今月のTOP画像は谷尾崎の梅です。
谷尾崎、百梅園、これらは熊本市の西部にあります。
自分は県外出身者なので知りませんでしたが、熊本(肥後)の歴史はてっきり東部や北部、つまりは菊池付近や山鹿付近が古く、そこから西や南に広がっていったのだと勘違いしていました。
そういう考え方でいくと、島崎とか川尻とかは新興開拓地のような印象だったわけです。
しかし、意外なことにこの島崎付近も歴史が古いことがわかりました。
谷尾崎から南、独鈷山よりは北のあたりには大きな池があったそうです。
今でも地名に「池上」などと残っています。
この池は、実は人工の池であり、古代、筑後守兼肥後守となった道君首名が作った「味生池」がそれであるようです。
この、道君首名。
みちのきみのおびとな、と読みます。
西暦713年、和銅6年に初代肥後国司となり、味生池など灌漑事業を興し多くの人々の暮らしを豊かにするように尽力したことが記録に残っています。
なんと、まだ平安の世が来る前から熊本市西部が開発の最前線だったとは。
道君首名の灌漑事業は、やがて肥後を九州で唯一の「大国」にしたと言って良いでしょう。
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