2018年3月15日木曜日

老子、36章より

老子は、やはり、深い。

将欲歙之
必固張之
将欲弱之
必固強之
将欲廃之
必固興之
将欲奪之
必固与之
是謂微明
柔弱勝剛強
魚不可脱於淵
国之利器
不可以示人



これは、例えば、跳躍する時、どうするかを思い浮かべればよく分かるのではな
いだろうか。高く飛ぼうとすればする程、大きく身を縮める。
また、緊張の連続の場面に臨む時には、その前には大いにリラックスした方が、
結果はうまくいくだろう。
 軟弱とみえるような人は、往々にして危難の場をするりとかわしてうまく逃れる。
逆に、剛強な人は人と争う事多く、引く事をしない故に我が身を危うくするような
事態に直面するような事も多いと言えるのではないだろうか。
つまり、ここにおいて、強とは何か、弱とは何か、という問いかけがまるで無意味
なものとなってくる。強はそのままその裏にしっかり弱を秘め、弱はそのままその
裏に強を秘める。
生は死を秘め、死は生を秘め、開花は落花をそのうちに秘める。
これまた、自然の法則と言えるだろうか。
このように、物事が成る前の姿、これを微かな明かりという。

深い水の中で生きる魚が、自分に出来るからといって、そこから抜け出して
人々の目につくような水面に自らの姿を現したらどうなるだろうか。
この事が理解できれば、「国の利器(大切な人物や、国家の秘密兵器など)
は、もって人にさらすべからず」

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