退院後、食生活に気をつけながら2週間ほど自宅にいました。とはいっても、お見舞いに来てくださったかたへのお返しや、世話をかけたかんとうのいもうとへのお返しの手配でリハビリをかねてくるまであっちこっち行ってました。1日6000歩の運動量を確保するために近所の公園で散歩もしてました。
また、生命保への申請での電話やショートメールを使った交渉があったりしました。
自分が加入している保険会社は海外の代理店とかが恐らく無くて、上海で入院したことは中国から連絡していたのですが、ちょk右折ケアすることは出来なくて、診断書などの書類は
郵送で送る、と行ってましたが、正直、自分の手元に届くことは懐疑的でした。案の定届きませんでした。
心配だったので、病院に診断書を書いてもらうに当たって必要な項目をショートメールで質問して、病院の先生に書いていただいたのです。これを帰国して退院した後に、保険請求時に添付したら、正式の診断書ではないから受け付けられない、と言ってきました。再度その保険会社所定の診断書書式で上海の病院で診断書を書いてもらえ、という、むちゃくちゃな要求。さすがに同じ客商売している身として、よくこんなことを平気で言って来るな、保険会社の相手している人が元気な人ばかりがあいてならそれもいいでしょう、なんかおかしい。しかも、保険会社から言われた必要な項目は私が添付した書類には書いてあるのです。
このやり取りは、著しく私を疲れさせました。
海外に出かける機会が多い人は、国外に代理店が無い保険会社はぜひとも止めたほうがいいです。
書類の書式にこだわって、仕事が出来ない会社なんか保険会社辞めてしまえ。と思います。
自分の頭が半分しか生き残っていない不安とか、こういった思うように行かない場面があったりして、いらいらしたりしましたが、このことを正直に医療関係の知人にぶっちゃけて相談して、いらいらは一番よくない、と、今の自分を自分が受け止めてあげないといけないよ、と励まされて、少し心が楽になったと言うか。
そんなコンなしているうちに、職場復帰の日を迎えました。会社までの道はとてもドキドキして、会社の敷居が高く感じました。まるで新入社員の気持ちです。
焦ってかなり早めに出社。通常の出社時間より1時間半早く出社。
職場復帰の初日に産業医の先生と面談して、当面のしごとの進め方をもちろん、いろいろ制限がありますが、焦らずに少しづつ慣れて行ってください、と言われました。
sまた、会社の同僚にあえて笑顔で迎えてくれたのがうれしかったです。
初日はあっという間に過ぎました。あれだけ膨らんでいた不安は帰宅のときはずいぶん小さくなっていました。
案ずるより生むが安しですね。
入院している時読んだ「風は山河より(宮城谷昌光)」の一節にこういう言葉があります。
「月に盈ち欠けはあるが、やはり月はあれだと指さねばならぬ」確か文庫本三巻の140p。
主人公新八郎は拾った四郎にこういわれて心骨が震えるほどの驚きを感じます。
私も、この言葉に深く感じるものがありました。
この後に少し説明が入るのですが、「この世に、見つめる者の両眼を灼くような日(太陽)を指せる者はほとんどいない。人は月や星を指すしかない。いや、実際に月や星を指す者も寡ないであろう。
これは守山崩れ(松平清康が短期間の三河統一後に起こした尾張侵攻途上で、突如家臣の乱心で命を落とす事件。)があったあとの場面です。松平清康に家運の拡大の望みをかけていた主人公が清康という太陽を突然失い、例えようも無い喪失感と挫折感を迎えていた矢先の場面。
そのとき、四郎の「やはり月はあれだと差さねばならぬ。」という言葉にはっとするわけです。
自分も恐らくそうなんです。
自分も「月にみちかけがあろうとも、やはり月はあれだ、と指さねばならぬ。これからははそういう人生で無いといけない」と思ったんです。
0 件のコメント :
コメントを投稿