今日も最高にいいお天気の熊本です。
会社は今日からでした。
振り返ると、
あっという間のGW。
GWの最中でしたが、夜中の3時ごろ携帯の着信音が鳴りました。
なんと、豚インフルエンザ(Swine flu)の影響で会社の緊急連絡。
音声は機械的な合成ボイスで「ご注意ください」と。
え?それだけかよ。
会社の緊急通報は地震のよう
な大規模災害があった場合に、社員の安否を確認するためのシステムになっています。
連絡があれば、電話でもPCでもいいので安否状態を登録する必要があるのです。
今回は安否確認ではなく
注意喚起だけでした。
そんなん初めてです。
つか、夜中の3時に自動で電話するな。
そんなGW中に車で宮崎・日南(飫肥)に行ってきました。
飫肥は戦国
時代、日向国の国主伊東氏と、飫肥の地頭島津氏(分家)に加えて関係の深い薩摩・島津氏(本家)の連合がその地を巡って長い間争われた場所です。
争われるだけの理由があったのでしょう。
飫肥(
おび)、という文字に表されるように肥沃な、豊かな土地だったのではないでしょうか。
甲斐国(今の山梨県)にも飫富(おぶ)、という地名や人名があります。
本来、「オブ」とか「オビ」といった
音には豊かなイメージがあるのかもしれません。
飫も肥も富も豊かなことを示す文字です。
飫肥地方は島津分家の支配から一旦伊東氏へ移り、再び島津氏(本家)を経て九州征伐豊臣秀吉によっ
て伊東家に与えられます。
その後幕末まで伊東家の支配が続きます。
現在は飫肥城跡や城下町だった頃の古い町並みが残っていて、観光地になっています。
飫肥城跡には天守閣や櫓はあ
りませんが復元された大手門があるほか、本丸跡の飫肥杉林はとても静かなたたずまいで癒される感じのする場所です。
城の敷地内には資料館があります。
伊東家について調べものがあったので
寄ったんですが、期待したものがなかったのでちょっと残念。
でも面白い記述がありました。
飫肥城はおろか日向の国すら島津氏に奪われ、豊臣秀吉にすがって飫肥城一城を取り戻した伊東氏。
その当主は祐兵(すけたけ)
その後朝鮮出兵で肥前名護屋に参陣したとき、秀吉が祐兵のお弁当を勝手に食べてしまいます。
飫肥天とか厚焼きとかあるくらいですから祐兵のお弁当は驚きととも
にさぞうまかったにちがいありません。
祐兵が気がついたとき、秀吉が言葉をかけます(お弁当の感想とか、勝手に食べてすまんかった、くらいの言葉でしょう)が祐兵は簡単な返事をするだけでした。(「は
ぁ」、とかそんな)
その時の家臣の手記が残っていて、この家臣は主君の態度が不満だったらしく、
「(をい、それだけかよっ)殿がもう少し気の効いた言葉を返せばよかった(領地を増やしてもらっ
たりするかもしれない)のに」
という、漫才の突っ込みのような感想をのこしているそうです。
祐兵という人は、一旦滅んだ伊東家を再興した名の残る武将のわりに、家臣からなめられてたんですかね
え。
それともこの家臣が軽薄なのか。
飫肥城跡の大手門に向かう道を進み、大手門のすぐ手前を左折すると広い無料駐車場があります。
その一角に飫肥天が食べられるお店があります。
��おび天 蔵)
そこで飫肥天定食(松)をたべましたが、揚げたての飫肥天はめちゃくちゃ美味かったです。(写真左上)
飫肥天はさつま揚げに似ていますがすこし黒砂糖が入っていて甘いんですね。
写真右下のかに巻汁、その横の「むかでのり」もなかなか。
どちらも宮崎の郷土料理です。
それから、厚焼き、を買いました。
卵の厚焼き、です。
でも食べるとプリンと茶碗蒸しを足して2
で割って甘くした感じです。
バニラエッセンスの入っていないプリンかな?
デザートのような、そうでないような。
たしかなことは、随分大昔からあるわりには卵焼きには程遠く、むしろプリン
に近いのは不思議です。
数年前に鹿児島で角煮(黒砂糖)を食べた衝撃に似ています。
あれもチョコレートかと思うくらい甘かったもんなあ。
2時ごろでしたが、自分が買ったのが最後の一個でした。
あとからお店に入って来た子供連れの若い夫婦のお客さん、すいません。
結構早いうちに売り切れになるようです。ご購入の際はご
注意を。
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