2018年12月14日金曜日

今年はあと2週間。「終活年賀状」を考える。これを「絶縁状」ととるかどうか、その人次第。親しい人に最後の挨拶もなしに世を去るのも寂しい。

今年はあと2週間です。今朝は昨日ほど寒くなく。窓も凍っていませんでした。
恒例、気象庁サイトの週間天気予報をのぞいてみると。

寒いのは明日朝まで。周期的に雨になりそうで、ここしばらくはそれほど寒くはならなさそうです。
暖冬、良きかな~~。

明日は今日同様、天気がよさそうなので、洗濯物をかたずけたい。
明日は洗濯物をかたずけて、図書館に本を返して借りなおそうと思っています。
ドナウヨーロッパ史は最初の方のスキタイにまつわる記事だけ読んで、そのあとの方はほとんど読んでいません。機会があればまた今度。剣客商売の方は、感想を記録しつつ読んでいるので、実は最初の数日で半分読んでその後進んでいません。借りなおしたいと思います。

普段なら、この時期、年賀状の準備するんでしょうけど、ほぼ終活状態なので、もうおしまいのはがきにしようかと考えています。結構調べると、そういうのは多いようです。
まさに自分がこのような病気なったことを知っているかのような、世の拡がり?
「終活年賀状」でググると、けっこう出てきますよ。自分のような年代でも出す人はいらっしゃるようです。

ただ、終活年賀状をもらう側とすると、「絶縁状」のような感じがして、いい気分ではありません、と言う思いを持つかたもいらっしゃるようです。

自分の場合、今年1月に三途の川を半分以上渡った、と思っているので、ともすれば、もともと出す予定のなかった「出せなかった可能性が高かった」年賀状になります。
親しい人に知らないうちに年賀状すら来なくなった、と思われるよりは、自分の病気や跡がそれほど長くない事実を知ってもらったほうがいいような気がします。
40代後半は微妙な年齢です。

今年、会社の先輩が心不全で急死されたことも、心に重くかかっています。
自分の行く末を考えると、絶縁状と思われても、フェードアウトよりけじめがついて良いのではないか、と。
むしろ終活年賀状と言うより、近況報告と死亡予告挨拶のようななものです。どうでもいい相手には、最後の挨拶なんてしないでもいいのです。
なので、来年、年賀状を頂いた人には終活年賀状をお届けしようと考えています。
お気を悪くさせてしまったら、ごめんあそべ。


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