2018年9月2日日曜日

池宮彰一郎平家(下)の感想とか。

さて、昨日書いたように、今日の熊本は朝からすっきり晴れました。
早朝、洗濯物をかたづけ、午前中、家で読書して、お昼前にご飯を家でパスタを電子レンジでゆでて、食べました。
お昼チョイすぎ、近所のいつもの公園で散歩して、ノルマの6000歩を歩きました。
車の外気温計は35度でしたが、湿度は低く、ムシムシはしていませんでしたので、散歩中、緑のトンネルでは涼しく感じました。一時期に比べて、セミの声が少なくなっていました。



本題の「平家(下)」の感想です。

既に図書館に返してしまっているのですが、2週間以上前に読み終えてました。

が、非常に印象に残らない清盛でした。
下巻で清盛は没しますが、池宮さんはさほど劇的な最期として描いていません。
あくまで淡々と。
驚くことに、清盛の志を継ぐ者が、なぜか源の義経に位置付けています。
池宮平家への不満は後白河の描き方が奇麗すぎますね。
後白河なんて、とことん悪役に描いてもいいんです。事実、悪役だし。
それは、清盛の「良き」ライバル、という位置づけ。
いやいや、清盛にとって、「ひどい」邪魔者以外の何物でもない。人間の格でいっても、後白河んど、子供だまし。
池宮平家に一貫して、清盛VS旧体制=藤原官僚制度の対立軸と、打破すべき社会構造、として描かれており、これを無理やり、現代に置き換えようとしているところに、まったくもって共感しにくく。
滅びの美しさも、池宮平家では結局とtころ描き切れていません。
清盛亡き後、筆力というか、精彩を欠いています。これは致し方ないところ、ですが、作者の思いれが、清盛以外の平家一門にないんでしょうね。
個人的には清盛の末弟、薩摩守忠度は、もうすこし、かれの心のうちの苦悶を描いてほしかった。
さらに言えば、知盛の鮮やかさも見落としている。
宗盛との対比では、宗盛がふがいないので、いかんともしがたいのですが。
熊谷実盛の掘り下げと、敦盛との対決も、もう少し、どうにかならんのか。
北の雄、藤原秀衡の描きも、まったくもって、薄すぎます。
清盛の志を継ぐのは、あの時代、あるとすれば、秀衡その人のはずなんですけどねえ。
日本というせまい国で、あの時代、国土を超えた意識を持っていた政治家は清盛と、秀衡の二人しかいませんでした。さらに時代背景が、平安末期。社会構造も腐り始めて、いる中で、意識が通常の人を余裕で越えている人がこのふたりだけ。
こうしてみれば、格下後白河のあまりにも見すぼらしい姿が際立ってくる。
どう間違っても。清盛と対等に描くことはできない。そして、義経はいうまでもなく。かれは単に、戦術家、現場戦闘指揮官の器を超えることは生涯ありませんでした。
物事を俯瞰してみる、という目を死ぬまで、得ることはありませんでした。


ちなみに現在読んでいるのは、こちらです。





もともと、この2か月前あたりに、アルメニア及びコーカサスの事情に関心を持ちまして、
コーカサスの民族に伝承されている、古いお話に、「ナルト叙事詩」
というものがるのです。で、ナルト叙事詩を図書館で探してみたものの、関連する書籍がなく、
唯一引っかかったのが、この本。
といっても、ナルト叙事詩は一切書いていません、ナルト叙事詩の成立に、スキタイ文化が関わっている、というくらいの触れ方(涙
この本、市立図書館でも、大江の図書館には置いてなくて、わざわざ別の館から取り寄せてもらいました。


スキタイ、はモンゴルの歴史とならんで、関心は以前からあります。
いずれ、アルメニアの歴史、スキタイの歴史についても書いていきます。













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