2007年8月11日土曜日

2007年ペルセウス座流星群

今年も祭りがやってきました。


今回は月の光の影響がないので条件がとてもいいです。(13日が新月)
おまけに関東付近(日本全国でも)は天気も良さそうなので、かなりの数の流星を目撃できるはずです。
自分はその日、札

幌にいく直前のはず(13日未明)なので群馬で見ることになると思います。


出現時期は12日~13日と言われますが今日の夜からでもすこしづつ増えているはずです。
極大が13日の未明ごろ(日本では)、と予測されていますが人によっては13日の午後7時ごろだったりし

ますし、予測はあくまで予測なので当てにせずここ数日くらいは夜空をボーっと眺めてみるのはいかがでしょうか。


流星群を見るときは、望遠鏡や双眼鏡は要りません。
できれば空が広く見渡せる場所だといいとおもいます。港や河川敷、グランドや大きな公園とか。
安全な場所に寝転んで夜空を見上げ、気長に

待っていると目が暗闇に慣れてきて夏の素晴らしい夜空があなたを待っています。
四季の中で、今の時期が天の川と呼ばれる銀河を最も明るく見られます。
いつしかその星たちがひとつこぼれふたつこ

ぼれ、してくるのがわかると思います。


季節が季節なので携帯用の防虫グッズは忘れずに。


アストロアーツの特集ページ↓
http://www.astroarts.co.jp/special/perseids2007/index-j.shtml


2007年8月8日水曜日

アイヌ

アイヌというと北海道ですが、正確ではありません。
東北地方にもアイヌがいました。
千島列島やサハリン(旧樺太)、その対岸の大陸側(現ロシア)も含むかなり広大な地域にアイヌは生活して

いました。


自分がアイヌについて深く興味を持ったのは一冊の本です。
「蝦夷地別件」(船戸与一)


その昔、蝦夷(えぞ)と呼ばれた北海道の、さらに東部(釧路から根室、網走にかけて。道東部)をメナシ(目梨)地方といいました。
江戸時代末期にこのメナシ、そして北方4島と呼ばれているうちで

最大の島クナシリを舞台に和人(日本人)の圧政に対するアイヌの最後の民族蜂起がありました。


このメナシ・クナシリの事件を前後を含めて丹念に描いた小説がこの「蝦夷地別件」です。
物語のはじめはアイヌの人々の生活が描かれ、日本人(和人)との軋轢を少しづつ明かしながらも自然と共に生

きていたアイヌの生活が細かく描かれています。
次第に日本人(和人)がいかに他民族に対し残虐であるか、当時の松前藩やメナシ地方の交易を請け負った商人飛騨屋の目を覆いたくなるほどの非道を通して描

かれていきます。
圧政からの開放を目指したアイヌの蜂起、鎮圧、そして征服民族(日本人)による非征服民(アイヌ)への虐殺という形でこの戦いは終結します。


この戦いの後、物語は目の前が真っ暗になり言葉を失うほどの衝撃的な展開で終わります。


世界いたるところで民族紛争が起きていますが、多くの日本人はあまり実感のないニュースとして受け止めていると思います。
日本は国内にいる少数の他民族を力で押さえつけて今があることを知らない

人がほとんどでしょう。


今の多くの日本人を構成している人々は(自分も含め)この国内では弾圧した側で、その加害者側が編修した歴史の知識の上にあぐらをかいている、と言うことを痛烈に感じさせられた小説でした。


北方領土問題で政府が「北方四島は日本固有の領土」と吹聴しています。
小説を読む前後でこの宣伝に対する心象が一変してしまいました。
アイヌの歴史を知れば、北方領土と呼ばれる地域が本来

はアイヌのものであること、日本人が非道な手段で彼らから侵略し奪った島であって、少なくとも「日本人がわが国固有の~」などと厚顔をさらすことが出来ないことがわかるはずです。


だから、北海道をアイヌに返せ、何てこと言うつもりは毛頭ありません。
ですが、日本とは何であるか、日本人とは?民族とは何であるか、をもっと真摯に考えるべきだろうと思うのです。


2007年8月5日日曜日

auの値下げ

先日KDDIが携帯電話auの基本料金値下げを発表しました。
その名も「誰でも割」

href="http://www.kddi.com/corporate/news_release/2007/0719/besshi.html">http://www.kddi.com/corporate/news_release/2007/0719/besshi.html

半額、といっていますが正確には、


MY割や「年割+家族割」といった基本料金割引プランを使っている人は、利用年数に関わらず全ての人がそのプランの最大割引率(50%)になる
ということです。


自分は今年1月にナンバーポータビリティを利用してドコモからauに乗り換えました。
ドコモではつながりにくかったり音声が良くなかったりした性能上の問題と、auの方が料金が安いというコスト上の

問題で乗換えを決めました。
実際に乗り換えて、性能上の問題は解決しました。
コスト上の問題はドコモではmovaで、auに乗り換えた際にドコモのFomaにあたるWINに契約したので正確ではありませ

んが、何故かmovaの時より月々の支払額は安くなりました。
ちなみにmovaの時は月々6000円を超えることはありませんでしたけど、WINになった今は5000円を超えることはないです。


1月にカカクコムで行ったシミュレーションでは
auだと月々の携帯利用額を3600~4300円、と見積もったのですが、現状ではちょうどのその上限前後で推移しています。
(ちなみにこのと

きドコモであれば4000~4800円という結果でした)
MNP契約とMNPを使わない単なる機種変更の差額、3780円の元を取るには料金価格差500円とすると8ヶ月かかります。
あと2ヶ

月以上このまま使い続けるならば、コスト上の問題も解決したことになり、NTT→auの決断は正しかった、と言えるでしょう。


ドコモにも(新)いちねん割引という基本料金が割引されるサービスがあります。
年々割引率が大きくなって11年目で最大25%割引になります。
自分の場合、最後には8年目で割引率22%で

した。
(現在は「ひとりでも割★」というのがあって11年目で50%割引になります)
ドコモユーザーだった当時、auにも似た制度があることは知っていました。
が、携帯の会社を変えること

はこの割引がなくなってまた一から始めなければならない、という誤解をしていました。
auの場合、マイ割(もしくは割)、というサービスがこれに相当します。
ドコモと違って1年目でいきなり3割

くらい割り引かれます。(36.5%)
携帯電話の基本料金はプランごとに分かれていて、プラン自体の(割引前の)基本料金はドコモもauも大きく変わりません。
初年度から割り引かれる率が決定的

に違うためauの方が安くなっています。
自分のケースでは、割引率でauに分があるため恩恵を受けています。しかし現時点でドコモで10年超使っていて「ひとりでも割★」で基本料金が半額になっている人

にとっては、差がないと思います。auだと無期限繰越になる点が有利でしょうか。


これら継続利用割引が、いきなり初年度から50%割引になる、冒頭で書いたauの「誰でも割」。
初年度は36.5%割引だったので13.5%割引率拡大です。


9月1日からサービス開始だそうです。
加えて自分のように「MY割」に加入している人は自動的に「誰でも割」に変わるそうなので申請の必要はありません。
明らかにMNPによる客の取り合い

をターゲットにしたサービスでしょう
ソフトバンクから端を発した利用料金値下げのレースは利用者にとって目先はうれしいことです。


ただ、(携帯)通信は電気とか道路とかと同じでいざという時の重要度が高い社会インフラでもあります。
企業が安さだけを追求して必要な投資を抑制するのであれば、自分(利用者)達で自分の首を絞

めている事と一緒じゃないかなぁ、と最近思うようになりました。


内容と結論が矛盾しているようですが、通信料値下げは歓迎だけど行き過ぎた低価格戦争は要警戒、ということを言いたいだけなのでご理解ください。






2007年8月4日土曜日

社パソ

今日、会社で使っているパソコンの引越しがありました。
会社のノートパソコンはリース品で2004年の8月から使っています。
セレロンMの1.2GHz、メモリは760MBでした。
OSは

WinXP
あと3年くらいは使えるスペックだと思うんですがね。


3年で引越しというのもやや短いスパンだと思うんですが、どうでしょう。
自分は基本的にデータなどノートPCに保存しない主義(あくまでノートPCは端末)なので、データ転送の影響が小さく引越しは

楽です。
データやら資料やら財産を貯めこんだ人は時間がかかって大変みたいです。


さて、新しいノートPCはペンティアムMの1.2GHz、メモリは1.2GB。
OSはWinXP/SP2で変わらずです。
マシン自体はやや小さめで軽くなってます。


今はアドミニ権限がないのでかなり使いにくいです。
これで来週お客さんとこに出張ってきます。




2007年8月3日金曜日

F-1とクィーンと天文学の関係式

今週末はF-1ハンガリーグランプリがあります。


さて、今年からフジテレビのF-1放送でテーマ曲となっているのがQUEENの「フラッシュ」。
自分はあまり好きではなく、前のスクェアの「Truth」が良かったなぁ、と今でも思っています。


QUEENはどっちかって言えば好きなほうですが、F1には合わないなぁ
選曲(「フラッシュ」)が良くないのかも。


今回はそんな話ではなく、QUEENの話。
QUEENのギタリストはもちろんブライアン・メイ氏ですが、今年で60歳。
なんと彼はバンド活動する前、ロンドンのインペリアルカレッジで天体

物理学を学んでいたんです。
しかも36年ぶりの今になって博士論文に取り組んでいるらしく、今年8月に博士論文を発表するとのこと。


その取り合わせがかなり意外でびっくりしました。


今年の7月にはカナリア諸島のラ・パルマ天文台で観測もやってたらしいので、同じ頃同じ研究所にいたはずの大学の後輩に聞いてみようかな、と思っています。




2007年8月2日木曜日

トルコの歴史(おぼえがき)中編

330年 ビザンティウムは東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルとなる。


(つづき)
アナトリアは東ローマ帝国の主要な領土として存在していた。
当時アナトリアに住んでいた人々は多くがギリシャ系民族で、政治の中心であるコンスタンティノープルを支配していたの

も古代ローマ帝国からつながるラテン人であったし、ギリシャ人だった。
7世紀には公用語がラテン語からギリシャ語になる。
360年ハギアソフィア=アヤソフィア創建。(イスタンブール・アヤソ

フィア)
この時代にはキリスト教の全教会規模の会議がアナトリア内で行われている。
(ニケーア(ニカイア、ニケア=トルコ・イズニク)やコンスタンチノープル、エフェソスなど)
11世紀

には中央アジアから来たトゥルク系遊牧民のイスラム国セルジューク朝がアナトリアへ侵入。
ほぼ全域を奪われ東ローマ帝国は衰退していく。


コンスタンティノープルは自分の関心が最も強いベネツィア共和国との関わりも深い。
そしていよいよ13世紀初、1204年にベネツィアの主導で第4時十字軍はコンスタンティノープルを陥落、ラテ

ン帝国を建国する。
ラテン帝国は長続きせず、1261年にニケーアに逃れた皇族が建てたニケーア帝国によってコンスタンティノープルが奪回され東ローマ帝国は復活する。


アナトリアの大部分はセルジューク朝から分離したルーム・セルジューク朝によってトルコ化、イスラム化が進んだ。
このあたりの歴史には「アルスラーン」やら「カイホスロー」とか、田中芳樹のアル

スラーン戦記の登場人物の名前が多出する。
13世紀に東方から風のように現れたモンゴル帝国の戦いに敗れ疲弊し、ルーム・セルジューク朝は滅び、アナトリアは小国が割拠する状態になる。


13世紀末にオスマンが起こしたオスマン朝がアナトリアのブルサを首都にし、次いで海(マルマラ海)を越えてヨーロッパ側(トラキア)のアドリアーノポリ(エディルネ)を征圧した後はここを首都にする。


後編はオスマン帝国~トルコ共和国です。
自分がこよなく関心を寄せるベネツィア共和国にとって、最大の宿敵であり最大の商売相手でもあったこのオスマン帝国は、ベネツィアを知る上でどうしても欠

かせない国でした。
トルコという国に関心があるのもこのためであると言っていいでしょう。