2013年10月29日火曜日

フィリピンダイビング/2013年6月 その1

6月にフィリピン・セブへダイビングに行きました。



(東南、もしくはトロピカル)アジアが大好きな自分ですが、実はフィリピンは今回が初めて。
実は子供のころから、五日以降・・・いつか行こうとは思っていたんです。
ずいぶん昔、自分の戸籍謄本を見た時に母方の祖父の籍のところに、『フィリピン・マニラから(大分に)転籍』、という記載がありました。
もちろん、祖父本人の名前は「寺山徳熊」さんちゆう、れっきとした日本人なんじゃがね。
まぁ、戦前にも海外に飛び出す日本人はいっぱいおったんでしょうね。
(父方の祖父母(二人とも日本人)も中国大陸の満州・撫順市で出会って結婚し、父は撫順で生まれ育っています。)



九州からフィリピンへは、福岡空港から首都マニラまで結ぶフィリピン航空の路線があります。
フィリピン航空に乗ったのは今回初めてでした。サービスはJAL/ANA並か。
マニラ空港には2時間半くらいで到着。
自分はセブに向けて国内線乗り換えをします。
マニラ空港はたいして大きくない空港ですがターミナルが3つあります。
ターミナルそれぞれの建物立地は離れているようです。(おそらく)
ターミナル間は連絡用のシャトルバスがあるようです。(見かけました)
自分の使った航空会社は、(国際線)福岡→マニラ、(国内線)マニラ→セブの両路線ともフィリピン航空でしたので、この間の乗り換えは敷地を出ることなく可能です。
ただ、国際線→国内線の乗り換えの為、隣の建物(分かれてはいないのだけど、いったん外に出る必要がある)に移動する必要がありました。
「隣接した建物への移動」だけなのに、なんと迷子になってしまい30分くらいうろうろしてました(汗
旅行会社がアレンジした乗り換えまでの時間は1時間半程度だったので、超焦りました(焦
まぁ、おかげさまで帰国の際の乗り換えは完ぺき。(え?



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(2013.5.30 フィリピン航空 福岡→マニラ線の夕食 byNEX5N E16F2.8 F4.0 ISO400 1/60)



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(2013.5.30 マニラ byNEX5N E16F2.8 F4.0 ISO100 1/80)



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(2013.5.30 マニラ空港の夕景 byNEX5N E16F2.8 F4.0 ISO800 1/60)
この時、迷子になっており。でも夕焼けの色が印象的でカメラに収めないと、と言う気持ちが勝りました。(能天気です)



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(2013.5.30 マニラ空港国内線 byNEX5N E16F2.8 F4.0 ISO800 1/60)



マニラからセブまでは1時間半くらい。
セブに到着したのは夜9時ごろで夜。外は暗くなってました。(福岡を夕方3時半頃出発。)
空港に現地ダイビングサービスの方が迎えに来てくれており、車で10分くらい走ってホテルに到着。(近っ!
ホテルで翌朝のダイビングに関する打ち合わせやら書類のチェックを行い、サービスの人と別れました。
この日は疲れたのでそのまま就寝。



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(2013.6.1 ホテル・セサリオ byNEX5N E16F2.8 F2.8 ISO100 1/400)



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(2013.6.1 ホテル・セサリオの隣のベラビスタホテル byNEX5N E16F2.8 F2.8 ISO100 1/400)



ホテルセサリオはこっちのベラビスタホテルのアネックス的(廉価版)なポジションのようです。とはいっても、どちらもどっこいどっこいジャマイカ?



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(2013.6.1 ホテル・セサリオ byNEX5N E16F2.8 F2.8 ISO100 1/640)



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(2013.6.1 ホテル・セサリオ付近のヤギ byNEX5N E16F2.8 F2.8 ISO100 1/500)



ホテルのすぐ近所でヤギを発見!野良ではないらしい(w



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(2013.6.1 ホテル・セサリオ付近の犬 byNEX5N E16F2.8 F2.8 ISO100 1/500)



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(2013.6.2 ホテル・セサリオ byNEX5N E16F2.8 F4.0 ISO3200 1/60)



周りにはなーんもありません。街灯が明るいので真っ暗ではありません。



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(2013.5.30 ホテル・セサリオの部屋 byNEX5N E16F2.8 F3.2 ISO3200 1/50)



入り口側から撮った写真。奥のドアは洗面所・トイレ・シャワーへの扉。その右のカーテンの向こうは窓ですが、すぐ前に建物(ベラビスタ?)があるので昼間でも暗いです。
液晶テレビがおいてありますが、日本語放送は一つもありませんでした。
こざっぱりしてます。



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(2013.5.30 ホテル・セサリオ byNEX5N E16F2.8 F3.2 ISO3200 1/30)



奥から入り口側を撮った写真。右奥がクローゼット、左が入り口ドアになります。



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(2013.5.30 ホテル・セサリオ byNEX5N E16F2.8 F3.2 ISO1250 1/60)
こちら洗面所。左下はトイレ(水洗)。わかりづらいですが画面中央にコンセントがあります。日本と同じ形状です。フィリピンの電圧は110V/220Vです。まあ最近のものはたいてい変圧器なしでいけます。



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(2013.5.30 ホテル・セサリオ byNEX5N E16F2.8 F3.2 ISO800 1/60)



トイレの向こうにシャワー。ちゃんとお湯出ます(w
比較的、こぎれいな感じでした。





翌朝準備をしてロビーでダイビングサービスの迎えを待ち、乗り合わせてショップへ移動。



セブ島は南北に細長い島で、その島の中央にセブ市があります。
島の大きさは京都府や山梨県と同じくらい。(細長いので京都府のほうがイメージしやすいかも)
セブ市付近はマゼランだかなんだかという、彼の率いた船が初めて世界一周した、ということで有名なお調子者の毛唐のおっさんがフィリピンで滞在した場所。(いわゆるヨーロッパ主観の世界史にフィリピンが初めて登場し、毛唐のおっさん(マゼラン)は世界一周できず、お調子者の良くない癖が出てこの地で戦死。その後セブ市はフィリピンで最初・最古の植民地になった。)



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(↑ 地球が丸いことを実証する寸前に調子こいて異郷で亡くなられた、お茶目で偉大なマゼランさま)



フィリピン国内では5番目に大きな町。
そのセブ市の海岸から数百メートル離れた沖合にマクタン島という小さな島があります。(先述の毛唐のお調子者が戦死した島)
小さな、といっても島の中央にはセブ空港があります。
海を隔ててセブ市に向かい合っているマクタン島の地域がラプラプ市の市街地。
自分が泊まったホテルもラプラプ市の市街地にありました。



今回自分が利用したダイビングショップ・ブルーコーラルさんは、マクタン島内ではセブ市側にある自分が滞在したホテルとは反対側の海岸沿いにあります。
こちら側は市街地域とは違い、高級そうなリゾートホテルが軒を並べています。
あ、もちろん自分が泊まったホテルは一泊3000円くらいのビジネスホテルです(w
まぁ3000円と言う価格はフィリピンでそれほど安くない、とは思っていたんですが。。。



フィリピン・セブのダイビングスタイルはお殿様ダイビングです。
バリに似た印象です。
基本、ダイビングする人は何もしなくても、ショップの人がセッティングなどをやってくれます。
自分はある程度自分の事は自分でやりたい方なので、こういうスタイルは苦手です。
ダイビングポイントは遠くに行こうと思えば、前もって予約しておいた方が良いようです。
近場のポイントは、ショップ前から船に乗ってマクタン近海のポイント(ざっくり分ければ3か所)をめぐることになります。
今回ガイドをしてくれたYUIちゃんは、ガイドになる前にオーストラリア北部の木曜島の近くの孤島で一人暮らしして自給自足の生活をしていた、と言うつわもの。
そこで真珠の養殖管理をしていたそうです。スゲーな。
木曜島、といえば司馬遼太郎の「木曜島の夜会」で有名、と思ったんですがYUIちゃんに言わせると「木曜島が通じる人はなかなかいない」とのこと。
ん~、そなの?。



「木曜島の夜会」は司馬遼太郎の短編~中編小説。明治期から始まる日本人潜水士の記録のようなお話です。
明治期以降から戦前にかけ、主に和歌山県の熊野あたりの人がオーストラリア木曜島付近で(潜水して取れる)白蝶貝採集の出稼ぎに行っており、この人々の生き様が、筆者(司馬氏)の友人を通して聞いた親類縁者の話と言う形でドキュメンタリーっぽく描かれています。
いわば日本人ダイバー(レクリエーションダイバーではなく、プロフェッショナルダイバー)の先人たちの話です。
明治という、日本が世界に開かれてすぐのころの日本人を描くことで、日本人のアイデンティティを描こうとしています。
この話が書かれたのが昭和50年代なので、話自体もその頃(か、ちょい前)から過去を振り返っているようです。
後半、筆者(司馬氏)が実際に木曜島を訪れ現地に残っていた(その昔白蝶貝を取っていたという)日本人(もちろん相当な老人)に会います。
また日本から来た(筆者ら)客をもてなすための、現地の人々による宴というかパーティー(夜会)があります。
その夜会の最後の場面での、老婦人(上記日本人老人の奥さん)の言葉が、ぐっときます。





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