今日は午後から心臓リハビリで、会社は早退。朝はあんなにひんやりのくせに昼間は超暑い。。。リハビリで自転車こぎしますが汗びっしょり。。。。
ディーラー様から、入荷の連絡。来週7日金曜日に入荷、福岡に陸揚げ後、熊本のディーラーさんへキャリーカーによる陸送。
納車を9日にしませんか?とこちらへお伺いの連絡がありました。ガッテン承知の助とお返事。(いや、普通にOK、とだけです。)
残金振り込みの話をしたら、振込口座を連絡いただいたので、リハビリ後、銀行に行き振り込み、15時過ぎていたので翌日扱いになりました。
高額の振り込みは、振込詐欺対応で、ATMで出来ないので窓口に行かねばならぬ。めんどくさい。
無事に振り込みました。頭金を引いた残金を。手数料540円も取りやがった。いまどき、電気信号を右から左に動かすだけで手数料とは、銀行とはあこぎな商売だな。
【トランプ帰国 Youは何しに日本へ来た?】
ようやく、アメリカのじじい帰っていきました。2度と来んな。
普通、国のトップが他国を訪問する場合、何かしらのお土産を持っていくことが通例です。
今回、明らかに、じじいはもてなされただけで、なんのお土産も持ってきませんでした。まったく、何様?
日本、というより、新たな時代、お天ちゃんになって以来の主要な他国トップの訪日とあって、新お天ちゃんのもてなしぶりがクローズアップされていますが、あまり意味はありません。
むしろ、くそじじいが手ぶらできたことの方が、問題ではないだろうか。一方、スネ夫シンゾーには肩透かしだったんじゃないですかね、日本とアメリカで、北朝鮮への姿勢の差が明らかになりました。
先月のミサイル発射を問題視しているスネ夫しんぞーに対し、ジャイアントランプは「おれはそう思わないけどね、何を騒いでいるの?騒いでんじゃあないよ、」と返されてました。
見ているこっちが思わず苦笑、ぷぷぷ。
じじい、Youは何しに日本へ来た?
メディアも、よくあれだけ軽薄に、ちやほやできるものだと感心します。
【ルノーFCA連合と日産三菱】
今週になって急に降って沸いたような、ルノーとFCAの経営統合の件。
動きが早いです。アライアンスに参加、とか業務提携をすっ飛ばして経営統合とはね。実際はここ数日のお話じゃないでしょう。
ちまたの話を見る限り、FCAやルノーに電動技術がないから日産を狙っている、モータージャーナリストを標ぼうするK沢氏すら、そんなことを言ってます。
とんだ「えせジャーナリスト」伏木さんの方がよほど誠実でましだなー。
さて、ルノーとFCAに電動技術がないか、
とんでもない。FormulaEの初年度のシャーシを開発設計したのはルノーですよ?
蓄電可能なシステム含むシャーシが、電動化技術がないメーカーが一から設計できるわけないでしょ?
FCA傘下のブランドとして、ジープがありますが、つい先日ジュネーブショーで、レネゲードPHEV発表されています。
ジープ レネゲード に初のPHV
どのメーカーも電動化をある程度商品化しない限り、地元欧州で特に販売できません、また、大きな市場である、アメリカ、中国でも、そういう政治的な圧力があります。
なのでFCAやルノーが、いちいち日産の技術を今年手に入れないと、にっちもさっちもいかない、と言う状況ではないんですね。
あったらあったで、スケールメリットを追って、他の先を行く、ドイツ車や中国車メーカー、日本メーカーに対する競争力が生まれることは確か。
という訳で、ルノーFCAと日産の提携は、手持ちにない技術を買うための提携や統合ではないと言い切って良いと思いますよ。
日産側は、独自性を気にして、ルノーーとの経営統合に抵抗しましたが、経営統合までするかどうか、は別に置いて、ルノーFCA連合とのアライアンスを結ぶことは日産に莫大なメリットがあると考えます。
特に、日産、北米での販売が非常に悪くなっています。おまけにくそじじいによる貿易障壁は今後ますます高くなる可能性も秘めています。
そんな中、北米に拠点を持つメーカーとの提携は、日産にとって、経営上のメリットは計り知れない。
車の開発は日産がする、企画や販売、生産はアライアンスのなかでお互いのないところを補完しあう、と言う形であれば、いい形でアライアンスを組むことができるんじゃないですかね。
そんなわけで、私はこの話、大賛成です。多分、このまま日産が独自な経営をやっていくと、経営状態はますます悪化する可能性が高い。これは、日本での販売がいまいち、日本人の自動車離れが大きく影響していると考えます。
ルノーFCAと手を結ぶか、三菱のようにどっぷり中国或いはアジアに入り込むか、の選択肢しか、生き残る手はないのではないか?いくら技術があっても、その優位性をアピールしつつ自動車販売可能な市場を確保できない限り、日産三菱連合だけでは、今後続けてはいけないと感じます。
もはや、日産上層部が何の既得権益にこだわって、経営の独自性にこだわってルノーとの一体化を嫌がるのか、さっぱり不明です。理解しがたい。
ゴーンスキャンダルの件は、それを見逃がしてきた日産上層部に病巣があるのであって、ゴーン一人のせいでもないでしょうよ。そのことに自浄作用が働かない、日産上層部って?風通しが非常に悪いように見えますよね。
FCAで魅力のあるブランドは、フィアット、アバルト、ジープくらいかなー日本人にとって。クライスラーはいまいち、昔、ペルーに旅行に行った際に、クライスラー・ボイジャーに乗って、リマ~ナスカ間をパンアメリカンハイウェイを行った記憶があります。ボイジャーのようなミニバンを上品に作るのはクライスラーならでは、ないですかね。
ジーリーチーチャーとボルボの関係が非常にうらやましい限りです。こういった関係を築けないものかな。
かつて、ジーリーチーチャーが筆頭株主になる前、提携していたボルボとフォードの関係は最悪だった。
スウェーデン政府も、ジーリーチーチャーとボルボのいい関係を見守った。そうではなかったサーブのような運命を日産がたどるかどうか、の瀬戸際にある。と感じる。
かつて、そのことあが決まった際に、これからどうなるのか、不安の方が期待よりも大きかったことは否めない。
ただ、結果として、今のボルボはとんでもなく素晴らしい車を世に出す企業になったことも事実、私がアウトランダーPHEVを買いましたがXC40との比較でずいぶん悩みました。
お金に余裕ががあればXC60のPHEVバージョンXC60T8 PHEVを選んだことでしょう。まだ日本には登場してませんが、インテリセーフの魅力にチョーォォォ悩んだ。(苦笑)
【川崎の事件、GW前後の交通事故、優生保護法に対する国家賠償を求める裁判の最高裁判決について】
昨日の川崎の事件、大変痛ましいです。この5月は振り返ると大変痛ましい事件が連続して起きました。悲しみに明け暮れた令和元年5月、と言ってもいい。
川崎で犯行に及んだ人の年齢が50過ぎのオッサン、と言うところに、大変驚きました。切れやすい、と言われる、若い人ではありませんでした。
私とさして年齢が変わりません。ほぼ同年代と言っていいと思います。いわゆるアラフィフ世代。
ニュースを見てて、犯人の中学生の頃の写真が使われているのが、マスコミの軽薄さといい加減さに憤りも感じました。なぜ、そこまでして写真を出すのか。
50過ぎのオッサンの心の闇は、まったくのところうかがいかねます。
どんな人でも心の中に闇を抱えているものですが、その闇に突き動かされて、あのような犯行に及ぶきっかけは何だったのでしょう。
犯行の現場、ひょっとしたら、私も歩いて通ったことがあるかもしれない、南武線登戸駅の近くですね。
かつて、私は中学3年~高校3年まで、川崎宮前区にすんでいた事があります。最寄り駅は田都市線鷺沼、多摩プラのちょうど中間でした。東名東京ICから歩いて15分。
そして高校が生田だったので、高校から歩いて向ヶ丘遊園まで行くこともしょっちゅう。向ヶ丘遊園~登戸までもたいして距離はありません。多分10分もしないのでは?
そんなわけで、今回の事件。決して遠くの都会の出来事、と言う受け止め方ではありませんでした。
GW前後で起きた自動者による、無差別殺人、今回の事件も無差別殺人。
自分は、長生きできない病気を抱えて、そう遠い先ではない死を見つめながらの生活をしていますが、これらの事件で亡くなった方々は、今日の続きで明日が来年があり、10年20年先のことも考えつつ、生きていた方々です。
まさか、自分の死が一瞬先にあるとは、思いもよらなかったでしょう。「残念」と言う言葉で言い表せない苦悩が本人だけでなく、この先長く残された周囲の人々に影を落とし続けていきます。
この事件と同様に、名状しがたい憤りを感じたニュースが2件ありました。どちらも裁判の判決でした。
この2件、常々感じていたことですが、日本の裁判所には正義とか、人間性と言うものが希薄だなと思います。裁判官も所詮、お役人のワンオブゼムなのか。人間性を失った役人に切り盛りされる日本と言う国はどこに向かうのでしょう。
一つは優生保護法のもとで障害を理由に強制的に不妊手術を受けさせられた方々が国家賠償を求めた裁判
優生保護法ですがほんの20年ほど前まで法律としてありました。
“優生保護法”とは具体的に何をする法律か、というと例えば、障害のある女性に強制的に避妊or不妊手術をするとか、ライ病の患者さんに断種手術を施す、などです。障害とは知的障害とか精神障害です。
その様な方々からは“不良な子孫が出生”されるので、その“防止”をするという事です。
今回の裁判の原告は10代の時に強制的に手術を受けさせられたと訴える60代、70代の宮城県の女性2人でした。
裁判の結果は、優生保護法が違憲だったことは認め、それを定めた国による賠償そのものは認めませんでした。
実は国としては優生保護法の非は既に認めており、旧優生保護法に基づいて避妊や堕胎や断種手術などを受けた方々に対して、一時金320万円を支払う事を明記した強制不妊救済法を4月24日に成立させています。
これはあくまで一時金です。
。
ただしかし、責任の所在が明らかになっていません。強制不妊救済法ではお詫びは記載されていますが、結局責任は何処にあったのか、は明記されていません。
判決では、国会が損害を賠償する立法措置を取らなかった「立法不作為」は国家賠償法上、違法ではない、と国会(国)の責任ではなかったと婉曲に言ってます。
当たり障りのない、既に非を認めており、現在では有効ではない、法律そのものは悪としつつ、それを決めた国、、または今後同じようなことが起こらないように国に釘を刺しておくことも司法の役割だと思います。
ただ、違法じゃない、なんておためごかしを言っているのでは、また同じような問題が起きます。そういったことの歯止めの役割を担うべきが司法のはずですが。
いままで、国に対して強く、司法の権威を示したことは記憶の限りありません、常に、裁判所は国といった大きな権力に忖度する存在です。、正義とか、人間性などといったものは存在しない。
司法に携わる人々は、一体何を生きがいにして、仕事をしているのだろうか、というあたりも伺いしることはできません。同じ日本人でも、理解しがたい、理外の世界です。
【潮鳴り 感想】
登場人物は
伊吹櫂蔵:本作品の主人公、船手奉行の父を持ち、勘定方になり、大坂で接待中の商人を怒らせたことで帰国させられ謹慎。
腹違いの弟・新吾郎に家督を譲り漁師小屋に住み着いたが、荒んだ生活から襤褸蔵と呼ばれている。
咲庵(しょあん):お芳の飲み屋で櫂蔵が出会う、元有名な商屋の番頭だった。が、途中、立場も家族も捨てて俳諧の道に進む。
彼のセリフ:
「暇を見つけては書を読み、俳諧を学んだ。すると生きていくことの意味は金儲けにあるのではなく、この世の美しさを味わうことにあるのではないかと思うようになった。
誰もがそうなのではありませんか。自分の思いと裏腹になることは良くあることです。
60近くまで生きて、ようやく私は何も持っていないのだと気づきました。十年ほど前、俳諧師になろうと思い立った時はそれが自分の進むべき道だと思ったのですが、いまになってみれば、ひとりで生きるのは骨身にこたえます。誰からも頼りにされず、思い出してくれる者もなく、縁もゆかりもないこんな海辺にいるんですよ。わつぃの勝手のせいで、女房も私と同じような思いを抱きながら亡くなったのだと思います。」
「潮鳴りが聞こえるでしょう。私にはあの響きが、死んだ女房の泣き声に聞こえるのです。死ぬまで私の耳には、あの潮鳴りがずっと聞こえるのでしょうな。」
題名の元になった部分。主人公の伊吹櫂蔵にとっても、潮鳴りは弟の嘆きのように聞こえてくる。
お芳:櫂蔵が通うのは漁師町のはずれにある飲み屋の女将(まだ若い)金さえ出せば一夜の共寝もする女(事情有)
櫂蔵が、一人、死のうと海岸を行くうち、お芳に止められた際に投げかけられた言葉
「どんなに辛くても自分で死んじゃいけないんです。そんなことをしたら、未来永劫暗い所を亡者になって彷徨わなきゃならなくなる。
辛くてもお迎えが来るまで頑張って生きたら、極楽の蓮の上で生まれ変わるって祖母が言ってました。だから、この世で辛い目にあっているひとほど、自分で死んじゃいけないんです。」
井形清左衛門 勘定奉行 かつて、お芳を捨てた男。(恐らく、本人にその記憶も意識はない)
小見陣内 地方廻り清左衛門の狗的な役割。櫂蔵たちを見張って、清左衛門に動向を伝えている。
長尾四郎兵衛:勘定方の櫂蔵の同僚、かつて櫂蔵の弟新吾郎の同僚であり、新吾郎の志に一目を置いていた。
浜野権蔵:勘定方の櫂蔵の同僚、かつて櫂蔵の弟新吾郎の同僚
重森半兵衛:勘定方の櫂蔵の同僚、かつて櫂蔵の弟新吾郎の同僚 酒に弱い。
笹野信弥:勘定方で最も若い櫂蔵や新五郎の同僚。
播磨屋庄左衛門:前作蜩ノ記同様。羽根藩の田畑の買い占めに走る、博多の商人。
宗平 伊吹家につかえる、船乗り。
千代 宗平の娘。
お染 櫂蔵の継母。
小倉屋義右衛門 :日田の掛屋の主人、新吾郎に明礬の利益をもとに5千両の金を用立てる。新吾郎はこの5千両を藩主の江戸での無駄遣いのために巻き上げられたことを苦にして切腹。
国武将左衛門:家老
蜩ノ記と同じ藩が舞台ですが、趣が全く違います。
蜩ノ記では、定められた死、に対して、志をどのように貫き通すか、周囲の人々が、その志を拾ってどう継いでいくか、というところを描いた作品でした。
死、ありきのさくひんでしたので、同じ境遇の、病気によって常に死を意識せざるを得ない私自身も、そこへの共感というか、思い入れするところが多い作品でした。
ですが、潮鳴りでは、新吾郎は物語早々に、心ならずも切腹して果ててしまいます。志を途中で断念せざるを得ない状況になってしまいます。
そこで、命はあるものの、精神的に、死んだとおなじような「襤褸蔵」になり果てていた、兄、櫂蔵が、死んだ弟の志を継いで再生していく物語です。
どちらも、人の志、と言うものは誰か引き継がれて続いていきます。その志を始め持っていた当人の生死にかかわらず。
志はどちらも、武士、という特別な階級が持つべき、被支配層への思いやりであったり、義務感であったりしますが、2作品の共通する一つの柱にはなっているとおもわれます。
特権階級はすべからく、こうあるべきだと思うのですが、どうでしょうか。これは東西を問わず、真理だと思われます。
かつて、読んだ、ベネツィアのお話『海の都の物語り』で、塩野七生さんはベネツィアの貴族について
税制も、貴族に特別待遇を与えはしなかった。これも第四話で述べた、一種の直接税ともいうべき長期国債の強制的な割当て制度も、資産の額に応じて割り当てられるのであるから、資産家と認定された貴族は、貴族であっても、それから免除されはしなかった。このように、ヴェネツィアの貴族は、他の国々の同僚とはちがって、国政に参与できるというたったひとつの特権を得、貴族階級に属するという栄誉を与えられる代りとして、率先して法を守り、率先して税金を納め、率先して戦いの第一線に立たねばならないという義務を課されていたのである。(P135~136)
ノブレス・ オブリージュの精神
彼らは、国政に携わることで、給料をもらっていたわけでもない。
貴族階級に属するということは、それなりの義務を負うということを意味していた。
これはノブレス・オブリージュの考え方に通じるものがある。
ノブレス・オブリージュは、直訳すると「高貴さは(義務を)強制する」の意味。
書いているように、ヨーロッパのすべての貴族階級がそうであったわけではありません。
潮鳴りでも、そうではない特権階級の家老や、藩主、勘定奉行、そこに結び付く商人が居て対立や事件が生じています。その二項対立のストーリー展開は、ありふれているかもしれません。
ですが、私たちの生活の場でもそう感じる場面があるからこそ、共感する人も多いのでしょう。日本の政治家や公務員が全て誠実な階級に応じた責任感や思いやりがある、新吾郎やのような人であれば、葉室麟さんの話は滑稽な昔話で終わったろうと思います。
上級国民と呼ばれるような人々にはすべからく、ノブレス・オブリージュを持っていてほしい、と思うのは、ないものねだりでしょうか。
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