2019年1月17日木曜日

今朝は今シーズンで一番に近い寒さ、でした。インフルエンザ増えています。剣客商売全集 別巻 黒白の感想とか。(10)

今日は一転、寒い朝で窓が凍っていました。車の外気温計もマイナス2度からマイナス3度と、今シーズンで一番に近い寒さ。昼間も、散歩していて寒かったです。風や空気の冷たさが凍みる感じでした。天気は良かったですが昨日と比べると、そこそこ雲が多くありました。
明日は一日晴天らしいので、洗濯物を干して出勤しよう。日曜が雨らしいです。

今日、鹿児島の口永良部島の火山が比較的規模の大きな噴火をしました。
インフルエンザが結構流行っているようです。東京で注意を超えて、警戒レベルに急増しているだとか。寒さが厳しくなっている折、気を付けましょう。


2018年12月になってすぐに借りた剣客商売全集の別巻の事を載せるのも、延び延びになっていました。ついに年を越してしまいました。
といっても、もうすでに過半。佳境にさしかかっています。お話の方もくしくも、? 宝暦2年(1752年)の年末です。
今回は2章行ってしまいます。週末までに終わらせるとするとギリギリになりそうなので(苦笑)

例によって、礼の如く、感想と言うより筋を追いつつ、コメントをさしはさむ形式です。なので、完全にネタバレです。ご注意ください。


ー旋風ー


いよいよ、森平七郎襲撃の日、八郎も、伊之吉と共に、森を襲撃する岡本弥助を見守るべく、弥助の近くにひそみます。
弥助と、他の剣客二人の3人は、森平七郎の屋敷に忍び込みます。早川太平が障子越しに伸びてきた手槍の太ももを突き刺します。相手は弥助の襲撃に気が付いていたのでした。
弥助たちと、森平七郎とその配下が屋敷内で芋をあるような争闘が始まります。弥助は森と撃ち合い、力量の差があって圧倒され、森の刀がおおきく振り上げられて弥、倒れこんだ弥助の頭の上に迫ったとき、いつのまにか森の背後に回った八郎が後ろから森平七郎に組み付き、投げ飛ばし、八郎は短刀を構えて、森平七郎にのしかかってそのまま森の胸に押し当てて刺し殺します。
弥助と八郎たちはその場から逃げ出します。しかし、八郎の太ももからの出血がひどく、こときれそうになったとき、小兵衛にでくわします。小兵衛が誰何したとき、早川太平をはこんでいた古沢伝蔵がたまりかねて、小兵衛に切りかかって、その一瞬に古沢の左足は切断されていました。その場にいた誰にも何が起こったのかわからないくらいの早業を、八郎も目撃します。小兵衛は立ち去る他の二人の武士と町人風の男をみて武士のほうの風体に見覚えがあると感じます。
小兵衛が四谷仲町の道場に戻って市蔵に会うと、小兵衛は先ほどの武士が八郎ではないかと感じられていたために不自然な態度が出てしまったのでしょう、市蔵もそのことを鋭く感じ取って、もしや小兵衛が八郎に会った、もしくは見かけたのではないか、といぶかしみます。小兵衛はでくわした3人連れや左足を斬った男のことが気になって事件が起きた場所に行ってみると、森と言う学者が襲われて斬られたという。


ー除夜ー


翌日、市蔵はお信に会えるのかどうか気になって伊勢虎に行ってみます。小兵衛江は出かけて行った市蔵のそぶりが気になります。
市蔵は伊勢虎でお信に会えますが、まさかの八郎もそこに居て、会うことができます。八郎は市蔵を引き取ると言ってくれます。そして今すぐに、と言います。市蔵も小兵衛に世話になっているので、無断で八郎に引き取られることに罪悪感を感じます。八郎はあとで手紙で知らせればよいと言います。市蔵を付けて伊勢虎を見張っていた、小兵衛は、伊勢虎を出てくる市蔵と大柄の女を見かけます。そしてその後にでてきた八郎を見かけ後を付けます。
結局、市蔵は秋山家に戻ってきませんでした。そこで小兵衛は伝馬町のなじみの御用聞きの助五郎にこの件を全て話し、波切八郎の身辺を探ってもらうように頼み込みます。しかし、森平七郎殺害事件は、お上から手をかけてはならない、討ち捨てておくようにというお達しがあり、闇に葬られることになっていました。小兵衛は八郎の身を案じ、できることなら手を貸してやりたいとお持っていました。さらに市蔵のことを案じて、助五郎の助けを必要としていました。
小兵衛のこの思いは、かつて立ち会った際に感じた八郎の件の相当な腕も貴重なものだと思う故ですが、立ち会っただけで通じ合うものがあり、八郎の人柄がわかったような気がしていた事から発しています。そうとうな領域に達した剣の達人でなければ、そういった思いというか、感覚の共有は出来ないのでしょう。(ほとんど、とあるロボットアニメの「ニュータイプ」のような感じですが)
助五郎は、後の弥七親分の父親です。この事件の3年前、辻道場でおきた盗難事件がきっかけで小兵衛と助五郎の交誼が始まり、助五郎も、小兵衛の人柄に親しみを感じており、小兵衛に御用聞きの闇の部分(時には泥水を飲むようなこともある)を踏まえて息子の弥七に御用聞きを仕込みたいと言います。その息子の弥七に剣術を教えてやって欲しいと小兵衛に頼んだことがある助五郎はお互いの信頼は厚いものがあります。
丁度このくだりに、助五郎の考え方として紹介されているのが、
”秋山小兵衛から聞かされた波切八郎一件の話は助五郎の興味をひいた。そうした、一つ一つの埋もれた事件を探ることにより少しでも人々が幸せを得ることができるならそれに越したことはないわけだしそうした小さな積み重ねによって、世の中がうまくととのってゆくのだ。”それが助五郎の信念でもあった。助五郎の信念とありますが、この「少しでも人々が幸せを得ることができる、小さな積み重ねによって世の中がととのっていく」は池波作品を通して通じる、池波さんの信念のように思えます。
「少しでも人々が幸せを得ることができる、小さな積み重ねによって世の中がととのっていく」
伊之吉は、森平七郎の件で八郎にお金を渡すために、笠屋を訪れて八郎に五十両を渡す。後金の五十両は十日ほど待って欲しい、というが八郎は無用という。お金が目的で弥助を救い、手伝ったのではないという。伊之吉が岡本にこの報告したとき、古沢も亡くなったことを知る。伊之吉が次に笠屋を見張っていると、八郎の姿が消え引き払ったことを知る。ただ、助五郎は八郎の行方を突き止めていた。八郎は大久保の竹やぶに囲まれた小さい家に潜んでいた。そこにはお信と市蔵もいた。
市蔵は手紙を書いて、小兵衛に伝えていた。堀大和守の屋敷でまた大和守と岡本弥助の密談が始まっていた。大和守は又何か企み事を画策しているようです。
堀大和守の意図、というか狙い、野望は八代将軍吉宗亡きあと、吉宗の隠密である自分の居場所がなくなりつつある現状に危機感を感じ、何事かの事件を起こして、再び天下に自分の名や、位置を誇示したい、と考えていました。
ある日、(宝暦2年(1752年)の大晦日に八郎は市蔵とお信を呼んで、半年ほど江戸を留守にして、丹波田能の師匠、石黒素仙の許で修行のし直しをしたいと言い出します。
もともと、この計画は、八郎が水野新吾を斬って、道場を出て以降から考えていたことです。大変遠回りして、結局、はじめの位置に戻ってきたわけですが。
しかし、八郎には、お信と市蔵に言えなかったある隠し事があるようです。これは、このとき、文字になっていませんでしたが、後に明らかになりますが、修行のし直しの後で、小兵衛との真剣での試合を臨んでいました。これも、水野新吾の件が起きたときも、そのつもりで、師匠のもとで再修業するつもりでした。



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