶店には別の男たちが向かっていた。中村小平次の200両を狙う男たちだ。
男たちは小兵衛の敵ではなく、あっさり斬られるか捕まるかする。捕まった、高田というこれまた真田藩の関係の浪人の自白によってすべては明らかになります。
弥七親分のおかげで、清や直、文太に火の粉がかからないようになっています。
さてそのお清ですが正元せんせいいがひきとり先生の投薬のおかげで体調を持ち直します。
さらに、驚いたことに、正元先生はお直と夫婦になることになったとあります。
最終盤、小兵衛が碁を打つため小川宗哲先生のもとを訪ねてお清の体や小兵衛が数日前にみた文太の様子を話してそのあと元長に寄っているとき、突如おはると井筒屋の番頭が飛び込んでくる。
おはるの顔は泪だらけになっている。
内山文太が急死したという。
井筒屋が迎えの籠を寄越してきたから早くそれに乗ってくださいよう、というおはるへ、何物も寄せ付けない厳しい姿勢を見せて「内山文太の死に顔は見たくない」わしの代わりにお前が行け
そういって飛び出していく小兵衛。通りかかった大川橋でが土地の無頼が騒ぎを起こしていたが、まるで天狗のように早業でこの無頼たちをかたづけさっていく。
小兵衛が宗哲先生に語った。内山と自分はこの世で最も長く親しんできたので自分の半身のように思えると話したばかりであっただけに、その半身を奪われた悔しさが最後の場面を象徴するように思えます。


2018年8月2日木曜日

剣客商売全集(6)後半感想 

経済の話を久しぶりに書こうと思っていたのですが。
あいかわらず。不動産屋のくそじじいに振り回されている市場。市場というのはいつも偉そうなことを言っている気がしますが、金融政策者は市場との対話が必要、とか。
ま、市場も大したこともないですな。
アメリカでハイテク株で代表的な会社をFANGと言うことがありました。フェイスブック(FB)のF、アマゾン(AMZN)のA、ネットフリックス(NFLX)のN、グーグルのG

そのうちの一つ、フェイスブックの株価が先日急落したというニュースがありました。
以前にもここで書いていますが、ザッカーバーグもフェイスブックも嫌いです。
なので、たかだか20%くらい株価が下がったくらいでニュースにするなよ。と思っていました。
正直、フェイスブックの適正株価は、今の半分くらいでも多いと思っています。
あまりに自分たちが扱っている商品(つまり個人の情報)の管理に杜撰すぎますし、軽く考えすぎ。
インターネットの社会ではそれで委員でしょうけど、実際の商売として考えてみると、あれはないわー。そんなザッカーバーグがもてはやされるって、何なの?という感じ。
日本の株価も持ち直しそう。他は次にします。
普通預金のうち何割かを国債にする準備を進めています。
その辺も。いずれ書きます。




剣客商売全集(6)後半感想 

感想というかあらすじそのままなのでネタバレです。ご注意ください。

 6巻後半「十番斬り」 その1(白い猫、密通浪人、浮き寝鳥、十番斬り、同門の酒、逃げる人、罪ほろぼし)

白い猫、

小兵衛が果し合い状を受け取り、これを承諾する。
相手は7年前、小兵衛が道場をたたみ、鐘ヶ淵の隠宅に隠居し始めたころ、田沼屋敷での試合の世話役をしていたころ、同じく世話役をしていた井関忠八郎の道場に現れて、井関の仲介で田沼屋敷での立ち会合いをすることになっていた、平山源左衛門。7年前、木太刀で、平山と立ち会った小兵衛は、やっとのおもいで勝ちを得た。
7年後、真剣での立ち会いに、小兵衛も勝てる気がせぬ、のであったが、おはるにも大治郎にも知らせず、果し合いの場へ出かけていく、小兵衛。
途中であった白い猫に、かつて、亡き妻が拾ってきてかわいがって四谷の道場を開いていたころに飼っていた猫に似ていた。この猫をめぐって無頼の浪人との関わって斬りあいしているうちに約束の時間が来てしまう。
一方、平山は小兵衛を待っているが、突然の発作で亡くなってしまう。
小兵衛曰く、「心の臓をやられていたのだろうよ」「剣術をやる者には心の臓を痛める者が少なくないのじゃ」
体を鍛えぬいているだけに、その傷みが重るのに気づかぬことが多い」
確かに、剣客商売で病で命を落とす人に心臓の気持ちは多いと思っていましたが、平山もその一人でしたか。
さて、白い猫のせいで、小兵衛は悔やみきれない、果し合いでの遅刻をしてしまいますが、これは実は亡き妻お貞の意思が働いているような気がしました。
平山と小兵衛の果し合い、実際に行われていたら。7年間、そのためだけに修練を積んできた平山のほうに分があったと思われるのです。さらに、自身の余命が長くないと悟っていた、平山の最後の戦い、となると、これは小兵衛の命もずいぶん危うかったのではないでしょうか。それを、亡き妻お貞が白猫に託して、小兵衛の足止めをした、と考えられなくはないのです。
ただ、小兵衛はのちに、おはるが土手に捨てられていた白猫を拾ってきたとき、強く拒絶したのは、平山への果し合いでの後悔の念が強く出ていたのでしょうが。おはるの拾ってきた猫は小兵衛の隠宅では飼われることはありませんでしたが、元長の夫婦のもとに預けられることになりそうです。



密通浪人、

小兵衛が、鬼熊酒屋で聞いた浪人の話に耳を疑う。浪人の一人は他人の女房を寝取ったと言っているが、肝心のその女房は、小兵衛の義弟の妻だった。義弟というのは亡き妻お貞の弟。
ただ、義弟の妻は女としての魅力は決してなく、作中の表現を借りるなら、「顔の造作は眉、眼、鼻、口が何やら四方に飛び散っているような、鼻の穴が天井を向いている。実にひどい表現、、」
小兵衛は首をかしげざるを得ない。
しかし、ことは義弟の家の事であり、放っておけなかった。
小兵衛は傘屋の徳次郎を使って件の浪人を調べる。
そのうち、義弟が小兵衛を訪ねてくる。
妻のお米が不義を働いていることで、ゆすられたというのだ。しかいs、義弟の妻お米はまったく身に覚えがない。
徳次郎に弥七親分も加わって、件の浪人を調べる。
浪人が不義の関係を結んでいるところに、お米をゆすった男(吉野家治助)が現れる。
吉野家治助はとんだ人違いをしたことが、ここで発覚する。
吉野家治助は、浪人の腹を短刀で斬り、逃げようとするが
そこに、小兵衛や弥七や傘徳さんが現れ、吉野家や浪人の釣れともども捕らえられる。
その後、義弟が見知らぬ女と6、7歳くらいの女の子を連れて歩いている姿を小兵衛は見かける。
お米のような女を妻にしているのでは仕方あるまい、と思いつつ、この先もめごとが起こらねば良いがとけねんする小兵衛でありました。


浮寝鳥、

さて、題の「浮寝鳥」とはなんでしょう。
調べると、鴨・雁・鳰・鴛鴦・白鳥のことだそうです。
俳句で使われる冬の季語だそうです。
毎年越冬のため、毎年日本に渡ってきて川や湖沼で一冬を過ごす
水鳥の群れ。鴨・雁・鳰・鴛鴦・白鳥などが、水面に浮かんで眠
るさまをいう。
橋場の大治郎の家に近い、真崎稲荷に、お薦さん、これは乞食のことですが、の老人がいた。
真崎のお薦さんと呼ばれていたが、みなりはそれほどむさくるしくないようで、近辺の人もただの乞食じゃないと思われているようです。大治郎夫婦や小兵衛も気にかけていましたが、ある日、。この乞食が斬殺されてしまいます。
大治郎が旅先から戻って、その話を聞くと、殺された当日は、ちょうど旅に出た日で、彼は別の場所でこの乞食の老人を見かけていた。しかも、その老人は娘と一緒だった。
大治郎は気になり、乞食の老人を見かけた場所に行ってみると、その娘が飯屋「三州や」に入っていった。
この話を、弥七に相談するか、地元の御用聞き馬道の清蔵にするか迷った大治郎、結局、清蔵に相談した。
清蔵と三州やに行ってみると、三州やの亭主も乞食の老人を知っており、娘はこの老人の娘だという、。
清蔵は抜け目のない御用聞きで、三州やでの聞き込みを終えて、大治郎と店を出て清蔵の家に戻った時、三州やから後を付けてくる男に気が付いており、手下にその付けていた男を調べさせる。
後を付けていたのは石原の吉兵衛という、御用聞きの手下だった。それに気づいた清蔵もなかなかだが、気づいたことを知らぬふりをするところもすごい。大治郎も清蔵を見直した。さらに、吉兵衛のてしたの男が見張りを続けていることを知った清蔵、大治郎は、この手下は大次郎の行く先を突き止めるつもりであることにきづく。
大治郎はわざと後を付けさせ橋場の自宅に帰る。吉兵衛の手下はその後吉兵衛家に行き、その後吉兵衛とともに、旗本溝口丹波守の屋敷に入るところを、清蔵の手下が突き止める。溝口は幕府の御書院番頭を務める家だった。後日、清蔵は吉兵衛から、この乞食老人の殺害の件に首を突っ込まないほうがいいとくぎを刺され五十両の金で手を引けと言われ、金を受け取らず、大治郎宅に行き相談する。
清蔵は大治郎への相談からの帰途、大治郎の家のすぐ前で大人数の何者かから襲われる。
そこを大治郎に救われ、三冬も活躍。三冬はさすがにこの件は父の田沼老中の耳に入れなければ、という。
というのも、捕らえたものの中に溝口丹波の家来もいたからだ。大身旗本で幕府の政治に深くかかわる溝口の家来が浪人に交じり秋山夫婦と天下の御用聞きを殺害しようとしたことは捨て置けない。。大治郎も三冬の言うとおりにしようと肚を決める。
馬道の清蔵も、まさか大治郎の妻三冬が田沼老中の娘と知って驚愕したことは言うまでもない。事件は清蔵yた大治郎の手から離れ、幕府の評定所の手にゆだねられた。
溝口丹波はお役御免になり、家老格の用人以下五名が切腹させられた。
さて、乞食老人と溝口家の関わりは、田沼家の用人生島次郎太夫が大治郎にのみ伝えよと田沼老中から言われている、と前置きし、乞食の老人は、溝口丹波の実兄であると告げる。
乞食老人の真の名は溝口一之介というらしい。
老人は過去若いころにに放蕩していた過去があり、40年前に溝口家を脱走した。
その後40年して、溝口屋敷に縁切り金を100両求め現れたという。
大治郎は後日、父小兵衛にこの話をして、40年前の老人の放蕩を尽くしていた若い頃の話と、自分が見た老人の姿が一緒にならず納得しかねることを話す。



十番斬り、

十番斬り、これは小兵衛がある浪人を見舞いに訪れる途中で対決した、十人の無頼浪人との闘いのことを指しますが。途中まではこの、ある浪人の話ではないだろうか、と思っていました。
この回で時代背景が明らかになります。物語のある節々で年代とか数字がはっきりますが、この回では
天明三年。1783年の年明けになります。小兵衛は63歳。妻おはるが25歳。大治郎が30歳
三冬がおはると同じ年。小太郎が2歳すべて数えの年。満年齢ではないようです。
小兵衛が碁を打つため。小川宗哲先生の家に行くと、診察中の浪人がおり、その精悍な体つきと黄ばんだ肌に興味がわいた小兵衛、は子の浪人が病気で先が長くないとみる。宗哲先生の見立ても余命は長くない。
この浪人、名前は村松太九蔵という。小兵衛はその名前に聞き覚えがあった。
20年ほど前、小兵衛が四谷に道場を開いていたころ、芝に道場を開いていた、村松道場のことを小兵衛は聞いており、会ってみたいとおもっているうち、村松道場の道場主が死去し、その子太九蔵が、何かの遺恨で4人の剣客と戦い、これをすべて討ち果たしたことがあった。その後、太九蔵は江戸を離れ行方が分からなくなった。
その太九蔵が宗哲先生宅にすがたを現すとは、小兵衛もおもってもみなかった。
村松太九蔵は宗哲先生に思い立ったことがあるので、今少し生きていたいのです、と語ったそうな。
弥七と傘徳さんが土産を持って、小兵衛の隠宅を訪れた際に、小兵衛は料理屋をしている、弥七の妻に精のつくものをこしらえてほしい、と頼む。
当然、弥七も、傘徳さんも、それは若妻おはるを相手にしている小兵衛向けのものと勘違いする。
小兵衛はあの村松浪人に見舞いの品として持っていきたいのだった。
村松浪人が住んでいる場所、今でいうと大田区のあたりらしい。
当時、郊外で、人気が少なく、十余名の無頼浪人が住み着いて、付近の百姓や、その娘を襲ったりして、土地の人のひんしゅくを買っていた。郊外でお上のめも、届きにくく、取り締まりに期待できず、土地の人々は泣き寝入りするのが常になっていた。
この浪人たち10数名が、香具師の元締めを襲って金を巻き上げる算段をしている。
小兵衛が村松浪人の家がある、寺に土産の鼈汁をもって、傘徳さんを供にに訪れたのはその翌日。
傘徳さんは途中、お尋ね者になっている香具師の元締めを見かけ捕り物することになる。
香具師の元締めは例の浪人たちの住処にはいったところまで、傘徳さんが見届ける。
そのうち、傘徳さんの連絡で小兵衛もその浪人の住処に向かう。
浪人の一味はかつて仲間を斬った村松浪人の家をみつけ、そちらに向かう。
浪人がいなくなったあとで、傘徳さんは香具師の元締めをとらえる。
村松浪人を襲撃し始める浪人たち、はじめ不意を突かれ不利だった村松浪人、背中を斬られ、危機一髪というところで小兵衛が登場し、浪人たちを切り捨てていく、いつの間にかアッというま十人の浪人を切り捨てた小兵衛。
ひと段落して、寺で小兵衛の持ってきた鼈汁を口にする、村松浪人。
村松浪人はすでにしたためていた遺書を小兵衛に渡し、思い残すことは一つもない、と言い残し、亡くなります。
遺書には20年前の4人の剣客との争い事件のこともにおわせながら、死病に取りつかれた体で、悪行を働き、善良な人々を困らせる無頼浪人たちを死ぬ前に打ち取りたいと思っていた。
最後には世話になった和尚への礼の言葉で締めくくられていた。
村松浪人の死に顔はあくまで清らかであった。



同門の酒

小兵衛ら、辻平右衛門道場の門人仲間は毎年二月十日に主食を共にすることにしていた。
集まるのは小兵衛他3名の全部で4人。いずれも老剣士。かつて、辻平右衛門が嶋岡礼蔵一人を共にして京大原に隠棲しに江戸を旅立った日が二月十日。師の恩を忘れぬよう、と初め十名で集っていたが六名が病死して4名になった。秋山小兵衛、神谷新左衛門(68)、内山文太(75)残る一人が矢村孫次朗(43)その年、孫次朗が何も知らせず欠席した。彼の人柄では無断の欠席は不思議なことだった。不審に思った小兵衛が弥七も加え調べる。毎年この二月十日には孫次朗は弥七のもとにも妻や子供への土産を持って現れていた。その土産の佐野六饅頭の店、佐野六に行くと、矢村は前日に店を訪れていた、しかも女連れ。矢村は母が子や夫を捨てて男と駆け落ちしていたことがあって、女不信で女嫌いになっていた。店の者曰く、十日まえにも矢村はその女と来ていたそうである。さらに店の者は白金の西光寺付近で、矢村とその女を見かけたという。弥七が調べると、女は浪人の亭主持ちで、西光寺近くの家に住んでいた。その女が渋谷道玄坂の茶店に入る。
矢村は女が浪人に絡まれているところを助けたことがあった。その女にたぶらかされて薬入りの酒を飲まされて拉致監禁されたのだった。
道玄坂の茶店に忍び込んだ弥七と小兵衛は、その茶店の地下室で矢村を見つけ救い出す。
矢村と小兵衛と弥七は、西光寺の女の家に踏み込み、女と浪人を捕らえる。その後に3人の盗賊が西光寺の家を訪れ、これは盗賊改めがお縄にする。
その盗賊の一人の弟を女のもつれで切り殺した男と矢村の顔がそっくりで、人違いで監禁されたのだった。
矢村はその後、同門の老剣士たちに叱られ、矢村も神妙に、修行のし直しだと、反省する。矢村は小兵衛に、その顔が似ていた男は、自分を捨てた母が別の男と作った子ではないかと、話す。
小兵衛は取り合わないが、そんな孫次郎に「剣にすがっておればよいのじゃ、おのれの一剣を持って生きよ、さすれば何事も解けざるものなし」と辻平右衛門先生ももうされたではないか、と師の言葉を矢村孫次郎に話す。
孫次郎はその師の言葉を思い出して目が覚めた思いになる。小兵衛が「こいよ、いっしょに飲もう」と矢村にかけることばの爽やかさかと清々しさは何とも言えない。
剣術の同門仲間、というものは私はないですが、
やはり友人というものは良いものです。



逃げる人

大治郎はある日、無頼の渡り中間に襲われ、見事な技でこれを追い払った老人を見かける。老人は貞観寺付近に住んでいるようだ。大治郎は別の日、田沼屋敷の稽古の帰りに寄った蕎麦屋で老人と再会し、お互いに好感を持ち、交誼を深める。
老人は高橋三右エ門と名乗る。大治郎は小兵衛にこの老人の話をする。
小兵衛は貞観寺の和尚とは顔なじみだった。小兵衛は不二楼に貞観寺の和尚を招待し、大治郎に聞いた老人について聞くと、貞観寺の和尚は、彼の名前は高橋三右エ門ではなく、本名が山本半之助だといい、敵から追われて諸国を逃げ回っている身であるという。
小兵衛は大治郎にこの話をすると、大治郎は瞠目し絶句した。大治郎はその老人、半之助を父の仇として追っている人物を知っていた。
大治郎が修行で諸国を回っているとき、大阪で出会った橋本又太郎がそれであった。彼は松江藩の藩士で、何かの事情で父親を半之助に殺されて、母を国元に残し、半之助を追って諸国を回っていると、大治郎に語った。
又太郎とは気が合い、今でも便りを交わす中であり、又太郎は今は京の町医者の元に身を寄せていた。
小兵衛は大治郎に、特に助言することなく、よく考えて対応するようにという。
大治郎は、夜も眠れぬほどに深く悩んだ末、京の又太郎に仇の半之助の居場所が分かったと、飛脚を飛ばす。
飛脚が京について、又太郎が江戸に来るまでの間、自分が半之助を見張ろうと、肚を決める。とはいえ、大治郎はその後も平静で居られず、「到底父のようにまいらぬ」とつぶやき心が穏やかにいられない。
常に、平静であることを心掛けていても、つい前まで好感を抱き交誼を重ねていた老人を偽って、親しい剣友に敵を討たせなければならず、板挟みになる。「人の世の善と悪とは紙一重じゃ」と父小兵衛がしみじみ言っていたのを思い知った。
大治郎が貞観寺の老人のもとを訪れたとき。大治郎のただならぬ気配を老人は感じた。その時、この話の冒頭で大治郎と出会うきっかけとなった、追い払った無頼中間が仕返しに浪人と連れ立って、老人を襲う。
大治郎は、思わず、「山本様」と老人の本名を声にしてしまう。
老人はその場から去った。大治郎が、家に帰ると、京の町医者から手紙が届いていた。
町医者の手紙によると、又太郎は一か月前に急死していた。
大治郎はこの手紙をもって小兵衛に相談する。大治郎は、小兵衛に、又太郎の国元の松江藩に又太郎の死を連絡せねば、と言う。
これに対し、小兵衛は「そうすると、国元で又太郎の帰りを待っている老母の耳にも入るな」さらに、松江で、半之助と連絡をとっている人もいるだろうから、半之助も知ることになるだろう。」
「半之助は、又太郎の死を今は知らず、常に仇討の恐怖に怯えながら日々を送る生活を続けている。それが又太郎やその父の供養になるのではないか、それが犯した罪のむくい」だと思う、と大治郎に話す。
「お前はお前の考えで思うようにするが良い。」最終的に大治郎の判断は話には出てきません。
小兵衛の言う通り、表に現れる、斬りあいの報復、とそこから逃げ続け、一瞬も安穏とできない生きた心地もしない、という状況も、一つの報復ではないか、さらに、そういうことに追い込まれることが、事情は分からないが、人を殺めたことに対する報い、ではないか、というのが小兵衛の考え。
目に見えることがすべてではない、と言われているように思います。



罪ほろぼし

永井源太郎は二十を超えたばかりの若い浪人。これを付け狙う浪人と町人のおとこの組み合わせがいた。この男たちの話では、永井はどこかの用心棒をやっているようだ。付け狙う男たちはお金五十両で依頼されて、永井の命を狙っている。たまたまその場を通りかかった小兵衛が永井を後ろから斬ろうとしている浪人を追っ払う。
永井と小兵衛はっそのあと名乗り合いますが。実はお互い、妙な縁がありました。
5年前、小兵衛を斬りつけて捕らえられたのは源太郎の父、永井十太夫、十太夫はその後切腹になり、家は取り潰しになります。源太郎は、小兵衛に父の罪を詫びます。源太郎は性格がまっすぐなようです。
源太郎は役目があると言って、小兵衛の前からさります。
源太郎の役目はある商家の金蔵の警固でした。
場所は。日本橋の有名な薬種問屋啓養堂。
源太郎は小兵衛の隠宅に先日のお礼に訪れる。小兵衛が襲撃に心当たりはあるかと聞くと、父親の件での恨みかもしれない、自らに心当たりはないという。
小兵衛はたまたま家に来ていた弥七に源太郎の後を付けさせる。
小兵衛は源太郎から、役目の内容を聞き、弥七に話す。金蔵の警固、というところが気になる弥七。
源太郎が弓のけいこで深川のはずれに来た時、啓養堂で怪しい男たちの手引きをしている女中の知らせで、
あっしい男たちは深川に向かう。
その男たちが源太郎を襲った時、源太郎を付けていた小兵衛や弥七がこれを救い、怪しい男たちをとらえる。
事件は大掛かりな押し込みけいかくであったようだ。すべて、火付け盗賊の手で一味を捕らえ、手引きしていた女中も傘徳さんによってとらえられます。
小兵衛は父親をとらえて、家を取り潰しにしたことを気に病んでいて、これで罪ほろぼしになったかのうと弥七に話す。
源太郎も、啓養堂では大変評判が上がり、妻をめとることができ、その報告に小兵衛の隠宅に来た時。「これで父の罪滅ぼしができたような気がする、とはなす。この言葉を聞き、小兵衛と弥七は顔を見合わせる。
題の罪ほろぼし、は小兵衛と源太郎の二人の思いだったんですね。
ハッピーエンドでよかった。




2018年8月1日水曜日

平成最後の7月が終わって、8月になりました

月が変わったので恒例のTop画像も替えました。アウディのS1です。
8Xはすでにカタログ落ちしています。

さて。今日は久しぶり晴れて、雲はやや多いくらいで、夏の空でしたなあ。
ボクシング連盟の山根という老人の横暴が取りざたされています。
横暴なのは、本人だけでなく、その取り巻きも同罪ですねえ。
国政の安部とか自民党と霞が関の官僚の関係の縮図ですねえ。日大もまさしくそうでした。

日本は上から下まで腐っています。
こんなので、良くバランスをとって破綻しないものだと思います。
まぁ、だから安部のようなくそ、頓珍漢政治家でも。政治家や首相が務まるんでしょう。
国民の多くは首相なんて、誰でもいいと思っています。
今、少し景気が良いのも安部のした何かによって、そうなった、と思っている人は、多くない。
ここ数年の安部の成果なんて、言える人はいないと思いますよ。
悪行ならいくらでも言えるけど。安部とか取り巻きの国民会議のあきれる行動のほうが非常に目につく。それでも、選挙では他に書くものがないからと、自民党と書くんでしょうね。理解しがたい。
そうでなければ、悪行の限りを尽くし、ブラック自民党が投票率の少ない選挙で勝利するはずがない。
そういった、消極的選択の結果ですが、当の本人たちは。恥ずかしげもなく、国民の支持がある、とうそぶいいております。
天然というか、痴呆者のあつまりにしか見えませんが、こうなるともう罪深い。
ただ、日大とか、ボクシングとか、身の回りに自民党、国民会議、阿部的なものが蔓延してくると、さすがに、意識は変わってくるでしょう。
そこまで、普通の人が耐えられるか。
結局、自分の身に実際、同じようなことが起こらないと、危機感は感じないんでしょう。それが人というものです。
身の回りに起きても、あぁそれは安部のせいなんだね、という発想ができるか、とは、ふつうならないでしょうね。
人は、自分が見たいようにしか物事を見ない動物です。
真実がどうか、なんて、どうでもよろしい。という人が大多数なので、自民党は生きていられる。
日本人がそうなのではなく、世界でも同じ。
ただ、現実は気づいたときには取り返すにはすでに遅い。
例えば、日本の技術力はすでに中国に遅れること、10年の開きがあります。
昨年までは5年遅れている、と思ってました。ここ半年でさらに開いた感じがします。
遅れたというより。
日本は何もしなかった、日本が勝手に自ら競争から脱落した、というような状況。
上に書いたように、危機感ないんですもの。
国内にいる限りその世界の動きの速さを感じることはないでしょう。
良く中国が何でであれだけあほのようにお金をガンガン投資に回し、世界でもお金をばらまいて、プレゼンスを上げているかわからん、という人がいます。
これこそ日本的な考え方と思います。
中国では、お金がいい循環をすごい勢いでしている風に見えます。
お金、富は貯めるものではなく、循環してこそ価値を出すものです。そこが、暗黒のデフレ時代を長く続けた日本人は忘れています。
中国の好景気、いつまでも続くものではない、という人もいますが、私はこの先、ずいぶん続くと思います。
その終点は日本が破綻することがきっかけになるんじゃないか、と思っています。
日本の経済の寿命が長く続くとは思えない。
経済の動脈硬化を起こして久しい日本が、中国より、先に心臓が止まるでしょう。
多くの日本人はそうならないと気が付かない、という風に思います。
オリンピックが死期を早める結果にならなければ良いですが。





































2018年7月31日火曜日

ジョンダリの続報と最近のランチ

いよいよ7月最終日

依然、颱風ジョンダリ、停滞中。クルリン中

(2018年7月31日 15:00頃の気象衛星の画像)

(2018年7月31日 20:00頃の気象衛星の画像)

くるりんぱ?


熊本は日中、適度に風があり、雲の量も多く、相変わらず涼しかったです。
明日は晴れそうです、。8月は西日本は高温になると、気象庁から警戒を呼び掛けています。

明日は8月ですが、土用の丑の日らしいです。
ウナギなど久しく食べていないので週末ウナギ食べたいな。


会社に復帰してすぐ、5月、会社のノートパコンの
OSがWin10に変わりました。
ほぼ同時に、自宅のPCも買い替えして、OSもWin10になりました。
Win10の日本語入力って、Win7に比べ、非常に打ち込みにくいと感じるのです。
仕様なのでしょうか? それとも気のせい?
そもそもタイピングが下手なのかもしれませんが、それ以上に、Win10は融通を効かせない、ミスタイプ判定がシビアに感じます。

非常にストレスを感じます。
「ミスタイプ、Win10」でググっても大して引っかからないのは、自分のような人は少数派なんですかね。
ブログ書くのもややおっくうになるほど。
ミスタイプすると、いちいち指摘してくるのもうざい。この指摘は設定でオフにできる。


図書館近くのタイ料理ランチバイキングに行って思い出したこともあって、以前、心臓の難病医療費補助の件で、熊本北区区役所に行ったときに見かけて、気になっていた料理屋に3か月遅れでランチするため訪問しました。
(大江のタイ、ラオス料理のシンカム)

(ランチバイキング 土日は¥1500)

(ランチバイキング 土日は¥1500)






ランチ自体は680円。で、いくつかオプションあり、その一つ「刺身追加」しても大して高くならない(680円プラス220円)のに、この刺身が意外にいける。

以外には、内陸の、スイカで有名な植木で?という意味。
結構お得な気分を味わえた。また利用しよう。刺身以外の恐らくベースになる、680円の部分の料理も大好きなヒジキが入っていたり、なかなか良かった。
お店の名前は「四季亭。」北区区役所の目の前。お店の入り口にいけすがあったりして、海鮮料理屋のイメージ。カウンターに座ったが、居心地もいい、
(植木の北区区役所前。)

(北区植木 四季亭)

(北区植木 四季亭)

( 四季亭 Cランチ¥972)

( 四季亭 Cランチ¥972ベースの680円部分?)

( 四季亭 Cランチ 追加の刺身)



そのお店の周囲に、他にも気になった料理屋があった。お店の外観は洋食屋っぽかったのだが、店先の黒板に鰻定食?とあるので、何でもあるのだろう。
北区区役所のある植木は3号線沿いにお店が集中していて、またこの道のこの区間が慢性的に渋滞している。駐車場にはいるのにも、出るのにも、やっかい。

自分が行きつけのラーメン店「えぼしや」もここにある。