中坊公平氏が弁護士を廃業された。
住宅金融債権管理機構(現整理回収機構=RCC)社長時代の債権回収に関して東京地検から事情聴取を受けたことがきっかけらしい。
ご本人は直接関わってないようだが、当時の社長としての監督責任について自裁されたのだろう。
私は中坊氏に対し一種の畏敬の念を持っていた。
上記の住専に関する債権回収の活躍、香川県豊島の産廃問題での活躍を見聞きしているが、どれも生半可な事ではない。
世の中には、普通の出来事に対し普通に応じて効果がある場合と、異常な出来事に普通に応じて失敗する場合がとても多い。
異常な出来事に普通に応じて効果があること、というのは極ごく稀である。
中坊氏が関わる件はどれも普通なことではない。
異常な出来事に対して異常な応じ方をする。そして結果を引き出す。
それが最も効果的であることを知りながら頭では理解できても社会的には批判を受けやすい。
だから今回の件に関して、表題にある感想を抱いた。
私は学生の頃に、住専に関して興味を持ち個人的に関わったことがある。
住専の問題はとても根が深く、尋常ではない。
その処理をするということは、答えの出ない問題を解くようなものだ。
国が7000億円近い税金を使って一時凌ぎをし、金融危機を回避しようとした。(そのことに対する反発が私に興味を抱かせた直接的なきっかけだった。)
しかし住専そのものは、既にどう転がっても普通に再建なんて出来っこないところまで追い込まれていた。
いかに上手く整理して幕引きをするか。
何よりもそんな神がかりのような事が出来るのか、といった心配の声の中で「住管」(住宅金融債権管理機構)が設立されたのだった。
今回の件はまさにその住専整理の渦中で起きた。
結論として、私は中坊氏と直接関わったその部下に同情したい。
決して個人的な利益を求めたわけではない。
傍目からはやりすぎのように見えるかもしれない。でも・・・
今では風化されつつあるバブルの後遺症、住専問題を知る人間の一人として「やり過ぎた」という言葉では言い尽くせない背景を汲み取りたい。
そして、中坊氏の引退を心の底から惜しみたい。
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