2018年3月5日月曜日

戦国期の英傑というと誰か

既に戦国の三英傑というくくりが東海地方愛知ではあるらしい。三英傑とは、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三人である。この三人は、戦国の混乱から天下統一に手をかけた、もしくは統一を成し遂げた、あるいは統一後の長期安定政権を作り上げた、と言う意味では間違っていない。ただそれでは英傑と言う言葉の意味が狭い気がするのですが
英傑とは辞書で調べると、知力、勇気が優れていること、とある。もしくは英雄、豪傑の事。と。尾張の織田信長は、たしかに戦国期で屈指の英雄であることは間違いない。
豊臣秀吉が豪傑かどうかはさすがに疑問が残る。徳川家康が英雄、というと違和感がかなりある豪傑の風ではない。
三人共に戦国末期の人々でもある。
同じ時代織田信長以上の革新的な武将はいた。豊臣秀吉以上の知恵者はいた。徳川家康以上に野戦で強い武将はいくらでもいた、家康以上に統治能力や組織構築能力に優れた武将はいくらでもいた。
信長以上の革新的な武将と言えば、甲斐の武田信玄がそうだし。近江の六角貞頼は織田信長より先に楽市楽座を行なっている。今川氏真も織田信長より先んじて領国内で楽市令を出している。さすがに野戦における鉄砲の大量集中運用は織田信長が戦国期のさきがけは疑うべくもない。戦闘における鉄砲の初運用は恐らく薩摩島津が先だろう。鉄砲や大砲など西洋の革新的な武器の有効性に気づいたのは九州の西国大名が先進的である。豊後の大友宗麟はその点戦国期で最も革新的な武将と言って良い。国崩しと名付けた大砲を実戦で使ったのは大友家が戦国期を通じて最初であるし。
残念ながら名の通り国が崩れかけた時にようやく力を発揮したと言う皮肉なヲチがついているが。
と言うわけで英傑というのは一筋縄いかない。
少なくとも三英傑にあげられている三人は違和感がある
では、私の考える戦国期の英傑とは、甲斐の武田信玄、相模の北条氏康、
の二人は抜きん出ている。
安芸の毛利元就、大和と言うか近畿の三好長慶、松永久秀、美濃の斎藤道三、あたりもいいだろう。
豊後の別次鑑連、高橋鎮種、筑後の義将蒲池鑑盛。あとは薩摩の島津義弘か

時代が4~500年遡り、天文年間初期永享年間位になると、相模の北条早雲、越後の上杉為景あたりは微妙か?。三河の麒麟児、松平清康は凄い、後に発展する徳川家の礎を築いただけではない。太原雪斎も僧侶ながら活躍ぶりが注目に値する。
肥後の菊池能運、は、惜しむらくは資料が少なく活躍時期が短いが十分な素質があった。三河の麒麟児に匹敵するのではないかとやや贔屓目だが考えている。大友親治も後の大友家の礎を築いた英傑と言って良い。




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