2019年4月9日火曜日

今朝は晴れ、図書館に本を予約。義とは何か。大友家には何故、義を重んじる武将が多かったのか。そして、それでも滅んでしまったのはなぜか。を考えてみたい。

今朝は晴れてました。東に薄い雲がかかっていたせいか、明けの明星は見えませんでした。
現在は、細い月はすでに夕方しか見えません。先週の週末(7日、日曜)、細い上弦の月が見えました(月齢1.8)

図書館に本を予約しました。
先月、大友家関連の本を読んで、戸次鑑連について書いている本をじっくり読んでみたいと思ったのです。
戸次鑑連(へつぎ、もしくはべっき、かねつら、もしくは、あきつら)は大友家の戦神と呼ばれ、遠く甲斐の武田信玄に、ぜひ会って見たい、と言わせた。
wikiに以下の記載があります。
「鎮西に戸次道雪という者がいて、戦に秀れているということを噂に聞くが、一度戦ってみたいが互いに遠く相離れているため、残念ながらその戦技を競うことができない」(旧柳川藩儒者・笠間益三)、「道雪樣へ武田信玄より名譽の御働を聞及ばれ御対面あり度しとの書状之あり、之は遍参僧持参なり」(『浅川聞書』) また、信玄の枕屏風に道雪と家臣の由布惟信らと共に諸国勇士の名が記されてあった

鑑連は、後に、大友家の支配に反乱を起こした立花鑑載(かねこと、あきとし)を征討しその功績から、断絶しそうになった、筑前の名家立花家の名跡をついで、立花姓を名乗ることを許されたのですが、本人は使いたくなかったようで、有名な、立花道雪という名乗りは本人が生存中はされなかったようです。
道雪、は出家後の麟伯軒道雪からきています。主君、大友義鎮が出家して宗麟、と名を変えた(法名を名乗った)際、あわせて、剃髪し、つけたものです。
wikiをみるまで知らなかったのですが、道雪の意味は、「道に落ちた雪は消えるまで場所を変えない。武士も一度主君を得たならば、死ぬまで節を曲げず、尽くし抜くのが、武士の本懐である」というものだそうです。
義を重んじる、と言うのは大友家の良将の伝統なのかもしれません。例えば吉弘家は家の伝統として義将を何人も排出し続けています。例えば、吉弘氏直、その子吉弘鑑理、その子、吉弘鎮理(後の高橋紹運、)その子で、道雪の養子になった立花宗茂。みな義将。と呼ばれるに値する活躍、生き方をしています。

豊後武士の伝統と言えるでしょうか。豊後武士にも田原家のように反骨の一族がいます。有力だった志賀家も一様ではない。後世有名な志賀親次が突出して義将といっていいでしょう。
佐伯家も、一般的には代々一様ではありません。私は、佐伯家は海賊としての面があると見ています。その末裔、佐伯惟定は義将と言って良いかどうか。薩摩との闘いで珍しく筋を通した人ではあります。その生き方を取ってみれば義将かも。
豊薩戦争の際に、圧倒的な島津軍に対しひるむことなく、痛撃を与え、撃退しています。
この活躍は、日向から渡ってきた島津に滅ぼされた日向伊東家家臣の義将、山田匡徳の影響が大きい。
一体その土壌はどこにあったのでしょうか。
私は大分出身ですけども、このあたりがよくわからず、それを知りたいと思い、豊後武士の義将中の義将といっていい、立花道雪に関連する本を読んでみたいと、思ったわけです。
大分県民が、なべて義理堅い、というとそんな県民性があるというのは今まで聞いたことがない。
むしろ、瀬戸内海沿岸地域の影響で柔軟性が豊か、と言うことはきいたことがありますが。柔軟で打算的で、商人に向いている、と言う風に。

そういった義を重んじる武将が比較的多かった大友家も、結局、滅びてしまいます。この現実と無常感は、歴史好きな大分出身者としては、臼杵の朽ちた、生首の石仏なみに、切ないものがあります。
その辺を考える上で、道雪に関連する本が何かの道しるべになるかもしれない、と勝手に思いました。

義を重んじる
義とは ... なんでしょうか。これも、古代中国から輸入された道徳の一つです。
有名な言葉に、
「義を見てせざるは勇無きなり」というものがあります。
これはもともとは孔子の論語の第2、為政に記述があります。
子曰。非其鬼而祭之諂也。見義不爲無勇也。
 其の鬼に非ずして之を祭るは諂うなり。義を見て為さざるは勇無きなり(自分の祖先ではない霊を祭るのは諂うことである。人としてなすべきものだと知りながら、それをしないことは勇気が無いからだ)」

確かに、儒教とは仁義を大事にします。あと、礼といった形式も大事にされますね。
日本人の形式重視な特徴も、この儒教の影響の現れかもしれません。先ずは形から、と言いますよねー。
これとは逆に、私は老荘かぶれなので、大道廃有仁義 です。
無為自然の生き方が廃れてしまったからこそ、人為的な道徳が説かれるようになってしまった
といって、どっちかつーと、人為的な、道徳の仁義を否定する立場です。
仁義を良い悪い、で述べたものではありません。

調べていくと、
「義」は儒教の五常(義・仁・礼・智・信)の一つで、筋道の通った正しい行いのこと。 
とあります。
筋道を通す、は多くの日本人は大事にしますね。実は中国由来の価値観です。
経験上、確かに。筋道を通す、は欧米系の人には通じない、なじまない価値観だと思います。
アジア、日本、韓国、中国では通じます。

今週末、人間ドックついでに、霊異記や宇治拾遺物語が入っている日本文学全集を返却し、
道雪本を 借りてきて読んでみようと思います。



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