9月22日、6時に群馬に到着。既に妹と姪の一人は起きていた。
シャワーを浴びさせてもらい、6時過ぎに寝て、9時半起床。
【母の見舞い】
午後、妹と、母親の見舞い。病院は群馬の家から来るまで5分。群馬に来るとき使った高速スマートICの近く。
予想ほど悪くなかった。
痛み止めのアセトアミノフェンを6錠→3錠に減らされて、痛みが戻ったといっていた。
鎮痛剤はあまり飲みすぎるとよくないので、減らさざるを得ないだろうが、痛みは慣れるもの。
寝ているときはさほど痛くないらしい。寝れないほどの痛みがあるわけではない。
食事やリハビリでたって歩くと痛い模様。珍しく自発的に歩行器を使って歩いているらしい。
居合わせた看護師も先生と相談しましょうと言っていた。
アセトアミノフェンは一般的な風邪薬にも入っています。いわゆる下熱鎮痛薬です。飲みすぎると肝臓に負担がかかるそうです。
アルコールとかと飲みあわせると、死亡することもあるらしい。、ま、入院患者はお酒は飲まないだろうけど。
戻ってきて群馬のガソリンスタンドで満タン給油。31L入った。中央高速の駒ヶ根で入れた10Lと合わせて、
九州から群馬まで、合計41Lのガソリンを使った。
給油後、高速スマートICの近くの道の駅玉村で充電。ここは20kwの中速充電スポット。
30分でEVーーーkw→34kwに復活
家に戻り、妹と親のことで話をする。葬式のお金のこととかでもやもやしていた。
親が、日常的にお金がないと言っていたので。不安だったようだ。
うちの親は自分たちが子供の頃から、うちにはお金が無いといい続けていた。
今回の入院費とか父親のショートステイの費用などのことも話す。
合わせて月30万くらい。ショートステイのほうが20万/月かかって高い。
入院費用は高額医療費のたいおうがあるので、実質はそんなにかからないはずだ。
父親のほうは痴呆が進めば、いずれどこかの施設に入れる必要はあるだろう。
父親の父親(故人)、父親の母親(私にとって父方の祖母)は仙台出身でその縁者がちょっと前にお亡くなりになったこととか、を聞き。
東日本大震災をきっかけに往来が出来たのだが、私を始め、家族のだれ一人、東北に親戚がいるということをあまり知らなった。大分市に住む叔父の奥さん、(つまり叔母)が仙台出身なのは、この祖母が宮城出身であることが大きく影響しているらしいことも、初めて知った。
妹と、父親の祖父母の話をする。
姪ふたりのうち一人は来年高校受験だが、そんな雰囲気まったくなし!
大丈夫?
既出で再掲になりますが。
祖父、千次郎(長男なのに、次郎)と父が1歳1半頃昭和16年4月
父の家族の肖像(@宮崎県日向市)父は4人兄弟の長男です。(中央)
長男が出生地にとどまらないのは、自分も含め、うちの遺伝だな。
祖父も、宮崎を離れ、家族を持ったのは遠く満州だった。
祖母は宮城県仙台の出身。農家の娘。
地縁に薄いのが、我が家の伝統なのかも。
ただ父の妹たちは宮崎にいます。弟は大分市にいます。
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