先日、宇土に行ってきました。
目指したのは「宇土古城」
宇土には、小西行長由来の宇土城と、それ以前にあった宇土城があります。
後者が「宇土古城」と呼ばれています。
(2017.3.5 宇土古城 遠景 by α6000 SEL24F18Z 24mm F 11 ISO100 1/125)
この宇土古城を築城したのは紀姓宇土氏で築城年代は平安時代らしいです。
城跡にあった案内板によれば永承3年(西暦1048年)に造られたとありますから、随分と古いです。また、そんな時代に城郭が必要だったのでしょうか。
1048年というと当時のミカドは後冷泉。1051年には東北で前九年の役が起こりますが、それ以外で大きなイベントは見当たりません。
もう100年ほど時代が下れば、鎮西為朝伝説に見られるような地方武士団の勃興に伴う小競り合いが始まりますが、宇土古城が築城された時代は特に目立った事跡は見当たりません。
恐らく当時は城というよりも、何か権威を示す館としての役割を持っていたか、ちょうど荘園が発達していた時代なので、荘園主の財力の豊かさの証なのかもしれません。
しかしその後、紀姓宇土氏は衰退。代わって、肥後守護の菊池氏から宇土を名乗る者が現れます。
この菊池宇土氏で有名なのが、戦国時代初期に現れた宇土為光です。
彼は菊池家19代当主菊池持朝の子(4男?)です。
父親の持朝は菊池宗家の勢力拡大のため、息子を有力家臣の宇土氏に送り込みますが、これが後に菊池本家を揺るがす大乱の種となります。
(つづく)
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