経済の話を久しぶりに書こうと思っていたのですが。
あいかわらず。不動産屋のくそじじいに振り回されている市場。市場というのはいつも偉そうなことを言っている気がしますが、金融政策者は市場との対話が必要、とか。
ま、市場も大したこともないですな。
アメリカでハイテク株で代表的な会社をFANGと言うことがありました。フェイスブック(FB)のF、アマゾン(AMZN)のA、ネットフリックス(NFLX)のN、グーグルのG
そのうちの一つ、フェイスブックの株価が先日急落したというニュースがありました。
以前にもここで書いていますが、ザッカーバーグもフェイスブックも嫌いです。
なので、たかだか20%くらい株価が下がったくらいでニュースにするなよ。と思っていました。
正直、フェイスブックの適正株価は、今の半分くらいでも多いと思っています。
あまりに自分たちが扱っている商品(つまり個人の情報)の管理に杜撰すぎますし、軽く考えすぎ。
インターネットの社会ではそれで委員でしょうけど、実際の商売として考えてみると、あれはないわー。そんなザッカーバーグがもてはやされるって、何なの?という感じ。
日本の株価も持ち直しそう。他は次にします。
普通預金のうち何割かを国債にする準備を進めています。
その辺も。いずれ書きます。
剣客商売全集(6)後半感想
感想というかあらすじそのままなのでネタバレです。ご注意ください。
6巻後半「十番斬り」 その1(白い猫、密通浪人、浮き寝鳥、十番斬り、同門の酒、逃げる人、罪ほろぼし)
白い猫、
小兵衛が果し合い状を受け取り、これを承諾する。
相手は7年前、小兵衛が道場をたたみ、鐘ヶ淵の隠宅に隠居し始めたころ、田沼屋敷での試合の世話役をしていたころ、同じく世話役をしていた井関忠八郎の道場に現れて、井関の仲介で田沼屋敷での立ち会合いをすることになっていた、平山源左衛門。7年前、木太刀で、平山と立ち会った小兵衛は、やっとのおもいで勝ちを得た。
7年後、真剣での立ち会いに、小兵衛も勝てる気がせぬ、のであったが、おはるにも大治郎にも知らせず、果し合いの場へ出かけていく、小兵衛。
途中であった白い猫に、かつて、亡き妻が拾ってきてかわいがって四谷の道場を開いていたころに飼っていた猫に似ていた。この猫をめぐって無頼の浪人との関わって斬りあいしているうちに約束の時間が来てしまう。
一方、平山は小兵衛を待っているが、突然の発作で亡くなってしまう。
小兵衛曰く、「心の臓をやられていたのだろうよ」「剣術をやる者には心の臓を痛める者が少なくないのじゃ」
体を鍛えぬいているだけに、その傷みが重るのに気づかぬことが多い」
確かに、剣客商売で病で命を落とす人に心臓の気持ちは多いと思っていましたが、平山もその一人でしたか。
さて、白い猫のせいで、小兵衛は悔やみきれない、果し合いでの遅刻をしてしまいますが、これは実は亡き妻お貞の意思が働いているような気がしました。
平山と小兵衛の果し合い、実際に行われていたら。7年間、そのためだけに修練を積んできた平山のほうに分があったと思われるのです。さらに、自身の余命が長くないと悟っていた、平山の最後の戦い、となると、これは小兵衛の命もずいぶん危うかったのではないでしょうか。それを、亡き妻お貞が白猫に託して、小兵衛の足止めをした、と考えられなくはないのです。
ただ、小兵衛はのちに、おはるが土手に捨てられていた白猫を拾ってきたとき、強く拒絶したのは、平山への果し合いでの後悔の念が強く出ていたのでしょうが。おはるの拾ってきた猫は小兵衛の隠宅では飼われることはありませんでしたが、元長の夫婦のもとに預けられることになりそうです。
密通浪人、
小兵衛が、鬼熊酒屋で聞いた浪人の話に耳を疑う。浪人の一人は他人の女房を寝取ったと言っているが、肝心のその女房は、小兵衛の義弟の妻だった。義弟というのは亡き妻お貞の弟。
ただ、義弟の妻は女としての魅力は決してなく、作中の表現を借りるなら、「顔の造作は眉、眼、鼻、口が何やら四方に飛び散っているような、鼻の穴が天井を向いている。実にひどい表現、、」
小兵衛は首をかしげざるを得ない。
しかし、ことは義弟の家の事であり、放っておけなかった。
小兵衛は傘屋の徳次郎を使って件の浪人を調べる。
そのうち、義弟が小兵衛を訪ねてくる。
妻のお米が不義を働いていることで、ゆすられたというのだ。しかいs、義弟の妻お米はまったく身に覚えがない。
徳次郎に弥七親分も加わって、件の浪人を調べる。
浪人が不義の関係を結んでいるところに、お米をゆすった男(吉野家治助)が現れる。
吉野家治助はとんだ人違いをしたことが、ここで発覚する。
吉野家治助は、浪人の腹を短刀で斬り、逃げようとするが
そこに、小兵衛や弥七や傘徳さんが現れ、吉野家や浪人の釣れともども捕らえられる。
その後、義弟が見知らぬ女と6、7歳くらいの女の子を連れて歩いている姿を小兵衛は見かける。
お米のような女を妻にしているのでは仕方あるまい、と思いつつ、この先もめごとが起こらねば良いがとけねんする小兵衛でありました。
浮寝鳥、
さて、題の「浮寝鳥」とはなんでしょう。
調べると、鴨・雁・鳰・鴛鴦・白鳥のことだそうです。
俳句で使われる冬の季語だそうです。
毎年越冬のため、毎年日本に渡ってきて川や湖沼で一冬を過ごす
水鳥の群れ。鴨・雁・鳰・鴛鴦・白鳥などが、水面に浮かんで眠
るさまをいう。
橋場の大治郎の家に近い、真崎稲荷に、お薦さん、これは乞食のことですが、の老人がいた。
真崎のお薦さんと呼ばれていたが、みなりはそれほどむさくるしくないようで、近辺の人もただの乞食じゃないと思われているようです。大治郎夫婦や小兵衛も気にかけていましたが、ある日、。この乞食が斬殺されてしまいます。
大治郎が旅先から戻って、その話を聞くと、殺された当日は、ちょうど旅に出た日で、彼は別の場所でこの乞食の老人を見かけていた。しかも、その老人は娘と一緒だった。
大治郎は気になり、乞食の老人を見かけた場所に行ってみると、その娘が飯屋「三州や」に入っていった。
この話を、弥七に相談するか、地元の御用聞き馬道の清蔵にするか迷った大治郎、結局、清蔵に相談した。
清蔵と三州やに行ってみると、三州やの亭主も乞食の老人を知っており、娘はこの老人の娘だという、。
清蔵は抜け目のない御用聞きで、三州やでの聞き込みを終えて、大治郎と店を出て清蔵の家に戻った時、三州やから後を付けてくる男に気が付いており、手下にその付けていた男を調べさせる。
後を付けていたのは石原の吉兵衛という、御用聞きの手下だった。それに気づいた清蔵もなかなかだが、気づいたことを知らぬふりをするところもすごい。大治郎も清蔵を見直した。さらに、吉兵衛のてしたの男が見張りを続けていることを知った清蔵、大治郎は、この手下は大次郎の行く先を突き止めるつもりであることにきづく。
大治郎はわざと後を付けさせ橋場の自宅に帰る。吉兵衛の手下はその後吉兵衛家に行き、その後吉兵衛とともに、旗本溝口丹波守の屋敷に入るところを、清蔵の手下が突き止める。溝口は幕府の御書院番頭を務める家だった。後日、清蔵は吉兵衛から、この乞食老人の殺害の件に首を突っ込まないほうがいいとくぎを刺され五十両の金で手を引けと言われ、金を受け取らず、大治郎宅に行き相談する。
清蔵は大治郎への相談からの帰途、大治郎の家のすぐ前で大人数の何者かから襲われる。
そこを大治郎に救われ、三冬も活躍。三冬はさすがにこの件は父の田沼老中の耳に入れなければ、という。
というのも、捕らえたものの中に溝口丹波の家来もいたからだ。大身旗本で幕府の政治に深くかかわる溝口の家来が浪人に交じり秋山夫婦と天下の御用聞きを殺害しようとしたことは捨て置けない。。大治郎も三冬の言うとおりにしようと肚を決める。
馬道の清蔵も、まさか大治郎の妻三冬が田沼老中の娘と知って驚愕したことは言うまでもない。事件は清蔵yた大治郎の手から離れ、幕府の評定所の手にゆだねられた。
溝口丹波はお役御免になり、家老格の用人以下五名が切腹させられた。
さて、乞食老人と溝口家の関わりは、田沼家の用人生島次郎太夫が大治郎にのみ伝えよと田沼老中から言われている、と前置きし、乞食の老人は、溝口丹波の実兄であると告げる。
乞食老人の真の名は溝口一之介というらしい。
老人は過去若いころにに放蕩していた過去があり、40年前に溝口家を脱走した。
その後40年して、溝口屋敷に縁切り金を100両求め現れたという。
大治郎は後日、父小兵衛にこの話をして、40年前の老人の放蕩を尽くしていた若い頃の話と、自分が見た老人の姿が一緒にならず納得しかねることを話す。
十番斬り、
十番斬り、これは小兵衛がある浪人を見舞いに訪れる途中で対決した、十人の無頼浪人との闘いのことを指しますが。途中まではこの、ある浪人の話ではないだろうか、と思っていました。
この回で時代背景が明らかになります。物語のある節々で年代とか数字がはっきりますが、この回では
天明三年。1783年の年明けになります。小兵衛は63歳。妻おはるが25歳。大治郎が30歳
三冬がおはると同じ年。小太郎が2歳すべて数えの年。満年齢ではないようです。
小兵衛が碁を打つため。小川宗哲先生の家に行くと、診察中の浪人がおり、その精悍な体つきと黄ばんだ肌に興味がわいた小兵衛、は子の浪人が病気で先が長くないとみる。宗哲先生の見立ても余命は長くない。
この浪人、名前は村松太九蔵という。小兵衛はその名前に聞き覚えがあった。
20年ほど前、小兵衛が四谷に道場を開いていたころ、芝に道場を開いていた、村松道場のことを小兵衛は聞いており、会ってみたいとおもっているうち、村松道場の道場主が死去し、その子太九蔵が、何かの遺恨で4人の剣客と戦い、これをすべて討ち果たしたことがあった。その後、太九蔵は江戸を離れ行方が分からなくなった。
その太九蔵が宗哲先生宅にすがたを現すとは、小兵衛もおもってもみなかった。
村松太九蔵は宗哲先生に思い立ったことがあるので、今少し生きていたいのです、と語ったそうな。
弥七と傘徳さんが土産を持って、小兵衛の隠宅を訪れた際に、小兵衛は料理屋をしている、弥七の妻に精のつくものをこしらえてほしい、と頼む。
当然、弥七も、傘徳さんも、それは若妻おはるを相手にしている小兵衛向けのものと勘違いする。
小兵衛はあの村松浪人に見舞いの品として持っていきたいのだった。
村松浪人が住んでいる場所、今でいうと大田区のあたりらしい。
当時、郊外で、人気が少なく、十余名の無頼浪人が住み着いて、付近の百姓や、その娘を襲ったりして、土地の人のひんしゅくを買っていた。郊外でお上のめも、届きにくく、取り締まりに期待できず、土地の人々は泣き寝入りするのが常になっていた。
この浪人たち10数名が、香具師の元締めを襲って金を巻き上げる算段をしている。
小兵衛が村松浪人の家がある、寺に土産の鼈汁をもって、傘徳さんを供にに訪れたのはその翌日。
傘徳さんは途中、お尋ね者になっている香具師の元締めを見かけ捕り物することになる。
香具師の元締めは例の浪人たちの住処にはいったところまで、傘徳さんが見届ける。
そのうち、傘徳さんの連絡で小兵衛もその浪人の住処に向かう。
浪人の一味はかつて仲間を斬った村松浪人の家をみつけ、そちらに向かう。
浪人がいなくなったあとで、傘徳さんは香具師の元締めをとらえる。
村松浪人を襲撃し始める浪人たち、はじめ不意を突かれ不利だった村松浪人、背中を斬られ、危機一髪というところで小兵衛が登場し、浪人たちを切り捨てていく、いつの間にかアッというま十人の浪人を切り捨てた小兵衛。
ひと段落して、寺で小兵衛の持ってきた鼈汁を口にする、村松浪人。
村松浪人はすでにしたためていた遺書を小兵衛に渡し、思い残すことは一つもない、と言い残し、亡くなります。
遺書には20年前の4人の剣客との争い事件のこともにおわせながら、死病に取りつかれた体で、悪行を働き、善良な人々を困らせる無頼浪人たちを死ぬ前に打ち取りたいと思っていた。
最後には世話になった和尚への礼の言葉で締めくくられていた。
村松浪人の死に顔はあくまで清らかであった。
同門の酒
小兵衛ら、辻平右衛門道場の門人仲間は毎年二月十日に主食を共にすることにしていた。
集まるのは小兵衛他3名の全部で4人。いずれも老剣士。かつて、辻平右衛門が嶋岡礼蔵一人を共にして京大原に隠棲しに江戸を旅立った日が二月十日。師の恩を忘れぬよう、と初め十名で集っていたが六名が病死して4名になった。秋山小兵衛、神谷新左衛門(68)、内山文太(75)残る一人が矢村孫次朗(43)その年、孫次朗が何も知らせず欠席した。彼の人柄では無断の欠席は不思議なことだった。不審に思った小兵衛が弥七も加え調べる。毎年この二月十日には孫次朗は弥七のもとにも妻や子供への土産を持って現れていた。その土産の佐野六饅頭の店、佐野六に行くと、矢村は前日に店を訪れていた、しかも女連れ。矢村は母が子や夫を捨てて男と駆け落ちしていたことがあって、女不信で女嫌いになっていた。店の者曰く、十日まえにも矢村はその女と来ていたそうである。さらに店の者は白金の西光寺付近で、矢村とその女を見かけたという。弥七が調べると、女は浪人の亭主持ちで、西光寺近くの家に住んでいた。その女が渋谷道玄坂の茶店に入る。
矢村は女が浪人に絡まれているところを助けたことがあった。その女にたぶらかされて薬入りの酒を飲まされて拉致監禁されたのだった。
道玄坂の茶店に忍び込んだ弥七と小兵衛は、その茶店の地下室で矢村を見つけ救い出す。
矢村と小兵衛と弥七は、西光寺の女の家に踏み込み、女と浪人を捕らえる。その後に3人の盗賊が西光寺の家を訪れ、これは盗賊改めがお縄にする。
その盗賊の一人の弟を女のもつれで切り殺した男と矢村の顔がそっくりで、人違いで監禁されたのだった。
矢村はその後、同門の老剣士たちに叱られ、矢村も神妙に、修行のし直しだと、反省する。矢村は小兵衛に、その顔が似ていた男は、自分を捨てた母が別の男と作った子ではないかと、話す。
小兵衛は取り合わないが、そんな孫次郎に「剣にすがっておればよいのじゃ、おのれの一剣を持って生きよ、さすれば何事も解けざるものなし」と辻平右衛門先生ももうされたではないか、と師の言葉を矢村孫次郎に話す。
孫次郎はその師の言葉を思い出して目が覚めた思いになる。小兵衛が「こいよ、いっしょに飲もう」と矢村にかけることばの爽やかさかと清々しさは何とも言えない。
剣術の同門仲間、というものは私はないですが、
やはり友人というものは良いものです。
逃げる人
大治郎はある日、無頼の渡り中間に襲われ、見事な技でこれを追い払った老人を見かける。老人は貞観寺付近に住んでいるようだ。大治郎は別の日、田沼屋敷の稽古の帰りに寄った蕎麦屋で老人と再会し、お互いに好感を持ち、交誼を深める。
老人は高橋三右エ門と名乗る。大治郎は小兵衛にこの老人の話をする。
小兵衛は貞観寺の和尚とは顔なじみだった。小兵衛は不二楼に貞観寺の和尚を招待し、大治郎に聞いた老人について聞くと、貞観寺の和尚は、彼の名前は高橋三右エ門ではなく、本名が山本半之助だといい、敵から追われて諸国を逃げ回っている身であるという。
小兵衛は大治郎にこの話をすると、大治郎は瞠目し絶句した。大治郎はその老人、半之助を父の仇として追っている人物を知っていた。
大治郎が修行で諸国を回っているとき、大阪で出会った橋本又太郎がそれであった。彼は松江藩の藩士で、何かの事情で父親を半之助に殺されて、母を国元に残し、半之助を追って諸国を回っていると、大治郎に語った。
又太郎とは気が合い、今でも便りを交わす中であり、又太郎は今は京の町医者の元に身を寄せていた。
小兵衛は大治郎に、特に助言することなく、よく考えて対応するようにという。
大治郎は、夜も眠れぬほどに深く悩んだ末、京の又太郎に仇の半之助の居場所が分かったと、飛脚を飛ばす。
飛脚が京について、又太郎が江戸に来るまでの間、自分が半之助を見張ろうと、肚を決める。とはいえ、大治郎はその後も平静で居られず、「到底父のようにまいらぬ」とつぶやき心が穏やかにいられない。
常に、平静であることを心掛けていても、つい前まで好感を抱き交誼を重ねていた老人を偽って、親しい剣友に敵を討たせなければならず、板挟みになる。「人の世の善と悪とは紙一重じゃ」と父小兵衛がしみじみ言っていたのを思い知った。
大治郎が貞観寺の老人のもとを訪れたとき。大治郎のただならぬ気配を老人は感じた。その時、この話の冒頭で大治郎と出会うきっかけとなった、追い払った無頼中間が仕返しに浪人と連れ立って、老人を襲う。
大治郎は、思わず、「山本様」と老人の本名を声にしてしまう。
老人はその場から去った。大治郎が、家に帰ると、京の町医者から手紙が届いていた。
町医者の手紙によると、又太郎は一か月前に急死していた。
大治郎はこの手紙をもって小兵衛に相談する。大治郎は、小兵衛に、又太郎の国元の松江藩に又太郎の死を連絡せねば、と言う。
これに対し、小兵衛は「そうすると、国元で又太郎の帰りを待っている老母の耳にも入るな」さらに、松江で、半之助と連絡をとっている人もいるだろうから、半之助も知ることになるだろう。」
「半之助は、又太郎の死を今は知らず、常に仇討の恐怖に怯えながら日々を送る生活を続けている。それが又太郎やその父の供養になるのではないか、それが犯した罪のむくい」だと思う、と大治郎に話す。
「お前はお前の考えで思うようにするが良い。」最終的に大治郎の判断は話には出てきません。
小兵衛の言う通り、表に現れる、斬りあいの報復、とそこから逃げ続け、一瞬も安穏とできない生きた心地もしない、という状況も、一つの報復ではないか、さらに、そういうことに追い込まれることが、事情は分からないが、人を殺めたことに対する報い、ではないか、というのが小兵衛の考え。
目に見えることがすべてではない、と言われているように思います。
罪ほろぼし
永井源太郎は二十を超えたばかりの若い浪人。これを付け狙う浪人と町人のおとこの組み合わせがいた。この男たちの話では、永井はどこかの用心棒をやっているようだ。付け狙う男たちはお金五十両で依頼されて、永井の命を狙っている。たまたまその場を通りかかった小兵衛が永井を後ろから斬ろうとしている浪人を追っ払う。
永井と小兵衛はっそのあと名乗り合いますが。実はお互い、妙な縁がありました。
5年前、小兵衛を斬りつけて捕らえられたのは源太郎の父、永井十太夫、十太夫はその後切腹になり、家は取り潰しになります。源太郎は、小兵衛に父の罪を詫びます。源太郎は性格がまっすぐなようです。
源太郎は役目があると言って、小兵衛の前からさります。
源太郎の役目はある商家の金蔵の警固でした。
場所は。日本橋の有名な薬種問屋啓養堂。
源太郎は小兵衛の隠宅に先日のお礼に訪れる。小兵衛が襲撃に心当たりはあるかと聞くと、父親の件での恨みかもしれない、自らに心当たりはないという。
小兵衛はたまたま家に来ていた弥七に源太郎の後を付けさせる。
小兵衛は源太郎から、役目の内容を聞き、弥七に話す。金蔵の警固、というところが気になる弥七。
源太郎が弓のけいこで深川のはずれに来た時、啓養堂で怪しい男たちの手引きをしている女中の知らせで、
あっしい男たちは深川に向かう。
その男たちが源太郎を襲った時、源太郎を付けていた小兵衛や弥七がこれを救い、怪しい男たちをとらえる。
事件は大掛かりな押し込みけいかくであったようだ。すべて、火付け盗賊の手で一味を捕らえ、手引きしていた女中も傘徳さんによってとらえられます。
小兵衛は父親をとらえて、家を取り潰しにしたことを気に病んでいて、これで罪ほろぼしになったかのうと弥七に話す。
源太郎も、啓養堂では大変評判が上がり、妻をめとることができ、その報告に小兵衛の隠宅に来た時。「これで父の罪滅ぼしができたような気がする、とはなす。この言葉を聞き、小兵衛と弥七は顔を見合わせる。
題の罪ほろぼし、は小兵衛と源太郎の二人の思いだったんですね。
ハッピーエンドでよかった。
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