2018年7月19日木曜日

剣客商売全集(5)感想 その3

今日、関東から戻ってきました。
道中記はいずれ。
京都も関東も暑かったです。熊本は戻ってきた時間帯が夕方でそれほど暑くはありませんでしたが、日中はひどく暑くて、恐らく藤崎台であった高校野球の県予選で応援していた人たちの多くが熱中症で病院に搬送されたようです。

さて、剣客商売全集5巻の「春の嵐」感想のつづきです。 その3
先週借りた6巻は関東行に持っていき、読み上げてしまいました。
こちらもいずれ、ネタバレ感想書きます。

今更ですがネタバレです。

(話はまだ途中までしか読んでいませんが)、歴史的な事実として、一ツ橋家の当主治済は意次と組んで長男を将軍に据え(11代家斉)、その後将軍の父親として権勢を振るい、
後に家康のような大御所としての扱いを受けるように運動しますが、定信のミスによってその機会を失い、定信失脚の原因になります。
治斉もともと意次と親しく、一ツ橋家の家老には意次の弟がつくなど、田沼家とのつながりも強かったのですが、
なにがきっかけかわかりませんが松平定信ら反田沼派の黒幕として運動します。治済が息子を将軍につけた後、厄介払いしたのかもしれません。
このとき、御三家の意向が働いたという話もあります。
意次の罷免は息子家斉が15歳で将軍について以降です。
天明6年(1786年)、将軍・徳川家治が亡くなり長男の豊千代改め家斉が11代目の将軍職に就任すると、意次の罷免、田沼派の一掃を行わせたそうです。

話を剣客商売に戻すと、傘徳の虚仮の一念、およそ20日間も、渋谷の金王八幡で張り続けた甲斐があり、傘徳は、例の頭巾の曲者を見つけます。
頭巾の曲者の跡をつけると、かつて、小兵衛の剣術の師匠辻平右衛門の紹介で会ったことがあり、むしろかわいがられたことがある、戸羽念流の戸羽休庵の青山の外れの穏田の屋敷に曲者は入っていった。
無論、戸羽休庵は生きていれば60過ぎの小兵衛よりもかなり年がいっているので、80~90くらいになるだろう、戸羽休庵は既に死没していた。
戸羽休庵の身の回りを調べるため、小兵衛はかつて交流のあった、8代将軍吉宗の御書院番を務めたこともある大身旗本の荒川大学信勝を訪ねる。荒川の家来の多くが戸羽道場に通っていたことを小兵衛を覚えていた。
荒川大学によれば、戸羽休庵は既に死没していた。
戸羽休庵と曲者の関係は。どうも、戸羽休庵邸に住んでいるのは休庵の孫の平九郎。休庵の子甚右ヱ門は徳川御三家のひとつ紀州家に仕えていたが刃傷騒ぎがあって当事者甚右ヱ門は両成敗でひそかに解決したらしいが
子平九郎は紀州を出奔。平九郎は一ツ橋家の庇護を受けている、と荒川大学が語る。祖父戸羽休庵の道場に一ツ橋家の家来が多く通っていた縁があったようです。
曲者と一ツ橋家のつながり、というのは大きなポイントのようです。
この直後、松平越中守定信の下屋敷でまたもや秋山大治郎と名乗る曲者による殺害事件が起こる。
荒川から戸羽屋敷のその後の情報を集めた、小兵衛は自ら敵の本丸(青山隠田の戸羽屋敷)に当たってみることにする。
 戸羽の屋敷を探るため訪ねた小兵衛を尾行してきた岩森源蔵を罠にかけ、杉本道場に誘い込み、生け捕りにして、情報を聞き出す。
さらに驚いたことに、自殺しようとした菓子店不二屋のせがれ芳次郎が死のうと思った原因が、この曲者と岡場所の女でつながっていた。
芳次郎は曲者と一緒にいた、岩森源蔵を見て覚えていた。
その間、例の曲者は今度は田沼意次の家来を、秋山大治郎と柄に書いた小刀で殺す。
小兵衛は田沼家来の殺害を知らないまま、手裏剣の杉原秀、鰻売りの又六など人を集めだします。
ようやく謎の頭巾の曲者の正体(恐らく一ツ橋家につながりをもつ戸羽平九郎)が見え始めてきて、展開が動き始めます。
杉原秀は杉本又太郎の家に行き、又太郎のサポートをすることになりますが、秀は捕らわれた岩森源蔵を知っていました。
岩森源蔵はかつて、一刀流の道場を開いていた、杉原秀の父親杉原佐内の教えを受けていた佐内は岩森源蔵を気に入って娘秀の婿にしようとまで考えていたらしい。
秀と岩森自身にその気がなかったのではあるが、そのような経緯があり、秀が岩森源蔵に小兵衛のことなどを語るうち、現像は男泣きに泣き出しすべてを秀に語る。
秀が小兵衛にその説明した際に、「天下の大事にございます」と。よほど根が深い、事件のようです。
となると、やはり、黒幕は一ツ橋治済でしょうか。。。
小兵衛は田沼邸を訪れ、これまでの事件の経緯を語る。意次も曰く、「ただの殺害ではない、その背後に大きなものが潜み隠れているやもしれぬ。越中の家来と意次の家来を交互に殺害するのは含みがあってのことではないか」
越中殿は意次へ、意次は越中殿へ、互いに憎しみを募らせ同時に世間を騒がせ、引いては天下政道の乱れをのぞむものがいるのではないか」
ま、そう見ますよね。
小兵衛が鐘ヶ淵の自邸に戻ると、隠田の屋敷を見張っていた傘徳が、曲者の下男が出てきたと伝えに来る。下男の行き先はなんと、浅草田圃の一ツ橋家の控え屋敷。
浅草田圃の一ツ橋家での場面、浅野(帯刀)と曲者の正体戸羽平九郎の密談。の場面
小兵衛は鰻売りの又六の家に滞在。弥七が確認すると、鐘ヶ淵の小兵衛の家は誰かに見張られている、その誰かは、越中守の息がかかっていそうな亀島橋の彦太郎という御用聞きとその手下の吉松。
弥七が彦太郎をつけると、越中守の屋敷に連絡をつけていた。
この田沼屋敷を出た後、小兵衛は戸羽平九郎を自分の手で斬ってたおす、という気持ちになっています。
戸羽平九郎の居所を探るため、人々は動き始めます。
片や曲者のほうも、浅野との密談で戸羽平九郎はしばらく江戸を離れるように言われ秋山親子を斬ることの合意をする。
平九郎も秋山小兵衛を追う。
物語は佳境に入って、詠みながら息が詰まるように緊迫し始めます。
お互いにすれ違いが続いたり。
平九郎は、芳次郎に絡んだ根津門前町の遊所の福田屋に向かった際に芳次郎に見つかります。
芳次郎の連絡を受けた団子坂の杉本又太郎と杉原秀は小兵衛に知らせることにするそこで秀が自ら鐘ヶ淵に向かうと言い出る。
ここからしばし、秀の活躍。
鐘ヶ淵には小兵衛はおらず、秀は橋場の大治郎宅向かい、大治郎から、小兵衛が駒形の元長にいることを聞き、大治郎には事の次第を話さず、元長に向かう。
一方、元長に入った小兵衛は亀島橋の彦太郎に見つかり、田沼につながる秋山親子憎しの気持ちになっている松平家の家来衆に連絡をとり、彦太郎は松平越中守の家来十名を元長に案内する。
秀に平九郎の居所を告げられた小兵衛は弥七と傘徳を先に向かわせ、自分も後を追う。まさにその時、越中守の家来衆が切り込んで来ます。
元長での襲撃は秀が引き受け小兵衛は根津福田屋に向かう。秀の投げる蹄(ひづめ)で混乱する越中守家来衆。
おりしも、天候は風が強くなり遠くで雷も鳴り出す。
平九郎を追っている芳次郎。平九郎は籠で福田屋を出ます。
その籠の前に小兵衛が立ちはだかります。
いよいよ小兵衛と平九郎の対決。
そこに割って入るかのように、小刀をもって平九郎を背後からひと突きしようと狙いを定め芳次郎が突っ込む。それを避け、一瞬すきが生じたところを小兵衛に斬られる平九郎。
意外とそんな展開なのか、というやや驚きの第3者の介入でしたが、小兵衛と曲者の決着がついてしまいました。
この後。小兵衛と弥七たちは平九郎の亡骸を一ツ橋の屋敷の門前まで運びます。
平九郎の亡骸は一ツ橋家に引き取られます。
最期は小兵衛と意次が話し合っている場面で終わります。
意次曰く、しばらく一ツ橋の隠居(治済)が良からぬことを計画することはないだろうと。小兵衛は松平の家臣を斬ったことを意次に言うが、そこは既に手をまわして、今回の件を定信に知らせているので気づかいは不要という。
恐らく一ツ橋隠居は、意次をその座から落とし、次は定信に
小兵衛はぼそっと、越中守定信はうらみを忘れないしつこい男ではないかというが、意次はこれに取り合わず。
意次は幕府の衰退と海外からの勢力に危機感を持っており、早く準備しないと、と、次の時代への危機感を持っていることが描かれています。
意次が、「いずれにしても、わしに与えられた長い歳月があるわけではない。 急がねばならぬ」というセリフからもうかがえます。


ある意味、予想通りというか一ツ橋のご隠居の腹黒い策謀でした。
秋山大治郎と名乗って、田沼の関係者と定信の関係者を殺害しているあたりで、政治的な背景と動機があるのではないか、と思うのが当然でしょう。
小兵衛から一件のあらましを聞き、一ツ橋家のかかわりを小兵衛に伝えた荒川大学も、恐らくこの件、一ツ橋の隠居の悪だくみ、というところに気づいているはずです。
そのあたり、一ツ橋の隠居の底の浅さが見て取れます。漁夫の利というか、二駆競食の計というか、欲の皮が厚いというか。自分の息子を将軍に据えただけで満足できんのかい!
となりますよ。
大治郎をあまり表に出したくない小兵衛の気持ちと、その意を汲んで行動する杉原秀の活躍が光っていました。最期のほうは大治郎と三冬はあまり活躍の場がありませんでした、三冬は身重ですからね。
しかたあるまい。
事件解決に一気に動くきっかけとなった、張り込み20日の傘徳さんの秋山親子にかける思いの熱さに涙します。
また、そこに感じる小兵衛の心の震えにも涙。平凡な表現ですが、人情ですなあ。
これまで登場してきた人物と、この事件の解決へ秋山親子との、人間関係の絆の深さ、また、そのことに感謝する小兵衛のてらいのない態度、またそこに感動する傘徳さんはじめ江戸の庶民の姿が良いですね。
さて、岩森源蔵がその後どうなるのでありましょう。



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