2018年11月21日水曜日

スキタイについて(その二)

<地域>
前回、スキタイの活躍した時代を書きました。
そこでスキタイの年表をざっくり作りました。

あとあと書き記す、近隣諸国(ペルシアや小アジア)も含めたものにします

さて、スキタイの活躍した場所ですが、

以前読んだ本↓では、スキタイの活躍した場所、地域を本の出だしで書き表しています。


「本書が主に対象とする地域はユーラシア大陸の中央部である。そこは、中国北辺の大興安嶺からはるか西方ハンガリーのパンノニア平原に至るまで連綿と草原地帯が続く広大な地域である。
この地域を区切る自然協会は東から大興安嶺、アルタイ山脈、天山山脈、ウラル山脈、カルパチア山脈などの山塊と、これらの山脈などから発して大草原を蛇行しながら悠々と流れるイェニセイ川、オビ川、ウラル川、ヴォルガ川、ドン川、ドニェプル川、などの大河およびその支流である。
最近ではこの地域を大きく分けて、大興安嶺からアルタイ山脈を中央ユーラシア東部、アルタイ山脈からウラル山脈までを中央ユーラシア中部、ウラル山脈からカルパチア山脈までを中央ユーラシア西部と呼んでいる。」
このような出だしで始まります。


スキタイの活躍地域のキーワードは「黒海」「カザフステップ」
黒海と言っても日本人にはあまりなじみのない地域ですが、トルコやイラクの北方にある塩水湖です。
海とつながっているので、内陸湖ではありません。
その海(エーゲ海・マルマラ海)への入り口付近にある都市がイスタンブールになります。
トルコの小アジアとヨーロッパ側に挟まれた海峡が、ダーダネルス海峡、です。
古い呼び名はへレスポントスと呼ばれていました。

一方、黒海の東、イランの北方にある、世界最大の湖、カスピ海は内陸湖です。
日本発の欧州便の飛行機に乗って、眼下を眺めると、それはそれは、永遠に続くのではないかと思うような何の変哲もない、だだっ広い平原とその上に羊の群れのように漂う、積雲の小さい塊の連なりが見えます。

4年前、2014年にユーラシア大陸の西の果てに行きたくなって乗った欧州便(KLMオランダ航空@関空)



だだっ広い平原とその上に羊の群れのように漂う、積雲



場所はカザフスタンの手前のロシア・シベリア上空、平原と思ったら、実は極東まで続く森林の上空だったのかも。。




そんな広大な地域を舞台に、かつて騎馬民族が東へ西へと駆け巡ったことを想像すると、それだけで胸が沸き上がるような想いを感じます。
騎馬民族であるからこその活動地域、活躍範囲の広さとその境界の変動幅の大きさと言えるでしょう。
スキタイの祖先、ヤムナ文化の人々に始まり、さらに、キンメリア、クマン、モンゴルといった騎馬民族が興亡した舞台です。
また、彼らによって東西の文化が大陸を行き交いました。







0 件のコメント :

コメントを投稿