上海の病院から日本の病院へ
日本の病院ではまずは神経内科病棟にいました。途中から循環器病棟へ病室移動。
今は退院していますが、同じ病院で、結局3箇所の病室を経験しました。神経内科と循環器科。
今思えば、入院中はずいぶん楽な生活をしていたと思います。
以前、といってもずいぶん前ですが、20年前、腰椎の圧迫粉砕骨折で8ヶ月入院した経験がりますが、あの頃に比べると、病院の環境はずいぶん快適に変化したように思います。
病院食は、中国と比べるとまだ改善の余地はると思いますが、これは文化の違いがあるからむずかしいでしょうけど。
それでも、昔に比べると、ずいぶんよくなっていると思います。
個室とか、多人数部屋でも快適さは違うでしょうけど、私は今回の入院では中国では個室でした、しかもシャワー付き。
日本では4人部屋とか多人数部屋でした。20年前は6人部屋でしたね。
さて入院中の生活を振り返ると、
6時頃起床。
午前中、8時に朝御飯を食べた後、1時間病院内を歩き回って、心臓向け自主リハビリ、その後
毎日、午前10時から、脳梗塞のリハビリ。リハビリといっても、初期は注意力とか集中力の検査がメインでした。中国では、左側の視野が欠けている、と言われてましたが、自覚していませんでした。
脳梗塞になって改めて「人間の脳」というものがものすごい器官であることを、痛烈に知ることになるのですが。
視野欠損は日本で調べた時にはそれほどではないとなりました、中国の入院や入院直後の治療である程度回復したのかもしれません。
人間は目で見て認識する、視覚による認識力とは別の、空間認識力と言うものが、あるそうです。
まるで、アニメのニュータイプとか、スターウォーズのフォースのような?こういったものが衰えていないか、注意力とか、短期的な記憶力が衰えていないか、さまざまなテストを行い検査して、劣化していれば、リハビリして、機能を回復させる、という方針だったようです。このテストがすごく嫌でした。
すごくしんどかったです。脳梗塞になる前のできがわからないだけに、検査の結果に満足や充足感がなく常にもやもや感がりました。不安感が大きかったです。
どんなものがあったかというと、
こんなものとか、
こちらはSDMT テストとよばれるもの。
同じ形記号のしたに符合する数字を入れていくもの。制限時間内にどのくらいできるかが問題。
こちらはtmtテストとよばれるもの下の絵は数字だけと数字アルファベットになっていますが、自分はすうじだけのものと、数字とひらがなの組み合わせのテストをしました。これもどのくらいの時間でできるかが問題。
SDMTは半分もできていなかったと思います。
メモリーアップデートテストもかなり出来が悪かったように思います。
これが果てしない不安感につながり、、、、、、、しんどかったです。
これらのテストは自動車の運転の許可不許可(運転適性検査)にかかわります。
結果から言えば、運転の許可は頂いたんですが。。。。。
脳梗塞の検査は1時間ほど、これが終わると12時から昼ご飯。
食事が終わると午後1時から午後の心臓リハビリ。
いずれ書きますがCPXの検査を行い、これで心臓にかけられる限界の負担運動量を事前に調査しています。
その限界を超えないように、リハビリします。
自分は拡張型心筋症なので何もせずに心筋を使い続けるといずれ止まってしまうので、薬(βブロッカー)で心筋の動きを抑えつつ、限界の運動量をすることで心臓の動きが弱くても活動できる身体作りが必要。これが心臓リハビリ。
歩いたり、エアロバイクである程度(坂道の勾配を変えるような感じで)負荷をかけながら自転車漕ぎをします。1時間ほど。
これが終わると3時くらいなので、気分転換で1~2時間散歩。歩くスピードに注意しながら、
退院間際は1日6000歩歩くことが目標になってました。
散歩が終わると、お風呂が空いていれば30分入浴(シャワー)。その後、程なく6時から夕ご飯。
食事が終わると、コインランドリーで洗濯。
10時には消灯。
自分は自宅でもテレビが無い(正確には映らんテレビはある。衛星放送用のチューナーがない。)生活だったので、病院でも見ていませんでした。国内の病院では1日300円という契約が必要だったような。。。
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