2005年7月31日日曜日

キプロス、そしてグリーンライン。その3

分断国家、という悲劇はソ連崩壊前後以降少なくなった。
かつてはドイツやベトナムとか。今でも朝鮮半島とか中国もそうである。

1974年の事件以前、大部分の住民は民族問題など関係なくお互い仲良くやっていた。
それが冒頭に書いた草の根運動につながっているのだと思う。

所詮対立をあおるのはいつでもどこでも一部の人なんだ、

と思うと同時に、早くキプロスに鉄条網や壁のなくなる日が来ることを祈りたい。



キプロスをサイプロス、と呼ぶのはかつて統治者(今でも一部統治地域があったりする)イギリスの影響。今は現地語読み(といってもこの場合ギリシャ語だとおもうけど)をするようになりつつある。
現地語読みでキプロス、首都もニコシアではなくレフコシア。
首都レフコシアの街中にかぎらず島を北と南に分断する壁や鉄条網を「グリーンライン」と呼ぶ。


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